追憶の救世主

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第8章「内乱の種」

2.

 「……あの二人の客人は誰なんだ? ワカバ」
 応接室の扉をくぐり、雷神の神子に向かってシグレは口を開いた。テーブルの一番奥に座した彼女は、グラスに残ったお茶を飲み干しながらこちらを向いた。まだ年若いが、幼いころから先代の補佐をしていたワカバは年の割に落ち着いていた雰囲気を纏う。先代から任を引き継いだ今、それにより拍車がかかっているなと思う。感情を宿さない瞳をこちらに向けたまま、彼女は何も言わない。立ち話もなんだから、とりあえず座れという事なのだろう。
 「――青の聖女と、光の王子」
 「え?」
 座したシグレを見届けたのち、ワカバが不意にそのような事を言った。意味深な単語に、思わず声を上げる。意味が分からない。思った事をそのまま、シグレは表情に出した。それを見て、目の前の雷神の神子は、鳶色の瞳を切なげに細めた。
 「あの二人、今のディレイアスを知り、どう動くかな」






 アサヒに案内された部屋は、応接室からさほど遠い場所ではなかった。神殿は広い。自分たちが今どのあたりにいるのか、皆目見当もつかないが、通されたゾーンは、客人を泊める為の部屋が連なる場所である事は確かだろう。簡素だが、最低限の事は不自由ないくらいの施設が整えられている。部屋には個室が4つあり、真ん中に簡単な会議くらいはできそうな広さの談話スペースが設けられていた。好きな部屋を使って良いと、施設の簡単な説明をしてからアサヒは部屋を後にする。と同時に、談話スペースのソファに座り込んで、リースが大きなため息をついた。疲れが多分に感じられるその姿に、シズクは苦笑いした。しかし、彼の気持ちもわかる。シズクもまた、目まぐるしい一日の出来事に、疲れ切っていた一人なのだから。
 「――で。これからどうするか、だよなぁ」
両腕を頭の後ろに組んで、リースは呟く。リースの向かいに腰かけてから、シズクは首をかしげる。
 「これからどうするって……石を探すんじゃないの?」
 何を当たり前の事を。と思う。パリス王の暗号から、ディレイアスに『石』があるのはほぼ確定だろう。事故とはいえ、飛ばされてしまったからには、やるべきことをしなければ。リースも先ほど、雷神の神子に自分達の目的をそう話したはずだろう。
 「もちろんそうだけど……。パリス王の頃はどうだったか知らないけれど、俺が知っているディレイアス国は、色々と問題がある国だから」
 「え?」
 険しい顔でリースは息をつくと、エメラルドグリーンの瞳をこちらに寄こしてくる。世界情勢にあまり詳しくないシズクには、彼の言葉の意味する事がくみ取れない。問題がある国とは、どういう事なのだろう。
 「13年前の紛争があっただろう? あの時、当時のファノス国から始まった争いは大陸の東西に延びた。もちろんここ、ディレイアスにも」
 もともと険しい山岳地帯が国境を形成しており、他国の情勢にあまり左右されず、独自の治世を保っていたディレイアスだったが、13年前の紛争では、話が違ったらしい。人同士の争いは広がり、山を越えてこの西の果ての国にも及んでしまった。
 「階級意識が強いこの国で、珍しく王位をめぐる争いが起きた。地位の差は、話し合いなんかでは覆せない。それがこの国のルールだ。結果、王族同士の殺し合いが続いて、最終的に、現在のディレイアス王が王座についたって話だよ」
 王座をめぐる争いで、王族同士が殺しあった。あっさり告げられた内容だがしかし、それがおとぎ話ではなくこの地で実際に起こったという事に、体が冷えていくのを感じる。
 「殺し合いの果てに王座についた人物って事は、ディレイアス王は、温和な王様な訳ないよね……」
 「温和どころか、その真逆をいく人って話だぞ。あの紛争で、ディレイアスはすっかり変わってしまった。……俺は昔のディレイアスを知らないから、これはネイラスからの受け売りだけど」
