追憶の救世主 番外編

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「バレンタインに寄せて」


 ほんわりと甘い香りが立ち上がる。
 とろ〜りとろりと、とろける。
 それは全ての人を幸福にさせるもの。
 それは全ての人へ幸福を届けるもの。


◇◆◇


 ――それは昼下がりだった。

 セイラとリースが宿屋の部屋でのんびりくつろいでいた時、突然軽いノックの音が聞こえたのだ。
 そして、返事も待たずに扉は開くと、シズクとアリスの二人が入ってくる。
 同時に舞い込む、甘い香り。
 「おじゃましまーす」
 元気良くシズク。
 はにかむような笑顔を浮かべた彼女の両手には、何かがしかと持たれていた。
 それを確認して、セイラは微笑んだ。
 「おや、完成したのですね」
 「えぇ、先ほど」
 セイラの言葉に、優美な微笑を向けてくるのは弟子のアリスだ。
 今の彼女は、呪術師としての衣装ではなくて、普段着の上にエプロンを羽織るといった格好だった。シズクを見ると、彼女も同じような感じでエプロンを着用している。
 甘い香りがセイラの鼻をくすぐる。どうやら、先ほど完成したばかりというのは本当なのだろう。
 シズク達はつかつかと部屋の中央までやってくると、部屋に一つあるテーブルにことんと「それ」を置いた。
 大き目の皿に盛られたそれ。――それは、いくつかのお菓子だった。
 「……本当に、食えるのかよ」
 皿の中身を覗きこみながら胡散臭そうなものでも見るようにリースが言う。その表情はどこか怯えているようでもある。今の言葉は間違いなく本気ですね、とセイラは思う。
 「しっつれいね! 何なら食べなくて良いのよ」
 言ってリースを睨みつけるのは予想通りシズクだ。両者の間に火花が散り、またいつもの喧嘩が始まりそうな雰囲気だったが――
 「まぁまぁ二人とも、文句は食べてから言いましょうね」
 にこりと微笑んでそう言ってやると、どうやら収まったらしい。
 まずかったら何か奢れよ! とか望むところよ! とかいう声は聞こえたが、まぁそれは気にしない事にしよう。
 息を一つつくと、セイラは皿の上のお菓子へと視線を向けた。
 「ふむ」
 皿に盛られているのはハートや星など様々な形を模ったチョコレートと、ココアの乗ったチョコレートのケーキ。その甘い匂いもさることながら、なかなか見栄えのする組み合わせである
 見た目点では、まずは合格と言えるだろうか。

 実はこれら全部、シズクとアリスの手作りである。

 なぜ彼女達がこんなお菓子達を作るかって?
 話は数日前まで遡る。

 ジュリアーノ国に昔から伝わる『ある日』が近い事を、世間話ついでに宿屋の奥さんから聞いたのが始まりだった。
 ……『あの日』というのは他でもない、今日の事なのだが。
 バレなんとかという名前の日だったように記憶している。
 なんでも、年に一回、普段お世話になっている男性へ、女性が手作りのチョコレー菓子を作ってプレゼントをする日なのだそうだ。愛の告白もそのついでに行う女性も多いとか。
 国が違うといろいろな文化が体験できて良いなぁと思うセイラであったが。それよりも強く反応を示したのが女性陣だった。
 その話を聞き、面白そう! と声を上げたのがシズク。お菓子作りをしよう! と言い出したのがアリス。
 結果、宿屋の奥さんに頼み込んで、厨房を貸してもらえる事になったのだ。
 もちろん、話を聞いたマダムは快く返事をしてくれた。
 「そりゃぁ良い心がけだよ!」
 そう言いつつ、満面の笑顔を浮かべて。

