追憶の救世主 SS

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03「絶対だからね!」
台詞で10の御題より【SNOW STORM様提供】


 「うわぁ! 凄い!」
 目を輝かせて感嘆の声を上げると、シズクは歩く速度を上げて部屋に鎮座するそれに近寄っていく。
 イリスピリア城内を散策しているうちに見つけたそれは、美しいグランドピアノだった。手入れが欠かされる事はないのだろう。漆黒の本体には埃一つ付いていない。おそらく、調律も定期的に行われている。
 「今となっては、弾く人間も滅多に現れないのにねぇ」
 浮かれるシズクの隣に立って、アリスは苦笑いする。
 「凄いね! ピアノだよ! わたし、こんなに近くで見るのは初めて!」
 漆黒のグランドピアノの周りをうろうろしながら、けれど手で触れる事はせず、興奮した表情でシズクが言う。
 歌や踊りなどは、多くの一般市民も楽しむが、ピアノやバイオリンといった高価な楽器は未だに上流階級と呼ばれる人々の物であった。第一、いかに国立といえど、魔法学校に器楽の授業などは存在しないだろう。だからシズクがピアノを前にはしゃぐ気持ちも分からなくない。
 閉じられた蓋を開けると、白と黒の鍵盤が姿を現す。人差し指でそのうちの一つを押してみた。トーンと、心地よい音が部屋に木霊していく。やはり調律が行きとどいているのだ。
 「アリスは弾けるの?」
 「ちょっとだけね。小さい頃に習って以来だから、人に聞かせられる程では――」
 「聞かせて!」
 ずいっと顔を寄せて、満面の笑みで懇願してくるシズクに、アリスは一瞬だじろいだ。独特の色合いを持った瞳は、はちきれんばかりの期待で溢れている。普段から幼く見える容姿が、更に幼く見えた。
 「…………」
 聞かせられる程のレベルではないのだけれども。心の中でもう一度同じ台詞を呟くが、ここまでお願いしてくれているのだ。断るのも悪い気がして、アリスはピアノの椅子を引く。この動作を行うのも一体いつぐらいぶりだろう。鍵盤の上に指を構えると、心地よい冷たさが迎え入れてくれる。
 「じゃぁ、本当にちょっとだけ……」
 注釈を入れると、深呼吸を一つ。瞳を細めると、鍵盤の上に指を躍らせた。
 「――――」
 奏でる曲は、この世界の人間ならば誰でも知っているものだ。光の神チュアリスと闇の神カイオスが出会い、結ばれるまでの物語。その神話を、子供でも歌える歌に変えた曲。光を現す部分はコミカルに音符が動き、闇を現す部分ではゆったりと、人々を癒すような優雅な音が紡がれる。
 「……これって」
 思い至ったのだろう。小さく呟くシズクに、ちらりと意味ありげな視線を投げておく。ぎょっとして目を見開くシズクにしかし、アリスは容赦をしなかった。指で鍵盤をたたきながら、視線はシズクの元に。
 そう。子供でも絶対に歌える歌なのだ。例えピアノを間近で見るのが初めてというシズクでも、もちろん歌えるだろう。普段あまりしない事をアリスにさせているのだ。お返しして貰うのが筋というものだろう。
 ――代わりに、シズクも歌って。
 唇の動きだけでそう告げる。渋々の表情を浮かべるシズクだったがしかし、アリスの瞳の迫力に根負けしたのか、すうっと大きく息を吸った。

 『――真の美しさは心の強さ。
  見抜いたチュアリスは、カイオスの手を取ります』

 よく通る高めの声で、恋の歌は紡がれる。
 以前から綺麗な声をしていると思っていたのだ。歌声もきっと綺麗に違いないと思っていた。プロの声楽家のようにはいかないけれど、アリスの予想通り、シズクの伸びやかな声は、ピアノの旋律に馴染んでいく。

 『――光と闇は一つになり。
  昼と夜とがこの世にもたらされました』



 「何やってるんだよ」
 2番から3番に移ろうとした時の事だ。突然の介入者の声により、演奏は中断されてしまう。アリスは無理やり続けようとしたのだが、他でもない、シズクが悲鳴に近い声を上げて歌をやめてしまったのだ。
 「……リース!」
 「珍しくピアノを弾いてる奴が居ると思って来てみれば……お前らか」
 歌を聞かれて耳先まで赤面するシズクを一瞥し、珍しそうな顔でリースはアリスを見た。エメラルドグリーンの瞳を、アリスは静かに迎え入れる。確かに、アリスがピアノを弾くなど、ここ数年無かった事だ。そしておそらく、イリスピリア城にピアノの音が響く事も、最近では滅多にない事だったに違いない。
 「懐かしいでしょう、リース」
 笑いかけると、リースは曖昧な表情で「まぁな」と告げる。グランドピアノに向ける視線には僅かに影があった。それらを見なかった事にして、二人のやりとりに首をかしげているシズクの方を向き直る。
 「昔はよくここで、身内だけが集まる小さな演奏会を開いていたのよ」
 「へぇ」
 「公式な物じゃなくて、親しい人達の間で開かれる物。子供の遊びの延長みたいな」
 あの頃はまだ、リースの母であるイーシャ王妃が存命であったから、彼女の弾くピアノを囲んで、皆で歌を歌ったり楽器を奏でたりした。聴き手として呼ばれるのは、イリスピリア王であったり、ネイラスであったり。今は閑古鳥が鳴いているこの部屋に、数多くの人間が頻繁に足を運んでいたのだ。プロの演奏家のものとはまた一味違う、稚拙ながらも温かい演奏会。一体いつからだろう。それがぱったりと開催されなくなったのは。
 「調律もしっかりされてるし、せっかくきちんと管理してくれているんだから、たまにはリースも弾きなさいよ」
 ピアノの椅子に腰かけたまま、リースに向かって言い放つと、彼はあからさまに嫌な顔をした。こんな状況でそういう事を口走るなと、言いたげな表情である。もちろんアリスも分かってて敢えて言っているのだが。
 「リースも弾けるの!?」
 案の定、シズクが物凄い勢いで食いついてきた。先ほどアリスに演奏をせがんだ時と同じく、キラキラと瞳を輝かせてリースに詰め寄るシズク。
 「ピアノは確か、リースが一番上手だったわね」
 とどめの一撃とばかりに、アリスが火に油を注ぐ一言を口走っておいた。眉間にしわを寄せてリースがこちらを睨んでくるが、さらりと無視をする。予想通りシズクの迫る勢いが増して行った。
 「ねぇ、聞かせて!」
 「嫌だ、面倒くさい」
 「ケチ! 聞かせてくれるくらいいいじゃない! 減るもんじゃないし!」
 「じゃぁ……お前がもう一度歌を歌うんだったらな!」
 「な――っ!」
 リースの切り返しに、シズクは再び赤面して固まった。歌を聞かれた事が、それ程に恥ずかしかったのだろう。だが、恥ずかしがることはないのにと思う。素人であれだけ歌えれば十分だろう。彼女の歌声は、もう一度聞いてみたいと、人を惹きつけるものを持っている。
 「いいわね、その案」
 「は?」
 くすりとほほ笑む。そして、明らかに不審顔の二人を見た。
 「リースのピアノにシズクの歌。聞かせて欲しいわ」
 丁度曲目は、恋の歌だし。どうやらお互いの演奏を聞きたがっているようだし。一緒に奏でれば一石二鳥ではないか。
 「な……っ! アリス、何言って――」
 「あのなぁ、アリス――」
 「別に、今すぐじゃなくても、そうね……また昔みたいに、演奏会を開いてみるのも楽しいかも知れないわね」
 暖かなお喋りと音楽が溢れていた時間を思い出し、アリスは瞳を細めた。この部屋もピアノも、いい加減寂しくて仕方がない頃だろう。あの頃のように、自分たちはもう幼くはない。失敗を恐れずに堂々と音楽を奏でる事は難しくなってしまったけど。優しい空気は、きっといつでも戻って来る。
 「色々な事が全部片付いたら、開きましょうよ。そうしたら、聞かせて」
 「…………」
 あまりに真面目な顔で言ったのが悪かったのだろうか。表情を無くすと、リースとシズクはお互いの顔を見合わせていた。なんだかんだで人の良い二人を見て、アリスは笑う。そうだ。ややこしい事や難しい事が全部終わった暁に、こうして皆が笑顔で居られたら、その時は演奏会を開こう。リサあたりに言えば、喜んで力を貸してくれるだろう。
 「絶対だからね」



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