+ 追憶の救世主 +

 第6章(2)へ / 戻る / 第6章(4)へ


第6章「光と闇」




3.

 「さぁ〜て、お立会いお立会い!」

 突然陽気な音楽が始まったかと思うと、広場に張りのある声が響いた。それまでアリスとの会話に夢中で気付かなかったが、いつの間にだろう、丸い広場の一角に人形芝居のセットが組み立てられていた。二人の芝居芸人の周りに、十数人の子供達はきゃっきゃと寄って行く。一分と経たないうちに、広場の一角に可愛らしい人だかりが出来た。平日の午前であるのに、やけに子供の数が多いと思っていたが、そういう事だったのか。とシズクは一人納得する。
 「いらっしゃい、お嬢ちゃんお坊ちゃん達。今日お話するのは他でもない、ここ、イリスのお話だよ」
 ひょっこりと、小さな舞台に人形が一体姿を現す。人形担当の芝居芸人に良く似た、髭の男を模したものだ。あまりにそっくりなので、シズクは思わず笑ってしまった。
 「イリスピリアの中でも、イリスの町には、とびっきり強い結界が張り巡らされている事、皆は知っているかな?」
 知ってるー! とあちこちから声が上がる。髭の芸人はそれらを満足そうに見回して、大きく頷いた。
 「今日はその結界が初めて作られた時のお話。むか〜しむかし。気が遠くなるほど遠い昔のお話」
 音楽担当の芸人が、陽気な音楽をやめて、緩やかな音楽を奏で出す。それと同時に、髭の人形は袖に引っ込み、舞台の背景は、月と星が浮かぶ、夜を模したものが半分を占め、もう半分を太陽の昇る昼が占めるものに変わった。
 「世界が作り上げられたばかりの頃、この世界は半分がずっと夜で、もう半分はずっと昼だった。というのも、闇神(カイオス)と光神(チュアリス)が、ちっとも仲良くなかったからなんだ」
 夜を背景とする部分に、銀髪の女神。昼を背景とする部分に、金髪の男神。それぞれを模した人形が登場する。
 「闇神(カイオス)は物静かで、大人しい神様。だから夜は静かで、少しだけ寂しい」
 銀髪の女神は、両手を胸の高さに組んで、何かを祈るように瞳を閉じる。
 「光神(チュアリス)は明るくて、偉そうな神様。だから昼は、明るくて、時々騒がしいでしょう?」
 金髪の男神が、顎をしゃくってふんぞり返る。いかにも傲慢で、ふてぶてしい感じが出ていた。
 「この二人の神様は仲良くなかったんだ。と言っても、ケンカばかりしていたとかそういう訳じゃない。お互い、顔を見た事も声を聞いた事も無かったんだ。仲良くしようにも、そもそも会った事が無いんだ、問題外だね」
 首をかしげて肩をすくめる芸人の仕草に、笑いが起こった。確かに、会った事が無い者同士では喧嘩も出来ない。観客の反応のよさに髭の男は笑顔になると、背景を昼だけのものに入れ替える。それと同時に、音楽はのんびりしたものへと変わった。
 「ところで、光神(チュアリス)は派手好きでも有名な神様で、自分が一番じゃないと気がすまない性格だったんだ。もちろん顔は格好良いし、頭も良いし、神様だからいろんな力も持っていた。女の人からもモテモテだった訳だね、うん」
 光神(チュアリス)の人形の周りに、わらわらと女性の人形が集まってくる。一気にハーレムの出来上がりである。だがそこへ、召使いの格好をした人形が割って入ってくる。そして光神(チュアリス)に何かを耳打ちするのだ。
 「そんなある日の事。世間話好きの僕が面白い話を持ってやって来た。聞いた噂によると、とびきりの美人がいるらしい。なんとそれは、光神(チュアリス)と同じ6人の神様の一人。闇神(カイオス)だって言うんだ。これを聞いて、見に行かないなんて男じゃないってものさ」
 舞台上に居る光神(チュアリス)の人形は、いそいそと準備を整えると、夜が支配する、闇神(カイオス)の住む場所へと旅立った。そこで背景が月と星が浮かぶ紺色に変わる。音楽も合わせて、神秘的なものに変わった。
