追憶の救世主 番外編

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「旅立ち前2」


 「レムサリア国まで、セイラを迎えに行け。まぁあいつに護衛は必要ないだろうが……適当に守ってやる事。以上だ」

 「……は?」
 会議室にある機能重視のシンプルな椅子に腰掛け、しかめ面を浮かべながら言ったのは、他ならぬイリスピリア王であった。しかし父の言葉にリースは耳を疑ってしまう。重要な命令を下すにしてはあまりにシンプルな物言いである。尚且つ、嫌になるくらい簡潔で分かりやすい。分かりやすいのだがしかし、肝心な事が一切説明されていない。
 「一体、どういう事です? 陛下」
 半眼で睨みつけては居たが、比較的落ち着いた声色で尋ねる。畏まった言葉づかいを選んだのは、この場の雰囲気を読んだからだ。突然会議室に入ったリースでも、今この部屋で何が行われていたからは一目瞭然だった。自分のすぐ隣にいるネイラスを含め、12大臣全員が一同に介しているというのが簡単な状況。要するに会議の真っ最中か、つい先ほどまで会議が行われていたかのどちらかだ。それも、12大臣全てが揃うのだ。重要な事柄について話し合いが行われていた可能性はかなり高い。
 軽く頭痛を覚える。額に人差し指を当てながらリースはこれまでの経緯を思い出していた。
 突然の呼び出しがあったのは、国立学校の授業が終了して生徒達が帰宅の途に就いている真っ最中の事だった。悪友であるアレクと談笑していたリースは、突如目の間に現れたネイラスによってイリスピリア城の南側に位置するこの会議室まで連れてこられたのだ。
 リースはイリスピリアの第一王子ではあるが、未だ継承権を獲得していない。だから、会議に参加する事など普通はしない。そんな自分に一体何の用だと思い、会議室に足を踏み入れた訳だが、開口一番に父に告げられた内容がどうやらその理由のようだった。いやしかし、全く意味が分からない。
 「何故水神の神子を私が?」
 レムサリアにある水神の神殿の最高責任者、セイラーム・レムスエス。彼とは旧知の仲だった。この前会ったのは確か一年ほど前の事だろうか。
 幼い頃から神童と称えられる才智を持ち、齢5歳の頃には当時のイリスピリア王子――要するに現イリスピリア王と親友関係を結んだ程だ。十代の半ばという若さで水神の神子を継いで以降は、非凡な指導力で水神の神殿を取り纏めているのだとか。……とまぁ、これだけ言えば物凄く聞こえがいいが、その実態は、丸眼鏡に無敵スマイルの、見た目好青年、中身トラブル製造機である。
 「まぁ座れ。そしてこれを見てみろ」
 「…………」
 いまいち腑に落ちなかったが、父にそう促されてリースはおとなしく従った。楕円のテーブル上に置かれていた一枚の紙を手渡され、ざっと目を通す。どう見てもそれは、手紙であった。しかも水竜の紋章が刻まれた、正式な書簡と呼べるものである。差出人は言わずもがな水神の神子。本性を全く感じさせない流暢で丁寧な筆跡を追っていくうちに、リースはあからさまに不審顔になっていった。手紙には簡潔にこう書かれていたのだ。イリスピリアまで行きたいのだが、極秘に動く必要があるためにイリスピリア側から一人、護衛兼迎えを寄こしてくれないか、と。
 水神の神子程の者をゲストとして招く場合、当然迎えはイリスピリア側が用意する。世界トップレベルの呪術師である彼には必要ないかも知れないが、もちろん護衛もその一団に含まれる。そういったことは、リースが知る限りでも何度か行われてきた事だった。だが、水神の神子直々にイリスピリアへの訪問を望み、尚且つ迎えを要求する事など、これまでは無かった事である。というかそもそも、極秘に彼が動く事態など未だかつて起こったことがない。
 「それで、私に白羽の矢が立った訳ですか……」
