追憶の救世主

topnext

第1章「聖女の面影」



 「――お主は、生まれ変わりを信じるか?」

 それは、過去の記憶を全て取り戻した夜の事だった。夕食を終え、夜風に当たろうと一人小屋を出てきていたシズクの前に、テティが現れた。
 「……生まれ変わり?」
 予想外の言葉に、シズクは目を瞬く。
 「一度死んだ人間が、違う人間として再びこの世に生を受ける事だ」
 それは知識としてシズクも知っていた。人は死ぬと魂のみの存在となり、やがて違う肉体に宿り、再びこの世に生まれるという考え方だ。生まれる前の光景を覚えている人間が稀に居るという話を聞くし、この考えを信仰している者も世界には多く居るらしい。だが、真実なのかどうかは分からない。誰も証明が出来ないからだ。自分が死んだ後どうなるかを、語れる者など居ない。
 「どうだろう。よく分からないです」
 信じたくない訳でも、信じたい訳でもない。おとぎ話にあるように、前世で結ばれなかった恋人同士が現世で結ばれる事があれば、それは素敵な事だと思うが、実際に生まれ変わりがあるかどうかと問われたら、それはシズクには分からない。だからシズクは、思ったそのままの意見を述べる。それは返事とも言えないものだっただろうが、別段テティは不機嫌になる事はなかった。
 「わしにも分からん。本当にあるのかも知れぬし、それは絵空事かも知れない」
 だが。とテティは零す。小屋の窓から洩れる僅かな明かりに照らされた顔は、真剣そのものだった。
 「それに似たような現象は、確かに存在するのだよ」
 今は黒に近い紫の瞳を、真っ直ぐこちらに向けてくる。どきりと、知らず胸が跳ね上がった。
 「尤も、これには血縁関係が伴わなければいけないがな。先祖返りとも言うべきか。――その者の祖先が持っていた能力、特徴、そして時には記憶までをも、受け継いで生まれてくる事がある。リースの場合、初代が宿した『光』という能力を持って生まれたパターンだ」
 「…………」
 そこで言葉を切ると、テティはこちらの様子を窺い見たようだった。シズクがどのような反応を示すのか、探りながら語っているような印象を受ける。対するシズクはというと、ただ静かに彼女の言葉の続きを待っていた。
 「……もう他に、お主にこの件を語れる者がいないから、敢えてわしが語るのだが」
 テティは一瞬迷いを見せたようだった。だが、ゆるく首を振った次の瞬間には迷いは消えていた。
 「お主が生まれ、日増しにシーナに似て行くその姿を見て、キユウは悩んでおったよ」
 「シーナに、ですか……」
 小さく零す。特別驚きはしなかった。なんとなく、そうなんじゃないかなと心のどこかで思っていたからだった。自分の容姿は、シーナに酷似しているらしい。
 「容姿が瓜二つなだけではない。宿す魔力の量も質も、父母のどちらにも似なかった。そのくせ、歴代最高の天才と呼ばれたキユウをも凌ぐ魔力を宿しておった。……そんなもの、シーナのそれ以外に有り得ないだろう」
 夜風が吹いた。森の匂いを含んだ風は、シズクとテティの髪をさらって通り過ぎて行く。
 「生まれ変わりではないだろうよ。だが、お主はシーナの様々な部分をそっくりそのまま持って生まれてきた。言うなればそう、シーナが混じっているのだよ」






1.

