追憶の救世主

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第2章 「依頼」

9.

 「125!!」
 扉が豪快に開く音とほぼ同時に聞こえたのは、そんな声だった。
 リースは、ややうんざりした様子で目の前に立っている人物――シズクを眺めていた。
 小走りでここまで来たのだろう、肩で息をしているのが分かる。街中で会った時には町娘のような身なりだったが、今は違っていた。少し紺の混じった暗い色のローブをまとい、その胸元には、ナーリアのローブと同じ紋章が縫い付けられている。おそらく、これが魔法学校の制服というやつなのだろう。童顔を完全に払拭するまでには至らなかったが、先ほどよりは幾分大人びて見える。こういう格好をしていると、魔道士に見えないことも無いなと思う。
 シズクは憮然とした表情のまま応接室の中に入り、目の前でのんきに座っている人物――セイラを視界に入れると、こちらにずかずかと歩み寄ってきた。
 ナーリアが後ろで、こら、とか挨拶ぐらいしなさい、とか怒鳴っているが、おそらく耳に届いていないのだろう。
 「125! これが何を意味しているか、分かります?」
 ほとんど睨み付けるような目つきでセイラを見つめる。
 セイラはというと、全く表情を変えずにそんな目の前の少女を見つめていた。
 「この前の記述試験の順位だろ? 実技の方は、少しマシになって68位だったっけ?」
 「な……!」
 『少し』の部分を強調して言ったリースの言葉に、シズクはあからさまに驚いた表情を見せる。
 「まさか……ナーリア……」
 「……これが一番手っ取り早くあなたの情報を知らせられる手段でしょう? それに、私が言ってなくても今まさにあなたが言おうとしていたじゃない」
 半眼でにらみつけてくるシズクを、しれっとした表情でナーリアが受け流す。
 「うぅ」
 言われた内容がずばりなので、シズクも反論ができないのだろう。
 「それは確かにそうだけど……」
 小さくうめくと、気まずそうにその場で俯いてしまった。
 しっかし、よくまぁ表情がころころ変わるもんである。格好がいくら変わってもやっぱり中身は騒がしいままだな、とリースは人知れずため息を漏らした。
 「シズク。その様子だと、ナーリアから大体の話は聞いているようですね」
 苦笑い交じりに出たカルナの台詞に、シズクは俯いていた顔を上げた。先ほどまでむくれていた顔を、急に険しくする。
 「校長。納得いきません。何でわたしなんですか! この人達にしてみても、半端な見習い者のわたしよりは、ちゃんとした魔道士の方がよっぽどいいと思うんですけど」
 不服そうな顔でもって、彼女はまったくの正論を口にした。ほれ見たことか、とため息をつくアリスがリースの視界に入った。
 「そう言うと思いました……けれど、セイラ様の御一存です」
 「知ってます! それがまずよく分からない。一体どういうことです?」
 言ってから、シズクはくるりとセイラの方へ首を持って行き、そしてそのまま空色の瞳で、彼に問いただすような視線を送る。
 彼は彼で、彼女の瞳を見つめながら、例のニコニコスマイルを顔全面に浮かべていた。見る人が見れば、これは『楽しんでいる』表情であることが分かる。
 「どういうことって。単に僕があなたを気に入った、それだけですよ」
 「だけですよ、じゃありませんってば!」
 シズクの刺すような視線を全く意に介さず、それどころかそれを面白がっている節すら見られる声に、彼女はさらに声を荒げた。
 「もっとよく考えて行動して下さい! わたしを連れて行くとして、魔道士としての実力なんて期待できたもんじゃないですよ? 自分でいうのもなんだか悲しいけど……それが事実です。あなたが、自分の身をわざわざ危険にさらしたいと言うのなら話は別ですけどね」
 かろうじて丁寧な言葉遣いを保っているものの、それもいつまで続くことか。彼女の瞳は、明らかに怒りと呆れをはらんでいた。
 「ほらね、師匠。彼女の言っている事が正論ですよ。それに、彼女を旅に巻き込んで危険にさらすのは、あなたの本意じゃないでしょう?」
 やんわりとアリスも隣にいるセイラを説得しようとする。それにいくら彼女を連れて行きたいと望んだところで、本人が承諾しない限り、それは無理な話でしょう。と付け加えた。
 そんなアリスの言葉にセイラは苦笑いして、そして何かを口にしようとしたのだが、
 「――魔族(シェルザード)が関わっている」
 「―――――」
 ぽつりと呟かれた言葉に、それまでぎゃーぎゃー騒いでいたシズクが、あからさまな反応を見せた。
 勢いに任せて言葉が飛び出していた口を閉じ、急に黙ると声の主――カルナを見る。単に驚いているというだけでは片付けられない程、彼女の変化は激しかった。
 「――と言ったら、あなたも少しは詳しい話を聞く気になりますか? シズク」
 「……………」
 急に大人しくなったシズクを、カルナを除く全員が不思議そうに見つめた。シズクと古くからの付き合いであるナーリアですら、だ。
 「とりあえず、そこにお掛けなさい」
 やんわりと言って、カルナは笑顔でシズクを促す。シズクはまだ不満そうな表情を浮かべていたが、やがて重い足取りで歩き出すと、空いていた椅子に黙って腰掛けた。
 「?」
 一体何が起こったというのだろう。 先ほどまでセイラに突っかかっていたシズクが、カルナの言葉にあっさり従ったのだ。
 リースとアリスは、不思議そうな顔でお互いの顔を見合う事しか出来なかった。






