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第2章「イリス魔法学校」


5.

 ――いつもと格好が違うから、一瞬分からなかった。

 目の前で自分と同じくらい絶句しているリースを見ながら、シズクはそんな事を思っていた。カッターシャツにネクタイ。きっちりしたスラックスと上着に……。旅の間身につけていた剣士風の服とは違い、今のリースが身につけているものは、制服と呼ぶのが最も相応しい代物だった。そう、国立学校の制服である。

 「リー――っ」
 思わず出てきた言葉に、シズクは慌てて自身の手で口を押さえる。ついいつもの癖で『リース』と、呼び捨てにしそうになったのだ。だが寸でのところでそれだけは回避出来た。こんなところでそれはさすがにマズイ。
 ここはイリスピリア城の学校ゾーンの食堂近く。周囲には魔法学校と国立学校の学生がそれはもうわんさかと居るのだ。しかも今、シズクとリースは、これでもかというくらい周囲の者達の視線を集めてしまっている。もうこれ以上墓穴を掘るのは絶対にごめんである。おとなしく振舞うに越したことはないだろう。だから――



 「リース王子」



 シズクの発した言葉に、ぴくんと、リースの形の良い眉が跳ね上がったのをシズクは見た。だが、ゆっくりとした動作でリースと向き合うと、シズクはそれをあえて無視して言葉を続ける。
 「王子、申し訳ありませんでした。わたしが余所見していたのが悪かったんです。助けて頂いて、感謝します」
 にっこりと愛想笑いを浮かべると、深々と一礼。
 麗しのリース王子と知り合いである事がばれようものなら、あれこれともみくちゃにされるのは目に見えている。下手に目立って注目を集めてしまう事態は極力避けたい。ほんの少ししかイリスには居られないのだ。その少しの時間をせめて、穏やかに過ごしたいと思った。
だからシズクは、大いなる違和感を覚えつつも、使い慣れない丁寧な言葉を、旅の仲間であったリースへと向ける。言葉を向けられたリースの方はというと、その整った顔から、表情を完全に消してしまっていた。
 それも無視して、シズクはそのまま、善良なる一魔法学生としてその場を立ち去るべく、くるりときびすを返した。だが、そうは上手く行かないのが現実というものである。



 「……シズク」



 リースに呼び止められて、ぎくりとその場で動きを止めるシズク。物凄く躊躇われたが、さすがに名前を呼ばれてしまって無視する事は出来ない。とてつもなく嫌そうな動きでもって振り返ると、シズクの視線の先で今度は、リースはとんでもなく不機嫌な表情でこちらを睨みつけていた。絶対に怒っている。
 「お前、何だよその格好は? いつからイリス魔法学校の生徒になったんだよ」
 「わ、わたしはただ、陛下のご好意でイリス魔法学校に編入させて頂いているだけで――」
 「……陛下?」
 シズクの『陛下』という言葉を受けて、リースは眉をひそめる。
 「なんでまた。一体何を考えて――」
 「ほ、ほんの少しの間だけですよ」
 眉間にしわを寄せながら何かを言おうとしたリースに、シズクはあくまでも善良なる一魔法学生としての言葉を並べ立てる。しかし、それが余計にリースの機嫌を損ねる要因になってしまったらしい。先ほどよりも更に不機嫌な表情になると、
 「その気色の悪い喋り方をやめろっての!」
「わ、わたしは別に――」
「……ったく、見た目だけじゃなく頭の中まで幼児化したのか」