 とまぁそんなこんなで、彼女らのお菓子作りはスタートした。そして、今目の前に出されたこれが完成品というわけだ。

 「まぁ試しに、お一つどーぞ」
 言ってシズクは、言葉とは裏腹に挑戦的な目線でリースを睨み付ける。先ほどの喧嘩の火種がまだちりちりといっているらしい。
 望むところだとばかりにリースは目線を皿に落とすと、おもむろにチョコレートケーキの一切れをつまみとり、しばらく迷って――口に運ぶ。
 「…………」
 そして訪れる、しばしの沈黙。
 緊張の表情を浮かべるシズクとアリスだったが、
 「……いける、かも」
 まんざらでもない顔で、ぽつりとリースはそう言ったのだ。
 (ほぉ……)
 褒めるのが苦手なリースがこう言っているのだ。きっとそれはかなり美味しいの部類なのだろう。
 そう思ってセイラもケーキを一切れつまんで口に運ぶと、ほろ苦い甘みが口の中に広がってとろける。なるほど、美味しい。
 「でしょ! 男の子でもいけるようにって甘みはおさえてあるんだから! ね、アリス!」
 勝ち誇ったようにシズクは言い放つと、確認するようにアリスを振り返った。視線の先でアリスも微笑を浮かべて嬉しそうだ。
 「それなら、こちらもきっと美味しいのでしょうね」
 微笑みながらセイラは、皿に盛られたお菓子の中からハートを模ったチョコレートを手にする。何の事は無い。チョコを溶かして型に詰めただけのチョコだ。だが、形を変えるだけでずいぶん違って見えるものだと思う。
 ケーキの味で安心したのか、割と素直にリースも星型を手に取る。
 そして、両者同時に口の中へと放り込んだ。

 「――――――」

 瞬間。
 目の前の景色が一瞬、歪む。
 ……いや、それは単にセイラの錯覚だったのだが、それに気づくのにしばらくの時間を要する事になる。
 (これはまた……)
 額に脂汗が浮かぶのに気づきつつも、セイラはなんとか笑顔を保とうとしていた。
 普段滅多に笑顔を崩さない彼が顔を歪めようものなら、一瞬で彼女らは気づいてしまうだろうから。
 すなわち、『不味い』とセイラが感じている事に。
 どう? と言ったような表情を浮かべるシズクとアリスに、精一杯の笑顔(ひょっとしたら苦笑いになっていたかもしれないが)を向けるセイラだったが、

 「だーーーーっ!! なんだこの味はっ!」

 どうやらリースは、本能に正直なようだった。
 彼は物凄い形相で目の前にいる魔道士の少女を睨みつけると、
 「おいシズク! 何を盛った!? 魔法の怪しげな薬でも入れたんじゃないだろうな!」
 息を切りながら物凄い勢いでまくし立てる。
 そこまで騒ぐことかと思うだろうが、同感してしまっているセイラがそこには居た。本気で、非の打ち所も無く不味いのだ。そう、視界がくらむほどに。
 先ほどのケーキが美味しかっただけに、その不味さは余計に引き立つ。
 「ただのテンパリングチョコだろう! 不味くしようと思わず不味くはならないハ――」
 「……リース」
 ギャーギャー騒ぎ立てるリースを、意外にも落ち着いた……というよりは少し困惑した声色で呼びかけてきたのは、他ならぬリースに罵声を浴びせられているシズク本人だった。 
 なんだよ! と言った様子で噛み付きそうな勢いのリースに対して、シズクは妙におどおどし始める。
 そして、やがてためらいがちに、こう言ったのだ。

 「それ、アリスが作った分……」

 「――――っ」
 おかしな物を入れている様子なんて、なかったんだけど。とシズクは付け加える。彼女の目の前で、目を見開いて石みたいに硬直するリースがいた。ちなみに、先程のチョコレートケーキはシズクが作ったものであるそうだ。
 それを確認しつつ、慌ててセイラは視線を彼の愛弟子の方へと向けたが、時すでに遅しだったようだ。
 怖いくらいに美しい笑みを浮かべたアリスが、そこには居たから。
 瞬間。空気が確かに、凍りついた。

 「……いいのよ、リース。別に食べてくれなくても」

 つ、とバラ色の唇を笑みの形に引き上げ、絶世の美笑で、アリスは言う。口調だけ捕らえると普段のアリスだったが、声色にはどこか冷気があった。
 「ア、アリス……」
 口をぱくぱくさせながら目を白黒させるリースの目の前で、アリスはくるりと踵を返すと、

 ――ぱたん。

 静かに部屋の扉が閉められた音が響いた。
 他でもない、アリスが部屋を出て行ったのだ。そのまますたすたと歩き去る音が耳に届く。
 残された三人に漂うのは、ただただ気まずい沈黙と甘いチョコの香りだけだった。

 ――謝り倒したにもかかわらず、その後3日間ほど、リースはアリスに口を聞いてもらえなかったらしい。



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