+ 追憶の救世主 +

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第1章「イリスピリア」


2.

 「うえぇぇぇっ!?」

 奇妙な。ガチョウの首を締め上げたような。そんな悲鳴が広い部屋を支配した。
 「うそ! うそ! うそよ!」
 めまぐるしく目を白黒させながら、こげ茶髪の少女は動揺を露にする。そんな彼女の様子を、セイラは微笑ましそうに、アリスは苦笑いしつつ、そしてリースはうんざりした表情で見つめていた。
 「王子!? うそよ! ありえないっ!」
 そう一際大きく叫ぶと、シズクはびしぃっとリースに向かって人差し指を指し示す。これも一種の不敬に値するのだろうが、今のシズクには、そこまで気を回す余裕が無かった。



 イリスピリアに到着したところまでは良かったのだ。

 イリスの町は、噂以上に広く、そして美しい場所だった。
 その魅力的な町の外装に見惚れて、そしてたくさんの人達でごった返す商店街の雰囲気にも惹かれて、とても良い場所に来たと思った。イリスピリア城での用事が終わったら、シズクは町に繰り出してあちこち見て回ろうと考えていたのだ。
 ところが、だ。イリスピリア城に足を踏み入れた途端、そんな計画などシズクの頭の中から跡形も無く消えていってしまった。
 城の者達が敬意の言葉をかける対象は、水神の神子であるセイラではなく、なんと、率先してリースだったのだから。
 シズクと歳が変わらないリースに、シズクの倍以上も歳をとった城の人間が頭を垂れる様を見て唖然とした。そして更に、その語尾に愛敬の意を持って付け加えられた『王子』という単語に、驚愕を露にした。
 王子コールを背負いながら今居るこの部屋まで案内されても、自分はひょっとしたら騙されているのかも知れないと疑っていたのだ。だが、つい先ほどセイラの口から言葉として告げられたものが、それを事実だと肯定してしまった。

 ――リース・A・ラグエイジ・イリスピリア

 リースの本名を、セイラはこのように言ったのだ。
 イリスピリアの人間でなくても常識として知っている事実。名前の中に『イリスピリア』を用いる事を許されているのは、この世界でたった一つの一族だけであると。すなわち、イリスピリアの長――王の一族のみなのだと。
 今まで共に旅を続けてきて、死の危機までも一緒に体験した彼。そう、リースだ。彼がこの大国、イリスピリアの王子だというのだ。
 確かに彼は見た目常人離れしているし、身のこなしにも洗練されたところがあった。厳かな場所にも場慣れした感があったし、今思い返すとたしかに。と思う事が多々見つかる。
 だが、いかんせんリースの中身が、庶民の自分と少しも違わない。いや、それにプラス『嫌味魔人』の称号を与えたくなるような調子だったので、端々に見られる王族の証が、ことごとく覆い隠されていたのだ。
 自信を持って言おう。外見はいかにも、だが。リースの中身は、絶対に、誰が何と言おうと『王子』じゃない。
 だいたい、王子が一般人顔負けな勢いでお供もつれずに長旅をすること自体、おかしい。リースの場合、セイラの『護衛』という名目でイリスピリアまでの旅を続けきたのだから、更におかしな事である。守られる側であるはずの王子が、高位呪術師と言えども自分より身分が低い者を守ってどうする。
 「それに、王子様ってのは、もっとこう、優しくてエレガントで爽やかな笑みを……」
 「やめぃ! 世にも気色悪い王子理論を展開するな!」
 ぶつぶつ独り言のように何かを呟くシズクに、心底呆れた。といった様子でリースは言い捨てる。
 まぁ確かに、エレガントで爽やかな笑顔を浮かべるリースなんぞ、見たくは無いが。
 ……って、ん? ちょっと待てよ。という事は何か? ジュリアーノの最後の夜に、自分は――



