追憶の救世主 SS

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08「良いこ良いこ」
台詞で10の御題より【SNOW STORM様提供】


 「酷くなっちゃったね、雨」

 窓の外の景色を憂鬱そうに見て、シズクが呟いた。ぴしぴしと雨粒が窓ガラスに当たる音からして、どうやら風も強くなってきた模様だ。さてどうしたものかと、リースもしかめ面になる。
 シズクと町の図書館にやって来たのだが、長居しているうちに小雨が雨に変わり、大雨へと発展し、とうとう空を真っ暗に覆いつくしてしまったのだ。要するに嵐だ。
 閉館間際の図書館はただでさえ人の姿が無いのに、天候のせいで館内の薄暗さが増し、静けさが不気味な雰囲気を生む。無言で佇む本棚達に、なんとなく監視されているような気がして、あまり気持ちの良い状況ではなかった。
 勿論傘の用意はなかったし、風は強さを増していっている。じきに暴風雨へと発展する事が目に見えている状況で、無理やり帰路につくのも得策ではないだろう。
 「……嵐が過ぎ去るのを待つしかないな」
 あれこれ考えたところで、打てる手としてはそれしかない。小雨のうちに帰っておくべきだったのだろうが、今更の話だ。
 あきらめて息をつくと、リースは閲覧用のテーブルの席についた。
 「すぐに通り過ぎると良いけど……もし閉館までにお天気が回復しなくてさ、追い出されたらどうしよう」
 「さすがに司書達もそこまで無情じゃないだろ」
 だと良いけど。不安げな顔で呟くと、シズクもリースの隣に腰かける。視線は未だ窓の外の風景へと注がれている。普段生き生きしている表情を見慣れているせいか、不安げに眉をしかめるシズクの横顔は酷く頼りなげに見えた。そういえば、雨が苦手だったかと思いだす。
 「…………」
 「昔ね」
 沈黙が流れかけたところで、シズクが口を開いた。風で窓ガラスがガタガタと音を立て始め、不気味さを増す図書館の中で、黙り込むのが怖いのかも知れない。そんな事を思うが、視線をシズクの方へ向けるだけに留めておいた。頬杖をつきながら、彼女は相変わらず窓の外を見つめている。
 「魔法学校に入学したばかりの、まだずっと小さかった頃。こんな風に嵐が通り過ぎるのを、怯えながら待った記憶がある。雨が嫌いだったから……大嵐の時なんか最悪でさ」
 ルームメイトの親友と一緒のベッドに潜り込んで、二人で震えていたのだという。
 「ひょっとして、今も怖い?」
 リースも頬杖をついて、シズクを見つめながら尋ねる。そこでようやくシズクの視線はこちらへと向いた。不思議な色彩を放つ瞳は、今は不安げに揺らいでいる。しばし、考え込むように首をひねった後で、やがて彼女はこう切り出した。
 「……昔みたいに泣いたり震えたりはしないけど。……やっぱりちょっと怖い、かな」
 直後、ひと際強い風に吹かれて、窓ガラスの一つが盛大に鳴り、シズクはびくりと肩を強張らせた。表情も一緒にひきつり、それを見たリースは逆に表情を緩ませる。尤も、からかいが籠った笑いではない。思い出してしまったからだ。
 「嵐の日は、大変だった思い出しかないな」
 「何が?」
 周囲への警戒は緩めずに、シズクが問うてくる。問われて益々笑みを深め、リースは息をひとつついた。
 「姉貴もこういうの大の苦手でさ。一晩中気を紛らわせるための読書やゲームに付き合わされた」
 「リサさんが!?」
 心底意外そうな顔で、シズクが告げる。リサが嵐に怯える様など、今の彼女の人となりを知っていれば想像もつかないかも知れない。だが、事実なのだ。幼い時分、嵐が来るたびにあの姉は怯えた顔でリースの部屋に顔を出してきた。そうして連れだって父母の寝室を訪れ、嵐が通り過ぎるまでの間、家族の誰も寝かせなかった。尤も、6歳を過ぎるか過ぎないかくらいまでの話だが。
 「意外だろ? 今じゃ嵐の方が逃げ出して行きそうな感じだけどな」
 肩をすくめながら言うと、くすりとシズクは笑った。嵐への警戒で強張っていた表情が解れていき、不気味な図書館の雰囲気も幾分和らいだかに見える。そんな時だ。何の前触れもなく、空が一瞬白く染まる。
 「――――っ」
 解れた表情を再び強張らせると、シズクはその場で見事なまでに硬直したのだった。遅れて聞こえてくる重い轟きにも、敏感な反応を見せる。
 「……雷も苦手、とか?」
 「ちが……! い、今のはびっくりしただけ――ぎゃぁっ!!」
 再びの閃光、そして雷鳴。情けない声を上げると、シズクは机の上に突っ伏してしまう。両手は耳の上だ。
 そんな有様で何がびっくりしただけなのかと、半ば呆れた顔で見つめるが、シズクにはそこまでかまっていられる余裕はないようだ。ちろりと視線だけで窓の外を確認すると、何とも情けない声で呻く。
 「ホントに最悪。雨だし、雷だし、本格的に帰れないし……」
 雷雲が大嵐を連れてきたらしい。雷鳴が轟きだしてからまた一段と雨脚が強まったように感じる。これは冗談抜きで閉館までに出られるようになるか分からないなと思う。声をかけられる前に、司書達に雨宿りをさせてほしい旨を伝えに行ったほうが良いか。そう思い、席を立とうとしたのだが、
 「……どこ行くのよ」
 上着の袖を引っつかみ、恨みがましい目でこちらを見つめてきたのは他でもないシズクである。立つに立てない状況の中、リースは完全に呆れ顔になって溜息をついた。
 「お前、何歳のガキだよ?」
 「ガキじゃないわよ! 子供扱いしないで欲し――きゃぁ!」
 ひと際大きな音と共に、図書館の中が一瞬昼間かと見紛う明るさに包まれる。反論する事も忘れ、シズクは机に突っ伏してしまった。上着の袖は、未だ引っつかまれたままではあるが。
 「…………」
 「ち、違うって! 急に光るんだもん、びっくりしただけだから」
 ここまでくると呆れを通り越して、苦笑いの境地だった。この期に及んでまだ言い訳しようとするシズクの頭をぽんぽんと2回、手で軽く撫でてやる。きょとんとなったところで、袖を引っつかむ手をやんわりと取り外しにかかった。
 「良い子だから。すぐ戻ってくるから、ここでおとなしくうずくまってろよ」
 からかいを存分に含めた顔で告げると、シズクの反応が帰ってくる前に素早く立ち上がる。図書館の受付の位置を目で確認すると、若干シズクの事を気に掛けながらも、さっさと歩きだしていた。
 「ちょ……! なにその子供扱い!! ってかどこ行くのよ、ちょっと待ってよ、ねぇ……って――ぎゃぁぁっ!」
 幾度目かの雷鳴。いい加減慣れれば良いのにと思うが、期待を裏切らない喜劇役者の如く、素っ頓狂な声が背後で上がる。首だけで振り返り、身を縮ませているシズクの姿を捉える。独特の色合いの瞳は、若干涙目に変わっている。
 「は、早く行って、早く帰ってきて……!」
 とうとう観念する気になったのか、おそらく本音であろうそんな言葉を漏らすと、何とも不安そうな顔でこちらを見つめてくるのだった。
 「……へいへい」
 苦笑い混じりの顔で、軽く吹き出してから、リースは少しだけ小走りで歩みを再開させていた。




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