追憶の救世主
第3章 「伝説の店」
2.
出発の朝は、見事な晴天だった。雲ひとつ無いとは、まさにこの事を言うのだろうなとシズクはぼんやり思う。真っ青な空の色だけがオリアの空に延々とのびていた。元々それほど雨が降らない地域ではあるが、こんなにも綺麗に晴れ渡ったのは数週間ぶりではないだろうか。しかし、そんな天気とは裏腹に、気持ちの方はどこか重苦しかった。
「なぁ〜に暗い顔してんのよ!」
高めの声がしたのとほぼ同時に、肩に軽い衝撃が走った。のんびりと振り返って見てみると、そこには予想通りの顔がある。アンナだ。
「……そりゃー暗くもなるわよ。いきなりイリスピリアまで行って来いだもの。それに、途中でややこしい事にも首を突っ込まないといけないし」
「そう? 大国イリスピリアよ? 生きているうちに一回は行っておきたい国ベスト3に絶対入る国じゃない! しかも、水神の神子様と美形の同行人2人と一緒って言うんだから。うらやましがる子も多いと思うわよ」
そう言ってアンナは、シズクにあわせていた視線をずらすと、シズクの後方で校長と話しこんでいるセイラに熱い視線を送り始めた。言われなくても分かる、うらやましがっている子のうち一人は間違いなく彼女本人だろう。
そんなアンナの様子に、シズクは呆れたようにため息をもらした。シズクにしてみれば、昨日のどたばた以上の事が予想される旅なんて、全然嬉しくない。それに、セイラの『あの』性格を多少理解している事もその気持ちに拍車をかけていた。まぁ……外へ出られる事や、イリスピリアに行ける事が楽しみではないと言ったら嘘になるが。
「やっぱりなぁ……」
再びため息を一つ。
「何がやっぱりなの?」
と、アンナとは違う声が横からかかって、シズクは一瞬ひるんだ。なぜかこの声を聞くと、逃げたり隠れたりしなければいけない気がする。
「ナーリア」
「これから名誉ある仕事に携わろうって子が、何暗い顔してるのよ。しゃきっとしなさい、しゃきっと!」
そう言ってナーリアは、腰に手を当てるお決まりのポーズを取った。その横で、アンナまで「そうよそうよ」とはやし立てる。
「はいはい分かったから……まったく。行くのはわたしで、アンナやナーリアじゃないのに。なんで二人の方が張り切っているのよ」
そして再びため息。
「感謝しなさいな。わざわざこのために服から何から新調してあげたんだから」
シズクの全身を見渡すしぐさを見せてから、満足そうにナーリアが言った。
言われてシズクは少し浮かれた。そうなのだ。旅立つのにまさかあの黒ローブで行くわけにはいかないということで、旅用の服や道具を用意してくれたのだ!
もちろん用意したのは学校なのだが、聞くところによると、見立てたのはナーリアらしい。動きやすいズボンスタイルで、上着の胸元には魔法連所属の証明である紋章が小さく刺繍されていた。そして、少し洒落たマント付き。昔からナーリアはこういうセンスに長けていたので、見立ては正解だった。しかも、幼いころから一緒にいるため、シズクの好みをばっちり捉えてある。小さい頃に憧れた正義の女魔道士みたいで、旅立つのに気が進まないシズクもこれはさすがに嬉しかった。
「急な事だったから万全の準備は出来なかったんだけどね。いい服でしょ」
「うん……ありがとう」
言われて、ちょっと照れくさそうに笑った。
「羨ましいなぁ、普通なら卒業するまであのだっさい黒ローブだもの」
「ださいは余計よ、アンナ。まぁ、確かにずっとあれだと飽きるけどね」
「でしょ? あとあの教官服も何とかならないものかねぇ。モスグリーンよ!? さすがにちょっとアレだと思――っぃた!」
次の瞬間にはアンナの頭に、すかさずナーリアの拳が舞い降りていた。その様子を見て、シズクは少し寂しそうに笑った。いつものじゃれ合いなのだが、これも今日でしばらく見納めなのだと思うと正直寂しい。次見られるのはいつの話なんだろうなと思うと、気が遠くなった。別にこれが永遠の別れという訳じゃないのに。