 「――りましたよ、シズクさん」
 「え?」
 ぽんと肩を叩かれた事で、シズクはどこかに放っていた意識をすぐ目の前に向けた。数十センチの距離を置いて、闇色の瞳はこちらを見つめている。
 「どうしたんです? ぼーっとして」
 「え、あ。えっと、すみません。……何の話でしたっけ?」
 しどろもどろにそう答えたところで、目の前の好青年――セイラーム・レムスエスは苦笑いを浮かべてみせた。大抵の事ではニコニコスマイルを崩さない彼にしては珍しい。それだけ、シズクの様子がおかしかったという事だろうか。
 「終わりましたと言ったんです。封印の解除を。……ぼーっとするのは僕の専売特許なんですから、役割を取らないで下さいよ」
 言って、セイラは今度は朗らかに笑う。
 ああそうかと、シズクは胸中で呟いていた。無言のままくるりと視線を巡らせると、大きなベッドと毛の長い絨毯が敷かれた落ち着きのある部屋の様子が見てとれる。イリスピリア城内にある、セイラ用の個室だった。
 今朝早くにイリスピリア城に帰還したシズクは、真っ先にセイラに会いに行ったのだ。他でもない、自分に施されている魔力封じの術を解いてもらうためである。早朝であるにもかかわらず、セイラは快く時間を割いてくれた。
 「案外早く出来ちゃうんですね」
 ぼんやりと告げる。セイラの部屋を訪れてからまだそんなに時間は経っていなかった。せいぜい30分かそこらだろう。魔力を完全に封印してしまうような術だから、解除するのにもっと時間がかかると思ったのだが、随分あっさりしたものである。正直なところ、拍子抜けだった。
 「シズクさんの魔力の量を考えると、早すぎなんですけどね。驚くほど魔力と器のバランスが安定していましたから」
 肩をすくめると、セイラはそのように説明してくれる。
 「実を言うと、本当に解除しちゃって大丈夫なのかなと、ちょっと不安だったんですよ」
 それはそうだろうとシズクも思う。星降りを起こした夜に、あれだけシズクの体を痛めつけた魔力だ。たとえ魔女の元へ行き、過去の記憶を全て取り戻したのだと言っても、たったそれだけで何もかもが上手くいくとは、普通に考えて思えない。
 「けれど、取り越し苦労だったようですね。おそらくもう大丈夫です」
 ぽんとシズクの両肩を叩き、セイラは満面の笑みで言った。つられてシズクも笑顔になる。
 試しに、いつも魔法を使う時そうしていたように、己の内部を探ってみた。魔力は確かにそこに存在しており、シズクの呼びかけに答えてくれる。久しぶりに感じる感覚だった。あの晩、暴れる竜の如くシズクの体を突き破らんとしていた魔力の姿は今はどこにもない。触れる事さえためらわれたものに、今は自然に触れる事が出来ていた。
 「……結局、わたし自身の問題だったんですよね」
 呆れるくらいにあっさりと、魔力は自分の手中に帰ってきた。元々自分のものだったのだから、当たり前といえば当たり前の話。要はシズクがそれを受け入れる勇気がなかっただけなのだ。突然溢れ出した魔力に、逃げ腰になったのは自分だった。拒絶された魔力は、行き場を無くして暴走するしかなかった。全てが自業自得という訳である。そう思うと、なんとも情けない気分になる。
 「結果だけを話すとそんな感じですけどね。でも、言う程簡単な事でもないはずですよ。……頑張りましたね、シズクさん」
 苦笑いを浮かべるシズクに、セイラは穏やかに告げる。彼のこの顔を見るのも、随分久しぶりのような気がした。少なくともここ最近は、こんな風に和やかな雰囲気で彼と話をした記憶がない。いつも重苦しい空気が周囲を包んでいたからだ。
 「ひょっとしたら、貴方はもうイリスには戻って来ないかも知れないと思っていました。例え戻ってきたとしても、今みたいに笑っていないのではないかと」
 「わたしも、そう思ってました」
 イリスを発つ時は、魔道士としての自分と決別する気で居たのだ。水神の予言に従う事なんてしたくなかった。大きな物事に巻き込まれる事が怖かった。
 けれど、逃げてるだけの自分の中に芽生えたのは、自己嫌悪と、喪失感だけだった。目をそらしていても、事態は悪くなる事はあっても良くなる事はない。頑張っているのは自分だけではないのだ。自分にしか出来ない役割があるのなら、自分の意思で立ち向かおうと、覚悟する事は出来た。だからシズクは、イリスに戻ってきた。
 「今だって、何一つ状況が良くなった訳じゃないんですけどね。気持ちは結構軽いんです」
 偽りではなく、心からの真実だった。現状を考えると、イリスを発つ前よりも状況は悪くなっているはずなのに、不思議と心の中は落ち着いているのだ。
 「……それを聞いて、安心しました。けれど、あまり無理はしないように」
 言って、彼は少しだけ心配そうに笑う。
 「東部の情勢が悪くなっているみたいですね。シズクさん達がシュシュで巻き込まれたような事件が、いくつかの町で起こっているようです」
 曰く、東部の情勢悪化のために派遣されたガウェイン大臣は、未だにイリスに帰還せず現地で指揮をとっているらしい。魔物による被害も相変わらず続いている。
 「イリスピリアだけではありません。大陸全体で、不穏な空気が流れている」
 「魔族(シェルザード)が関係しているんでしょうね」
 流れから言って、間違いなくそうだろう。シュシュを襲ったのは魔族(シェルザード)達だった。東部を荒らしているのもまた彼らだろう。
 「…………」
 シュシュの町で邂逅した、赤い瞳が頭に過ぎる。
 「これは、まだ公にされていない情報なのですが」
 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはセイラだった。指を組み直すと、彼は少しためらいがちにシズクを見る。闇色の瞳は揺らいでいる。
 「つい昨日の事です。東部の町のいくつかで、一斉に同一内容の落書きが発生しました。それだけだといたずらの域で終わるのでしょうが……時を同じくして、イリスピリアを含むいくつかの大国と4神殿にも、落書きと同じ内容の声明文が届けられたようです」
 「声明……」
 言われて思い出すのは、シュシュの町でリースと共に目撃した落書きである。『我らは破滅を望む』と。魔物騒ぎがあった現場に赤黒い文字でそれは残されていた。魔族(シェルザード)が残したものだった。
 「それで、それはどんな内容だったのですか?」
 ざわりと、胸騒ぎがする。シズクの胸中の不安を証明するように、セイラもまた、深刻な表情を浮かべていた。
 「簡単な文章でしたよ。ですが、決して穏やかな内容ではありませんでした。――石を差し出さぬ限り、破壊は終わらない。ティアミストよ、止められるものなら止めてみるがいい」
 「――――」
 部屋の空気が一気に凍りつく。内容を耳にして、シズクが目を見開いた時だった。部屋の扉がノックされる音が舞い込む。誰かがセイラを訪ねてきたのだ。目配せだけでセイラは、来訪者を入れても良いかどうかシズクに問うてくる。混乱で未だに上手く思考が回らない頭では、頷いて了承を示す事が精一杯だった。



