追憶の救世主

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第2章 「依頼」

8.

 「ふぅ……」
 一人きりの部屋に、静かなため息が漏れる。
 アンナ・アレセントは、それまで読んでいた本をゆっくり閉じると、長年使い込んだ彼女の机の上に静かに置いた。色がはげかかった机の上に、少し古めのその本は良くなじむ。特別面白いとも思わなかったが、まぁそれなりに楽しめる内容であったと思う。
 「一人ってやっぱり暇よね」
 一人ごちる。
 先ほどまでいた彼女のルームメイトは、彼女達二人の世話役兼教官によって連れて行かれてしまった。用件は校長からの呼び出し――これが何を意味するのか、この学校の生徒でなくても分かるだろう。つまりはそう、お仕置きと言うわけだ。まぁ原因の一部を作ったのは、他ならぬ自分なのだが……。
 「そういえば、何で仮病なんて使う気になったのかな……私」
 シズクがナーリアにしょっ引かれて行った原因は、無断外出中を彼女に発見されてしまったからだ。その点に関してはシズクに落ち度がある。が、元はと言えば、今日無断外出する『当番』はアンナだったのだ。そこを今朝になって、魔法で小細工した仮病でもって彼女はその仕事をシズクに押し付けたのだ。
 正直な話、別に行ってもよかった。確かに『当番』は面倒くさいし、最悪、今日のシズクのようにナーリアに発見される可能性もある。だが、人に押し付けるほど嫌だったのかというと、そうでもなかった。
 なかったのだが……
 「……ま、出来心ってやつよ、多分」
 そう結論付けて、アンナはこれ以上考えるのをやめた。考えてもあまり意味の無い内容だろうし、答えが出るわけでも無い。それ以前に、答えそのものがあるのかどうかも疑問だ。
 「それにしても、ハードなお仕置きってどんな内容なんだろうね」
 先ほどのナーリアの言葉を思い出す。
 どうやらシズクも気づいていたようだが、先ほどのナーリアの様子は、やはりどこかおかしかった。ハードな内容。そう告げた時の彼女の、どこか疲れた顔が頭に過ぎる。
 無断外出はそんなに重大な違反ではない。違反に大も小も無い、とはナーリアの言だが。せいぜい反省文を書かされて、それにプラスで何かというパターンが多いはずなのだ。
 それが今回はどうやら違うらしい。違うといっても、いつものお仕置きを単に重くしたものとは違う。もっと根本から、罰やお仕置きといった次元からすらかけ離れた何か? ナーリアのあの表情が、そう言っていたような気がする。
 根拠は無いが、そうした考えがふつふつと胸に浮かんでくる。
 「シズクのやつ……大丈夫かな」






 「大丈夫じゃなーーーいっ!!」
 廊下をずんずん進みながらシズクは、大げさに叫んでいた。乱暴に歩いているせいだろう、後ろで一つに束ねた髪が首筋にぴしぴし当たるのが感じられる。だがそれも、今は大して気にならない。今の自分の状況の方がその100倍は気になるのだから。
 もともとよく通る声であるのも手伝って、声は一気に廊下中に響き渡った。夜という事もあって廊下に人はあまりいなかったが、運悪くその場に居合わせた者は、彼女の突然の剣幕にびくりと背中を震わせた。それだけではない。声に驚き、何事かと部屋から顔を覗かせる者までいる始末。
 「シズク、うるさい」
 「そりゃぁうるさくもなるわよ! 一体全体何を考えているの、あのほけほけ好青年は!!」
 言って、わなわなと肩を震わせる。相当頭に来ているらしい。
 「……確かに的を射た表現だと思うけど、それ以上は失礼だから言わないようにね。張り倒すわよ」
 疲れた表情でナーリアがたしなめた。シズクの『ほけほけ好青年』という単語をとらえての言葉だろう。
 ナーリアの多少脅しの入ったその言葉に、さすがにシズクもぐっと口をつぐんだ。張り倒す、と言ったからには彼女は確実にそれを実行するだろう。これ以上は言わないのが得策だと判断し、シズクは思考を切り替えることにした。

