追憶の救世主 SS

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10「忘れて良い」
台詞で10の御題より【SNOW STORM様提供】


 「さて、いつまでもこんな所でつっ立てる訳にも行かないし、いい加減見つけるもん見つけにいかねーとな」
 軽い溜息の後で、どこか誤魔化すような声が届く。それと同時に、シズクが落ち着くまでの間ずっと包んでくれていた腕が離れていった。心地よい温もりが消えた事に、僅かな寂しさが浮かぶが、彼の言葉を受けて、確かにその通りだと納得もする。
 隠し扉を探し当ててから、魔法の明かりが照らす廊下の半ばで、かれこれ10分は立ち止まっているのだ。時間を確認した訳ではないが、もう深夜と言ってもおかしくない時間である事は間違いない。明日もお互い学校がある事を考えると、さっさと要件を済ませるべきだろう。
 「そうだね」
 頷くと、シズクは先を歩きだしたリースの後を追う。だが、数秒と歩かないうちに、リースは再び足を止めたのだった。
 「リース?」
 「……さっきの」
 「え?」
 何事かと首を傾げるシズクの耳に届いた声は、少し緊張したようなものだった。背中越しに伝わるリースの雰囲気も、いつもとはどこか違っているように思える。
 「さっきのアレ、忘れて良いから」
 「――――」
 やけに真剣な声で落とされた言葉に、何故だろう。ずきりとした痛みが走った。
 「…………」
 立ち尽くすシズクの目の前で、要件は済んだとばかりにリースは歩を再開させる。だが、シズクは歩きだす気にはなれなかった。
 さっきのアレと言われて、思い当たるものは一つしかない。それを忘れろと、なかった事にしろと、リースは言うのだろうか。頭の中でそこまで結論が行きついた時には、痛みは苛立ちへと変貌を遂げていた。
 ぐっと拳を握りしめる。隠し廊下に満ちる神聖な空気を深く吸い込むと、少し距離が開き始めた背中に向かって、まっすぐ言葉を投げていた。

 「忘れたりなんてしないわよ!」

 ぴたりと、再び目の前の靴音が止まる。首から上だけで振り返ってきた彼は、驚いたように目を丸くしていた。
 「まったく! 馬鹿な事言わないでよ!」
 「は? 何言って――」
 「忘れたくない事を、忘れろなんて言わないで……」
 「――お前、何言ってるか分かってる?」
 え。と零して視線を向けた先にあったのは、既に呆けた表情ではなかった。怖いくらいに引き締まった真面目な表情。
 僅かな明かりの下、普段より暗めの色で光る瞳は、獲物を狙う獣か何かを連想させられてしまう。整ったリースの容姿を見慣れているシズクでも、こんな風に真剣な視線を向けられると体を強張らせざるを得なかった。ぞくりと背中が震える。
 「な、何が?」
 何か彼の気に障ることでも言ったのだろうか。必死に考えを巡らせてみるが、答えなんて出てくるわけが無かった。それよりむしろ、どうしてか激しく身の危険を感じて、体を引きつらせてしまう。
 「……ま、どうせ分かってないだろうから、いいけど」
 身構えていたシズクの耳に届いたのは、軽い調子のそんな言葉だった。張りつめた雰囲気は一気に霧散する。普段通りの穏やかな表情でシズクを一瞥すると、くるりと前を向いてリースは歩き出していた。今度は急に立ち止まる様子もない。スムーズな足取りで、見る間に先へと進んでいく。
 心臓に悪い視線から解放されて、緊張が解けたのは良いが……
 「な、何なのよ。本当に……」
 未だ変なリズムで鼓動を刻む胸に手を当てながら、シズクは怪訝な顔で眉根を寄せた。リースの表情の変化が不可解過ぎて理解に苦しむ。先ほどのやけに真剣な表情は何だったのだろうか。そして、一瞬感じた恐怖感はどこから来たものだろう。
 自分が殺し文句を口走った事など露ほども気付かないシズクは、そんな事を思いながら、すたすたと歩き去る後姿をしばらくの間睨み続けていたのだった。



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