 大昔から、ディレイアスは閉鎖的で他国とあまり関わらない国ではあった。けれど、決して敵対的だった訳ではない。それなりの距離感を保ち、互いに尊重と尊敬を持ち寄って、お互いの平和を脅かさないよう、歴代の王族は国を導いてきた。それが、現王の代になって、制御が利かなくなった。表立って争いごとこそ起こさないが、周辺の小国の土地を秘密裏に蹂躙するような行為は、度々起こしているのだという。国内に対しても、かなり厳しい圧制を敷いているという噂。噂でしかないのは、現王に代わって以後、世界の主要国の話し合いの場に、ディレイアス国王が出てきた事は一度もないからだ。
 そこまでリースに説明してもらって、シズクにも事態が少し飲み込めてきた。要するにこの国は、イリスピリアやエラリアのような国とは違うのだろう。シズクが普段常識として認識している事すらも、この国では事情が異なる可能性があるかも知れない。
 「これは完全に俺の予想だけど。ディレイアスは今回の戦争で、ひょっとすると、ファノスにつくんじゃないかと思ってる」
 「え!?」
 ファノス国に? リースの言葉が一瞬信じられなかった。だって、ファノスは今や魔族(シェルザード)の国になり、世界中を敵に回して動乱を巻き起こしつつある国ではないのだろうか。
 「……世界を滅ぼそうとしている国の味方につく国なんてあるの?」
 「それは、俺達側の理屈だろう?」
 シズクの言葉に、ゆるく息をついてからリース。彼の言葉に、シズクもあ、と声を漏らす。
 「世界を滅ぼす。確かに俺達が認識している魔族(シェルザード)の目的はそうだ。彼らは6神の『石』を求めている訳だし。それらを集めた結果、世界にとって重大な影響を及ぼす『何か』を生む可能性が高い。けれど、そんな事を認識している人間なんて僅かだ。今後イリスピリアは『石』の事を公にするかもしれないけれど、信じるも信じないも、その国それぞれだろう。それに、『石』を探しているという立場なのは俺たちも一緒だ。場合によっては、逆に俺達が『石』を集めて何かを企んでいる側だと捉えられる可能性だってゼロじゃない」
 いわれてみれば、そうなのかもしれない。自分達は今までの旅で、魔族(シェルザード)達がやろうとしている事や、集めているものについて自然と情報を得ていた。イリスピリア王やエラリア王ももちろんその情報に通じているが、2国内の人民の多くはおそらくそんな事は知らない。他国に至ってはいわんや、である。他国の指導者層がこの事実を把握したとして、それぞれの立場によって見解は分かれるのかも知れない。
 「ディレイアス王は、13年前の紛争で権力を得たんだろう? セイラの話が本当だとしたら、そこに魔族(シェルザード)の息がかかっていても、おかしくはない」
 13年前の紛争は、魔族(シェルザード)が暗躍していた可能性が高い。それは、昨日セイラから知らされた事だ。長年稜々とした山脈が防御壁の役割を担い、他国の争いごとが入り込みづらかったディレイアスで、この時ばかりは王族同士の殺し合いレベルの争いが巻き起こった。争いごとは明確な目的の元に、誰かが持ち込んだものかもしれない。最終的に権力を勝ち取った現ディレイアス王の裏に、魔族(シェルザード)側の介入があったとしてもおかしくはないだろう。でも、という事は、だ。
 「要するにこの国って、今のわたし達の立場でうっかり入国してしまうには、かなり危ない国という事?」
 「そういう事」
 シズクの導き出した結論に間違いはなかったようだ。肩をすくめるとリースは息をついた。
エラリアの魔法陣に隠されていた次なる『石』の隠し場所がディレイアスと知って、リースは思ったらしい。ややこしい事になった、と。
 「正直、俺たちが飛ばされた場所が王宮周辺じゃなくて良かったよ。最初に会った人物が神殿の関係者だったって事も、この国で遭遇する人種の中では一番安全だった。あの神子達の反応からして、こちらに敵意があるようには見えなかったしな」
 もしあの魔法陣が雷神の神殿ではなく、ディレイアスの王都に設けられていたとしたら、今のように居心地の良い部屋で、二人でのんびりと話など出来ていなかったかもしれない。ディレイアス王の人となりは勿論知らないが、リースの物言いからして、そう考えるのが妥当だろう。パリス王の采配に改めて感謝する。そして、事故とはいえ、考えなしに魔法陣に飛び込んだ自分自身の行いが、かなりリスクの高い事だったのだと、静かに反省する。
 「そんな訳だから、エラリアからすぐに応援は来ないんじゃないか? 神殿経由で何らかの情報共有は出来るかも知れないけれど……」
 なるほどなとシズクは思った。アリスはあの後、おそらくセルト陛下に正確な状況を報告してくれているだろうが、ディレイアス国の状況を鑑みるに、エラリアが表立って動くかというと、難しいような気がする。下手に動けば、シズクとリースの立場が危うくなる可能性もあるし、『石』の在処を魔族(シェルザード)達に示すようなものだ。
 「なんにしても、しばらくは俺たち二人で動かないといけないだろうな」
 この広い国を、二人で。リースの告げた内容に、軽くめまいを覚える。エラリアでも、アリスとリサを含むたった4人で『石』探しをしたが、あの時と今とでは状況に雲泥の差がある。ここディレイアスでは、土地勘もなく、知り合いと呼べる存在もいない。不安でないと言えば嘘になる。けれど、不思議と悲観的な気持ちにはならなかった。一人で飛ぼうとしたシズクを捕まえてリースが一緒に飛んでくれたお陰だと思う。
 「リースが居てくれて、本当に助かったなと、今回ばかりは心の底から本当にそう思うわ」
 「……なんだよ、改まって。気持ち悪いな」
 しみじみと告げるシズクの言葉を受けて、リースは怪訝そうに眉を寄せる。
 「いや、冗談なんかじゃなくて本心よ。わたし一人じゃ絶対危なかった」
 リースの語った現在の自分達の状況は、決して楽観できるものではなかったが、不幸中の幸いなのは隣に彼がいてくれる事だ。目まぐるしく移り変わる状況に、ただ混乱していたシズクとは対照的に、リースは冷静に物事を見てくれている。
 「まぁ、確かに」
 真面目な顔であれこれ考えているシズクを見て、リースはやや表情を崩す。
 「これに懲りて、一人きりで飛び出したりなんてするなって事だよ。今回ばかりは、俺としてもシズクを一人で行かせなくて良かったって、割と本気でそう思ってるから」
 「う……反省しています」
 やんわりと先ほどの己の行いに対する忠告を入れられて、シズクとしては素直に頭を下げるしかなかった。そんなシズクの態度にリースは満足したように笑う。アリス達にもあとで謝れよ。と告げると、大きく息を吐いてソファにより深く身をうずめた。疲れているのだろう。今日起こった出来事を思うと当たり前の話だ。加えて、現在時刻は深夜を遥かに回っている。いい加減床につかなければ、睡眠の時間が確保できなくなる。
 「とりあえず、色々考えるのは雷神の神子の話を聞いてからだな」
 リースのつぶやきに、シズクは静かにうなずいたのだった。






 睡眠時間の割に、翌朝は早めの時間に目が覚めた。睡眠不足気味の目をこすりながら窓際に歩みよると、そこには夜闇の中ではよく見る事の出来なかった雄大な風景が広がっていた。山岳地帯とは聞いていたが、シズクの知る山は一般的になだらかで緑が生い茂るそれである。対して、ディレイアスの山々は「険しい」の一言だった。先端が刃物のように尖った山々のところどころに黄土色の岩肌が露出しており、山の上部には緑はまばらだ。それだけ高度があるという事なのだろう。山の境目には、清涼な運河が朝日を受けて濃い青色の光を反射していた。神殿のあるここら一帯は谷になっているらしく、わずかに広がる平地に身を寄せ合うように小さな集落が築かれている。集落や町同士の交流には、あの猛々しい山を越える必要がある。やはり、厳しい環境なのだろう。あらためて、自分が見知った土地とは異なる場所にいるのだと実感する。
朝食は、アサヒが談話スペースまで持ってきてくれていた。神殿の朝は早い。早朝から神官たちが集い神への祈りをささげたのち、年の若い者たちが中心となって清掃が始まる。先ほどから扉の向こうが何やら騒がしかったのは、どうやら清掃時間であるかららしかった。ワカバからの呼び出しがあったのは、清掃の音も落ち着いて、シズク達も朝食を食べ終えた頃だった。昨夜と同じ応接室に赴くと、朝の礼拝を済ませた直後なのだろう、普段より正装に近い格好でワカバが座っていた。黄土色を基調として、金糸がところどころ織り込まれた神官衣を纏う彼女は、年齢より幾分年上に見える。そんなワカバの隣に佇む人影を見つけたところで、シズクとリースは二人同時に目を見張った。こげ茶色の髪の毛に、ミール族の特徴である褐色の肌と鳶色の瞳。凛々しい雰囲気を纏う少年は間違いない、昨夜、自分達と入れ替わりで応接室に入った人物だ。彼も同席するという事か。
 「昨夜はよく眠れたかな?」
 席に着くシズクとリースの二人を見つめて、ワカバが告げる。
 「はい、もちろん。急な訪問にも関わらず、お部屋を頂いてありがとうございました」
 お世辞でもなく、これは事実だ。寝入る時間は遅かったが、神殿が用意してくれた部屋は清潔感があって過ごしやすかった。ここのところ、王城の豪華な部屋で寝泊まりする機会が多かったが、宿泊のみを目的として作られた神殿の客間の方が庶民気質のシズクとしては落ち着いて過ごす事ができた。笑顔でそう礼を述べると、それは良かったとワカバは笑った。アサヒが淹れてくれたお茶は、昨夜と異なり、淡い緑色の温かいものだった。湯気が立ち上るとやや渋みのある新緑を思わせる香りが広がる。それらが全員分配られて、ひと心地ついたところでワカバが再び口を開いた。
 「話をする前に、彼を同席させる事を了承してもらえないだろうか。この少年はシグレという。幼い頃から神殿で育った身で……まぁ要するにわしの幼馴染のようなものだ」
 隣に座る美丈夫に視線をやって、ワカバはそう彼の事を紹介した。改めてシグレを見るが、昨夜すれ違った時とは違い、日の光の元で見る彼はいくらか柔らかい雰囲気を宿していた。とはいえ、外見を裏切らず寡黙なたちなのだろう。軽く会釈するのみで、シグレは言葉を発しない。
 「不愛想なのは許してくれ。特殊な出自故、警戒心が強くてな。今日の話に関わるだろうから同席をお願いした。構わないだろうか」
 許可を求める割には、まるでそれは決定事項のような物言いだった。リースはエメラルドグリーンの双眸を細め、やや警戒するような表情を浮かべたが、雷神の神子が同席を許す人物だ。悪い人間ではないだろう。問題ないと告げて、了承の意を示した。満足そうに微笑んでから、ワカバは注がれたばかりのお茶に口を付けた。シズク達もそれに倣う。多少苦みはあるが、夏風のような爽やかさが口内に広がり、飲みやすい味だった。
 「さて、昨夜の話の続きだが……おぬし達は神の力を秘めた『石』を求めているのだったな」
 ワカバの問いかけに、シズクとリースはほとんど同時に頷く。
 「ディレイアスにあるとされる『石』の件、一つだけ心当たりがある」
 予想された言葉だった。昨夜ワカバ自身が呟いたものなのだから当たり前である。そしてそれは、おそらく今日の会話の本題ともなる事柄でもある。
 「神下ろしの儀を行った遺跡があるだろう。あそこには、普段は封印が施してあり、めったな事では人が立ち入らない。その中に、神具の腕輪が安置されていた。その腕輪に飾り付けられていた『石』は、神の力を持つ魔石と伝わっている。人の手には渡ってはならない。触れれば神の裁きが下りると、長年伝わっている」
 それだ、とシズクは直感で思う。だが、ワカバの言葉の一節が引っかかる。
 「安置されていた。という事は、今はもう無い、という事なのか?」
 シズクと同じ疑問に行き着いたのだろう。リースが比較的落ち着いた声色でそう告げる。彼とシズクの視線の先で、ワカバは鳶色の瞳を細めると、ゆっくり頷いた。
 「左様。数日前に遺跡の封印が何者かに破られ、『石』は持ち去られてしまった」






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