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第6章「光と闇」




 ひゅるりと、初夏に近づく季節にしては冷たい風が吹く。地理的に言っても、この地方は夏の到来が遅い。荒廃した今となっては草木の存在もまばらで、益々季節のめぐりを実感する事が難しくなっていた。
 窓の外から覗く僅かな木々を視界に入れ、ルビーは石造りの廊下を歩く。その足取りはどこかおぼつかない。所々ヒビの入った床に、時折足を取られてしまうほどだった。イリスでのやり取りのせいで、体力を消耗しきっていたのだ。赤い前髪の隙間から見える額は、大粒の汗を浮かべている。
 それでも重い体を圧して歩くのには、訳があった。報告するためだ。――『彼』に。

 「帰ったか」

 感情を宿さない硬質な声が、広い部屋に木霊した。彼の声を耳に入れ、ルビーは身を縮ませる。だがややしてゆっくりと、目の前を仰いだ。
 石造りの廊下を歩いた先にあったのは、大きな扉と、その先に続く広い部屋。その部屋の中央に座しているのは、二十歳を少し過ぎたばかりのまだ若い男だった。齢こそ他国の王にもなかなか例を見ないほど若いが、王座に座する彼が放つ存在感は圧倒的だ。中世的な美貌を宿す容姿に、肩口を流れる髪は星の粉を撒いたような、明るい銀だった。力強い眼差しをこちらへ寄せてくる瞳は真紅。世界中どこを探しても、この色合いは彼しか持たないものである。魔族(シェルザード)の王である証。
 「カロン様」
その名を紡ぐと、即座にルビーは深々と頭を下げた。
 「申し訳ありませんでした」
 今回の任務、完全なる失敗だった。彼から下された命をただの一つも満足にこなせなかったのだ。
 「私がお前に出した指令は、3つあったはずだ」
 「はい」
 「一つ目は『石』の奪取。二つ目は、イリスの結界の完全なる破壊。そして、三つ目は――」
 すうっと、血を凝縮したような色の瞳が、危険に細められる。そのあまりの美しさに、ルビーは寒気すら覚えた。
 「ティアミストの娘を殺す事だ」
 言われてルビーは、唇をきつくかみ締める。三つ目の指令内容は、ほとんど達成出来る直前まで上手くいっていたのだ。あの娘を地下におびき寄せ、例の水晶に触れさせた。案の定、大した魔力も持たない少女は、水晶に引きずり込まれ、肉体の死を待つのみという状況まで持っていけた。それが……一体何故戻って来られたのか。しかも、人並み程度しかなかったはずの彼女の魔力は、ティアミストの魔道士のそれとして復活を遂げたのだった。
 「12年前、何故我らがティアミスト家を滅ぼしたのか、知らない訳ではないだろう。忌々しきシーナの血を絶ち、『石』を手に入れる事ともう一つ。イリスの結界を再起不能に陥らせるためだ。かの国へ攻め入るために、十分な時間待った」
 それは、ルビーも度々聞かされていた事だ。ティアミスト達が居たセーレーに攻め込んだ時、自分はまだ戦いに赴けるほどの年齢ではなかったが、それがいかなる理由によるものかは、よく知っている。
 イリスピリアの首都であるイリスには、強力な結界が張り巡らされており、攻め入る意図の有る者はことごとく侵入を拒まれる。その結界を守り続けてきたのがティアミスト家の魔道士達であり、12年前、彼らを根絶やしにした事で、結界の再構築を不可能にさせ、結果、弱体化させるのに成功したのだ。
 王家側も、補助的な結界の構築に乗り出したりして対抗はしていたようだが、微々たるものだ。魔物や普通の人間には脅威でも、魔族(シェルザード)にとって、それらは障害にはならなかった。最近では、イリスで暗躍する事も可能になっていた程だ。
 「それを、お前は台無しにしたのだよ。破壊するどころか、ティアミストの娘の魔力で結界は復活してしまった」
 責めるように睨まれても、ルビーは言い訳すら出来なかった。全て正しい事だからだ。12年もの歳月をかけて進めていた計画の一部が、破綻してしまった。他でもない、自分のせいで。
 「だが、一つだけ。お前は良い事をした」
 え。と、青白い顔で王を見て、ルビーは首を捻った。良い事など、自分は一つも成せなかったはずだ。どのような処分が下されてもおかしくは無かった。
 「ティアミストの娘。容姿ばかりか、秘めていた魔力もシーナによく似ている。……殺すのが惜しくなった」
 うっとりと、まるで恋に浮かれるような表情の彼を見て、ルビーは違う意味で戦慄した。爪が食い込むほど強く、手を握り締める。
 彼があの娘に興味を示している。それが、単に力を欲するためか、それとは違った理由からかは分からないが、どちらにしてもルビーにとって、たまらなく嫌な事だった。彼の瞳に、自分以外の女は映って欲しくない。嫉妬。まさにその感情が、彼女の中で荒々しく吹き荒れていた。
 「面白い。役者が揃い始めているようだ。故に時は、熟した」
 「カロン様?」
 楽しそうに微笑む王の言葉に、耳を疑う。彼は今、なんと言った?

 「戦を、起こすのだよ。――世界中にね」






1.

