+ 追憶の救世主 +

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第6章「光と闇」




4.

 「光神と闇神の神話を知っているか?」

 店の奥に引っ込んでいたバルガスは、再び姿を現すなりリースにそんな質問をぶつけてきた。
 「神話って……」
 何を当たり前の事を。とリースは思う。光神(チュアリス)と闇神(カイオス)の神話。昼と夜とが交互に巡る世界が出来た訳と、イリスの結界がいかにして作られたかといった物語の事だ。この世界に住むものならば少なくとも一度くらいは絶対に聞いたことがある。常識ともいえるものである。
 「まぁ創世記から派生したものだから、十中八九あれは作り話だな。だが、物語がそこにあるという事は、その根拠になる何かがあったという事だ。……光と闇。この二つが共に拮抗し合う関係である事は紛れも無い事実だ」
 ごとりと重苦しい音をたてて、バルガスが机の上に何かを置いたのは、その直後の事だった。彼が何故急にこんな話を持ち出したのか不思議に思っていたリースだったが、机の上に置かれたものを視界に入れ、眉をしかめる。真っ黒な布にくるまれたそれは、形からするに明らかに剣だった。
 「光も闇も、お互いが存在しなければ存在できない。それなのに、拮抗し合う。闇を抑えるのは光であり、光を抑えるのもまた闇だ」
 するすると、慣れた手つきでバルガスが黒い布を取り除いていく。やがてリースの眼前に現れたそれは予想通りのものだったが、真っ黒い鞘に包まれた剣からは、異様なほどの威圧感を感じる。
 「お前の右腕には、要するに光神が居るようなもんだ。あの剣を手放して、急にそれを全部何とかしろといっても無理な話だ。手も足も出せずに自滅するか、全部回りにぶちまけて破壊させるか。そのどちらかしかない」
 それを分かった上であの剣を手放したのか? とバルガスはしかめ面で言った。
 「…………」
 我ながら随分無茶な事をしたとは思っていたが、こんな風に第三者から言われてしまうと、益々大変な事をしでかしてしまったような気になってくる。だが、それでも――
 「それでも向き合うという覚悟があるなら、この剣を手に取ってみろ」
 脂っこい顔の店主は、急に真面目な顔つきに変わると、リースを真正面から見据えてそう言った。ごつごつした手には、いつの間にか黒い布が完全に取り去られた、例の剣が収まっている。見れば見るほど、異様な雰囲気の剣だ。鞘にはお情け程度に飾りが施されている感じで、シンプルすぎるくらいに真っ黒である。鞘から覗いている剣の柄にしても、簡素なものだ。だが、見た目からはかけ離れた、妙なオーラが放たれているのが確かに感じられた。
 バルガスが持っているのだ。セイラの杖のように、気に入られた者以外が触れたら生気を抜かれるだとか、そんなとんでもない事をやらかす剣ではないだろう。だから触れてもきっと大丈夫。そうは思うのに、手に取るのを躊躇する自分がいた。右手が拒む。いや、それ以上に自分の心が戸惑う。
 「どうしたリース。剣が欲しかったんだろ? それとも怖くなったか?」
 眉を寄せて難しい顔を作るリースを、可笑しげに見つめながらバルガスがまくし立てる。幼い頃から彼のリースに対する扱いは大元のところでは全く変わっていない。こんな風に、子供扱いなのだ。
 「まぁ無理もないさ。あんな事をしでかした力だ。向き合うには酷すぎる。城に帰れ。そして頭を下げて、陛下からあの剣を――」
 リースが半ばひったくるように剣を手にした事で、バルガスの言葉はそこで止まった。右手にずんと重みを感じる。昨日剣を手放したばかりなのに、随分久しぶりに感じたような気がした。
 「だからそれは無理って言ってるだろ」
 眉間に皺を刻めるだけ刻んで、不機嫌そうにリースは言い捨てる。先ほども言った様に、父に頭を下げて剣を返してもらいにいくなど。それだけは断じて出来ない。そんな事をするために、ここに来た訳ではないのだ。
 「……ははっ」
 自分史上ワースト10くらいには入るであろう機嫌の悪さを維持するリースの様子に、バルガスはというと怒ったり怯えたりする事なく、豪快に笑い出した。先ほども説明したと思うが、この男が騒ぐと場の空気が一瞬で変わる。これだけ大笑いすれば、どれだけ陰鬱な空気でも一瞬で乾いてしまうだろう。案の定リースの放つ嫌悪感丸出しのオーラも蹴散らされてしまった。
 「お前がムキになる姿というのも、面白いわな。久しぶりに見た」
 「やかましい。……で? この剣は一体なんだって言うんだよ?」
 「まぁそう慌てるな」
 父親が息子をなだめるように、ぽんぽんと頭を叩かれる。明らかな子供扱いに余計に機嫌を損ねるリースだったが、バルガスがそんな事を気にするはずもなかった。マイペースな動きでカウンターの椅子に腰掛けてから、頬杖をつく。そうしてにんまりと笑んだ。
 「魔石程の力は無いが、神の力を宿す石ってのがある。で、それら貴石を使って武器を作る技術も、大昔には存在していたらしい。今現在はすっかり衰退しちまったがな」
 なんでも、コストがかかりすぎる上に安定して供給出来ないかららしい。そういう貴石は、意図的に掘り出すものではなく、偶然発見される以外、日の目を見ることはないのだ。現代となっては、久しくそういった類の石が発見されていないというのも理由の一つだろう。
 「だけどまぁ、そういう旧時代の代物が稀に市場に出回ることはある。その剣みたいにな」
 「え?」
 「試しに抜いてみな」
 バルガスに言われて、半信半疑のままとりあえず従う事にする。ひんやりとする柄を右手で掴んで、ゆっくりと引き抜いていく。鞘の中から現れた刀身は、鋼色に輝いてはいなかった。全てを吸い込んでしまいそうなくらいに黒い。漆黒の刃。
 「銘は『闇夜の安息』。武器につけるにしては穏やかな名前だけどな。闇神(カイオス)の力を宿した石で作られた剣さ」
 眼前で静かに黒光りする剣を視界に入れて、驚くと同時にどこかで納得している自分が居た。柄を持つ右手から、柔らかい何かが流れ込んでくる。黒い刀身の剣など初めて見る。しかし、不思議と手に馴染んだ。
 ひと月前、オタニアを旅立つシズクに贈られた白みを帯びた棒は、そういえば光神(チュアリス)の力を宿した石から作られたのではなかったか。あの時は誰も信じていなかった事だが、ひょっとしたら彼女の棒もこの剣と同じ部類に入る代物なのかも知れない。そんな事が頭に過ぎった。
 「光を制するのは闇。もし、お前が封印の剣を手放すような事が起これば、これを渡すつもりだった。まさか本当にそうなるとは、正直思って居なかったがな」
 小さく息を吐くと、バルガスは瞳を細める。
 「金はいらないよ。だが、持って行くからには覚悟しろ。いくら闇神(カイオス)の力が篭っているといっても、お前の右腕に拮抗する程強くは無い。せいぜい暴走しそうになるのをギリギリで抑えるくらいのものだ。結局はリース。お前自身がどうにかするしかないんだよ」
 黒い刀身に釘付けになっていた視線は、ゆっくりとバルガスの脂っこい顔へと映る。予想通りリースの視線の先の彼は、厳しい顔つきをしていた。
 「俺はな、リース。闇神と光神のあの伝説は、あながち嘘ではないと思っている。後で取ってつけただけの事かも知れんが、イリスピリア王家が光と闇の加護を持つのは確かだ」

