追憶の救世主

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第2章 「依頼」



 ――『魔法』というものを考える際、忘れてはならないのがその発祥である。
 発祥地には諸説あるが、一貫してどの書物にも『シェルザード族』――人がいう『魔族』のことである――が作り出した、と主張されている事からして、彼らが魔法の創始者であることはまず間違いないだろう。

(中略)

 人間族の範囲内で魔法を考えてみよう。
 全ての人間は、先天的に(強い弱いの個人差はあるが)基本的には『魔力』を有して生まれてくる。しかしご存知の通り、この能力を使役できる者は非常に少ない。
 全人口に対して5%程だとか、1%にも満たない等多くの意見がある中、私は前方の意見が最も的を射ているのではないかと考えている。
 ではなぜこのような事が起こるのだろうか。それは、魔法を使うのに必要なもうひとつの要素――『器』に起因する。
 器とは、自身の体に魔法を降ろす能力の事である。
 人間の場合、これを持つ者が極端に少ないのだ。
 器を持たないということはすなわち、せっかく目の前に宝箱があるのに、それを開けるための鍵を持っていない事と等しい。いかに強力な魔力を秘めていようと、魔法を使えないといった現象は、このような理由から――

【エームス・ヌサーウェン著・魔法諸説(初心者編)より】



1.

 パタンっと少し重めの音をたてて、リースは手にしていた本を閉じた。
 『魔法』について、素人に分かりやすく説明する類の解説書だ。自分の本では無い。しかし、昔読んだことがあるものだった。勝手に人の本を読んで良いものか初めは迷ったが、テーブルの上に、特に重要な物でもなさそうに放り出されていたのだしそれに……他にする事が無かったのだ。が、すでに何度か読み返した経験のある本を、再び読んだところで大した暇つぶしにもならなかった。
 小さく息をついてから本をテーブルの上に置くと、リースは理由も無く天井を見上げた。目に入ったのは、当たり前だが何の変哲も無い天井。それを面白くもなさそうに眺めてから、再び視界をテーブルと同じ高さへ下ろす。
 (一体全体、何でこんな事になってるんだよ……)
 リースは少し、苛立っていた。
 (俺達は先を急がなきゃいけないんじゃなかったのか?)
 そんなことを考えてみたが、この場にしてそんなことを考えた所で、それは無意味以外の何でもない。それは彼にもよく分かっていた。ただやはり、考えずにはいられない。何かを考えていないと、それはそれで落ち着かない気がするのだ。
 「なぁ」
 苛立ちはついに、彼の口を開かせることになった。といっても小声だが。
 「何よ、リース」
 小声で返事をよこしてきたのは、隣の椅子に座っている旅の仲間。アリスだ。彼女もまた、リースほどではないだろうが、あれこれ考えて苛立っていたのだろう。少々語気が荒い。
 「何だってセイラはこんな所に来る気になったんだろうな。立ち寄る予定なんて全然無かったんだぞ?」
 話の当事者――セイラには聞こえないように、リースは声を更に潜めた。
 当の本人はというと、先ほどから窓辺に立って、外の景色をぼんやり見つめている。彼がぼんやりしている事は珍しいことでも何でもないので、リースはすぐに視線を窓の外へとずらした。
 窓の外から見える景色は、もうすっかり夜だ。夜空にぽっかりと浮かんだ青白い月は、ほんの少しだけ欠けた形をしている。そういえば昨日は満月だったな、と大して重要でないことが頭に浮かんだ。
 「そんなの、またいつもの気まぐれってやつでしょう? 師匠が突拍子もない事を言う時に、深い理由があると思う?」
 「……無いな」
 推測ではなく、これは断定である。
 普段のセイラの行動、言動。どれ一つとっても、『明確な理由』とか『合理的な判断』などとは全くの無縁である。長い付き合いの中で、それはリースも十分心得ている。特に、行動を共にするようになったここ数週間で、嫌と言うほど。
 「でしょ? 考えても無駄よ。どうせここに来たのも興味本位とか、そういう単純な動機なんじゃない?」
 そう言ってアリスは、目の前のテーブルに出されていたお茶を口にした。
 さっきリースも一口飲んだが『リコ』というこの地域原産のお茶らしい。ほんのりと甘くてその割にしつこくもなく、普段お茶に頓着しないリースにもそれはおいしく感じられた。
 ちなみに『ここ』というのは他でもない、オタニア国立魔法学校の事である。