そんなシズクの気持ちを悟ってか、ナーリアとアンナもいつの間にか黙り込んでいだ。しばらく間をおいてから、決心をしたように声を出したのはナーリアだった。それが、別れを意味するようで、シズクの表情はあまり冴えない。
「……お金を渡しておくから、オリアの町で足りないものを買いなさいね」
「うん」
「セイラ様がいるから心配無いとは思うけれど、戦闘で危なくなったら深追いせずに避難するのがいいと思うわ」
「う……それはちょっと情けないかも――」
「情けなくても駄目! あんたはまだ未熟者なんだから。分かった?」
「…………はい」
仮にも魔道士なのに、戦闘中に避難だなんて。それに、役に立ちなさいと言ったのは、ナーリアなのに。
そう思ったが、真剣な顔で睨まれてしまっては何も言えない。しぶしぶ頷いた。
「とにかく、気をつけてね。ジョネス国に着いたらそこにも魔法学校があるから、報告はそこに出してちょうだい」
「分かった」
「あと、くれぐれも迷惑はかけないようにね。あんたの事だから、どんな失礼な事をしでかすか心配で心配で――」
「だから分かったってば! もう! 相変わらずナーリアは心配性なんだから」
さすがにしつこい、とシズクはむくれてナーリアを軽く睨んだ。
睨まれて、ナーリアは一瞬ハッとしたように目を見開くと、
「……そうね。シズクももう子供じゃないのよね」
と、決まり悪そうな笑顔になる。
ナーリアの方から折れてくるなんて珍しい。どんな反論が返ってくるかとかまえていたシズクにとっては、彼女のこの反応は拍子抜けだった。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「うん……ありがとう」
ナーリアの笑顔がどこか寂しそうなのは、気のせいではないだろうなとシズクは思った。
「がんばってきなよ!」
「うん、アンナもね。次の試験でも主席を目指すんでしょう?」
「当たり前よ! あんたが帰ってくる頃にはもう結果が出てるかもね」
自信満々に笑うアンナの目にも、少しだけ涙がにじんでいた。
寂しいと感じるのは、自分だけではないのだ。そう思うと、切なくなると同時に少しだけ嬉しかった。心配して、帰りを待っていてくれる人たちが自分にはいる。本当の家族はいないけれど、シズクにとって彼女達がまさに家族だった。
そんな事を考えていると、出発を知らせるリースの声が聞こえてきた。校長との話も済んだらしく、セイラもこちらの様子を見ている。
「じゃぁ、行ってくるね!」
泣きそうなのをこらえて、シズクは満面の笑みでそう告げると、次の瞬間にはリース達の方へと走り出していた。
「セイラーム・レムスエス。あ、呼ぶときはセイラでいいです。出身はレムサリア。年は今年で29歳。職業はまぁ、しがない水神の神子をやっていて一応呪術師です。趣味はぼーっとする事、特技は――」
「どこまで続ける気だよ。ってか、しがないって何だよ、しがないって!」
晴天の空の下で、豊かな草原がまっすぐに広がっている。オリアへと続く主要道だ。舗装が行き届いており、足場は良好だった。
その草道を歩いている一行のうち、リースから呆れた声で突っ込みが飛んだ。確かに、天下の水神の神子が『しがない』はずがない、とアリスとシズクも横で頷く。というか、正直。シズクは彼が29歳という事実に一番驚いていたりするのだが。外見は明らかに、それより若干若く見える。シズクはナーリアと同じ年くらいだと思っていたのだが、この予想は大外れだったという訳だ。
「いやだなぁ、自己紹介に趣味と特技は必須じゃないですか。あ、ちなみに特技もぼーっとする事です」
相変わらずのほけほけ笑顔でセイラがのんびりと言う。リースの突っ込みなど全く意に介していないようだ。
その様子を見て、リースは諦めたように深いため息をついた。