 「光神(チュアリス)は、召使いに変装して闇神(カイオス)に晩御飯を持って行くことにした。あぁそうそう。夜しかない場所だから、三度の食事の名前は全部『晩御飯』なんだよ、あしからず」
 トントンと扉をノックする仕草をしてから、光神(チュアリス)の人形は闇神(カイオス)の部屋へと入室する。
 「『闇神(カイオス)様、お食事をお持ち致しました』『まぁ、ありがとう』そう言って、晩御飯を受け取るために、闇神(カイオス)は光神(チュアリス)の方を振り返った。ところが!」
 くるりと光神(チュアリス)の方を向いた人形は、先ほどの銀髪の麗しい女神ではなく、銀髪は銀髪だが、老婆の顔をしたものだった。この事に、子供達の間からは笑いと同時にどよめきが起こる。
 「なんという事だろう。闇神(カイオス)はとびきりの美人ではなくて、ガリガリに痩せたお婆さんだった! せっかく美人ときいてやって来たのに、とんだ無駄足だった訳だ……さてさて、光神(チュアリス)はこの後一体どうしたと思う?」
 子供達に問いかけるも、返事は聞かずに芸人は再び舞台に視線を戻した。光神(チュアリス)の人形は、しばらくの間呆然と立ち尽くしていたが、やがて落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと闇神(カイオス)に歩み寄る。
 『私はあなた程賢くて美しい女性にお会いした事はありません。よろしければ一曲踊りませんか?』
 光神(チュアリス)は跪いて、老婆の手にキスを落とす。老婆はその言葉ににっこりと微笑むと同時に、ぼわん。音楽担当の芸人が少し間抜けな音を立てる。舞台に煙が立ち上りそれらが消えた頃には、老婆だった人形は、最初に出てきた銀髪の女神へと変身を遂げていた。見事な早業である。続いて流れる優雅なワルツ。女神と男神は、軽やかなステップで子供達を魅了する。
 「闇神(カイオス)は、光神(チュアリス)がやって来ることを知っていた。それを知った上で、お婆さんに変身して彼の出方をうかがったんだね。一方、光神(チュアリス)は派手好きで偉そうな性格だけど、頭は良い神様だ。闇神(カイオス)の変装にちゃんと気付く事が出来た。こうして二人は初めてお互いの顔と声を知った訳」
 がらがらと舞台装置が音をたてると、場面は昼と夜が交互に巡る、今の世界に変わった。舞台の中心には件の女神と男神が居る。
 「さてさて、こうしてめぐり合った二人は恋におち、世界の中心で結婚式を挙げました。世界の中心とはここ、イリスピリアの首都であるイリスの事。バラバラだった昼と夜は一つになって、今の世界が出来上がったんだね。そして、二人の間に生まれた子供はイリスピリアの王様になった。右手に父親から授かった光の剣を、左手に母親から授かった闇の杖を持って、この国を治めました」
 イリスピリア城を模ったお城が登場すると、金髪に翠の瞳を持つ王様の人形が登場する。どことなく、現在のイリスピリア王に似ている気がする。
 「光の剣は、悪い魔物を倒すための武器。闇の杖は一振りすると、守人を呼び寄せた」
 王様の傍らに現れる金毛の獅子。イリスピリアの守り神を意味する、聖獣である。背景装置がくるりと動き、夜だけのものに変わると、獅子がイリスの夜空を駆け回った。きらりきらりと芸人は金紙を撒き散らす。それが『星降り』を模ったものだとシズクが気付くのに、しばらくかかった。
 「守人はイリスの周りに、世界で一番強い魔法を張り巡らしたんだ。それがこの町を守る結界の事だよ。おかげでイリスは平和な町になったのでした。めでたしめでたし!」
 人形劇は終わったのだろう。観客である子供達から拍手と喝采が上がると、小さな舞台の幕はゆっくりと閉じられた。だが、芸人の仕事はこれで終わりではなかったようだ。人形や楽器から手を離すと、小さな飴玉を配り始める。我先にと奪い合うように群がる子供達。人形劇を見るよりも、一番の目的はこれだったのかも知れないわね。とアリスが苦笑いを零したほどである。