 セイラがここに来たいと突然言い出したのは、ナーリアが自分達の素性を明らかにした直後のことだった。
 いきなりの話だったので、あの時現れたモスグリーンのローブの女魔道士――ナーリアは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、
 「ご見学ですか?」
 と優しく尋ね返してきた。しかし、
 「いえね、少しお話したい事がありまして……。例えばそう、ここに張られていた結界の件とか」
 と、セイラはなんとも意味ありげな事を告げたのだ。
 『結界』という言葉に、ぴくんとナーリアの体が反応を示したのは、多分気のせいではなかったと思う。食えない笑顔を浮かべるセイラに、彼女はそれまで見せたことも無い真剣な表情を浮かべていた。その瞳に浮かぶのは、少しの不審と、大きな関心の色。
 しかし、そういえば自己紹介がまだでしたね。とセイラが言って、彼の懐から取り出されたモノを目にした瞬間、それは『驚き』の色へと変わってしまった。
 大きく見開かれたナーリアの青い瞳に映ったもの。
 それは、彼女の瞳の持つ青よりもさらに青い、ボタンほどの大きさのクリスタルだった。その中には、竜をかたどったなにやら紋章のようなものが浮かんでいる。
 水竜の紋章――ということは、
 「学校長様と直々にお話できれば嬉しいんですけどねぇ。水神の神子、セイラーム・レムスエスが、是非ともお話したいことがある、と言っていただけたらお分かりになると思いますが……どうでしょう?」
 とどめの一撃とばかりにセイラは、しまいには普段絶対に名乗ることの無い自らの二つ名を口にしていた。



 話せば長くなるので短めに端折るが『水神の神子』というのは、世界にある四大神殿の内、水神を祀る神殿の最高位僧の呼称である。それがセイラ。セイラーム・レムスエス。
 元来聖職者というのは、神から癒しの力や自然の力を請い、自らが持つ杖などの媒介に力を降ろして使役する者、すなわち呪術の使い手である事が多い。その聖職者の中で最も地位が高い者――各神殿の神子は、呪術師としても地位が高いものなのだ。言ってしまえばそう、世界中の呪術師の頂点に立つ者の一人。……とてもじゃないが、そうは見えないが。
 呪術と近しい、魔法を操る魔道師であるナーリアだ。『水神の神子』と聞いて反応を示さないはずはない。そんな訳で、顔色を変えた彼女によって案内されたのが、今いるこの部屋――応接室という訳だ。
 応接室とは言うが、中くらいの会議なら出来るんじゃないかと思う程広い。目立った装飾はないが、床には暗めのグリーンの絨毯が敷かれており、全体として落ち着いた雰囲気の部屋だった。
 天井には、等間隔に金具部分に細かい模様の刻まれたランプが掛けられている。ランプの光源は、おそらく魔法だろう。普通の炎が出す明かりとは違って、ほんの少しだけ青みがかかっているのが何よりの証拠だった。魔法が篭ったランプというのは珍しく、一般家庭にはまず無い代物である。魔法を使える人間の数自体が少ないので、当然と言えば当然の話だが……さすが魔法学校、といったところだろうか。
 魔道士に対する教育を行う場――魔法学校。その中でも最高レベルの教育が施されるのがここ、国立の魔法学校だった。入学するためにはもちろん厳しい条件が課せられる。
 そういえば、オリアの町で出会った少女――シズクが国立の魔法学校の生徒だったというのには驚かされた。あの少女が、魔道士としてエリートともいえる国立の魔法学校の生徒だったとは……人は見かけによらないと言うことだろうか。

 「でもさ、なーんか引っかかるんだよな」
 次から次へと浮かんでくる思考を頭の中で流しながら、リースがアリスに言った。
 「何が?」
 「いつもなら、だな。セイラはいたずらに自分の身分をばらしたりなんかしないはずだろ?」
 本来セイラは、『水神の神子』という自らの身分をあまり好んでいない節がある。それでなくとも、身分に物を言わせるような態度は、彼が最も軽蔑を示す態度の一つだ。ナーリアに対するあの言動は、正直、リースとアリスを驚かせた。初対面の人間に対して、いきなり例のクリスタルを見せつけたセイラの姿など、少なくともリースの記憶の中には存在しない。アリスにとってもそれは同じことだろう。
 「つまり、そうまでしてもここに来て、ここの長なり幹部なりと話をしたかったから。ともとれるよな〜と思って」
 「……なんのためによ?」
 「……んなこと聞かれても」
 分かるわけがない。
 思い切り怪訝そうな表情を浮かべたアリスにリースがそう言おうとした所で、タイミングよく応接室のドアがノックされた。
 小声の会話は中断され、自然と一同の視線は扉の方へと向けられる。
 「――失礼します」
 少し緊張して高めだったが、声はおそらくナーリアのものだろう。かちゃり、と軽い音を立てて扉が開かれると、女性が二名、応接室の中に入ってきた。
 きびきびとした足取りで入ってきた一人は、言わずもがなここまで案内してくれたナーリア。先ほどと同じモスグリーンのローブに身を包んでいたが、その表情は緊張で先ほどよりも更に厳格そうに見えた。そして、しずしずと姿を現したもう一人は――

 「はじめましてセイラーム様。ここの学校長を勤めさせて頂いております、カルナ・サラキスです」

 ゆったりと落ち着いた声でそう述べたのは、初老の女性だった。
 薄い茶色の髪の毛に所々白髪が混じってはいるが、決して老いているという印象は受けない。優しく生き生きとした土色の瞳の上には、おそらく老眼鏡なのだろう眼鏡がかかっている。ぱっと見た感じでは、魔道師には見えないだろう。(セイラ程ではないが)
 しかし、仮にも国立の魔法学校の頂点に立つ人物。かなりの実力者であるはずだ。
 「はじめましてカルナさん。まぁ……そう堅苦しい呼び方はやめてくださいよ。恥ずかしいですから」
 はははっとお得意の能天気スマイルを浮かべると、彼は「セイラでいいです」と照れたように言った。
 「ではセイラ様。どうぞお掛けになって下さいな」
 カルナは笑顔でセイラを促し、自らも着席しようとテーブルのほうへ歩を進める。しかし、セイラが椅子の後ろくらいまで歩み寄ったのを見た時、急に足を止めてハッとしたように瞳を見開いた。その瞳に宿るのは、先ほどの優しそうな雰囲気とは少し違う深い――英知の光。
 その変化に、魔道士としての彼女を見た気がしてリースは目を見張った。彼女の視線は、セイラの右手、正確に言うと右手に持たれた杖に注がれていた。
 薄い水色を帯びた、美しい杖。セイラ自身が先ほど『人の生気を吸い取る聖なる杖』という悪なのか善なのかよくわからない形容の仕方をした杖である。
 和やかだった雰囲気が、一転して沈黙へと変わる。
 「……偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)」
 「おや、その名前までご存知でしたか」
 カルナの呟いた言葉に、セイラは嬉しそうに瞳を細めた。
 「えぇ……有名ですから。五百年前のあの、折られた杖の一欠片から作られたという伝説の杖」
 そう呟いてから、彼女は感慨深げな視線を杖に注いだ。

 金の救世主(メシア)伝説にある、巨人族、ミール族の王子が『悪い魔法使い』から奪い取った最強の杖。その杖が五つに分かたれたうちの一欠片から作られた伝説の杖――偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)五つのうちの一欠片でさえ強力な魔力を秘め、その杖に意志すら宿したという。

 「……では、カルナさんも挑戦してみます? 偉大なる蒼による魔力持久力テスト」
 楽しそうな表情でいつものお決まりの台詞が出るのを聞いて、リースとアリスは急に脱力感を覚えると、「あぁ、またか」と小さくため息をついた。そんな二人の行動もまた、いつもの光景である。
 『持久力テスト』というのはご想像のとおり、この杖持って生気抜かれきるまで何分でしょう? と計る例のアレだ。伝説の杖に認められたいという野心を持ち、是非とも持たせてくれと懇願する魔道師や呪術師も多くいるのだが、その一方で、犠牲者の半分はセイラのこの勧誘に引っかかって出るようなものなのだ。最高記録保持者の水神の神殿の神官長なんかは、そのクチである。
 「いえ……やめておきますわ。私などでは、その杖のお気には召さないと思うので」
 しかし、おかしそうにくすりと微笑んだだけで、カルナは丁重に勧誘を断った。あっさりと断る人間も珍しい。普通は、最初はその気が無くても『伝説の杖』ということで惹かれる者が多いのだ。
 「そうですか……いえ、ね。シズクさんみたいな人もいましたから。オタニアの魔法学校の人は、結構そっちの素質があるんじゃないかなぁと思ったんですけどねぇ」
 口ではそうやんわり言っているものの、明らかに残念そうな表情が見て取れる。いや、普通の人ならば少し微笑みが薄れたなと思う程度だろう。付き合いの長いリースとアリスであるから、見て取れると言った方が正解か。
 「シズクが?」
 セイラの呟きにしかし、カルナは少し驚いたような表情を見せる。見ると、隣にたたずむナーリアも驚きで目を見開いていた。
 「えぇ、彼女が。持っていて平気でしたよ? 持てる人間に会ったのは久しぶりですね」
 「そう……ですか。まぁ、あの子ならあり得ないことも……」
 「ことも?」
 「……とりあえず、座りましょうか?」
 曖昧な笑みを浮かべてその先を誤魔化すと、カルナは改めてセイラに席に着くよう勧めた。



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