オリアに行く道すがら、自己紹介をしようと言い出したのは他ならぬセイラだった。お互いの名前はなんとなく知ってはいたが、旅を共にするのだからもう少し詳しく知っておいた方がいいと言うのだ。そうして他の3人の意見を聞く前に、勝手に彼から自己紹介を始めてしまったという訳だ。
確かに彼のいう事が正論だと思ったので、3人はセイラのするままにさせていたのだが。
「まぁ僕の事はこんなところですかね。はい次、リース」
俺かよ。とリースは少し怪訝な表情を浮かべたが、皆の顔を一瞥すると少しだけ照れくさそうに自己紹介を始めた。
「リース・ラグエイジ。17歳。出身はイリスピリア」
「へぇ、イリスピリアなんだ」
感心したようにシズクが呟いた。
イリスピリア出身者と会うのは、もちろんこれが初めてだった。これから向かおうとしている国、しかも世界中の人々が憧れる国だ。そんな国の出身者と聞いて、羨ましいという気持ちが起こらないはずが無い。
「まぁな。といっても人口も多いし面積も広いし。意外と多いと思うぞ、イリスピリア出身ってのは」
「へぇ」
「職業……って言っていいのかどうかわからねーけど、剣士。こんなところかな」
「趣味と特技が残っていますよ」
「……趣味は読書。特技は言語学」
セイラの一言に、リースはあからさまに嫌そうな顔を見せたが、しぶしぶそう付け加えた。その様子にセイラは満足そうに微笑むと、次はアリス。と促した。セイラに指されて当の彼女は、バラ色の口元をはにかむように引き伸ばしてから言葉を紡ぎだす。
「アリシア・ラント。皆からはアリスって呼ばれているわ。年はリースと同じで17歳ね。出身はエラリア国で、あと、職業は呪術師。見習いだけどね」
言って、シズクに向かって微笑んだ。
リースもそうだが、17歳にしては彼女は大人びていて、それにやはり美人だ。自分と同じ年とはあまり考えられない。正直、年齢を聞いてびっくりしていた。
「趣味はお茶を集める事と散歩。特技は……そうだなぁ、利き茶かな」
「利き茶?」
「何種類かのお茶を淹れて、それを一つ一つ当てる事ですよ。アリスはお茶が好きですからねぇ。あと、いくつかの種類のお茶の葉を混ぜたものを淹れて、中に入っているものを言い当てるという事もできます」
不思議そうな表情を浮かべたシズクに、セイラが説明を入れた。それを聞いてアリスに尊敬のまなざしを送るシズクに、何の役にも立たないけれどね、とアリスが苦笑いした。
「さて、最後はシズクさんですよ」
言われて、どきりと胸がなったのが分かった。たかが自己紹介だが、やはり自分の番ともなると緊張してしまう。シズクは呼吸を整えると、皆の方へ向き直った。
「えーと、名前はシズク・サラキス」
「サラキス?」
怪訝な表情を浮かべるリースに、シズクは一瞬何事かと思ったが、すぐにハッとなる。
「あぁ、校長と同じ名前よ。わたしを含め学校に入った時点で孤児だった子は、みんな校長の養子扱いだから、自分の名前を覚えていない子は校長の姓を名乗る事になるのよ。もっとも、私の場合は下の名前も覚えていなかったからシズクって名前も付けてもらったんだけど」
軽い口調でそう説明を入れる。孤児である事実が、その話しぶりからは少しも重く感じられなかった。それを見て、リースはほっとしたような表情を浮かべる。
「なるほどな」
「出身は、覚えてないけど多分オタニア。年齢は17歳で――」
『17歳!?』
シズクの言葉を遮って、リースとアリスの声が見事にハモった。
二人とも驚いた表情で、シズクの方を見ている。
「俺と同じ年? マジで?」
「私もてっきり年下かと……」
信じられないといった様子の二人を見て、シズクは憮然とした表情を浮かべる反面、やっぱりそう来たかとも思った。初対面の人に年齢を訊かれて、一番良くある反応だからだ。
「どうせ童顔ですよ……14歳以上に見られたためしが無いんだから」
