+ 追憶の救世主 +

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第2章「イリス魔法学校」


6.

 それを目撃したのは、本当に偶然の事だった。

 つい先日の事。ミレニア・エレスティンは、珍しく課題に追われる必要の無い休日をイリスの町でショッピングをして過ごそうと考えていたのだ。
 イリス魔法学校は、朝の遅刻に関する罰則については大陸一の厳しさを誇るが、実はそれ以外の規定に関しては結構緩い。事実、このように休日ともなると学園の外に自由に出ても良い事になっている。常識の範囲内であれば、門限も特に設けられていない。これは、貴族出身の生徒が多いという、学園の性格上なのかもしれない。
 まぁそんな訳で、ミレニィは実家から月ぎめで送られてくる仕送りの、ほんの一部を財布に詰め込むと、休日のイリスへと足を運ぼうとしていたのだ。ところが、人々でごった返す正門に辿り着いた時、思ってもみなかったものを見つけてしまった。
 しばらく前から、恋焦がれていた人だった。ため息が出るほど整った容姿に、蜂蜜色の髪。強い意志を宿す、エメラルドグリーンの瞳を持つ人。この国の第一王子である、リース・ラグエイジの姿だ。一月以上前から、陛下からの言いつけか何かでレムサリアまで向かわれていたらしいとの噂だったが、今日やっと、イリスピリアへのご帰還という訳だった。
 久しぶりにお目にかかれた喜びで微笑むのもしかし、ほんの一瞬の事だった。――彼の隣に、女の子の姿があったから。
 一人は、有名な少女だ。黒い髪に神秘的な黒い瞳を持つ美貌の少女。だが、その更に隣にいる茶髪の少女には見覚えが無かった。澄んだブルーの瞳を持つ、何処にでもいそうな、見目麗しいとは程遠い容姿の少女であった。しかし、ミレニィがどんなに望んでも、なかなか手に入れる事が出来ない位置にいるのは確実な訳で……

 (モヤモヤする……なんなんだろう、コレ)

 ミレニィがそれの正体を『嫉妬』というものであると気付いたのは、まさにその少女が魔法学校の編入生として、彼女の前に現れた後の事だった。






 「だーかーら。例え世界がひっくり返って滅びたり、太陽が2つに増えて一年中夏になったとしても、そんな事は絶対に有りえないって」

 いい加減うんざりだ。といった様子で、シズクが吐き捨てる。そして続く、深いため息。時はお昼時。場所は食堂のテラスだった。
 「……だよねぇ。やっぱりそうだよね」
 疲れた表情のシズクの目の前で、ジャンが苦笑いを零す。彼女を質問攻めにしてきた張本人である。
 有ろう事かジャンは、シズクが、リース王子がレムサリアまで赴いて迎えに行き、そしてイリスピリアまで連れて帰ってきた王子の『婚約者』ではないのか。と問いただしてきたのだ。一体どこをどう解釈したらそんな摩訶不思議な結論が導き出されるのか。ジャンの頭の中を徹底的に調べてやりたい衝動に駆られる。
 「でも、学校内じゃそんな感じの噂で持ちきりよ」
 「は!?」
 ぽかんと口を半開きにして、シズクは言葉の発生元であるクレアの方へ視線を寄せた。
 「噂?」
 「そ、噂。シズクが、リース王子が連れてきた、国の重要人物じゃないのか。っていう噂」
 クレアに言われて、シズクは口に入れようとしていたサンドイッチを危うく落っことしそうになった。
 冗談じゃない。それに、何だそのいろいろと間違った解釈は!
 リースは確かにレムサリアに赴いたようだが、それはシズクを迎えにいった訳ではなくて、水神の神子であるセイラを迎えに行ったのだ。シズクの同行は、セイラの独断と偏見に満ちた采配の結果であって、要するにオマケみたいなものである。それがどこをどうひっくり返して、そんな事に。
 喉元まで弁解の言葉が出てきていたが、駄目だ。セイラがこの国を訪れている事は、どうやらそれほど公にして良い事ではないようなのだ。先日アリスが来訪したときに、そのように聞いた。
 「噂なんてそんなものよ。大丈夫、すぐ皆飽きるわ。それよりも――」
 「問題は、あれだよね……」
 クレアの言葉をジャンが引き継いで、二人は同じ方向へと視線を移動させた。それにならってシズクも視線を寄せるが、視界に入った人物の姿に、気持ちが一気に萎縮してしまう。
 シズク達が昼食をとっているテーブルから少し移動した位置のテーブルに、一人腰掛ける少女が居た。他でもない、ミレニィだ。
 「……ねぇ、アレ何?」
 ミレニィの方を指差して、ジャンがクレアに問う。彼が訊いたのは、ミレニィの胸元に輝くネックレスの事だろう。紅い色をしたクリスタルがキラキラと輝く。年頃の女の子が、よく身につけていそうなやつだ。
 「恋のラッキーアイテムだって。なんでも、先日イリスに行った時、怪しげなお姉さんに売りつけられたらしいわよ。この間は身につけてなかったのに、いつの間にかつけるようになってたのね」
 「恋の……」
 引きつった顔でそこまで呟くと、ジャンは徐にシズクへと視線を寄せてくる。
 「だから、違うってば」
 ジャンの視線の意味するところをくみ、半眼でそう告げるシズク。
 「分かってるよ。でもさ、ミレニィは絶対君の事、恋敵だと思ってるよ」
 苦笑いで述べたジャンの言葉に、一瞬だけ動きを止めてから、今度はシズクは盛大にため息をついてしまう。
 そうなのである。
 あのリースとの一件があった日以来、シズクは何かとミレニィに避け続けられているのだった。
 ジャン達から聞いた所によると、彼女、どうやら相当昔からリースに対して本気で恋をしていたらしい。貴族出身の彼女だ。可能性が無いわけでは決して無い。だが、よくまぁあんな嫌味大王に。とシズクは人知れず胸中で呟いていた。
 まあそんな訳で、ミレニィに大いに誤解された結果、シズクは彼女に恋敵認定を受けてしまったらしいのだ。シズクにしてみれば寝耳に水。大いに迷惑な事である。
 「数年前、アリシア様とリース王子の縁談が持ち上がった時もキーキーしてたけど。今回程では無かったよね」
 「確かにそうね。まぁあの時は、すぐに決着がついてミレニィも機嫌直すの早かったから」
 再びミレニィに視線を戻しながら、そんな会話を交わすジャンとクレア。しかし、それをなんとなしに聞いていたシズクは、妙な引っ掛かりを覚えて首を傾げる。
 「……アリシア様?」
 シズクの呟きを聞きつけて、クレアとジャンの視線が一気にこちらを向いた。その名前、どこかで……
 「知らない? リース王子の又従兄妹だよ」
 「アリシア・R・ラント・エラリア。エラリア国の王女様でもある人よ」
 どこかで聞き覚えがある響きに、シズクは眉をしかめる。他国の王女様に知り合いは居ないはずなのだが。
 ――ん? 待てよ。アリシア……アリ……

