追憶の救世主
第7章 「月夜の来訪者」
8.
えぇ!? というリースとアリスの声が部屋に響き渡る。
真夜中だというのに、今夜はよく悲鳴や叫びが飛び交う。近所迷惑もはなはだしい。だが叫べるだけリース達はまだマシというものだ、シズクに関してはもっと重症だった。
シズクの思考は、今まさにこの瞬間、完全に停止してしまったのだ。
頭の中で、先ほどのリオの台詞が鬱陶しいくらいに無限ループしている。だがそれは単に頭の中に響いているだけであって、思考の方はというと全く回らない。それは、ナーリアから一気にたくさんの仕事を言いつけられた時の気分によく似ていた。魔法学校に居る頃、あれをしながらこれもしろだのとうるさく言われることがしょっちゅうあったのだ。しかし、一度にそんなにたくさんの事を言われても、全部覚えられるどころか、逆に全てを忘れてしまう。そう文句をつけると、ナーリアは決まって、もう! と怒るのだ。
「――――はぁ?」
一分足らずの沈黙の後、シズクはやっと眉間にしわを寄せ、間抜けな声を上げる事だけはできた。しかし、真剣な話をしていたはずなのに、なんて気の抜けた声だ。これでは場の雰囲気が一気になえてしまうではないか。
『はぁ? じゃないわよ! ちゃんと話に着いて来てる? 全く……頭の中身は全然あいつに似なかったみたいね!』
予想通り、シズクの返答と呼ぶのも考え物な台詞に、リオはふんぞり返って頬を膨らませた。だが、こちらとしても、とんでもない事ばかり告げられて少々頭がくらくらしているのだ。こんな話についていける方がどうかしていると思う。
「どういう意味よ! というか、あいつって誰よ」
半ばふてくされ気味でシズクが叫ぶ。伝説の杖に逆切れしているあたり、そろそろ限界なのかもしれない。
『あいつ? 決まってるでしょう。あいつよ』
「だから一体それはだ――」
『金の救世主(メシア)』
まだ食って掛かってくるシズクに、やけに冷静な声でリオが呟いた。あたりが静まったのをいいことに、彼女は更に続ける。
『――類まれなる知性と魔力、そして行動力を持った人物。それが、金の救世主(メシア)、シーナという人。彼女と会ったのは、もう500年も昔の話になるけれど、今でもその独特の雰囲気は覚えている』
「……会った事があるのか? シーナに」
リオの言葉に、リースが思わず口を開く。驚いたのはみんな同じだ。シズクやアリスも大きく目を見開いた。ただ一人、セイラだけが落ち着いてこの会話を見守っている。
悠久の時を生きてきた杖なのだから、500年前にももちろん存在はしていただろう。しかし、歴史に名を残すような人物に出会ったというのを実際に聞くと、やはり信じられないものなのだ。
驚くシズク達を一瞥してから、リオは形の良い唇を引き結ぶとこくりと頷いた。
『えぇ、会ったわ。まだ二十歳を過ぎたばかりの娘なのに、あの時すでに彼女は勇者としての才覚を備えていた』
リオは遠くを見るように視線を少し上に向けると、小さくため息を零す。500年の時を、今彼女は遡っているのかもしれない。
金の髪に青き瞳のシーナ姫。彼女が、今まさにリオの目の前に存在しているようにシズクには感じられた。
「…………」
シズクは、その伝説上の人物の血を引いているのだと、先ほどリオに言われた。正直な話、いまだに信じているわけではない。シーナに直に会ったことがあるリオの言葉でも、シズク自身の事を考えると、何故自分が? と思ってしまうのだ。それに、疑問もある。
「……ねぇ。シーナはイリスピリア王家の人間じゃなかったの? なんで一般人のわたしが彼女の血を引いている事になるのか分からないんだけど」
「お前……世界史まじめに勉強しなかっただろう?」
返答はリオからではなかった。首をかしげるシズクに、呆れた声で言ったのはリースだ。彼の言い方にムッとしたシズクだったが、言われたことが確かに図星なので表情が固まってしまう。世界史はシズクの嫌いな科目だ。
「勇者シーナはな、イリスピリア王家には戻らなかった。出て行ったんだ」
「え……?」
『その通りね。世間では、シーナの直系は今でもイリスピリア王家だと信じている人々がいるけれど、それは間違いよ』
リースの言ったことを補足するように、リオが話に入ってくる。
『シーナは王家を出た後、イリスピリアの小さな街に移り住んだ。その後、シーナの子孫達がその莫大な魔力と魔法の知識を伝え続けて行った。彼らこそ勇者シーナの直系――すなわち、ティアミスト家よ。シズク。あなたはティアミストの最後の生き残り。その青い瞳を持つ、最後の者――』
またサファイアの真剣な瞳がシズクの胸を貫く。まるで何か洗礼でも受けたかのように、シズクはその場で呆然としていた。
――シーナ。
(あぁ、そうか)
先ほどの魔族(シェルザード)の女は自分のことをその伝説の名で呼んだ。
それは、シズクがティアミストの者。つまり、シーナの血を引くものだという意味で言った言葉だったのだろう。と理解する。
という事は、魔族(シェルザード)はシズクがシーナの子孫という事を知っていたのだ。
そしておそらく、セイラさんもこの事に気づいていたのだと思う。もしかすると……カルナ校長も。
証拠はどこにもないが、何故だか妙な確信がある。
(シズク・サラキスについて、わたしよりもよく知っている人達がたくさん居る)
突然、自分の身体が自分のものでなくなったかのような落ち着かない気持ちが沸き起こった。シズクは紛れも無くシズクなのに、自分が自分でなくなってしまうようで……怖かった。
「話が長引きそうだから、ひとまず休憩にお茶でもどうかしら?」
控えめにそうアリスが提言したのは、それからすぐのことだった。
シズクとしては彼女のこの発案はかなり嬉しかった。重い会話ばかりで、正直気が滅入っていたのだ。休憩して頭を休めたいと思っていたところだ。
シズクに気を使ってか、アリスがリコの茶をふるまってくれたのも嬉しかった。故郷とも言うべきオタニアの大地で栽培されたリコの茶。甘い芳香をかいでいると、少しは気が晴れるような気がした。
そんな中だ。
「シーナの直系か……それで納得が行くな」
お茶をすすりながら、リースがぽつりと呟いた。
シーナという名に敏感になっているシズクは、すばやくリースの方を振り返ってしまう。リコ茶の甘い芳香に、シズクの意識は遠いオタニアへと向かっていた最中だったというのに。
「納得?」
ティータイムを邪魔されたくない気持ちもあったが、リースが発した言葉も物凄く気になる。そう自分の中で結論付けると、シズクはリースに質問を投げかけた。
「そう。お前のその、銀のネックレスの事だよ」
言って、リースはシズクの首筋に光るネックレスを指差してくる。
そういえば、リースはこれに書かれた文字について、何か知っている風だった。カルナ校長から難解な文字の意味は教えてもらえたが、正体については未だに分からない。シズクの母がこれを必死で守ろうとして、自分に託したのは確かだ。分かることと言えばそれくらいで、魔族(シェルザード)が狙う理由も、リースが驚く理由も分からない。
「それ、もう一度見せてもらっていいか?」
「ん、いいけど……」
リースにそう言われ、シズクは首筋をまさぐってネックレスの鎖を首から外した。
シャランッと繊細な音がして、それはシズクの手に収まる。部屋の光を浴びて、ネックレスは優しい銀色に輝いていた。
それをリースに手渡すと、彼はまるで生まれたばかりの赤ん坊でも抱くみたいに、注意深くネックレスを手にした。そしてプレートの部分だけを持ち、緑の目を細める。例の文字と記号を見ているのだろう。
最初はなんとなく二人の会話を見守っていたアリスとセイラも、リースの様子を見て何だろうとこちらに視線を向けてくる。リオに至っては、パタパタと羽らしきものをひらつかせてこちらに飛んできた。ちゃんと飛べるのだ。ただの飾り羽ではなかったらしい。
