新月の夜の夢

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第6話


 昔から、私は、典型的ないじめられっ子という奴だった。
 成績も中の中。容姿も平凡。運動に至っては、泣きたくなるくらいに才能を持ち合わせていない。要するに、何のとりえもない人間なのだ。更に、このドジな性格も災いしてしまったのかも知れない。
 得てして学生というものは、私含めまだまだ精神的に子供である訳で。だから、偶然自分に関する陰口を聞いてしまう事もある。まさに今この時のように。

 「――と思ってたのよ私」
 「あぁ、片山さんね。確かに」

 声は、部室の扉に私が手をかけようとしていた時に、部室から漏れてきた。ぴたりと足を止めると、思わず息を潜めてしまう。声の質から、他パートの子達だと判断できた。楽器の準備をしながらの談笑中のようだった。自分の名前が挙がっている事に、なんとなく嫌な予感がして、背中がひんやりとしだす。
 久々に早く起きることが出来たので、いつもより30分ほど早く学校に来てしまったのが悪かったのかもしれない。なんというタイミングの悪さ。早起きは三文の得というのは、絶対嘘だと思った。

 「片山さん、3年生なのに全然じゃない。音がデカイだけでさぁ」
 「あれじゃぁ2年生の平谷さんの方が上手よね」
 「でも、コンクールのメンバーでしょう? クラに重要な部分が多い曲なのに。あの子のせいで金賞逃したりして」
 「あはは、それは言いすぎだよ〜」

 そうして続く、歪んだ笑い声。あぁまたか。と思った。他パートの子から見ても、私の腕前はおそまつなものとの評価が下されてしまうのだろう。
 「…………」
 なんだか胸の当たりがきゅうっと締め付けられるような気持ちになって、私は静かにため息を一つ零す。そして、出来るだけ足音を立てないようにして、その場から逃げ出していた。
 無意味だなぁと思いながらも、もう一度先ほど脱いだスニーカーを履きなおし、校舎の外に出る。夏らしい晴れ晴れした空はそこには無く、今にも雨が降り出しそうな、鉛色の雲が広がっていた。傘を忘れてしまった事に気付いて、小さくまた、ため息を零す。
 よくある事だ。最近は少し、減ってきたけれど。
 私は確かに、どちらかというと下手の部類に入るのだと思う。譜面を読むのも苦手で、リズムが分からないとよく、ゆっきんを質問攻めにする。対して、私以外の3年生といったら、ゆっきんは言わずもがな優秀で、それはクラリネットに関しても同じであって、彼女の右に出るものなどわが部には存在しない。もりもっちにしたって、副部長をつとめるくらいだ。かなり周りからの人望は厚い。そんな二人に比べて、私はというと本当にお粗末なものなのだ。

 ――あの子のせいで金賞逃したりして。

 先ほどの陰口の一部を思い出して、ぞおんと、背中が急に重くなってしまった。そうして、浮かんできたのはあの「新月のバラード」の事だった。もりもっちのノリで演奏が決まったあの曲。新月まであと2日と迫った今日まで、毎日3人での居残り練習は欠かさなかった。でも……。今まで考えた事も無かったけれど、コンクール直前でピリピリしているこの状況で、果たして自分はあの曲に現を抜かしていて良いのだろうか。


 「……千音?」


 ポツッと雨が降り始めたのと、私の耳にそんな声が届いたのとは、ほぼ同時だった。
 俯き加減だった私は、呼ばれて視線を上げ、声の主の方を見る。目の前には、右手に通学鞄と傘を持ったゆっきんが怪訝な表情で立っていた。
 「あ、おはよ……」
 慌ててそう挨拶してみるものの、我ながらどうにも声に張りが無い。案の定ゆっきんは、首をかしげて私を窺うような視線を寄せてくる。
 「どうしたの? 何か元気ないけど」
 「ん、なんでもないよ」
 「そう? なら良いけど、体調には気をつけないとね。明後日はいよいよ『本番』なんだから」
 最後のフレーズを笑顔で言うと、ゆっきんはぱちんと私にウィンクしてきた。彼女が『本番』というのは、コンクールの事ではない。あの、新月のバラードの演奏日の事だ。ゆっきんにとってあのバラードは、それこそコンクールよりも重要なものなのだろうか。
 「……? 千音?」
 普通ならば私が笑顔で返事を返すところを、ノリ悪く曖昧な笑顔で返した事が原因だろう。ゆっきんは、拍子抜けしたように再び怪訝な表情に戻ると、また私の顔を覗き込んでくる。くりくりした彼女の瞳からは、心配の二文字が見えた。
 「千――」
 「ゆっきん。私、抜けてイイかな?」
 「え?」
 突然の私の言葉に、ゆっきんは声をあげる。私は、伏せ目がちだった目をまっすぐ向けて、ゆっきんの方を見た。
 「あのバラードの件だよ。新月のバラード」
 次なる私の言葉に、今度は息を呑んだようだった。それまでとは違う真剣さを綺麗な顔にのせると、ゆっきんは問いただすような目で私を見つめてくる。
 「何で突然? 昨日まで千音もノリ気だったじゃない」
 「コンクールをね。優先しようかと思って。ほら私って、ゆっきんみたいにすぐ上手に吹けたりしないし」
 やだ……。私は今、とんでもなく嫌な事を言ってしまっている。先ほどの陰口を聞いて、私はゆっきんに八つ当たりをしている。
 「正直さ、コンクールの曲も完璧じゃないんだ。あ、3rdが必要なら平谷さんにでも頼んだらどうかな。あの子なら上手だから、すぐ吹けるようになるよ」
 頭の中では分かっているのに、口は別の言葉を吐き出し続ける。変に饒舌な私。気持ちが悪い。
 黙って私の言葉を聞いていたゆっきんは、私が口を閉ざしたのを契機に再び言葉を紡ぎ始めた。
 「本気で言ってるの? ねぇ? 今まで一緒に頑張ってきたじゃない。こんな直前になって……一体どうし――」

 「私とゆっきんを一緒にしないで」

 最低、私。と心の中で叫びながらも、たまらなくなって私は、雨の降り始めた校舎の外へと飛び出してしまっていた。

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