追憶の救世主

backtop|next

第8章「内乱の種」

3.

 

 ――『石』は持ち去られてしまった。

 

 ワカバが告げた事実に、シズクは僅かに目を見開いた。簡単に見つけられるとは思っていなかった『石』が、わかりやすく遺跡に安置されていた事にも驚いたが、これは予想外の展開である。神殿ゆかりの遺跡が盗掘された、という事なのだろうか。

 「盗掘ではない。いや、やった事自体は盗掘だろうが、その辺の泥棒風情にあの遺跡の封印が破られるとも思えない」

 シズクが心中で思った事を、ワカバはやんわりと否定する。飄々とした雰囲気を纏うワカバにしては、苦い表情を浮かべている。それほど、この事件は彼女にとって一大事という事なのだろう。

 「犯人に心当たりは?」

 「勿論目星はついている」

 リースの質問に、それほど間を置かずにワカバは返答をよこす。若干語気が荒かった。そこから滲むのは、怒りだ。

 「というか、そうとしか考えられない。遺跡を荒らしたのは、ディレイアス王、ホムラの手の者だ」

 ディレイアス王、ホムラ。それは、現在この国を治めている最高権力者だ。だが、ワカバの言葉の中には王を敬うような穏やかな響きはない。むしろ、その真逆だ。親の仇の名を紡ぐかの如く、その権力者の名を告げる。

 「そこまで言うからには、根拠があるって事だよな。というか、噂にたがわぬ暴君具合だな。ディレイアス王は、神殿の物にも手を出すのか?」

 眉をひそめながらリースが告げる。表情からは嫌悪感がにじんでいた。しかし、嫌悪したくなる気持ちももっともだと思う。4神の代弁者たる神子が管理する神殿は、いずれかの国の中に所在しているが、通常国家には属さない。神殿は政治に介入する力はないが、逆に政治から介入させる事も決して無いという、お互いに不可侵な関係である事が長年の常識である。もちろんディレイアスにおいてもそれは同じだろう。神殿の持ち物を略奪したという事は、ディレイアス王はその理を踏みにじったという事だ。

 「……その分だと、リース王子は我が国の現状を理解していると言う事だな」

 「まぁ、それなりには」

 「話が早くて助かる。想像通りの現状であっているよ。ホムラが王になってから、ディレイアスは変わってしまった」

 肩をすくめて、少しおどけたようにワカバが言った。しかし、決して冗談めかした訳ではない。表情に影が落ち、いくばくかの疲労の色を見て取ってシズクはそう悟る。彼女の両隣に佇む二人も、それぞれ深刻な表情を浮かべて黙している。

 「ホムラが即位した時分、私はまだ先代の庇護下にある子どもだった。だから、正確には以前の平和だったディレイアスを知らない。暴君に人民や土地が蹂躙される、今のディレイアスしか知らないのだがな」

 自嘲気味にそうワカバは零す。曰く、彼女が物心ついた頃から、ディレイアス国は神殿にとって厄介な存在であり続けたらしい。政治に不介入を貫くのが神殿の正義だ。だが、世界の均衡を揺るがす存在を見過ごす事が出来ないのもまた、神殿である。ホムラの治世は、明らかに横暴と略奪が蠢くそれだった。人民の命に被害が及ぶのを懸念した先代の神子は、権限を逸脱しない範囲を見定めつつ、国側をけん制してはいた。

 「だが、先代が亡くなり、神子を継承した私はまだ年若い。神子の代替わりを契機に、国側かあからさまな圧力がかかり始めた」

 「結果、神殿の遺跡に手をだすような現状に至るって訳か」

 リースの言葉に、ワカバは頷く。いくら幼い頃から先代の補佐をしていたとはいえ、シズクよりも年下の身で、神殿を束ね、国をけん制する事はかなりの重荷だろう。唇を薄くかむと、ワカバはうつむく。大人びてはいても、そのようなしぐさをする彼女は、年ごろの少女にしか見えない。小柄で華奢な体は庇護欲を掻き立てるものがあった。