余談になるが、リオにはお茶は出していない。アリスが出そうとしたが断られたのだ。杖は飲み食いはしない、と。
まぁ、よく考えてみたら当たり前の話だが、見た目が杖らしからぬものだったので、一同はすっかり失念していたのだ。
「これに書いてある文字の内容、カルナ校長から教えてもらったか?」
ギャラリーが増えて少し落ち着かない様子だったが、程なくしてプレートの文字から視線を外すと、リースはシズクの方を向いて言った。
「一応。だけど、それがどうしたの?」
「…………」
しばらくシズクを見つめてから、リースは小さくため息をつく。
そして謳うように言葉を紡ぎだした。
「永久(とわ)なる栄光と輝きを与えんことを 多くから愛され、多くを愛し そして多くの幸福を手に入れんことを ここに願う ――――わが最愛の娘『シーナ』に捧げる」
「……シーナ?」
リースが言った文字の最後のフレーズに、シズクは目を見開く。
あの文字の内容は、旅立ちの前夜にカルナから聞いたはずだったのだが、シーナについて触れる下りは教えられなかった。読めなかった訳ではあるまい。カルナは、わざとシズクに教えなかったという事か。
そんなシズクの様子を見て、リースは更にため息をつく。
「……やっぱりな。あの人、相当おまえの存在について核心に触れていたんじゃないか? この文字を読めるあたり、ただ者じゃねーし……」
何者だよ、と敬意を込めた響きで言った。
何者だと言われても、カルナ校長に関してはシズクもそれほど詳しくは知らない。
言語学の権威で、30歳の若さでオタニア魔法学校の校長に抜擢されるほどの切れ者であった事は有名な話だ。その他、学内棒術大会で不敗記録を作った人だとか、若い頃は魔法界に知れ渡るくらいの美女で、求婚する男たちが後を絶たなかったとか、その中には王族の人間も居ただとか。数々の本当だか嘘だか分からない伝説を残した人物でもある。
「カルナ校長の事は置いておくとして、その文字、そんなに変わった文字なの?」
カルナについての数々の噂が頭を過ぎったが、今はそんな事を確かめている場合ではない。シズクは、以前一度、ネックレスをリースに見せたときと同じ質問を投げかけてみた。あの時は、ただはぐらかされるだけで結局何も教えてくれなかった質問だ。
「……イリスピリア王家には、代々続くある風習がある」
だが今回は、リースはシズクの方をしっかり見据えて言葉を発してきた。真実を伝えてくれる瞳だ。
「風習?」
「王家に女児が生まれると、父親から娘に、幸せを願ってミスリル銀で作った装飾品を贈るって風習だよ。そして、その一部分に父親からの祝福の言葉が刻まれるんだ。イリスピリアの王家だけが用いる、特殊な文字で、な」
「まさか……」
そこまで聞いて、なんとなく予想がたった。
「そう、おそらくこのネックレスは500年前、シーナの父王が、生まれたばかりの彼女に贈った代物だ」
リースの声は、部屋に重く響いた。
それは予想された言葉だったのに、シズクは思わず息を呑む。そして、リースの手で繊細に光るネックレスへと視線を移した。
やわらかい輝きは、確かに普通の金属ではないように見えた。高価で丈夫なミスリル銀で作られたのだと言う。道理であの魔族(シェルザード)に引っ張られても千切れなかったはずだ。
今まで、特に何の認識も無いまま持っていたのだが、まさかそんな代物だったなんて夢にも思わなかった。
おそらく、かつてイリスピリアの王家にあり、シーナもその手に触れたであろうネックレスが、ティアミスト家に代々伝わって行ったのだ。そして今、それがこうしてシズクの元にあるのだ。そう考えると、しっくりくる。
しかし、それは同時にシズクがティアミストの者であり、シーナの血を引くものである事の何よりの証拠となった訳だ。
シズクがどうこう言おうと、目の前で輝くこのネックレスが動かぬ証拠だ。
