追憶の救世主 番外編

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「永遠の花」

 その日の分の書類に目を通し、やらなければならない仕事を一通り終えると既に日が沈んでしまっていた。夕飯をすっかり食べ損ねてしまっている。食堂が閉まってしまう前に行かなければ。
 毎日がこんな生活だった。しかし辛いとは思わない。まぁ、教壇に立つ機会がめっきり減ってしまったのは寂しい気がするが、自分が天職としてやってきた事であったし、やりがいも感じる。
 椅子に体を埋めて大きく息をつくと、ふと、カルナは机の上に置かれた鏡に視線をやった。
 鏡の中の自分は、もう老年に差し掛かった老女の姿をしている。顔中にいくつもの皺が走り、昔は張りのあった肌も、今はもう重力に従うままだ。決して美しいとは言いがたい。いつの間にこんなに年を取ったのやら。ついこの間まで、ここの生徒達と変わらぬ年齢の娘だった気がするが……。

 「時が経つのは、速いわね……」

 一人、ぽつりと零す。
 年をとる事に恐れを感じていないと言えば嘘になるが、それほど気にしたこともなかった。確かに肉体の衰えは感じるが、魔力は、研ぎ澄ましてさえ居れば、どれほど年老いても磨きがかけられるものであるし、使ってさえ居ればこの頭も老いぼれたりはしない。要は心の持ちようなのだ。
 ただ……。
 右手で老眼鏡を外すと、カルナは部屋の隅へと視線を移動させる。休憩中によくやる行動だ。視線の先、部屋の隅にはシンプルで細長い花瓶があった。そこにささるのは、一本の美しいバラの花。
 ふぅと息を一つ。瞳を細めて、カルナは懐かしそうにそのバラへと視線を送る。
 このバラ、一見するとどこにでもありそうな物だ。しかし一つだけ、普通でないところがあった。なんと、枯れないのだ。
 「…………」
 この不思議な花は、ある人から貰ったものだった。枯れないからくりは、魔力を込めて、永遠に生命活動を行えるように改良したためだ。こう言うと簡単そうに聞こえてしまうが、相当高度な技術が必要で、更に、術に適合する花を選び出すのもまた至難の業である。事実、この技術を確立した彼以外に、枯れない花を作れる人物は居ないだろう。

 『ねぇ、凄いだろう? この花は決して枯れる事は無いんだ。永遠に美しいままなんだよ』

 きらきらと瞳を輝かせ、未来への夢を語る彼の姿が今でも目に浮かぶ。
 そして、その隣で彼の姿を、眩しそうに見つめていた自分の姿も。

 『君のために作ったんだ! カルナ。美しい君に、似合いの花だろ?』

 そう言われて、恥ずかしいやらむずがゆいやらで、頬を紅くしたのを覚えている。
 思ったことをすぐに口に出してしまう人だった。口に出した事は、必ず実現してしまう有能な魔道士でもあった。
 だから……だから、あんな事を言ってしまったのかもしれない。
 「…………」
 もう一度大きく息を吐くと、カルナは回想へと思いをはせた。今でも細部まで思い出せる会話の数々。その一つ一つを確認し、少し胸が熱くなる。こんな感情は、随分長い間忘れていたような気がする。
 あれは確か、まだカルナが魔法学校の生徒だった頃の事だ。
 『カルナ。僕は絶対、この世から老いという物を無くしてみせる』
 枯れないバラを手渡してきた彼が、決意するような瞳で言ったのだ。
 何を言い出すのかと思ったら、やっぱりとんでも無い事だった。この人はいつもそうだ。でも、
 「そんな事――」
 出来ないと率直に思った。老いを無くすとはそれはすなわち、永遠の生を手に入れる事に等しい。そんな事、さすがの彼でも出来ないだろう。
 だが、彼は白い歯をにっと見せると、満面の笑みで言ったのだ。
 『出来るさ! 必ず実現してみせる』
 揺らぎの無い自信。確固たる意思。その笑顔を見ていたら、彼ならば本当に実現してしまうかも知れないと思われる。
 『――ねぇカルナ』
 「なに?」
 『もし成功したら、僕は君を永遠に美しい女性にする事を誓うよ、そうしたら……』
 「そうしたら?」
 『……ううん、何でもない。君は、待っていてくれるかな』
 珍しく、恥ずかしそうにはにかむと、彼は真剣な表情を浮かべた。それがなんだか少しおかしくて。でも、嬉しくて。しばらく沈黙したあと、カルナは彼の瞳を真っ直ぐ見て、こう言った。