 「のわぁぁぁぁぁっ!!!」



 芋づる式に、彼女の脳裏にジュリアーノの最後の夜が思い出されて、とうとう断末魔の叫びを上げる。目や耳から何かが噴火したような、そんな衝撃が体中を走りぬけた。全身が熱い。おそらく今、自分はとんでもないくらいに赤面していると思われる。
 なんだよ! と驚いているリースや怯んでいるアリスが視界に入ったが、気にしている場合ではない。
 という事は、だ。ジュリアーノの最後のあの夜に、自分は……自分は……
 「ななななななっ!」
 イリスピリアのぜ……絶世の……『絶世の美貌の王子』と! まさにその絶世の美貌の王子様の目の前で口走ったという事か! しかも、うっとりと夢見る乙女的な表情を浮かべて! 相手が……世界最強の嫌味魔人だというのに!
 その事実を確認して、一番大きな噴火がシズクの体内で巻き起こった。どかーんという効果音が、すぐ耳元で響いた気がする。穴があったら入りたいという言葉は、今の自分のためにあるような言葉だと思った。
 あの時のシズクの言葉を、リースがどうか忘れてくれていますようにと天に祈ったが、発言があれなだけに、どう考えても彼が忘れているとは思えない。むしろ、しっかりちゃっかり覚えているような気がしてならない。
 「あぁぁぁぁぁ」
 頭を抱えて明後日の方向を見る。自分は今、物凄く取り乱しているのだろう。混乱状態だった。でも、仕方が無いだろう。



 「……っあーーー! もう、いい加減にしろっ」



 しかし、周りはシズクをそっとしておいてはくれないみたいだ。
 一際大きい声でそう言うと、リースが突然シズクの視界に出現したのだ。そして両肩をがしぃっと掴まれると、物凄くうんざりした表情で目を合わせてくる。睨みつけると言ったほうが正しいか。飼い犬にしつけをする飼い主の行動に、それはよく似ていた。
 リースの顔を間近で視界に入れて、シズクの脳裏にはまた『例の発言』の事が過ぎった。顔に血が昇る。しかし、今の彼の迫力からして、目を逸らすと後が怖そうである。そう思い、目を逸らす代わりにその場で硬直する。
 「落ち着け」
 「で、でも――」
 「でもじゃねぇ! いいか。王子だかなんだか呼ばれているが、俺は好き好んでこの身分に生まれてきた訳じゃない。生まれたところがたまたま王族だった。それだけだっての」
 確かにその通りだが、王族なのだ。一国の長の一族なのだ。
 そんな、ご近所さんと町でたまたま出会った。とでも言うのと同レベルで表現するには、凄すぎる身分だった。
 「お前だって、勇者シーナの子孫だからって、それと結びつけてとやかく言われるのは嫌だろう? それと同じだよ。お前はお前。俺は俺。今までどおりで何にも変わらねえ! 分かったな?」
 「う……」
 「分かったよな!」
 「……はい」
 二度にわたって凄まれて、シズクはからくり人形みたいな動きで頷くしかなかった。といっても、やはり今までどおりにするには、まだ頭の整理が足りないと思う。リースにどう接していけばよいのか分からなくなる以前に、リース=イリスピリアの王子という関係を完全に理解する段階にすら達していないのだ。まずはそこから自分の頭を納得させなければならない。
 シズクが大人しくなったので、リースは一応気が済んだらしい。よしとかなんとか言うと、両肩を解放してくれた。体の自由が利くようになると、シズクは思わず脱力する。一気に3日分くらい疲れた気がするのは、絶対に気のせいではないと思う。
 リースの後方で、セイラが意味ありげな微笑を浮かべているのが見えた。その微笑の理由はおそらく……いや、もう考えるのはよそう。

 「……そ、それにしても。まだなのかなぁ、許可が下りるの」
 シズクは、とうとう話を逸らす事にした。くるくると部屋の様子を伺いながら、ぽつりとそう零す。
 「ま。いろいろと忙しいんだろうよ、あの親父も」
 リースが鼻を鳴らして気だるそうに言う。
 シズクはと言うと、親父=イリスピリア王だという事を理解するのに5秒ほどの時間を消費してから、改めてリースがこの国の王子だという事を実感していた。実の父親だろうが、仮にも一国の王をつかまえて、親父呼ばわりする王子というのはどうかと思ったが。

 そうだ。取り乱してしまって、すっかり今の状況を忘れていた。

 シズク達がイリスピリア城に到着してから、城の人間に連れられて、一行は城の一室に案内されたのだ。
 机と椅子のみの簡素な部屋だったが、その内装はさすがお城だ。床の絨毯は手入れが行き届いているらしく、つやつやと高価そうな輝きを放ち、天井には細やかな模様が施されたランプが釣り下がっていた。机や椅子にしても、決して安いものではないだろう。おそらく、王への謁見希望者の待合室みたいな場所だろうと思う。
 お城という場所に来たのは、シズクにとって初めての経験だった。大国イリスピリアの城は、大国らしく、とても荘厳で大きい。けれども、シズクが想像しているようなぎらぎらした装飾品はどこにも見られなかった。派手で華美な内装というよりは、落ち着きがあって高貴な雰囲気の場所だ。
 そして、何よりも――