 「ええええええっ!」

 思わず大声で叫ぶと、シズクはがたんとその場で立ち上がる。しかし、ハッと我に返ると慌てて自分の口を両手で封じた。あまり目立ちたくないのに、自分から目立ってどうする。シズクに集まる周囲の視線を苦笑いでかわしつつ、シズクはぎくしゃくした動きで再び腰掛け、更に椅子に深く身を埋めた。
 アリシア――アリス。そうだ、アリスだ。彼女はリースの又従兄妹だと、先日彼女の口から聞いたばかりだった。いやしかし、エラリアの王女とは聞いていない。エラリア国というと、イリスピリアに次ぐ大国ではないか。
 (まったく……みんなして自分の身分を内緒にして!)
 訝しがるクレアとジャンに苦笑いで答えつつ、心ではそんな悪態をついていた。今度アリスに会ったら、思い切り問いたださねばなるまい。
 「……ま、時間が解決してくれるのを待つしかないのかもね」
 話を切り替えるように、ジャンはため息を一つつくと、視線は再びミレニィに向けて、気だるい調子でそう言った。
 時間が解決してくれる。確かにそうなのかも知れない。シズクがイリスを去るまでにその時間が来てくれるかと言うと、それは分からなかったが。

 そう、気がかりな事といえばもう一つ。

 シズクがイリス魔法学校に編入する事になってから4日が過ぎていたが、その間セイラやアリスから全く連絡が無かったのだ。
 シズクの突然跳ね上がった魔力について、セイラに相談したかったのだが、相変わらず忙しいらしい。部屋を訪ねてもいつも不在か立て込んでいるかのどちらかで、追い返されてしまう。リオの欠片に話しかけてみたりもしたのだが、欠片から返事が帰ってくる事は今のところ無い。いざという時にしかリオと通信できないのだろうか。それに――
 (お母さんの事……いつになったら教えてくれるんだろう)
 それは、ジュリアーノを発つ晩にセイラと約束した事だった。イリスピリアについたら、セイラが知りうる限りのシズク自身についての事、そしてシズクの母についての事を話す。と。
 ティアミスト家とイリスピリア王家の関係を考えると、未だに心の中に重りでも入れられたような気持ちになるが、それでも、母の事を知りたいという気持ちに変わりは無かった。
 (何やってるんだろう、わたし)
 心の中で自問自答する。イリスピリアに来たは良いが、一行にセイラの用事は終わる兆しが見えない。一刻も早くこの国から去った方が良い、そうリオは言っていたのに、今の自分のこの状況はなんだろう。イリス魔法学校の生徒の一人として、何気ない日々を享受している。周囲のメンバーや居心地こそ違えど、それはオタニアの魔法学校で日々を送っていた頃とほぼ同じような生活であった。まるで、ずっと前からシズクはこのイリス魔法学校の生徒であって、あの冒険の日々は夢か何かだったかのような錯覚に襲われる。王子様や王女様と命を掛けた旅をしたのは全て夢の話であって、自分が勇者シーナの末裔という事も、ティアミスト家がイリスピリア王家の影であったという事も全て夢。そんな気がしてきてしまう。
 (でも、夢じゃないんだ……全部)
 そう胸中で呟くと、焦りともいらつきともとれる感情がシズクの中でチリチリ言っているのが感じられた。



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