追憶の救世主

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第2章 「依頼」

2.

 「どういうことか説明してもらおうじゃない、シズク!」

 シズクが学校に帰ってきて自分の部屋へと一歩踏み込んだ瞬間、そんな声が飛んできた。
 帰ってきた途端にこれだ、さっきまで一騒ぎあって疲れていると言うのに……シズクは、扉を後ろ手に閉めるとうんざりした様子で声の主を見た。
 「それはこっちの台詞よ、アンナ。あんた、今朝は熱で倒れてたんじゃないの? それが何? ベッドにも入らないで、しかも寝巻きですらないし」
 憮然とした表情で、目の前で椅子にふんぞり返っている人物に、シズクは言い放った。
 土色の瞳を悪戯っぽくこちらに向けてくる彼女――アンナ・アレセントは、シズクの幼馴染兼、相棒兼、親友である。ちなみに言うと、ルームメイトでもある。
 呆れたようにアンナの方へ歩み寄ると、シズクはまじまじと彼女を観察し始めた。
 今朝熱を出して倒れていた筈の親友が、シズクが帰ってきた時にはどうだろう。けろっとした様子で本を読みながら、お菓子をぼりぼり頬張っているのだ。しかもそのお菓子というのが、自分がストックしていた筈の物だと気づいて、余計にシズクの機嫌は悪くなった。
 「……決まってるじゃない。回復したのよ!」
 何を当たり前の事をとでも言うように、黄土色の肩までの髪を揺らすと、アンナは更に椅子に体をうずめた。
 「んなの見たらわかるわよ! 問題は何で治ってるか、よ」
 今朝は結構な熱でうなされていたのだ。体温計でも確認したからそれは確かだ。あれだけの熱、そうそうすぐに下がるものではない。
 「そんなの、私の脅威の回復力の賜物で――てっ!」
 間髪入れず、シズクのデコピンがアンナの広いおでこに炸裂する。わざとらしくぎゅっと閉じられた茶色い瞳を、様子を伺うようにチラっと開けた途端、半眼になったシズクの青い目とぶつかった。
 「ははは……」
 「つまり、仮病ってやつよね? そうでしょ!」
 こういう時のシズクは、押しが強い。長い付き合いだ。そのことは、アンナも十分分かっているだろう。
 「大方、炎の魔法をものすごーく弱めて弱めて弱めまくったヤツかなんかを唱えたんでしょ? それでそれを体の周囲にまとわり付かせた。まったく、手の込んだ……」
 「んっふっふ。ついでに言うと『炎よ(メイル)』の魔法を火傷しないぐらいまで弱めたものよ。これだと同じ魔道士連中にも、魔力が弱すぎて感づかれることもないでしょ? 優秀な私だからこそできた小・技!」
 少し熱いのが欠点だけどね、とアンナは付け加えた。
 確かに、普通放ったりするだけの魔法を術者の思い通りに操り、しかもそれを維持しておくのは、かなり高等な技術ではある。その上、効力をぎりぎりまで抑えるとなると、難易度も格段に上がる。が、いくら高度といっても、こんな庶民的な使われ方をされたら、さすがに炎の精霊達が哀れに思えてくる。
 デコピンがもう一発飛んでくと覚悟したのか、アンナは身構えていた様だったが、
 「まぁ、いいや。今日はもう、突っ込む気力も無い」
 デコピンの音の変わりに聞こえたのは、シズクがベッドに倒れこんだ柔らかい音だった。
 彼女の顔には軽い疲労の色が見えている。疲れの原因のほとんどは多分……いいや、絶対、あの能天気好青年のせいだろうけれど、とシズクは心の中で呟いた。
 布団から漏れるお日様の匂いを思い切り吸い込んで、少し瞼が重くなる。体にやんわりとした暖かさが伝わってきて、それが更に睡魔に拍車を掛けた。今日はそうか、天気が良かったからお布団干してくれたんだ……アンナも結構いいとこあるじゃない。
 ぼーっとした頭でそんなことを考えていると、ふとあの好青年の顔が頭に浮かんだ。のほほんとした笑顔を振りまく好青年。黒い瞳の上の、丸いメガネが妙に印象的だった。
 「そういえばあの人、水神の神子……だったっけ」
 「水神の神子ぉ!?」
 ぽつりと呟いたシズクの一言に、アンナは即座に大声を張り上げていた。せっかくうつらうつらしていたのに、彼女の大声で一気に眠気は覚めてしまう。驚いて顔を上げると、アンナの方を見る。
 「そうか、やっぱり」
 「なにがやっぱりなのよ」
 眠ろうとするのを妨害されて少し不機嫌そうなシズクに、アンナはびしっと人差し指を突きつけると、
 「そうよ忘れてた。あんたにはきっちり説明してもらわなきゃいけないんだった。あの綺麗所達は、水神の神子とそのお付き、でいいのね?」
 と確かめるように言ってから、こちらに身を乗り出してきた。急に接近してきた彼女に、一瞬シズクは怯む。
 き……綺麗所ぉ?
 そう問われて、今日出会った少年と少女の姿を思い出した。
 明るい金の髪に透き通るような緑の瞳の少年と、漆黒の髪にそれと同じ神秘的な色の瞳を持った少女。確か名前はリースとアリスといったか。二人とも、確かに現実離れした美貌の持ち主だった。……綺麗所という表現はどうかと思うけれど、決して間違ってはないだろう、多分。
 シズクは頭の中で一人納得してから、アンナの方へと視線を戻した。
 「うん……まぁ、本人がそう言ってたんだからそうなんでしょ。クリスタルも見せてくれたし。でもあとの二人は、お付きというより……護衛かなぁ」