 口では納得したような言葉を述べるが、内心は全く納得してはいなかった。そもそも、手紙の内容からいって、重要機密に属する事なのではないだろうか。12大臣全員で話し合っていた事がいい証拠だ。それほどまでに重要な役にリースが抜擢されるとは、普通ではあり得ないだろう。迎えは一人だけとの要望である。信用出来て、尚且つ腕のたつ者を要求しているように感じられた。
 「私よりもネイラスの方が適任ではないですか? 手紙を読む限り、そう思うのですが」
 「ネイラスはわしの補佐としていろいろとやる事がある。ジェラルドも自ら申し出てくれたが、国の情勢が怪しい今、軍の最高司令官を失う訳にもいかん。他の12大臣も同様の理由により却下だ」
 抑揚のない声でイリスピリア王はぴしゃりと言い捨てる。この親父なら言いそうな事だな、とリースは大して動揺も見せずに顔だけをしかめていた。ちらりとネイラスの方を見ると、苦笑いを浮かべて呆れている様子。12大臣の一人であり、軍の最高司令官でもあるジェラルド・ガウェインの方も見たが、彼もネイラスと同じような顔で肩を竦めている。
 「かといって、この国の王子を単身でレムサリア国まで向かわせる事など狂気の沙汰だ、とわたくしは申したのですけどね」
 「ネイラス程ではないにしても、リースもそれなりに腕が立つ。護衛もいらぬだろうし、何より一番手っ取り早いだろう」
 ネイラスの嫌味交じりの言葉にも、王は全く動じず淡々と告げる。結局一番最後の部分がリースが選ばれた最大の要因なのだろう、とリースは胸中で悪態をついていた。そう、リースが行くのが最も手っ取り早いのだ。セイラが要求した条件――イリスピリア王が信頼を寄せるくらいの人物で、それなりに腕が立つ――に当てはまり、イリスピリアを長期間不在にしても国に大した影響が出ない人物。リース以外に、これらの項目に上手く当てはまる者などそうはいない。まぁ、リースが父から絶大な信頼を寄せられているかと言えば、答えはノーなのであるが。立場や身分を考えて、単身水神の神子を迎えに行くのに不足はない。身分だけで言うと、むしろ十分すぎる程の配役である。
 王子という立場ではあるが、リースも一人で国を離れた経験は今までに何度かある。レムサリア国にも足を運んだ事があり、一人で行く分には全く問題はないと思う。ただ、あの水神の神子と一緒に数週間旅するという点が、かなりうんざりする事だというのが唯一にして最大の問題であるというだけだ。
 要するに、面倒くさい。
 「出発は明朝。国立学校の方にも既に通達してある。今夜中に準備を整えておけ」
 「……念のために聞いておきますけど、拒否権はないのですか?」
 「お前が拒否すれば、リサに頼まざるを得んのだが……あいつを外界に解き放つ勇気がお前にはあるか?」
 「――謹んでお請け致します」
 最後の切り札にと父が発した言葉は、リースを一気に陥落へと追い込んだのだった。姉であるリサをたった一人で旅立たせる。それだけは絶対に避けねばなるまい。リースを旅立たせる以上の暴挙である。姉に行かせるくらいならば、自分が行く方がまだマシだった。
 別に、姉の身を案じてこんなことを思っている訳ではない。むしろその全く真逆。旅立った先で姉が引き起こすトラブルを懸念しているのだ。更に言うと、あの水神の神子と姉が行動を共にする事になる。暴れ馬を二頭連れて歩くようなものである。手に負えない事態に発展する可能性は十分にあった。
 「それで……詳しい話を聞かせていただけませんかね」
 拒否権など、最初から存在しなかったものなのだ。重苦しい溜息を零すと、リースは王の方を向きなおった。
 かくしてリースは、厄介な命を王から仰せつかったのだった。そう、それは本当に、心の底から厄介な事への入り口であった。もちろんこの時は、そんな事欠片も思いもしなかったのだが。



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