母は、これをイリスピリア王に見せろとシズクに言った。そうすれば力になってくれるとも。このネックレスは、いわばティアミストの身分を示すための家紋のような物なのだろう。例えばそう、セイラが持つ、水龍のクリスタルのように。
「でも……」
そこまで考えが行き着いた後、シズクはそれだけつぶやくと、怪訝な表情でリースを見る。
「それだけじゃぁ魔族(シェルザード)がこれを狙う理由にならないと思うんだけど、他に何かあるのかな。というか、リースってやけにイリスピリア王家について詳しいのね。王家しか用いない文字まで知ってるみたいだし」
『そりゃそうよ。だってリースは――』
「イリスピリア出身だしな。言語には興味があるから……。まぁ、それは置いといて」
何かを言いかけたリオをさえぎって、リースが落ち着いた声色で述べる。隣でリオが横槍を入れられて不服そうな表情を浮かべていたが、リースに気にしている様子は無い。シズクは多少引っかかるところはあったが、とりあえず今はリースの話を聞こうと、彼の声に耳を傾けた。
「――俺もそう思う。確かに歴史的には貴重な代物であるネックレスだけど、それだけの理由で魔族(シェルザード)達が欲しがるとは思えない。夜襲までかけたんだ、このネックレスには奴らが狙う何かがあるはずだ」
「でも……それは一体何?」
それまでずっと黙って会話を見守っていたアリスが、ここに来てやっと口を開く。彼女の方を見ると、手に持たれたカップの中身は既に空っぽだった。ティータイムが始まって、結構な時間が経ったという事か。そう思うと同時に、自分のカップの中には、まだ半分以上リコ茶が残っているのにも気がついた。話に夢中になりすぎて、すっかり飲むのを忘れてしまっていたのだ。お茶は熱いうちに飲むのがいいのに。勿体無い事をした。
「それが分かれば苦労はしないけど……リオなら知っているんじゃないか?」
アリスの言葉に、リースはお手上げだと言う様に肩をすくめる。そして、目の前にたたずむ小さな妖精もどきへと視線を移す。
『……何でも知ってると思ったら大間違いよ』
先ほどリースに言葉を遮られた事を、まだ根に持っているのだろう。ぶうっと頬を膨らますと、リオはそっぽを向いてしまう。
「でも、悠久の時を生きてきた伝説の杖だろ? 何か思い当たる節くらいあるんじゃないのか? ほれ――」
言って、リースはリオの前にネックレスのプレート部分を掲げた。プレート自体小さな物だったが、リオの体長も負けないくらい小さいので、それはやけに大きく見える。
『…………』
銀色のプレートには、変わらず普通では読めない文字と、何を意味するのか分からない模様が描かれていた。
リオは、しばらくプレートの文字を凝視していたようだったが不機嫌そうな表情のままで、特に何も口にしない。しかし、リースがプレートをくるりとひっくり返した瞬間、わずかだが彼女の表情が動いたのをシズクは見逃さなかった。プレートの表側にあたる部分には、小さな石が埋め込まれているのだ。その面を視界に入れた途端、リオの表情がわずかだが引き締まった。瞳を細めて、まるで数年ぶりに出会った友を見るように、プレート上の石を見つめていたのを、シズクは確かに見た。
『……知識は、薬にも毒にもなり得るもの』
「え?」
しかしリオは、すぐに表情を元のように不機嫌なものに戻すと、シズク達を視線だけで一瞥する。リースやアリスは、どうやら先ほどのリオの表情には気づかなかったらしい。不思議そうに首をかしげている。
『膨大すぎる知識は、人々の暴走を招き滅びへと向かう。故に私は、伝えどころを見極めねばならない――』
まるで自分に言い聞かせるようにそう言ったきり、リオは口を引き結んでしまい、何も喋らなくなってしまった。
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