 確か彼も二人の事をそう言う風に言っていた筈だ。そう思い返して確信の篭った顔で小さく頷くと、目の前のアンナと目が合った。彼女の茶色い瞳に、今にも溢れ出してきそうなくらいの好奇心が見て取れた。
 「あんたとナーリアがさ。ものっっっ凄い綺麗な人たちを連れてきたって、しかもそのうちの一人が水神の神子らしいって、学校の中じゃぁそりゃあもう、休日だって言うのに噂で持ちきりだったのよ」
 「……そうなの?」
 「そうなの」
 目を丸くするシズクに念を押すと、アンナは急にうっとりと瞳を輝かせ始めた。
 「?」
 いまいちよくわからないといった表情で首を傾げるシズクの横で、アンナの独白にも似た台詞が零れ始める。
 「でも素敵ねぇ……水神の神子かぁ。呪術師だけじゃなくって、魔道師でも憧れてる人は多いって言うし」
 それは確かによく聞く話だ。水神の神子だけでなく、もちろん『神子』のいる他の火神、雷神、風神の三神殿の神子達も同じように世の人々からの憧憬の的である。そんな世界的有名人がこの学校にやって来たのだ。皆が騒ぎ出すのも無理は無いだろう。
 (まあその実態は、のほほんとした笑顔の天然好青年なんだけどね……)
 あのにこにこ笑顔を思い出して、シズクはアンナに聞こえないくらいの小さなため息をついた。
 まったく、彼には何度ペースを乱された事だろうか。急にここに来て校長と話がしたいなんて言い出したときには、驚いたのと同時に呆れてしまった。こんな小国の魔法学校に一体何の用事だったのだろう?
 「それにしても、水神の神子様の姿。あれは想像したとおりの姿だったわね! 清く気高く美しい!」
 ――は?
 思考をめぐらせている最中に、アンナの口から出た単語が耳に飛び込んできた。瞬間、シズクはその場に硬直する。一瞬、アンナの言っている事が理解できなかった。出来る事といったら、その場に凍りついたように固まってアンナを見つめていることだけだ。おそらく、とんでもなく不審そうな表情を浮かべているんだろうなぁ、と思った。
 キヨク、ケダカク、ウツクシイ?
 (えぇと……)
 眉間を指で押さえながらもう一度、今度は細部まであの好青年の顔を思い出そうとしてみた。
 少し伸びかけた黒髪に、優しそうな黒瞳。その上にかけられた丸メガネが、またなんとも似合っていた。よっぽどのことが無い限り変わらないほけら〜っとした笑顔。これらの条件と、今親友が口走った単語との接点を見つけ出そうとしてみる。
 彼も、一般レベルから判断すれば、容姿はいい部類に入るのだろう。個人的判断から言わせてもらうと、上の下から中あたり。そこら辺の図書館で司書なんかをやっていれば、あの必殺スマイルに魅せられて、さぞかしファンが彼目当てに図書館に日参することになるだろう。が、やはりあのほやほや笑顔からは、この三つの形容詞はあまりにかけ離れている。あえて表現するとすればむしろこうだ。のんびりおっとり能天気――
 「――流れるような黒い髪、夜の静寂を思わせる静かな色の瞳――」
 そんなシズクの心中など知るよしもなく、アンナの独白は続く。
 こう言ってはなんだが、アンナは結構ミーハーだ。『伝説の』とか『噂の』とかいう表現を聞くと、自然と目に炎が燃えさかる。それに、こっそり詩や小説もたしなんだりする文学少女だから、表現も無意味に詩的になる傾向があった。
 「初めて見た時には私、どこかの国の王女様じゃないかと思ったわよ!」
 「…………アンナ」
 そこまで聞いて、やっとどういうことだか分かった気がした。
 『王女様』
 この言葉に、あの好青年を結びつける要素は絶対的にあり得ない。とすると、やはり――
 「ふっ……まぁそうよね。普通『神子』って聞いて、女の人を思い浮かべるのが普通よね」
 神子は巫女とも書けるし。第一、神子とは、女性にその称号が与えられる事の方が圧倒的に多い。その理由は、基本的に女性の方が持って生まれる魔力が強いという傾向のためだろう。実際は、傾向というだけで女性よりも能力の高い男性の魔道師や呪術師も多くいるのだが。
 シズクの場合は順番が逆だったのだ。先に好青年に出会って、後から彼が『水神の神子』だと聞かされた。だから別段不思議に思わなかったのかもしれない。そういえば……珍しいとも思わなかった。これはただ、自分がそう言うことに無頓着なだけなのだろうか。
 「なによ、何が言いたいのよ?」
 不思議そうにシズクの瞳を覗き込むアンナに気づいて、シズクは軽くため息を漏らした。乙女の夢を守るか、現実をあえて突きつけてしまうか。
 (……ま、どっちにしたっていずれは分かることだしね)
 そう決心して、アンナの肩に両手をぽんっと置いた。
 「アンナ……気をしっかり持ってね」
 「……な、なによ?」
 不気味そうな視線をこちらに投げかけてくるアンナに、シズクは一呼吸おいてから、言った。
 「水神の神子はね、あの女の子じゃないわよ。あの子は神子の護衛。彼の事を『師匠』って読んでいたから、ひょっとしたらお弟子さんなのかもね。で、本当の神子は、あのメガネのほんわかお兄さんよ! わかる? あのほけほけした黒髪の!」
 「――――!?」
 アンナの瞳が、驚愕とも絶望とも取れる不思議な色を浮かべて、大きく見開かれたのは、そのすぐ後のことだった。



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