 「結構上手かったわね。見入っちゃった」

 肩をすくめてアリスが言う。それに同意する形で、シズクも頷いた。
 子供向けにかなりの省略と改変を加えられていたが、物語自体は割と誰でも当たり前に知っている神話からの引用である。創世記で昼と夜を作った二人の神が、いかにして結ばれ、昼と夜が交互に巡る今の世界が作られたかが語られる部分。
 精霊と神託によって残されたとされている創世記に比べて、神話は後世の人間やエルフ達が作り上げたものである。この闇神(カイオス)と光神(チュアリス)の話も、おそらく真実ではないだろう。
 更に言うと、イリスピリア王家が神の血を引いているかどうかはもっと疑わしい。しかし、豊かな国土を持ちながら歴史上ほとんど戦争らしいものを経験していないこの国の支配者は、神からの力を授かっているのだと言われている。歴代のイリスピリア王の有能っぷりから言っても、人々の間にそういう思想が浮かんでくるのは無理の無い話かもしれない。
 そんな事をぼうっと考えていたシズクの元に、ポニーテールの幼い女の子が走り寄って来たのは、芝居芸人に飴玉をねだる子供達の群れが大分小さくなってきた頃だった。ぽてぽてと可愛らしい足取りで、ベンチに座るシズクの膝元まで来ると、彼女ははしばみ色の真ん丸い瞳で真っ直ぐ見上げてくる。
 「おねーちゃん達にも、あげる!」
 小さな手からシズクの手のひらへと零れ落ちたのは、先ほど芝居芸人から貰ったであろう丸い飴玉が二つ。にいっと無邪気な笑顔を向けられると、こちらまで頬が緩んでしまう。
 「ありがとう」
 笑顔で礼を言うと、ポニーテールの幼女は恥ずかしそうにはにかむものの、すぐに真面目な顔になるとシズクの顔をじっと見つめてくる。純粋な輝きを宿す瞳に曝されて、何故か落ち着かない。
 「?」
 「おねーちゃんのおめめ、とっても綺麗ね。星降りみたい」
 「え?」
 シズクが首をかしげていると、やがて幼女はぱっと笑顔になって、そう告げた。視線はシズクの青い瞳に固定したままである。何をそんなに食い入るように見つめていたのだろうと思っていたが、シズクの瞳を見つめていたのだ。確かに、この瞳は珍しい色をしている。
 「おとといの夜にね、星降りがあったのよ。あたしが生まれるよりももっと前にあったきり、とっても久しぶりの事なんだってママが言ってたの。キラキラしてとっても綺麗だった」
 うっとりと酔いしれるように瞳を細める幼女を見て、微笑ましい反面シズクの笑顔にはどことなく影が落ちてしまう。先日の夜の出来事を思い出すのは、やはりまだ辛い。
 シズクは星降りを直接見たわけではないし、そんなものがある事を、実際それを自分が起こすまで知らなかった。しかし、星降りがどういったものか、イリスの民にとって何を意味するものかはセイラから粗方説明を受けていた。
 星降りは、イリスの夜空を守人が駆けるしるし。悪しきものから町人を守ってくれる『力』が働いているという証なのだ。光が降った翌日には、町人達はお祝い事をするのが慣わしになっている。
 「あたし達を守ってくれる光なんだよ。だから昨日から、人形劇や舞台のお芝居はみーんな『星降り』の事なの。ブームらしいわ」
 今日は平日なのでまだ地味な方だが、休日になるともっと派手な催しが開かれるだろう。商店街には賑やかな出店が立ち並び、人々が詰め掛ける。幼女はそれが楽しみで仕方が無いらしい。まんまるい瞳は好奇心で輝いていた。だが、嬉しそうにはにかむ彼女の顔を見つめていて、シズクの胸だけは、しくしくと痛むのだった。



 「元気ない? シズク」
 母親らしき女性に呼ばれ、去っていく幼女の姿を見送りながら、アリスが言う。闇色の瞳からは、心配の二文字が読み取れた。そんなに顔に出してしまっていたのだろうか。
 「うん。ちょっと、ね……」
 苦笑いで言葉を濁すと、シズクは上空を仰ぐ。太陽はまだ中ごろで立ち止まっているが、青空は鮮やかだった。白い雲との対比が、少し目に眩しい。
 「…………」
 あのポニーテールの幼女は露ほども知らないだろう。あの晩、夜空に光を降らせたのはシズクである事を。そして、暴走したシズクの魔力が、イリスの町を滅茶苦茶にしそうになったという事を。
 人々を守る結界を張っておきながら、同じ魔力でその人達を傷つけそうになったのだ。その対象が、先ほどの幼女であった可能性もゼロではない。自分以外の……例えば母だったら、そんなヘマはしでかさなかったに違いない。
 (だから、こんな魔力――)

 「シズクの力なのよ」

 え? とかすれた声を漏らしてから、視線をすぐ隣に移した。シズクの青い瞳には、凛としたアリスの顔が映る。静かな夜を思わせる彼女の瞳は、先ほどの人形芝居に出てきた闇神(カイオス)を思い出させられた。
 「こんなにも広くて、たくさんの人が生活している町を、守ったのはシズクなのよ。例えそれが、偶然の産物であったとしてもね」
 「アリス……でも――」
 「暴走しかけた魔力を、必死になって抑えてくれたんでしょう? 私には想像できない程、大変な思いをしたと思うの。それでも諦めずに、耐えてくれた。二重の意味で、私達は守られたんだって思ってるわ」
 そう告げてから、アリスは瞳を薄めて微笑む。笑顔なのに、下手をすれば泣き出してしまいそうな危うい表情だった。
 そういえば、魔力が暴走したあの夜以来、アリスとこんな風に二人きりで話す機会が無かった事に気付く。それ以前にしたって、イリスピリア城ではほとんどすれ違いの日々だったのだ。取り残されたみたいで、シズクは不安だった。しかし、それはアリスも同じだったのかも知れない。旅立つことになったいきさつを思うと、心が重くなるが、再びアリスとこうして旅が出来る事を、今は嬉しく思う。
 「ありがとう。そう言われると、少し救われる気がする」
 アリスと同じような泣き笑いの表情になると、シズクは広場をくるりと一瞥して、再び上空を仰いだ。



第6章(2)へ / 戻る / 第6章(4)へ
** Copyright (c) takako. All rights reserved. **