 「……だが、おぬし達が現れた事で、少し光明が見えてきた」

 「え?」

 うつむき加減の顔を上げて、鳶色の瞳がシズクとリースをとらえる。その目には、強い決意の光が浮かんでいる。対してシズクは、背中に緊張が走るのが分かった。

 「私が、神下ろしの儀を行った理由には、二つある」

 神下ろしの儀とは、昨夜シズク達がエラリアから飛ばされた儀式の事だ。エラリアの魔法陣から、ディレイアスの魔法陣へ、ひとを召喚する類の魔法である。ディレイアスに危機が迫った時のみ行って良いとされていた儀式だと、昨夜ワカバ達からそう説明を受けた。その儀式が実際行われたというのだから、ディレイアスには危機が迫っているという事なのだろう。

 「一つは、遺跡の封印が破られ、神具である腕輪がディレイアス王によって略奪されてしまったからだ。それだけではない、新生ファノス国が興り、かの国は世界を相手に宣戦布告をした。そして……ディレイアスは、ファノス側につく」

 凍てついた氷のように冷たい声で、ワカバは述べる。その内容に、シズクは小さく息をのんだ。西の果ての大国であるディレイアスが、ファノス側につく。昨夜、リースが述べていた予想そのままの事態である。隣にいるリースを見ると、端正な横顔には厳しい表情が浮かんでいた。当たっては欲しくない予想だったのだろう。

 「それは、確かな情報なのか?」

 「13年前の紛争で、ホムラは魔族(シェルザード)に魂を売り、王座を得た。魔族(シェルザード)が興した国に、従わぬ訳がないだろう? 明日にでも世界に向けて声明を上げるだろう」

 信じたくはない話であるが、雷神の神子が言うのだから、それは確かな情報だろう。

 「ファノスが戦争を仕掛けて、世界中の国々は今、どう動くべきなのか慎重に見定めている。もちろんイリスピリアやエラリア側に多くの国が付くだろうが、ファノス近郊の力の弱い国々は、ファノス側につかざるを得ないだろう。そして、ディレイアスがファノス側につけば、西の周辺諸国の事情も異なってくる」

 「ディレイアス周辺の小国は今や、半ばディレイアスに組み込まれているような状態だしな。大陸の北東に位置するファノスと、西のディレイアスに挟まれると、イリスピリアは身動きがとりづらくなる」

 「そうなろうな。このままだと、ディレイアス周辺の国もファノス側に回るだろうし、参戦せずとも、ディレイアスの軍隊の通行を許す国が増える可能性がある」

 ワカバとリースが語り合うほどに、応接室の空気が少しずつ重力を増していくような気持ちがした。シズクは戦争を知らない。だが、故郷を焼かれたり、シュシュで多くの町人が傷いたりする様を見て知っている。戦争とは、要するにあのような事があちらこちらで起こる事なのだろう。その苛烈さは、対立するもの同士が同格であればあるほど増す事もまた、知っている。ディレイアスがファノスにつくという事は、そういう危険をはらむものだ。

 「そして……二つ目の理由だが。ディレイアス王から、私が再三にわたって要求されている事がある」

 一同沈黙したところに、やや間をあけてからワカバが再び口を開く。

 「要求?」

 オウム返しのように言って首を傾げたシズクに、ワカバは未だ厳しい表情のまま頷く。暴君と言われるホムラ王が、雷神の神子にする要求なんて、きっとろくでもない内容に違いない。一体どのような内容なのだろう。

 「――シグレの引き渡しだよ」

 ぽつりと零し、ワカバは隣に佇む精悍な顔立ちの少年へと視線を向ける。シグレとは、この美丈夫の事で間違いがないだろう。先ほどそう紹介されたのだから当たり前だ。そういえば、彼は今日の話に関わる。ともワカバは告げていた事を思い出す。

ディレイアス王が、シグレの引き渡しを迫っている。どうやらそういう事らしいが、シズクには少しも事情が呑み込めなかった。王が求めるこの少年の正体が全く想像できないからだ。

 「シグレ様は、ディレイアス王ホムラの腹違いの末弟なのですよ」

 「え?」

 疑問符がいくつも浮かんでいるシズクとリースに、解答をくれたのはアサヒだった。しかし、予想外の答えに、二人同時に声を上げて、アサヒとシグレを交互に見る。視線の先で、シグレは黙したまま、ただ静かに前を向いている。ホムラ王の末弟という事は、彼はこの国の王族という事だ。しかし、そのようなやんごとなきお方が、何故神殿に居るのだろうか。

 「13年前、先王が崩御してホムラが王位を奪う際、あやつは継承権が自分より上だった3人の兄を殺している。更に、自分の地位を脅かす可能性のある、3人の弟達にも容赦なく手をかけた」

 「末弟のシグレ様は当時まだ3歳になられたばかり。ホムラ王は、そんな幼い弟も迷いなく殺そうとしました。……手が伸びる事を予感したシグレ様の母君が、命がけで王宮から彼を連れ出し、難を逃れたのです。以来、シグレ様は雷神の神殿が匿う事となりました」

 次から次へとわいてくる疑問に、ワカバとアサヒはあっさり回答をくれる。しかし、語られる内容は、まるで遠い異国の物語のようだった。彼女たちがあまりに淡々と話すせいなのかもしれないが、事実と認識するには酷く残酷で、現実味がわかない。けれど、その表情に宿る深刻さをみるに、これは実際起こった事なのだろう。

 「シグレの所在をホムラに悟られぬよう、神官の一人として育てられていたのだが……どうやら神殿内部にもホムラの手が伸びていたらしい。情報が漏れた」

 どこからか、自身の末弟が神殿に匿われている事を知ったホムラ王は、神殿に引き渡しを迫ったのだという。要求は日増しに強くなり、強引になっていく。そしてやがて、取引を持ち出すくらいにまでなる。

 「遺跡の神具である腕輪の返還に応じる代わりに、王家の人間であるシグレの身柄の引き渡しを迫られている。これが、現在の簡単な状況だよ」

 ひと際深刻な声色で、ワカバは言った。

 神具の腕輪とは、昨夜シズク達が転移した遺跡に安置されていた物の事だ。賊が盗んだ代物をディレイアス政府が討伐して回収したとの説明だったらしいが、十中八九ホムラ王の自作自演だろう。分かりやすい嘘を堂々と語り、隠そうともしない上に悪びれない。ホムラ王は、神殿が逆らえない事を知っているのだ。

 「神殿は、政治に不介入だ。故に、シグレを本来あるべき王宮へ帰還させる事を、拒む立場にはない。だが、シグレを王宮に帰せば間違いなく王は彼を殺すだろう。そう思い、これまでなんとか要求を跳ねのけていたのだが……」

 「神具を守る事は本来神殿の務め。神具を放棄してまでシグレ様を匿うには、それ相応の理由が必要です。ですが、シグレ様はディレイアスに残された最後の希望のようなもの。どうにかならないものかと考えあぐね、最終的にワカバ様は、神下ろしの儀を執り行う事を決定されました」

 それが、ワカバがあの儀式を執り行った二つ目の理由。神の力を請うて、事態の打開をはかれないかと考え、儀式を行った。というのは建前で、要するに藁にも縋る思いだったという事だ、とワカバは語る。

 「結局儀式で現れ出たのは、神様やら大いなる力やらでもなく、俺たちだったという訳だけど。ワカバ達からすれば、目論見が外れたのもいいところだろう?」

 「確かに目論見は外れたが、そう悪い事でもなかった」

 「?」

 「なにせ、私の前に現れたのは、世界を救済した勇者の末裔とその後の世界を支えた賢王の末裔なのだからな」

 それまで眉間にしわを寄せ、厳しい表情を浮かべていたワカバだったが、そう告げた彼女はどこかホッとしたような顔をしていた。対するシズクはというと、ワカバが放った意味深な自分達の肩書に、妙な危機感を覚える。『石』の話を聞く事が今日の主題だったと思っていたのだが、ワカバ達にはそれ以上の目的があったように思えてならない。何か、とんでもない事に巻き込まれそうな予感はあった。





BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **