追憶の救世主

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第1章 「菜の花通りにて」

5.

 「ワービー。オタニア中部から北部にかけて生息している獣型の魔物で、モンスターの区分では、食肉目ワービー科ワービー属に属する。外見は犬に良く似ているが、特徴的なのは三対ある足と、鋭い牙。長いもので十五センチに及ぶものもある。小型だが性格は凶暴で攻撃的。ただし、あまり知能は高くない。怒ると口から火炎球を吐き出し、その威力たるや凄まじいものがある。弱点は特になし。レベルの低い戦士は、見かけたら即座に逃げるのが得策である……か。うーん、参りましたねぇ、これは」
 道に迷って参りましたねぇ、とでも言うような調子で好青年は首をひねった。その横で思い切り脱力しているシズクがいることなど、もちろんおかまいなしに。
 「のん気に魔物解説してる場合じゃないでしょーが!! ってゆーかそれだけよく知ってて何? さっきの『さぁ……何なんでしょうねぇ?』は! ボケてたとかそういうノリな訳?」
 敬語を使うのも忘れて、ほとんど叫びに近いシズクの突っ込みがとんだ。危うく右手の杖を、まさにその持ち主の頭上へと振り下ろしてしまいそうになったが、すんでのところでそれだけは回避した。とはいえ、怒りと呆れで杖を握る手はふるふる震えている。
 能天気な笑顔に呆れてしまうがしかし、好青年はこれだけの事をそらで言ってのけたのだ。まるで魔物図鑑を、誰かに読み聞かせするかのように、サラサラと。いくら旅人といってもこれだけ細かいことまで暗記している者はそう多くないだろうし、その必要もあまりない。
 シズクは地元の人間なので、この魔物――ワービーの事を知ってはいたが、さすがに属がどうとか、牙の長さだとか、そんな事までは知る訳がない。彼の知識の量には、正直敬服する。
 がしかし、やっぱり緊張感とか、その場の空気とか、そういう部分にも気を使ってもらいたい気もする。
 「ははは、まぁ気にしない気にしない。ほら、彼らもなぜか立ち止まったまま襲ってきませんし……」
 「気にします! さっきの雑魚ならともかく、魔物ですよ? 魔物。今の状況に合った行動とかできないんですか!? ――って、え?」
 そういえば、と思って慌てて前方を見る。
 確かにそうだ。
 先ほど屋根から飛び降りて以降、魔物たちは一歩も動かずにじっとしたままなのだ。本来ならば、悠長に漫才かましている間に攻撃の一つや二つ飛んできてもおかしくない。
 とはいっても、その隙を突いて逃げ出すことは到底出来る状況ではなかった。確かに彼らは動かないが、それは単に立ち止まっているというだけで、その場で石になってしまった訳ではない。その証拠に、鋭い眼光はこちらの様子を予断無く伺っていたし、低いうなり声も相変わらず続いていた。
 「何……してるの? 一体」
 一向に動かない魔物を恐る恐る観察しながら、シズクが声を零した。張り詰めた空気のせいだろうか、心なしか小声である。
 (どうしよう……)
 今のうちなら彼女の棒術ででも、全匹倒せそうな気もする。しかし、あくまでそれは、彼らが動かずにその場でじっとしていればの話である。そしてもちろん、殴られるまで彼らがおとなしく待っていてくれるとは、到底思えない。
 棒術の達人でも何でもないシズクでは、六匹のワービーはおろか、その辺の低級魔物を倒すのもおそらく無理。たとえ倒せても、苦戦を強いられる事になるだろう。
 先ほどの野盗とは比べ物にならない。それだけ魔物というものは、人間にとって脅威となるものなのだ。
 「おそらく、合図を待っているのかと」
 「合図ぅ?」
 「そう、多分このワービーたちは飼われているか、もしくは魔法か何かで呼び出されたものでしょうね。そうとでも考えないと、こんな町中に表れる理由がない」
 だから飼い主だか召喚主だかの合図を待っているんでしょう。と好青年は付け加えた。
 これにはシズクもなるほどと思う。
 町の周囲には頑丈な結界が張られており、魔物が外部から侵入することはまず不可能。ただ、誰かによって呼び出されたのなら話は別だ。そういう魔法は、高度だが実在はしている。
 単にのほほんしているだけでなく、彼も意外といろんなことを観察して考えているのかもしれない。ちょっとだけ見直した。
 「でも、誰が何のために? ……もしかしてさっきの野盗の仲間とか? だとしたらお兄さん、あなた、魔道士にも狙われているってことですか?」
 シズクの声は、更に小声になっていく。このワービーたちの、主人――おそらく魔道士――が近くに潜んでいる可能性は高いのだ。
 「さぁ……そこまではわかりませんねぇ。思い当たる節は、残念ながらありますが。でもま、そろそろ来るみたいですよ?」
 「え?――――」
 好青年がそう言い終わった瞬間である。

 ――ピィ――――………ン ――

 何かの笛か、それともガラスに何か硬いものをこすり付けたような。とにかく、そんな高い音が響いたことは分かった。
 と、その途端、魔物達はぱっくりと口を開けると、高温の火炎球を一斉に吐き出したのだ。
 どぉんどぉん、とやたら派手な音を立てて、先ほど二人が立っていた辺りの地面が大きくえぐれる。爆風で地面の砂が舞い上がり、辺りは薄い霧に包まれたようになった。
 しかし、間一髪。
 先ほどの『合図』の音がした時、二人は反射的に後ろに跳んでいたのだ。爆発で飛んできた破片で、頬や首に多少の切り傷は出来ているものの、二人とも無事なようだ。
 「あぁぁ、もう!! 騒ぎはダメだって言ってるのに!!」
 舞い上がった砂にむせながら、シズクのどこか諦めの入った叫びが聞こえた。
 これだけどでかい音を立てれば、いくら辺鄙な通りと言えども気づく人は気づくだろう。もうあの人は気づいたかもしれない。もしそうなったら?――
 (あぁ、もういい。この際もうヤケクソよ)
 ため息が、シズクの口から静かに零れ落ちた。
 「お嬢さん大丈夫でした?」
 治まりかけの砂の霧から、好青年の姿が確認できる。相変わらず緊張感の無い喋り方だ。
 「えぇ、なんとか、ね」
 そう言って前方を確認すると、ワービー達の姿も見え始める。向こう側もこちらが無事であることに気づいたのだろう。霧が完全に晴れた頃には、再びぱっくりと口を開け、その奥にちらちらと光る炎が見えた。二発目の火炎球が来るのは時間の問題だろう。
 どうしましょうかね、と呟き、さすがに思案顔になる好青年の横で、

 ―― 流れるものよ…… ――

 ふと、シズクが何事かを口ずさみ始めた。非常に小声だったので、何を言っているのか聞き取れるものはおそらくいないだろうが。

 ―― ……かりし者へ…… ――

 ところどころ聞き取れる言葉は、好青年にとって少しだけ聞き覚えのあるものだったらしい。彼は目を見開くと、前方に迫る火炎球の危機の事も忘れた様子でシズクの方を見入っていた。
 その向かい側では、いよいよワービーの火炎球が完成したようだ。強烈な熱波がまず感じられて、次の瞬間には彼らの口から赤い炎が勢い良く踊り出してくる。しかしそれとほぼ同じタイミングで、

『 風 よ(ロウブ)!! 』

 いままでの囁くような小声とは一転し、シズクの一際力強い声が響き渡り、突然周囲の空気が変わった。
 突き出されたシズクの左手を中心に、空気が密になっていく感じがする。と同時に強い風が発生した。
 彼らの寸前まで迫っていた火炎球は、その風にあっけなくはじき返されると、逆にワービー達の目の前で激しい爆発を起こす。風も手伝って、魔物たちに向けて、増幅された熱波と衝撃が襲った。
 後方にいた三匹は、すんでの所でそれをかわしたようだが、前衛の三対にはそんな余裕はなかったらしい。爆発をもろに受けてしまい、きゃんっという犬のような鳴き声を上げて、吹き飛ばされてしまった。そして次の瞬間、音も無く空気に溶けていく。その場に存在するはずの無かったものが排除されて、自然な『場』に戻ったのだ。やはり魔法で召喚されていたらしい。
 「……お嬢さん、今のはアレですよね、魔――」
 「単なる手品です! 種も仕掛けもございません!」
 好青年の言葉をさえぎって、大声で無茶苦茶な事を叫ぶと、シズクは彼の手を取り、走り出した。
 「え? え?」
 「ワービー達が怯んでいるうちに、逃げないと!」
 そう言われて好青年が後方を振り返ってみると、三匹のワービーは混乱しているのか、その場でたじろいでいた。



 まだ爆煙が残っている路地をぬけて、二人は次の通りへと勢いよく走り込んだ。
 気絶している野盗達がほんの少し気にはなったが、おそらく奴等の狙いは好青年だろうから、命に関わるような危害は加えられないだろう。まぁそもそも、向こうが勝手に勘違いしてくれたおかげで、なんだか良く分からない事に巻き込まれたのだ。少々ひどい目にあってくれてもいいかもしれない。
 そんな恐ろしいことを頭の中でつぶやきながらも、シズクは横道を疾走する。
 「あっ、来ましたよ」
 好青年の言葉に、走りながらちらりと後ろを見てみると、ワービー三匹がちょうど横道に走りこんできた所だった。
 よくまぁあんな真似ができるなと感心するくらいに、三対の足で器用に地を蹴っている。あいつらは立ち止まらないと火炎球を吐き出すことはできないはずだ。背後から火の玉をお見舞いされる心配はないのだが、犬によく似た獣型魔物である。人間の足が相手では勝負は見えてしまっているようなものだ。案の定少しずつ両者の幅は狭まりつつあった。
 あまりよくない状況に、ちぃっと小さく舌打ちすると、

 「……なる我が力よ……」

 シズクは再び何事かをつぶやき始める。しかし、言葉を紡ぎ終わる前に、それを中断させられることになる。
 「――――!!」
 全速力で走っていた足を二人は同時に止めた。いや、止めようとした。と言った方が正解だろう。突然の急ブレーキに、二人とも前の方につんのめりそうになってしまったから。
 彼らの前方には、ワービーが三匹。もちろん先ほどのワービーたちが瞬間移動したわけではない。その証拠に、後ろを振り返ると、後ろからも三匹。
 道が開けた所で、物陰から新たなワービー達が飛び出してきたのだ。
 「待ち伏せってヤツね……」
 肩で息をしながらシズクは憎憎しげに呟いた。こいつらを召喚した魔道師もバカではなかったと言う訳だ。こうなる事態を想定して、ちゃんと先手を用意していたのだろう。今度こそ本当の『袋のネズミ』である。
 (やられた……)
 勝ちを確信したかのように一声吼えると、前方の三匹が口を大きく広げた。火炎球を放とうとしているのは明らかだった。炎が三匹の口元に集束し、あとはそれを放つだけ、という時だった。
 ――ザンッと空気が鳴り、何かが切れる音がしたかと思うと、火炎球を吐こうとしていた三匹がその場で倒れ伏したのだ。そしてそのまま地面に転がると、先ほどの三匹と同じくワービーの姿は空気に溶け込んでいった。
 「…………え?」
 何が起こったか分からず、シズクが前方を確認しようとすると、

『 (いち)氷刃(ひょうじん)!! 』

 今度は背後から力強い声がしたかと思うと、飛んできた氷の刃が、後方からシズク達を追いかけていた三匹に襲い掛かっていた。思わぬ不意打ちに、ワービー達は成すすべなく倒れる。そして、同じように音も無く消えていった。
 あっという間の出来事に、シズクはただぽかんと口を開けて見ているしかなかった。
 「危ないところだったなー、セイラ」
 不意に声がする。
 「いやー、はっはっ。助かりましたよ、リース」
 「??」
 訳がわからず、視線を右往左往させているシズクの横で、好青年――おそらく、セイラという名前なのだろう――は例の能天気スマイルを浮かべながら、目の前の人物に言った。
 横道から現れたのは少年だった。



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