 「シズクちゃん!」
 一体誰がやって来たのだろうと身構えていたシズクは、見知った顔を視界に捉えて肩の力を抜く。姿を現したのは、リサだった。通学前なのだろう、国立学校の制服にしっかり身を包んでいる。金色の髪を揺らすと、彼女は物凄い勢いでシズクの元へ駆け寄って来た。そしてそのまま両腕でシズクを抱きしめる。
 「リ、リサさん!?」
 「おかえりなさい! なかなか帰って来ないから、心配してたのよ」
 耳に届く声は、少しだけ掠れていた。勝気な彼女からは想像出来ないもので、シズクはうろたえてしまう。だが、イリスを出発してから帰還するまでに3週間以上かかっているという事実が頭に浮かんで、それは苦笑いに変わる。当初の予定では、1週間とかからずに帰ってこれるはずだったのだ。
 「ガウェイン氏から、シュシュでの一件の報告は受けてたけど……大変だったわね。でも、元気そうで良かった」
 「リサさん……」
 抱きしめる力を弱めると、エメラルドグリーンの瞳を合わせてリサは笑う。久々に目にしたが、相変わらず壮絶に整った微笑みだった。まさに絶世と呼ぶのに相応しい美貌である。
 「ところでリサ様、僕に何か御用だったんですか? それとも、シズクさんに会いに来ただけですか?」
 二人のやり取りをしばらく傍観していたセイラが、おかしそうに笑いながら告げる。すっかり置いてけぼりをくらっていた彼だが、他ならぬこの部屋の主である。あぁ、そうでした! と慌てた様子で言うと、リサは姿勢をぴしりと正した。
 「もちろんシズクちゃんに会いに来たのも目的の一つですけど、セイラ様に伝言です。……尤もこれは、お父様がネイラスに頼んだ伝言を私が無理矢理奪ってきたものなのですけどね」
 肩をすくめると、次の瞬間にはリサは真剣な表情に変わる。心なしかその中に憂鬱な色が見てとれて、シズクは首をかしげた。
 「お父様が話をしたいそうです。それと……出来ればシズクちゃんも一緒に、って事らしいんですけど……」
 最後の方はほとんど小声だった。歯切れ悪くそう告げると、リサは窺うような視線をこちらに寄せてくる。言われてシズクは、思わずセイラの方を見ていた。セイラもまた、方眉をぴくりと吊り上げながらこちらを見る。
 「さすがに動きが早いですね。行くか行かないかは、貴方次第ですが……どうしますか?」
 このタイミングの良さから言って、さすがにシズクでも、要件が何となく読めてしまう。十中八九、例の声明文に関するものだろう。
 「魔族(シェルザード)は、貴方をあぶり出す魂胆なのでしょうね。ティアミストと、意味深にそのような単語を記されたら、他国もそれが何か探ろうとするに違いありませんから。ですが、無理に貴方が出る必要はありません。嫌ならば無視を決め込めばいい。貴方がそう望むのならば、僕はそのために力を尽くしましょう」
 「そうよ。シズクちゃんが無理する事無いんだから。……皆おかしいのよ、ティアミストだ勇者だって騒いで。シズクちゃんは勇者シーナじゃないのに」