 『右手に父親から授かった光の剣を、左手に母親から授かった闇の杖を』

 神話にある一文を思い出す。あの話の中で、イリスピリア王家はそのような力を持つのだと描写されている。
 「いつの間にか、イリスピリア王家は闇の方の加護をほとんど手放しちまって、今は嫌いさえする状況だが、光は健在だ。そして、それが色濃く出すぎたのがお前だよ、リース。守りを知らず、刃のみ持つ。闇に抑えられない光は危険で脆い」
 だから。とバルガスは言葉を紡ぐ。
 「覚悟して臨め。誰も傷つけるな。そして、おまえ自身も壊れる事はあっちゃ駄目だ」
 「……分かってるよ。なんとかする。絶対ヘマはしない」
 真っ直ぐにそう言ってから、リースは抜き身だった剣を慣れた手つきで鞘に戻す。鞘にしても刀身にしても、旧時代のものとは到底思えないほど、良い状態だった。傷一つ無い。神の力の賜物かもしれないが、それ以上にバルガスがしっかりと手入れしてくれていたのだと確信する。その事に少しだけ頬が緩むも、直後にはカウンター越しに聞こえた盛大なため息のせいで、リースはまたもそちらへ視線を向けることになった。
 「本来なら右腕と向き合う必要なんてなかったはずだ。それが何故、今頃になって向き合う気になった? やっぱりコレか?」
 そう言ってまたもや小指を立てるバルガスに、リースは冷めた視線を送る。剣を渡して、リースの気持ちを確かめても、やはりどこか腑に落ちない所はあるようだ。しかしまぁ、当たり前といえば当たり前か。
 「イーシャ様をあんな形で失ったんだ。そう簡単に向き合う気持ちになれるとは思えないからな」
 軽い調子だったが、いろんなものが含まれた言葉だった。苦笑いしつつも、リースの胸はざわりと騒ぐ。
 あれから8年の歳月が流れている。それでも風化する事なく、母を失ったあの日を昨日の事のように思い出す事が出来た。自分の中で、まだ消化しきれていない部分があるのだと思う。
 「……まぁ、そういうの全部ひっくるめて、けじめを付けたいと思って」
 「逃げてばかりじゃ駄目って訳か。まったく。お前をそれだけの気にさせる人物。一体何者だ?」
 肩をすくめて言ったバルガスの言葉に、今度は軽い笑いだけ放っておく。そうして礼を述べて、店を出る事にした。意外に時間を食った。アリスとシズクは待ちくたびれているかも知れない。先を急ぐ旅だし、アリスにどやされるのも面倒だ。
 「リース王子」
 そんな訳で少々慌てていたリースだったが、出入り口の役割を担う扉に手をかけたところで、野太い声に呼び止められる。振り返り、カウンターの店主の姿を視界に入れた。王子と呼ばれて、嫌な気持ちにならなかったのは、彼がいつになく畏まった風でいたからだろうか。
 「必ず、戻って来て下され」
 真剣な表情でそれだけ紡ぐと、バルガスは恭しく頭を垂れた。主君に仕える家臣のそれだ。二人の立場を考えると、むしろそちらの方が当たり前の光景であるはずだが、彼にこういう態度を取られたのは本当に数える程しか無い事だった。
 しばしの緩い沈黙の後、わかってる。とやんわり告げてからリースは店を後にした。



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