 ――ぶちんっ。


 「どーゆー意味よ! そっちこそ、こっちがせっかくかしこまってやってるっていうのに何その態度は! 空気読みなさいよね、この嫌味王子!」



 ――――。



 「…………ぁ」
 一気にそれだけわめき散らしたあとで、シズクは本日最大の墓穴を自らの手で盛大に掘ってしまったと確信した。だが、後悔したところで今更もう遅い。シズクとリースの会話を見守っていた周囲の学生達が、まさかの展開にどよめき、あんぐり口を開けて呆けてしまっていた。大国の麗しの王子様を、『嫌味王子』呼ばわりした事に全員思考が停止してしまっているようだ。
 終わった。何もかも。平和な学校生活を送りたかったのに。
 「……それだよ」
 「は?」
 周囲のあまりの状況に、ほとんど半泣きのシズクだったが、リースの声に彼のほうへと視線を向ける。向けてから、彼があまりにも真剣な表情を浮かべていたものだから、また違う意味で絶句してしまった。
 「それがいつものお前。シズク・サラキス」
 「――――」
 静まり返る空気の中で、ゆっくりとリースはそう述べた。普通ここは言い返してくる場面ではないのか? と、シズクは首を傾げる。予想外のリースの行動に拍子抜けのシズクだったが、彼女の顔をしばらく見つめたあと、リースは何も言わずにきびすを返し、国立学校の方向に向けて歩いて行ってしまった。一瞬送れて、リースの隣に立っていた男子生徒が、シズクの方を少し気にしながら彼の後を追う。友人だろうか。
 後に残されたシズクはと言うと、ぽかんと口を半開きのままで、リースが去っていった廊下をぼんやり眺めていた。その場は一時、水を打ったように静まり返る。しかし、それもほんの一瞬の事で、次の瞬間にはシズクは言葉の集中豪雨を浴びる事となってしまう。
わっとどこかから声が上がると、その場に居た幾人かの生徒達がシズクの周りに詰め寄ってきたのだ。どちらかというと、女生徒が多めな気がするのは気のせいだろうか。
 「ぅえっ……ちょっ――!」
 「リース王子とあんな風な会話が出来るなんて、シズクって一体どういう関係!?」
 「王子がレムサリアから連れてきた人がいるっていうのは、もしかして君の事なの?」
 「ねーねー、リース王子にわたしを紹介してよ」
 「それにしてもリース様って結構毒舌家なのね、知らなかったー」
 「でも嫌味王子はちょっと酷いんじゃない。だってほら、この国の跡継ぎな訳だし」
 ……やんややんや。
 どの生徒も、やれリース王子がどうの、やれリース様がどうだの。まるで親鳥に餌を求めるひな鳥のごとく、シズクの周りに群がってきてはそれぞれ思い思いの言葉を口にし始める。質問される側のシズクとしては、たまったもんじゃない。どこかの聖人君主じゃないんだから、いっぺんにこれだけ大人数の言葉、聞き分けられるはずがないじゃないか。
 人ごみにもまれて大ピンチのシズクだったが、ここに来て突然、助け舟が入った。
 「シズク! こっち」
 人と人の間からジャンがひょっこり顔を出すと、シズクの手をひいて、彼女を人ごみから助け出してくれたのだ。見ると、彼の背後にはクレアとミレニィの姿もある。
 「とりあえず、避難した方が良さそうね」
 クレアがメガネの位置をくいっと直しながら、あくまで冷静に言い放つ。さきほどまでシズクを質問攻めにしていた生徒達は、まだ聞き足りないとばかりに、こちらへ飢えた視線を浴びせてきていたのだ。その様子にシズクはさあっと青ざめると、クレア達と一緒に、一気に駆け出していた。逃げるが勝ちである。






 「あーあ、やっぱり騒ぎになっちゃってるよ? いいの、リース」

 リースの後方を歩く少年から声がかかった。言われてリースは足を止め振り返ると、声の主である級友に向けて視線を送る。
 ――アレクサンダー・ガウェイン。通称アレク。国立学校の生徒で、甘い顔立ちをした、少女のような少年である。一見しただけでは、無垢で人畜無害な印象を他人に与えるが、リースのように彼と付き合いの長い連中は皆知っている。アレクは、その顔立ちを武器に幾人もの女性を毒牙にかけてきた、かなりのプレイボーイであると。
 「別に、放っとけばそのうち収まるだろ」
 後方で起こっている騒ぎをちらりと一瞥すると、さほど興味もなさそうな調子でリースは言う。今頃シズクは、人ごみにもみくちゃにされているところだろうか。だが、いい気味である。
 「? 何そんな不機嫌なのさ。あの子、リースに何かしたっけ?」
 リースの顔を覗き込みながら、アレクは不思議そうな表情で首を傾げる。彼にとっては、先ほどのシズクとの一件が、何故リースが腹を立てる要因となったのか全く分からないのだろう。それも当たり前と言えば当たり前だった。シズクの態度は、大国の王子に接する分には――最後の台詞を除いては――完璧な振る舞いだったからだ。だが、
 (何が『リース王子』だよ……あのバカ)
 自分がこの国の王子であると知られた時、確かにリースは、シズクに言ったはずなのである。今までどおりでいろ、と。
 自分の身分が知れた途端、態度を急に翻されるのはどうにもリースにとって我慢のならない事だった。まるで、リース・ラグエイジという人間が、イリスピリアの王子という衣に覆われてしまったような気がするからである。だから先ほどのシズクの振る舞いは、一種の裏切りである。歯に布着せるような言葉を並べ立てて、気色の悪い。――イライラする。
 「……ふーん」
 眉間にしわを寄せて黙り込むリースを横目に、アレクは楽しそうに微笑んだ。
 「なるほどね」
 「何がなるほどだよ」
 不機嫌さはそのままに、リースは噛み付くようにアレクに問いかける。言われてアレクは、手をひらひらさせながら別に〜。と笑顔で誤魔化してきた。そして、顎に手を当てる仕草をするとこう言ったのである。
 「いいじゃんあの子」
 「は?」
 「シズクって言ったっけ? 知り合いなんだろ? 紹介してよ」
 笑顔を浮かべつつのアレクの突然の提案に、リースはあからさまに顔をしかめる。
 「……お前、いくら女ったらしってったって、とうとうそこまでキャパ広げるつもりか?」
 信じられないと言った表情で言う。
 確かにこいつの女好きは留まるところを知らないし、どんなタイプでも来る者拒まず、のスタンスではある。だが、さすがにあの童顔女に手を出しては、それはちょっと行きすぎではないか。懐が広いにも程がある。
 「心外だなぁ。俺はどうでも良い女の子はとっかえひっかえしちゃうけど、本気の女の子には割と一途だよ?」
 「…………」
 「ま、冗談だけど。でもさ、あの子リースが嫌悪するほど酷くないよ? むしろ結構可愛い方だと思うし」
 「俺はお前の見合い引受人かよ、アレク」
 「怒るなって。別に、そういう目的で紹介して欲しいんじゃないって。ただ、純粋に友達になってみたいだけだよ。面白そうじゃん彼女」
 「怒ってねえよ! それに、あいつに関わっても、面白いどころか、ろくな事おこらないぞ」
 そう、それは間違いなく事実だ。吐き捨てるように言うと、リースは盛大にため息を零す。思い返される限り、シズクと出会って以来――いや、正確には、父であるイリスピリア王からレムサリアまでセイラの迎えに走らされてからだが、リースはとことんろくな目にあっていないのだ。セイラの奇行につき合わされるだけでも十分疲れるのに、挙句の果てには魔族(シェルザード)まで出てきてしまった。そして、ティアミスト家やら勇者シーナやら、なんとも頭の痛い問題だらけである。嫌にもなってくる。
 (まぁ、それももう……あと少しの事だけど)
 シズクはセイラの用事が終わったら、この国を出て行く予定なのだ。きっと、魔法学校への編入も、その少しの期間だけのものだろう。せいぜいあと一週間ほどで、全部終わるのだ。一月ほどの冒険から、いつもの日常へと戻っていく。
 「…………」
 「リース?」
 あまりにリースが深刻そうな表情で考え込んでいたものだから、アレクは少し心配そうに呟いた。