 「えぇ、待ってるわ。いつまでも。約束よ、エレンダル――」



 「…………」
 花瓶にささった可憐なバラを見つめながら、カルナは鎮痛な面持ちだった。
 あの時手渡されたバラは、変わらずその美しさを称えているのに、自分達は大きく変わってしまった。カルナはその後も魔法学校にとどまり、教師になった。そして今は、こうしてオタニア校の校長を任されるまでになっている。
 対するエレンダルはというと、彼は卒業後、研究へとその身を投じたのだ。思えば、その頃から魔法考古学に没頭し始めたのではないだろうか。探っていたのだと思う。永遠の――神の力を手に入れる術を。
 彼は、自分との約束を果たそうとしていたのだ。

 ひとしきり花瓶の花を見つめてから、カルナはふっと瞳を閉じた。そうして、机の端に置かれた数枚の書簡へ視線を移す。
 今朝、ジュリアーノの魔法連支部から送られてきた報告書だ。それには、先日ここを訪れた水神の神子とその一行が巻き込まれた事件の一部始終が綴られていた。神子の付添い人として旅立った魔法学校の生徒、シズクについても記述されている。
 彼女達は、エレンダルによって屋敷に呼び出され、そこで戦闘を起こしたのだという。結果、屋敷は大破。その後、魔法連の査察が入るにつれ、エレンダルの行っていたおぞましい実験について、日に日に明らかにされて行くことになる。
 まさかと思った。確かに悪い噂は聞いていたが、こんな、倫理的に許されない事にまで手をつけていたなんて。昔の彼を知るだけに、なかなか信じる事が出来なかった。
 そして――
 「……エレンダル」
 書簡の束を切なそうに見つめ、カルナは遠い日の旧友の名を呼んだ。
 報告書は、事件の数日後に、彼が独房で何者かによって殺害されたとも知らせてきていた。
 当然の事なのかもしれない。決して許されない事をしたのだ、天罰が下ってもおかしくない。十数人の娘の人生は、一人の男の欲望によって無残につぶされてしまったのだから。
 だが、それでもカルナは、エレンダルを責める気にはどうしてもなれなかった。きっとこの先、彼の所業がますます明らかにされて行っても、その気持ちは変わらないと思う。
 ほうっと深いため息をつくと、カルナは今度は窓の外を見た。すっかり薄暗くなった夜空に星々がきらめき始めている。その神秘的な光は、あの日のエレンダルの瞳の輝きに似ている気がした。

 いつからあの人は間違ってしまったのだろうか。

 最初は至極純粋な感情から、不死の研究は開始されたのだと思う。しかしそれが、いつしか狂気じみたものへと変貌を遂げ、暴走してしまったのだ。
 彼の背中を押してしまった要因の一つは、まぎれもなくカルナであった。「待っている」と、そう彼に言ってしまったから。あの日から、この日の悲劇の序章は始まったのではないか。そしてそれを未然に止める事が出来たのは、おそらく、カルナだけだっただろう。
 「私は、貴方を見ているようで、見ていなかったのかも知れない……」
 彼に問いかけるように、夜空に言葉を投げる。返事は返って来る事は無かった。
 卒業後、別々の道を進むにつれ、カルナは日々の仕事に没頭して行った。たまにエレンダルから手紙は届いたが、忙しさの中で、次第に疎遠になっていった。手紙などで繋ぎとめずとも、この絆は決して切れない。そう思い上がっていたのだ。いくら互いを思いあっていても、分かり合わねば、ずれが生じる事にも気付かずに。
 「あの時、私があんな事を言わなければ、あなたは止まっていたかしら」
 そう言って、今度は視線を白い花瓶にささるあのバラの花へと移す。

 枯れないバラは、悲しみも知らず、その永遠の美を咲き誇っていた。



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