+ 追憶の救世主 +

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第1章「イリスピリア」


3.

 「え? この子、あんたのコレじゃないの?」
 「んな訳あるか! というかソレ、使いどころおかしいから」
 小指をピンッと立ててきょとんとした表情を作る王女に向かって、普通ならば不敬に当たる台詞をリースはしゃあしゃあと言ってのける。彼らのやり取りは、両者とも眩しいくらいの美貌を備えている点と、片方がシンプルなドレスに身を包んでいる点以外では、その辺の一般市民の姉弟と少しも変わらない印象を受ける。とてもじゃないが、会話から彼らが誇り高きイリスピリアの王女と王子とは感じられなかった。
 ぽかんとしているシズクの目の前で、
 「なぁんだつまんないの」
 本心からつまらなさそうにリサがため息をつく。その横でリースがあらぬ誤解を解けたことに安堵する反面、軽い疲労を表情に出しているのが見える。そしてその後ろで、楽しそうに微笑むセイラと苦笑いを浮かべたアリスも。
 アリス達の方へ視線を送っていたシズクだったが、目の前の王女の視線がふと自分の方を向いたことを悟り、シズクも王女へと視線を向ける。
 見れば見るほどにリサ王女は美しい人だった。ほんのりと桃色に色づいた華麗な唇がエメラルドグリーンの瞳と対を成すように映える。何も語らず動かず、その場で人形みたいに静止し続けてくれさえすれば、彼女は間違いなく世界中を虜にする絶世の美姫だろうと思う。……語らず動かずの場合だが。
 「そういえば、自己紹介がまだだったわね」
 すうっと瞳を薄めて極上の笑みを浮かべると、
 「リサ・E・ラグエイジ・イリスピリア――リサで良いわ。知ってのとおり、これの姉ね」
 これと言って隣に佇むリースを指差す。彼女のその行動に、指された当人は嫌悪を露にした。身長はリースの方が高いはずだが、リサの方が彼の何倍も迫力があるような気がするのは、気のせいではないと思う。
 この王女は、リースより――いや、ひょっとするとセイラの上を行く人物ではないだろうか。
 しばらくぼんやりと美形姉弟の方を眺めていたシズクだったが、今が自己紹介の時間という事を急に思い出すと、姿勢をぴしりと正した。
 「あ、えっと。シズク・サラキスです。オタニア魔法学校の生徒で――」
 「シズク! 可愛らしい名前ね! やっぱり私の義妹になら――だぁっ!」
 シズクの自己紹介が終わらぬうちに、目をキラキラと輝かせてリサが言葉を紡ぐ。しかし、その言葉は紡ぎ終わる前に遮られ、彼女はがっくりと床に膝を着くことになってしまう。他ならぬ、彼女の弟の手によって。
 「この期に及んでまだ言う気か!」
 事もあろうに大国の王女の頭を右手でぐりぐり押しながら、リースが憎憎しげに言う。目の前の出来事にシズクはひぃぃっと悲鳴のようなものを漏らした。しかし、普通なら誰かが止めに入るようなこの状況を止める人間は皆無だ。後方に控えるアリスは苦笑いを浮かべて肩をすくめている。セイラにいたっては、面白いものを見た子供のような表情を浮かべている始末。
 ……どうやらこの光景は、日常茶飯事らしい。
 「いいじゃないのよ別にっ! 可愛い妹が欲しいという姉のささやかな願いじゃない!」
 「その願いに俺を巻き込むなっての!」
 「だって私じゃ女の子と結婚できないじゃない!」
 「どういう理屈だっ!」

 「…………」
 ぎゃーぎゃーと言い合う王子と王女を目の前に、シズクは開いた口が塞がらなかった。そして、この、全世界を虜にしている麗しの王女様と王子様には、普通の王族に対して向けなければならない敬愛や礼儀作法だとかは、絶対に全く必要ではないと言う事を静かに悟るのだった。






 イリスピリア王から謁見の許可が下りたとの知らせがきたのは、リースとリサの姉弟喧嘩が大方収拾したくらいの時だった。
 知らせてくれたのは、城に着いたときにここまで案内してくれた使用人の男性だ。彼は部屋に入るなりリサの姿を発見して、一瞬怯んだ様子だったが、すぐに平常心を取り戻す。苦笑いを浮かべると、こちらへ。と言って王の間への先導をしてくれたのだ。
 セイラを先頭にして、一行は男に続く。待合室への行きしなにシズクが見た景色とは違って、どんどん城の奥へと進んでいっているような感じだった。驚くほどに天井が高い廊下に伸びるのは、真紅の絨毯。上等な質なのだろう、土足で踏みしめるのが申し訳なくなるくらいにふんわりとした感触が、靴越しに伝わってくる。装飾品は、ところどころに絵画が飾られているくらいで他には何もない。しかし、白い壁と真紅の絨毯が上品な対比を成していて、たったそれだけで、洗練された空気が城の中を支配しているようだった。
 城の中など初めてのシズクは、好奇心で瞳を輝かせながらきょろきょろとあたりを見回す。等間隔にある窓からの景色も、これまた素晴らしいものだった。
 憧れていた場所に来たのだなぁと改めて実感する。
 イリスピリア城は高い塔がいくつもあり、周りには澄んだ湖、そしてその向こうには光り輝く町イリスがある。イリスピリアの王族達は美形揃いであるが、城や町にしても、世界の中でここまで美しい構造はなかなか無いだろうという噂だった。
 アンナと度々話しては憧憬のため息を漏らしたものだ。いつか二人で訪れようかと言い合ったりもした。……結局、こんな形でシズク一人がイリスピリアを訪れる結果となったのは予想外の事だったが。時間があれば、一人でもあちこち見て回りたいと思った。アンナへの土産話も出来る。
 (それにしても……)
 何故だろう。城の中の雰囲気が、微妙に心地よい感じがするのは。
 厳かな雰囲気が漂う所は、シズクが苦手とする場所であるはずなのだ。いかに構造が美しいからといっても、こんな改まった雰囲気の場所、本来のシズクならばがちがちに固まってしまってもおかしくない。王に会いに行く途中なのだから尚更だ。
 それが、不思議なことにイリスピリア城に関してはそうではなかったのだ。
 白い壁に包まれた廊下を歩きながら、時折顔を覗かせる町の景色を瞳に写す。そうしていると、なんとも不思議な気持ちになってくるのだ。分かりやすい言葉にしてみるとそう――『懐かしい』と。
 「…………」
 そこまで理解してから、シズクは急に胸が変な音をたてて締め付けられるのを感じていた。
 懐かしいなんて、そんな事を感じるなど、なんという自惚れだろうか。いかに自分がティアミストだろうとも、この血の中にほんの少しでもシーナのものが混じっていようとも、シズクはただの魔道士見習いのシズクでしかないのだ。実感など無いし、誇りに至っては、それを感じる事にすら違和感を覚えてしまう。
 (馬鹿だわたしは)
 一人でしかめ面を作って、心の中でそっと、自分を叱りつけた。そして、言い知れないこの心地よさを一生懸命否定しようと必死になる。そんな時だ、



「ようこそいらっしゃいました、セイラーム様」



シズクをはっとさせたのは、厳格そうな男の声だった。
 慌てて前方を見ると、自分達の目前に巨大な扉が存在しているのが分かる。派手ではないが、何かしら人を圧倒するようなオーラを放つ扉だ。それを視界に入れて、いつの間にか王の間の入り口に着いたという事を悟る。男の声がしなかったら、まず間違いなくシズクは、前方を歩くアリスの背中に追突していた事だろう。いくらなんでも周りが見えていなさすぎである。
「お久しぶりです、ネイラス殿」
セイラはお決まりの例の笑顔を浮かべると、扉の前に立つ男に軽く会釈をする。
 ネイラスと呼ばれたその男性は、先程の声の主に違いなかった。声と同じく厳格そうな面立ち。見かけ上は全然似ていないのに、彼のイメージはナーリアのそれと面白いくらいに重なった。衣装からして、ここまでシズク達を連れてきてくれた使用人の男より地位は上だろうと推測できる。
 「アリス様もお久しぶりです」
 「お久しぶりですネイラスさん」
 声を掛けられてアリスはにこりと微笑む。どうやらアリスも彼と面識があるらしい。
 「皆さん長旅のところお疲れでしょう。王と軽くお話なさったら、ゆっくりお休みになられると良いですよ。部屋はもう手配してありますので」
 「いやぁ、すみません」
 いぶし銀の笑顔を浮かべつつのネイラスの言葉に、セイラは相変わらずへらっと返事を返す。そんなセイラの調子を見ていると、とてもじゃないが彼がネイラスよりも高貴な身分にある人間であるようには思えなかった。見た目だけで言うと、どう見てもネイラスの方が身分が上に見えてしまうのだ。だが、彼らのやりとりを見る限り、セイラのほうが身分が上というのは明らかだろう。
 ネイラスはセイラに深々とお辞儀をすると、次は視線をセイラの後方へと向ける。視線の先には、リースとリサの二人がいた。
 「お帰りなさいませ、王子」
 そう言って、彼は主君に対するように恭しく頭を垂れる。当たり前の行動だ、リースは彼が仕えるべき相手、この国の王子なのだから。だが、シズクにとってはやはりこういう光景は慣れない。事実、ぽかんと間抜けな顔をして立ち尽くしてしまっている。
 シズクの反応に気付いたのだろう、リースは一瞬だけこちらを気まずそうに見、そして、
 「……あぁ」
 なんとも微妙な表情で、無愛想な返事を返した。それきり何も言わなくなるリースを見ると、シズクと彼との間に、なんだか無性にこそばゆい空気が流れてしまう。居心地が悪い。
 リースのそんな様子を疑問に思ったのだろう。ネイラスは少しだけ怪訝な表情になると、リースの後方に控えるアリスの更に後ろ。つまりは、一番後方に控えるシズクへと視線を向けたのだ。ばっちりと目が合ってしまってシズクはどきりとする。人を見つめる時の威圧感までもが、ナーリアにそっくりなのだから。逃げたり隠れたりしなければならないような気持ちにさせられるところまで一緒だ。
 自然と体が強張っているシズクを、ネイラスは怪訝な瞳で見つめてきた。知らない人間が一人居る、という目だ。
 「…………」
 セイラに同行人がもう一人いるという事は、おそらく彼の耳にも伝わっていただろう。先ほどリサが部屋に襲撃をかけて来たときに、シズクの存在を知っていたような物言いだった事からしても想像がつく。だが、その素性まで聞いているかというと、おそらくノーだと言える。彼にしてみたら、シズクは得体の知れない不信人物だ。たとえシズクが、水神の神子セイラーム・レムスエスの同行人だとしても。
 「……ぁ、えっと――」
 「ネイリムスフィン・イルスィードと申します。ようこそイリスピリアへ。さぞかし王はお喜びになられるでしょう。ティアミストのお嬢様がおいでなさったのですから」
 えっ。と思わずそう漏らしてから、シズクはもう一度ネイラスの顔を見る。怪訝な色を浮かべていたはずの瞳は、今は――笑っていた。懐かしむように細められて。
 彼の一言で、場の雰囲気が一瞬にして変わる。セイラは相変わらずのんきに構えていたが、リースとアリスは目を丸くしてシズクとネイラスとの間で視線を行ったり来たりさせていた。リサにいたっては、なんのこっちゃといった様子で首をかしげている。
 (知ってる? ティアミストの事を?)
 自分がつい先日知ったばかりのその名を、目の前のこの男は、随分昔から馴染みがあったもののように口にしているのだ。向けられる笑顔は、歓迎の意と、どこか尊敬の篭ったものだった。そんな敬意を向けられるような人間ではないのに。流れる血は一流かもしれないが、自分は――

 「さあ、王がお待ちです」

 ネイラスは一同を振り返ると、ごつごつした手を扉にかけた。


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