 全速力で逃げ出した後、シズク達は食堂の裏手にある小さな中庭までやって来ていた。校舎にはまだしばらく入らないほうが良いかもしれないというクレアの意見からだ。それにしても……昼食をすっかり食べ損ねてしまった。走っている間はそうでもなかったのだが、いざ走るのをやめて立ち止まると、空腹感が一気にシズクの全身を襲い始める。しかし、そんな事よりもまずは目先の問題を片付けるのが先決だろう。
 「ストップ! 何も言わないで! 言いたいことは分かってるから!」
 立ち止まって一息ついた頃だった。ジャン達が一気にシズクの方へと意味ありげな視線を向けた瞬間、彼らが何か言葉を発する前にシズクが先手を打ったのだ。先手を打たれて、ジャンとクレアは喉元くらいまでは出掛かっていた言葉を、飲み込んだようだった。
 「…………」
 場の雰囲気は、一瞬にして張り詰めたものへと変わり、誰も何も言わない時間がほんの数秒だけ流れる。
 「……えっと、私の母の祖母の祖母の祖母のそのまた祖母くらいの人が、王家ゆかりの人だったらしいのよね。で、小さい頃からイリスピリア王家の人とは少しだけ交流があったのよ。だからリース……王子とは、ちょっとした知り合い、な訳ね」
 決して嘘は言っていないはずだ。と心の中で弁明しつつ、シズクはそう告げた。だが、シズクの話を聞いているジャン達はというと、どうにも納得が行かないといった様子で眉をしかめている。
 「ちょっとした知り合いにしては、結構親密そうだったけど……」
 「そう? 彼って皆に対してあんな感じだと思うよ」
 これも嘘ではないはずだ。
 「そうかしら?」
 今度は首をかしげながらクレア。
 「そうなの。一度知り合ってしまえばきっと、皆にあんなのよ」
 シズクの言葉に、ジャンとクレアはうーんと首を傾げるが、やがて納得したのか諦めたのか、まぁいいや。と言って、それ以上の追求はしてこなかった。ほっと胸を撫で下ろすシズクだったが、

 「知り合いって……どのぐらいの頃からの?」

 「――え?」
 予想外の人物から声がかかって、一瞬うろたえてしまった。出会った時から一切自分に口をきいてくれなかったミレニィが、ここにきて突然口を開いたからだ。彼女の声を聞く事自体、初めてである。鈴を転がしたような、可愛らしい声。だが、紡がれる言葉にはどこか棘があった。
 「えっと……つい数年前からかな」
 曖昧に笑いながら、シズクは、今度は嘘をつく。内心大いに焦りつつそう言うと、シズクはミレニィの方へと視線を寄せた。視線の先で彼女は、不機嫌そうに、だが少しだけ勝ち誇ったような表情を浮かべている。
 「じゃあ私の勝ちね」
 「はい?」
 「私はね、この学校に入学した時からずっとよ。その頃からずっと、リース様一筋だったの」
 「???」
 完全に訳が分からなくなっているシズクの元へ、ミレニィはつかつかと歩み寄ってくる。そして、目の前までやってきてから、人差し指をこちらに向けてびしぃっと指し、

 「あなたなんかに、負ける気がしないわ!」

 毅然とした表情で、そう言い放ったのである。

 ――どうやら、シズクの学校生活は、平穏に過ぎていってはくれないらしい。



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