 ――生まれ変わりではないだろうよ。だが……

 「…………」
 突然あの晩のテティの言葉が頭に浮かんで、気づけばシズクは瞳を細めていた。
 「……笑っちゃいたくなりますよね。わたし一人の力で、世界が変わる訳ないのに」
 苦笑いを浮かべるシズクを見て、リサは絶句して動きを止めてしまう。不思議生物でも発見したような表情だった。まあ、ティアミストに関する話となると陰鬱な表情を浮かべていたシズクが、今は軽い調子で笑っているのだ。驚くのも無理はない。
 視線をリサから外してセイラを見る。彼は落ち着いた表情のまま、静かにこちらを見つめていた。
 「……いいのですか?」
 「よく分かりませんけど、要するに石を奪い合おうって事でしょう? ネックレスを奪われた以上、どの道取り返すためにわたしは彼らと対峙しなきゃいけなかったんです」
 難しい事や重苦しい事はシズクにはよく分からない。光だ闇だと言われても、国が絡むような事に担ぎ出される程、自分は凄い人間ではないのだと思ってしまう。だが、シズク個人の事として考えるならば、魔族(シェルザード)の挑発に乗る理由は十分にあった。母をはじめ、ティアミストの魔道士達が必死で守ろうとした物を取り返したい。そして、カロンが言うように、ティアミストと魔族(シェルザード)の間にある浅からぬ因縁に決着をつけるのもまた、シズクにしか出来ない事なのだろう。
 「シズクちゃん……」
 「大丈夫ですよ」
 心配そうに零すリサに、シズクは笑顔を向ける。実際は、大丈夫ではないのかも知れないが、少なくともシズクには目的があった。理由もなく利用されるのと、自分の意思で動くのとでは天と地ほどの違いがある。それに、
 「アリスやリース、セイラさんやリサさんも、付いててくれるんでしょう?」
 一人じゃない。
 湧きあがる不安に蓋を閉めると、強くそう心に言い聞かせていた。



TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **