追憶の救世主
第7章 「月夜の来訪者」
7.
そう、それは確かに人間と似たような姿をしていた。
ただし、大きさは普通の人間の4分の1にも届かない。話に聞くドワーフよりも遙かに小さいのだ。ざっと見たところ、シズクの手のひらの大きさよりも少しだけ背丈がある程度だった。推定20センチ。背中に薄透明な羽が生えている事からして、妖精と言ったほうが良いのかも知れない。
体長を無視すると、それ……いや、『彼女』は誰もがうらやむ理想的な外見を備えていた。
くるぶしまで届く美しい蒼髪に、サファイアをそのまま閉じ込めたかのような青い瞳。どちらかというと艶っぽい雰囲気のする容姿で、所謂グラマラスな体形からは、長い手足がしなやかに伸びていた。いかんせん、体長が体長なだけに『妖艶な美女』とは言いがたいのがたまに傷だが。
衣装も妖精を彷彿とさせるもので、やけに露出が高い。色は見事に青系列で統一されていた。全身まさに青だらけ。これが水の妖精ですよ。と紹介されてもそのまま信じてしまいそうなくらいだ。
いやしかし、彼女は妖精などでは無いのだろう。先ほど自身の事をこう呼んだのだから。
「……偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)!?」
えぇぇぇぇ! とセイラ以外のその場の全員が、夜中だという事も忘れて素っ頓狂な声を上げた。突然現れた小さな生き物の名に、唖然とする。
偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。それは、水神の神子が持つ神の力を宿した伝説の杖の名だ。意思を持つ聖なる杖というのは有名な話だったが、いやしかし、そんな馬鹿な。
『そ。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。長ったらしいからリオって呼んで頂戴』
一同の顔を一瞥すると、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)、こと、リオはにっこりと微笑んだ。しかし、こちらとしてはまだ気が動転している。
「う、嘘だ! 杖がしゃべる訳無い! ましてやこんな虫みたいなサイズで登場するなんて! 俺は認めねーぞ!」
混乱気味の様子で、リースがわめき散らす。普段皮肉屋で、でも言う事は結構冷静な彼らしくない言葉だった。
しかし、シズクにしても心の中は彼と全く同じ状況だった。目の前で口をぱくぱくさせているアリスにしたってそうだろう。リースは、シズクとアリスの心の叫びも一緒に代弁してくれたようなものだ。
この目の前の妖精チックな人間が、かの伝説の杖だというのだろうか? とてもじゃないが、信じられない。
『虫とはなによ! しっつれいね! 心の声でもあんた達と会話は出来るけど、こうして姿を現した方が話がしやすいと思ったのよ!』
しかしリオは、大層心外だといった様子でふんぞり返ると、頬を膨らませつつ言った。なんて表情豊かな杖なのだ。
「セイラ! お前、こいつの持ち主なんだろ? 何とか言ってやれ!」
悲しい事に、リースはリオの言葉は全く耳に入っていない様子だった。混乱ついでにセイラに話を振ると、彼の方に身を乗り出す。
対するセイラなのだが、彼はさすがだ。リオが目の前に登場したその時から、一つも表情を崩さずに、いつもと全く変わらない様子だったのだから。
セイラは乗り出してくるリースとしばし目線を合わせていたが、リオを一瞥し、うーんと唸ると、こうのたまった。
「そうですねぇ。今まで、リオの声なら聞いたことがあったのですが……まさか、人型になる事が出来たとはねぇ。知りませんでしたよー。はっはっ」
「落ち着きすぎだ!」
リースのそんな突っ込みが飛んだ。
『んふふ。この姿はとっておきだからね。なんせ500年ぶりよ』
二人のやりとりをおかしそうに見つめながら、伝説の杖はとんでもない事を言ってのける。500年という年月に、シズクは一種の眩暈を覚えた。
それだけの時間、姿をさらしていなかったという事は、彼女(と言って良いかもよく分からないが)は一体どれくらいの時を生きてきたのだろうか。想像も出来ない。
「本当に……偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)なの?」
えらく楽しそうに笑うリオに、恐る恐る問うたのはアリス。その質問にリオは笑顔を中断させると、青い髪をなびかせてくるりとアリスの方を向いた。
『……えぇ、そうよ、アリシア・ラント。私は偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。世界の始まりから今までを見てきた者。あなたとセイラの出会いも含めて全てを、ね』
「…………」
そう言うと、リオはにやりと意味ありげに笑う。対するアリスは、まるでまずい事を言われたかのように眉間に皺を寄せて難しい顔を作ってしまった。
『リース・ラグエイジ! あなたも落ち着きなさい。いずれは親の後を継ぐ身なのだから、いい加減少しは大人になったらどうなの?』
「な――!」
言われてリースも、黙った。まるで幼い子が親にしかられた時みたいにふてくされて。
アリスに対してといいリースに対してといい、その物言いから、どうやらリオは二人についてシズクの知らない事もたくさん知っているような感じだった。今まで二人の成長を見守ってきたかのような口ぶりで彼らに語りかける。おそらくそれは、セイラと共に年月を過ごしてきた証。
――彼女は、紛れも無くセイラの杖、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)なのだ。
『そして……』
言って、リオは呆然としているシズクの方を振り返った。宝石のような瞳と視線がぶつかると、どうにも落ち着かない。
『――シズク・サラキス』
名を呼ばれて、胸を射抜かれたような感覚がするのは、何故だろう。
『私を武器としてぶんぶん振り回してくれた人間は実に久しぶりね。さすがはあれの血を引くだけあるわ。あなたの母のように落ち着いている人間ばかりだったら苦労はしないのに……ティアミストの者は血の気が多くて困る』
「――――」
リオの一連の言葉に、シズクの頭の方はというと、処理が全く追いついていかなかった。
さり気なく武器として使用された事を抗議したと思ったら、誰だか分からない人の血を引くと言われ、シズクも覚えていない母の人格の事に触れたかと思ったら、今度は訳の分からない単語が飛び出した。
「――ティアミスト?」
思わず声に出す。聞いたことが無い単語だった。
『……やっぱり、覚えていないのね』
シズクの様子を確認して、リオが残念そうにため息を零した。
シズクにしてみたら、なんだか自分が悪い事をしたようで動揺してしまう。覚えていないとは……どういう事なのだろう。
ちらりと周囲をうかがい見たが、リースとアリスはシズク同様、怪訝そうな表情を浮かべて首をひねっていた。唯一セイラだけは真剣な顔でこちらをみつめている。
『あなた、その瞳の色と同じ人間に、今まで会った事がある?』
リオはすっと双眸を薄めると、シズクの青い瞳を指差し、言った。
「瞳……」
オウム返しのように呟いて、シズクはリオの指先を見つめる。
そして確認する。同じ色の瞳をした人間になんて……会った事が無い、と。
自分の瞳は不思議な色をしているのだ。一見ただの青色なのに、周りの誰とも一致しない不思議な色彩を帯びている。親友のアンナに言わせると、感情の起伏によって深い青色に見えたり明るい水色に見えたりするらしい。極たまに、紫色にも見えたことがあるとも語っていた。
幼い頃から不思議でたまらなかった。何故自分だけが? と思い、悩んだこともあった。同じ色の人間を求めて、人に会えば瞳の色ばかり確認してしまう癖も付いた。それでも結局、同じ色をした瞳の人間には出会った事は無い。ただ一人、自分の母を除いては。
『無いでしょう? その色はね、ある一族だけに現れる特殊な色なの。そう、ティアミストの一族にだけ』
「ティアミストの一族?」
長年探し続けてきた問いに対する答えを貰えたのに、すっきりしないこの気持ちはなんだろう。ティアミストの一族。それが何の一族なのか、自分には分からない。
「なんだよその、ティアミストって」
リオの背後からリースがもっともな質問をした。その言葉に、瞳だけでリースの方を振り返り、伝説の杖は薄く笑う。不思議な笑みだった。まるで、幼い子供に秘め事を語る老人のような、それでいてどこか妖艶な笑み。恐ろしい事を告げられる前触れのような心境だった。いや、実際とんでもない事を告げられてしまうのではないだろうか。
くるりとこちらに戻されたリオの視線を受けて、シズクの胸は大きく鼓動を打った。
『やっぱりあなた達は何も聞かされずに育ったのね』
残念そうに肩を落とすリオだったが、
『でも、それでもこうして出逢うべくしてちゃんと出逢えている』
と嬉しそうに言って、机の上に座り込んだ。座り込むといっても、彼女は小さいので、視線の高さはほとんど変わらないのだが。
『ティアミストの一族――それは、長い歴史を持つ魔道士の一族の事よ。全員に会った訳じゃないけれど、私は歴代の多くのティアミストに会ってきた。彼らの誰もが、多少の力の差はあれ偉大な魔道士達だったわ。莫大な魔力と器を持ち、世界の全ての魔法を使いこなす』
壮大な物語を語るような口調で、リオが言った。
しかしその内容に、シズクは自嘲気味に笑うしか出来なかった。
歴代の誰もが偉大な魔道士。その話が本当で、シズクが本当にその一族の一員なのだとしたら、とんだ出来損ないが居たものだ。
世界中の魔法を使いこなすには、自分には魔力が、圧倒的に足りない。
『そんな事はないわ、シズク――』
突然のリオの言葉に、シズクの心臓は飛び上がった。ひっと小さく悲鳴を上げて彼女を見ると、リオはサファイアの瞳を楽しそうに薄めて笑っている。
心の中で思っただけだ。口になど出していない。それなのに何故、彼女は自分の考えている事に返答を返せたのだろう。
様々な疑問が胸の中に溢れたが、リオの瞳を見つめているうちに、シズクは落ち着いてきた。
(……あぁ、そうか)
そして驚きつつも、シズクはなんとなく納得する。
今目の前に居る彼女は、意思を持つ杖、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)なのだ。元々は意識の世界だけで人と会話が出来てしまう存在。触れただけでその者の全てを読める存在。だから、人の心を読むことなど朝飯前なのだろう。
『あなたは忘れているだけ。その内に秘めた膨大な魔力を。あの時言ったでしょう? ――気付きなさいと』
「…………ぁ」
悪戯が成功した子供のような笑顔を見せるリオを見て、シズクははっとなった。
「あの時の!?」
『そう、エレンダルの城で魔物に囲まれている時、私は何度もあなたに呼びかけた。気付きなさい、と。あなたはなかなか耳を貸してくれなかったけれどね』
そうだ、あの声だ。
エレンダルの城で何度と無く聞いたあの謎の声。しつこく頭に響いていたあれは、紛れも無く今目の前に居るリオの声だった。どうりでリオが登場した時、彼女の声に聞き覚えがあると思った訳だ。
確かあの時、シズクはセイラの杖を手にしていたのだ。杖を持つ左手を通じて、シズクの意識に呼びかけていたのだろう。
これに関しては、アリスとセイラは不思議そうな表情を浮かべていた。彼らは知らないのだろう。しかし、
「あの声!」
意外なことに、リースもそう呟いたのだ。彼もあの時、リオの声を聞いたのだろうか。エレンダルの城で、シズクが魔族(シェルザード)語で呪文を放ったあの時に。
「ってことは、あの時のあの魔法はリオが唱えたの?」
『お馬鹿ね。私は杖よ? 杖が呪文を唱えられると思う? あの時あの魔法を唱えたのは間違いなくシズク、あなたよ。私はただ、その手伝いをしただけ』
「でも……」
そう言われても、いまいち納得がいかない。自分の魔力が、一般の魔道士からすると明らかに低い事は紛れも無い事実だからだ。計測器で測った結果でもそう出ている。莫大な魔力なんて、自分のどこを探しても見つかるはずがないのだ。
『自信を持ちなさい、シズク・サラキス。……いいえ、本当の名前は他にあるわね。あなたは忘れているだけ。その莫大な魔力は、確かにあなたの中に眠っているのよ。そう――』
リオはそこで一旦言葉を区切ると、どこか遠くを見つめるような表情をした。遠く――例えば、遙か昔の思い出を見るときのように。
『あなたはティアミストの者。金の救世主(メシア)と呼ばれた、勇者シーナの血を引く者なのだから――』
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