 「綺麗なお城でしょう」

 窓の外に視線を奪われていたシズクの横で、アリスの声がした。視線を彼女の方へ向けると、アリスは柔らかく微笑んで、そして窓の外を見る。
 「イリスピリア城は、その規模も大陸一だけど、内装の美しさに関しても大陸一と言われているのよ。あと、城の塔から見る景色は絶景。ここみたいにね」
 「う、うん」
 そう端的に言ったきり、またシズクは黙って窓の外を眺める。
 絶景。たしかにそうだった。城の窓からは、城の周囲にある湖と連絡橋、そしてイリスピリアの首都、イリスの様子が見て取れる。真っ青な湖の向こうで、昼下がりの日差しを受けたイリスは光り輝く町のようだった。大陸一の巨大な町イリス。勇者シーナも、500年前、ここで同じようにこの景色を眺めていたのだろうか。
 そんな事を思っていた時だ。ノックも無く、突然、部屋の扉が開いたのだ。……いや、開いたというよりは、ぶち開けられたと言ったほうが正しいかもしれない。
 やたらと激しい音を立てながら扉が開くと、物凄い勢いで誰かが走りこんできた。

 「リース!」

 一瞬、シズクは自分の目を疑ってしまった。
 ふわりと視界に金色が翻ると、目の前には信じられないくらい綺麗な人が居たのだから。
 思わず息を呑む。女神光臨の現場に立ち会ったような心境だ。
 ナーリアくらいの長身で、優しくて甘い顔立ち。ウェーブのかかる金髪は、日差しを浴びて眩しく輝いた。リースと同じ色の髪。そして、その瞳の色もリースと同じ。芽吹いたばかりの若葉を思わせる、エメラルドグリーンだった。
 間違いない。絶世の美女と謳われるイリスピリアの第一王女。つまり、リースの実姉だ。
 急いで駆けつけたらしい、少し息が切れていたが、やけに庶民庶民したリースとは違って、彼女はその動き一つ一つに王族としての気品が感じられた。
 王女は、息を整える事もせずに、弟の姿を発見すると微笑を浮かべた。天使の微笑と形容するのが最も相応しい。
 「リースお帰り! やけに遅かったのね」
 「…………あぁ」
 「あぁじゃないでしょうが。それが久しぶりに会った姉に対する言葉?」
 そっけない、というか、むしろ大層嫌そうな顔で応対するリースの態度にも、麗しの王女は微笑を崩さない。どうやら、リースのような『嫌味大王』ではないらしい。
 「セイラ様もお久しぶりです! アリスも」
 リースから視線をずらして、彼女は今度はセイラ達と視線を合わせると、これまた極上の笑顔で挨拶を述べる。その礼儀作法からして、洗練されている。
 「お久しぶりですリサ様」
 王女の挨拶を受けて、さすがの水神の神子も本職に返り咲く。恭しく頭を垂れると、紳士的な笑顔でもって挨拶を返す。隣のアリスも似たような会釈を返していた。
 王子であるリースは呼び捨てなのに、その姉君には様付けなんですね。というかなりどうでも良い豆知識を増やしたシズクだったが、いよいよリサ王女の視線が自らの方を向いたので、思考もそこそこに、体が硬直してしまった。
 「――――」
 リサ王女は、シズクには微笑みは向けなかった。目を大きく見開くと――満面の笑みを浮かべたのだ。
 あぁやはり、リースとは違うと思う。王族とは、王女とはかくあるべきなのだ。
 「リース――」
 王女は、優しく呟くと、すぐ隣に居る弟の方へとすぅっと視線を移動させた。
 更に、長い右手をしなやかな動きでリースの方へと向ける。その様子を眺めるシズクは、まるで夢でも見ているような感じだった。大陸中で噂になる美姫がこんなに近くに居るのだ。想像どおり、いやそれ以上だ。こんな風に綺麗でおしとやかでまさに王族といった人――



 「グッジョブ!」



 ――でも無かったかもしれない。


 びしぃっと、男らしく親指を立ててリースにOKサインを出す王女に、シズクは思わずその場に崩れ落ちた。
 「やるじゃないっ! 私の好みにバッチリ! やっぱり義妹はこれくらい可愛らしくないとっ!」
 「世界の終わりが来るよりも恐ろしい事を口走るのはその口か!」
 やけに男前な笑顔を浮かべるリサ王女の前で、リースは本当に世界が滅びそうな表情で叫んだ。


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