 小瓶に入った青い粉を、窓から注ぐ朝日に照らしてみる。きらきらとした繊細な輝きを視界に入れて、ミレニィは瞳を細めた。瓶の中身は、先日の夜、シズクから託されて、リオに助けられた直後、粉々に砕け散った石の欠片だった。力を放出し尽くしたのだろう、ほんの少しの魔力も今は感じられない。ただの砂粒といえばそれまでだが、ミレニィにとってこれは、それ以上の価値を持つものだった。

 「ミレニィ! 大変だよ!」

 朝ののんびりとしたひと時に割り込んできた声はジャンのものだ。彼は叫びながら、慌てた調子で駆け寄ってくる。小瓶から視線を離すと、彼女は赤毛の少年を真正面から見た。
 「シズクが。オタニアに帰国したって!」
 「一時的なものか、完全にオタニア魔法学校に戻ってしまったのかまでは分からないけど。今朝、イリスを発ったそうよ」
 驚愕を露にするジャンの隣で、落ち着き払った調子で言ったのはクレアだ。さすがはリーダー。狼狽しているジャンとは違って、冷静に状況を分析している。
 「それにしたって急だよ! 僕達に別れも告げずに言っちゃうなんて……。ね? ビックリだろ?」
 「……そうね」
 そうか。魔法学校の中ではそのように処理されていたのか。とミレニィは胸中で呟いていた。おそらくオタニアに帰ったなどというのは嘘なのだろう。シズクはもっと、重要な何かをしにイリスを出たはずだ。先日の彼女の様子から、それだけは確信を持てた。
 「でも、不定期な編入生なのでしょう? オタニアとイリスを行き来する事もあるだろうし、そんなに寂しがらなくても、また戻ってくるんじゃないの?」
 ミレニィの言葉に、それまでまくし立てていたジャンは呆気に取られたような顔になった。そうして、隣のクレアと顔を見合わせる。
 「……案外冷静なのね」
 「そうかしら」
 意外そうなクレアに、これまた努めて淡々と、ミレニィは答えた。
 「でもでも、これを聞いたらミレニィも穏やかではいられなくなると思うよ」
 ずいっと身を乗り出して、興奮したようにジャン。
 「なんと! リース王子が今朝、またこの国を発ったんだって! このタイミングの良さ。偶然ではないとは思わない?」
 「……そう」
 どうだ! とばかりに告げたジャンの台詞にも、ミレニィは表情を動かさない。声色もいつもと変わらなかった。……胸は、少しだけ痛んだけれども。やはりか、と思う。先日の夜のリース王子を見た時から、なんとなくそうなるんじゃないのかと予想していたのだ。
 一方のジャンはというと、大したリアクションも示さないミレニィに大いに拍子抜けしたようだ。首をかしげると、右手でばつが悪そうに頭を掻きだした。
 「ミレニィ? リース王子だよ?」
 「分かってるわよ。彼が旅立ったんでしょ。それもおそらくシズクと一緒に」
 「何とも、思わないわけ?」
 さすがに目を見開いて動揺を見せるクレアに、ミレニィは盛大なるため息をついた。
 「もういいのよ」
 「いいって……」
 「元々憧れの延長線だった訳だし。よく考えると私、王族って堅苦しくて駄目だったのよね。きっと、一時の熱みたいなものだったのよ。急に冷めちゃったみたいな感じ?」
 淡々と告げるミレニィの言葉に、ジャンとクレアは、違う生き物でも見るような目でこちらに視線を寄せてくる。
 「5年以上も想い続けていたのが一時?」
 今まで生きてきた人生のほぼ三分の一をリース王子に捧げたんじゃないの。と非難めいた声でジャンは言う。全く彼の言うとおりだったので反論はしなかったが、頑なに表情は変えずにいた。ここでおかしな顔をしてしまったら、今まで言った事が全部嘘になってしまうからだ。まぁ、半分ほどは嘘なのだが。
 リース王子の事を未だに好きかどうかと言われれば、もちろん好きであると思う。いくら先日の事件が衝撃的だったとはいえ、5年間にも及ぶ想いを全て払拭するには至らなかった。むしろ、それまでにも増して好きになってしまったくらいだ。でも、それと同時に悟ってしまった。例えどんなに努力したとしても、ミレニィの力では決して成就しない恋なのだと。
 リース王子は、おそらくシズクが好きなのだ。単なる女の勘というやつだが、こういう時のミレニィの勘は恐ろしい程によく当たる。いや、恋愛感情だけで語るには浅すぎるのかもしれない。それに、リース王子とシズクだけではなく、エラリアのアリス姫や、リサ王女達との間にも、きっとミレニィでは踏み入る事の出来ない、深い絆のようなものがあるのだと思う。
 そこまで分かってしまったのだ。だからこいういう時くらいは、大人になってみようと決めた。
 吹っ切るように息を吐くと、空色の瞳を赤毛の幼馴染へと添える。彼は未だに、不満そうな顔でこちらを睨んでいる。物心ついた時から知っていた顔だ。綺麗な部分も汚い部分も分かり合って育ってきた。高嶺の花よりも、こういう商店の花的な方が自分には合うのかもしれないな、と心の片隅で呟く。
 「……ジャン」
 「何?」
 「シズクとリース王子が一緒で一番ショックなのは、貴方なんじゃないの? この際傷心者同士、付き合ったりとかしてみる?」
 「な――!!」
 何でそうなるんだよ! と、耳先まで真っ赤にしてジャンが叫んだのを見て、ミレニィは吹き出してしまった。赤毛の彼が赤面すると、何処からが肌なのか分からなくなってしまいそうだ。彼の反応を見る限り、ひょっとしてこれは、図星というやつだろうか。
 「何焦ってるのよ。冗談に決まってるでしょう?」
 笑いながらそんな事を言っても、説得力は無いかもしれない。益々憤慨してジャンは、あーだこーだとぶつぶつ言い出す始末。
 「……やれやれ。女心と秋の空とは、よく言ったものね」
 クレアが肩をすくめて呟いた言葉に、ミレニィはまた笑ってしまった。



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