 応接室に行く道すがら、ナーリアから自分が呼ばれた用件を聞いて驚いた。あろう事か、水神の神子が旅に同行する魔道士に自分を指名したと言うのだから。
 すごい事とか名誉な事とは思わなかった。さすがに自分の立場や実力くらいはわきまえているし、それが水神の神子の同行人になるだなんてとんでもないというレベルであるのも、分かっているつもりだ。どう考えても、彼の立案は暴挙だ。
 「まったく……」
 あのおっとりした顔を思い浮かべて、シズクはため息をついた。
 最初に会ったときから、一体何度彼にペースを乱されたことか。今回の件も、はっきり言っていい迷惑である。それに、向こうにしてみても、こんな見習い魔道士が一人増えた所で一体何の得になるというのだろう。百害あって一理なし。……自分で言うのは、少し悲しい気がするが。
 「あぁぁもうっ! どうなってんのよ!!」
 一際よく通る声で再び飛び出した言葉は、そのままの勢いで廊下に響き渡った。






 「一つ、気になっていたんだけど……」
 会話が丁度途切れた瞬間を見計らって、おもむろにリースが口を開いた。
 それまでお互いを見合っていたセイラとカルナも、彼の言葉に視線を寄せてくる。さきほどまで真剣な表情を浮かべていた水神の神子は、もうあの陽気な笑顔に戻っていた。それを横目で何となしに確認してから、彼は更に続ける。
 「なんであいつ、あんな場所にいたのかな、って」
 「あいつじゃなくてシズクさんでしょ? ……とまぁ、確かに気になるところではあるわね」
 そう言って、アリスは手を口元へ持っていく仕草をする。考えるときの彼女の癖だ。
 あんな場所というのは他ならぬ『菜の花通り』のことである。人通りの全く無い、閑散とした廃墟の通りだった。リースたち三人は、野盗から逃げ回るうちにいつの間にかあそこに迷い込んだのだ。やたら入り組んだ構造の上に、劣化のため、看板などという親切なものは既に朽ち果ててしまっていた。セイラには言っていないが、アリスと落ち合いセイラを見つけ出すまでに彼らは相当苦労したのだ。
 ところが、だ。
 あの時のシズクの様子を見る限り、迷い込んだといった感じではなく、むしろ意図的にあの場を訪れていたといった感じだった。
 ナーリアと出会った後、街中へ出るまでは彼女の先導だったのだから、相当にあの通りの事を把握している筈だ。
 何も無い通りだと思うのだが……その事がずっとリースの中で引っかかっていた。
 「あぁ、あそこの事ですか」
 誰も発言が出来ないかに見えたが、やがて納得した様子のカルナの声が聞こえた。
 見ると、どこか笑いを押し殺しているような、そんな表情を浮かべている。
 「知ってるんですか?」
 「えぇ」
 リースの興味深そうな視線を受けて、カルナは頷いた。
 「昔からあの子達が『当番』を決めて、時々訪れている場所ですよ」
 「……当番?」
 リースは怪訝な顔で呟くと、隣にいるアリスを見た。アリスもまた、リースと同じような表情を浮かべている。
 「大した場所ではありませんよ。シズクの名誉のためにも、私の口からこれ以上は言えませんが……そうですね。後で直接、あの子に聞いてみたらいいでしょう」
 まるで、素晴らしいいたずらを思いついた子供のような笑顔で言う。リースとアリスは、お互いに目をあわすと不思議そうに首をひねった。
 「それに――そろそろ来たみたいですし」
 「え?」
 カルナに言われて、三人は一斉に扉の方を振り返る。
 同時に、床をどかどか踏み荒らしてこちらへ掛けてくる足音が聞こえだした。
 随分急いでいるようだ。音は徐々に大きくなると、やがて応接室の前でぴたりと止んだ。
 (さて……どうなる事やら)
 カルナが一人小声でそう呟いてため息をついた事に、リースたちは気づかなかった。
 豪快に扉が開かれたのは、そのすぐ後だった。
 「125!!」
 ノックも挨拶もなく、ただ高く通る声でこう一言。一同の視線の先には、予想通りの人物が憮然とした表情で立っていた。



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