 シズクが話に加わった時点で、再びナーリアの説明が開始された。
 応接室へ行く道すがら、セイラの依頼についての説明は彼女から受けていたようだが、結界やエレンダルの陰謀については初耳だったようだ。初めはさほど興味がなさそうな感じだったが、次第に耳を傾ける気になったらしい。いつになく真面目な顔で、ナーリアの話を聞いていた。
 「っていうか。それなら尚更、わたしは適任じゃないと思うんだけど……」
 一通り話を聞き終えた後で、シズクが言った第一声がこれだった。
 「だよな」
 「ところが、よ。そこをこのぶっ飛んだほけほけ師匠が『どうしてもシズクさんを』って譲らなくて……」
 シズク、リース、アリス三人のため息が、見事にハモる。その横で当のセイラは、無敵の好青年スマイルを浮かべて、彼らの様子を見つめていた。
 強度に反して微量しか魔力が漏れていなかった結界の事。その結界を張ったのが、どうやら魔族(シェルザード)であるらしい事。そして、事の首謀者が魔道士としてそれなりに名高いエレンダル・ハインである事。
 これら全てにおいて、シズクのような見習い魔道士が関わるには、少々どころか相当荷が重い内容だった。特に、器としての能力が強力すぎる彼女にとって、魔力を察知しにくい結界というのは致命的とも言える。
 「依頼の内容としては、ジョネス国のエレンダル氏の自宅を訪れ、魔法連の査察として彼の自宅や近況の調査を行うこと。あとは、イリスピリアまでセイラ様をお送りする事ね。それが終わったら、セイラ様がレムサリアに帰国されるのに同行して、オタニアで別れる。ざっと見て行程1ヶ月、と言ったところかしら」
 何かのメモでも読み上げるような口調でナーリアが言った。
 「言ってる内容はよく分かるんだけどさ。やっぱり何でわたしが、って思うのよね。それに、ナーリアもわたしに調査云々を任せてどうなるか予想できると思うんだけど」
 「まぁ一抹の不安が無いと言えば嘘になるけど。何事も人生経験よ」
 未だに不服そうな表情を浮かべているシズクを見て、ナーリアは軽いため息をついた。一抹の不安どころではない。大いに不安である。と感じているのがその疲れた表情からありありと理解できる。彼女とて、シズクが旅に同行する事を完全には納得していないのだろうが、いかんせん隣に座っている学校の最高責任者たるカルナがそれを了承したのだ。この時点で、彼女は反論する権利を完全に失っている。それに、たとえ反論出来たとしても、目の前のこの水神の神子を説得できるだけの論法など、彼女が持ち合わせているはずなかった。それが分かっているから、彼女は何も言わないのだろう。
 「護衛として雇うわけではないので、やむを得ず戦闘をする事になった場合でも、無理に参加しなくても大丈夫ですよ。僕みたいに逃げたり隠れたりしておけば、あとはリースとアリスが解決してくれますから」
 「人を掃除屋か何かと勘違いしてないか、セイラ」
 「たまには手伝って欲しいんですけどね、師匠」
 のん気な笑顔を浮かべるセイラの隣で、リースとアリスはうんざりした表情を浮かべてやる。今のセイラの言葉は決して冗談ではない。彼は本当に戦闘になったら逃げたり隠れたりするのだから。仮にも高位呪術師だと思うのだが……
 「はあ……」
 半ば無理やりに固まりかけているこの契約に、シズクは呆けた声を出す事しか出来なかった。
 戦闘には加わらなくても大丈夫。ただ付いて来るだけでオッケー。そんな雇われ魔道士、世界中の何処をさがしても、おそらく見つからないだろう。
 「……まぁセイラ様はこう仰ってるけど、見習いとはいえあなたは魔道士で棒術も使えるんだから。雇われたからにはそれなりに役に立ちなさいよ」
 呆けた様子のシズクに向かって、ナーリアは念を押すように言った。
 「言われなくても分かってるわよ……」
 不服そうにシズクも返す。
 「まぁ少々荷が重いかもしれないですけどね。あなたにとってもいい経験になるでしょう。世の中を知るのは意味のある事です、シズク。それに――イリスピリアに行くのは、初めてでしょう? 一度は見ておいた方がいいですよ、あの国は」
穏やかなブラウンの瞳をシズクの方に向けて、カルナが言った。
 大国イリスピリア――金の救世主(メシア)シーナが生まれた伝説の地。大陸に住む者ならば、一生に一度は訪れたいと願う国だ。彼女とて例外に漏れず、そのうちの一人であるだろう。しかし、重い任務であるのだ。
 「…………」
 しばらくの間、シズクは迷うように視線を泳がせていた。
 本当にこの依頼を自分が請けていいのだろうか判断しかねている様子だ。
 しかしやがて、おもむろにセイラの方を見ると二人は見つめあう形になった。不思議な青い瞳と夜闇を思わせる黒瞳の攻防。どちらが勝利するか、その結果は火を見るよりも明らかな事だ。屁理屈大王の水神の神子様に、一介の見習い魔道士が勝てるはずが無い。
 「よろしくお願いします」
 へらっと笑うと彼は、有無を言わさぬ響きでもって、一言そう告げた。



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