「うん、無理もねぇな」
身も蓋もなくそう言ってのけたリースを、シズクは半眼で睨みつける。
(ただでさえ気にしている事を、コイツは……)
「か、可愛いってことよ! ほら、シズクって目大きいし。だからちょっと幼く見えるんじゃない?」
アリスがあせった様子でフォローを入れてきてくれるが、それもシズクにとってはやはり少し悲しいものがあった。どういう風にフォローされても童顔であることは変えようのない事実なのだ。こればかりは本当にどうしようもない。親を恨もうにも、その親の記憶自体が無いのだからそれもできなかった。
しばらくの間リースを睨みつけていたシズクだが、気を取り直すと自己紹介を再開した。
「職業は知っての通り見習い魔道士。趣味は読書で、特技は棒術とあと一つは内緒」
「内緒ってなんだよ」
「いいじゃない、別に」
さっきの事でまだ怒りがさめあらないシズクは、急に声のトーンを落としてからそう言った。ムッときたようで何かを言い返しかけたリースだったが、アリスがすかさずそれを止めてくれた。
「そ、そうそう! シズク。オリアでいいお茶屋さん知らない?」
「お茶屋?」
「昨日出してもらったリコってお茶。気に入っちゃったのよ。少し買っていこうかと思って」
アリスの言葉を聞いてシズクは、あぁあれね。と納得したように小さく呟いた。
「おいしいでしょう! 名産なんだけど、値段も安くてお手ごろなのよね」
「うん。旅の買出しをする合間にでも、寄ってくれると嬉しいんだけど」
「了解。案内するよ!」
満面の笑みを浮かべてシズクが了承の言葉を口にした。それを見て、アリスも笑顔でありがとうと礼を述べた。その横で二人のやりとりを見ていたリースが何かをひらめいたらしく、ぴたりと足をとめる。
「そういえば、オリアで思い出したんだけど」
突然のリースの言葉に、出発しようとしていた一同の足も止まった。一体何事かと、言葉を発した張本人に視線が一気に集中する。その中でシズクだけが、なんなのよ。と不機嫌そうな表情を浮かべていた。先ほどの事がまだ彼女の中でイライラとなって残っているのだ。
「おまえ、昨日は何であんな場所にいたんだ? 廃墟ばっかりで、何もない通りなのに」
そう言って視線をシズクの方へ持って行く。胡散臭そうにこちらを見やる視線を受け、シズクの表情も余計に不機嫌になった。あんな場所というのは聞くまでも無い、菜の花通りの事だろう。
「言ったじゃない。友人からの頼まれごとだって。大した用事じゃないわよ」
「大した用事じゃない割に、学校を抜け出してお忍びだったじゃねーか。ナーリアさんに追いかけられてたのはそのためだろう?」
「そういえば、カルナさんが言っていた『当番』というのも気になりますね」
思い出したようにそう言うと、セイラまでシズクに詰め寄ってきた。シズクにしてみれば、余計な事を思い出してくれたといったところだ。
「……とにかく! 買出しに行こう!」
これ以上この内容の話を続けたくなかった。シズクは誤魔化すように一際大きな声でそう告げると、納得いかないといった表情の3人を置いて草道をやけに大きな歩幅で歩き出していた。
「行くのは良いけどさ。具体的に何を買うつもりなんだよ」
先を進んでいたシズクに追いついてきてから、リースが尋ねる。
「何って……」
「おまえ。まさかそれも考えないで買出し買出しって騒いでるのか?」
「違うわよ! えーと……」
一応反論はしてみるものの、すぐに言葉に詰まると、少し焦った様子で考え出す。しかし、なかなか返事は彼女の口からは出てこなかった。どうやら、リースの言った事もあながち間違えでは無かったようだ。いつの間にか、足を休めて考え込んでいた。何気なく上空を仰ぐと、どこまでも伸びる青空と、ちぎれちぎれに浮かぶ綿雲が瞳に映る。
「最低限のものは揃えてくれたんだけど……そうだなぁ、もう少し道具が欲しいかも」
考えた末に出てきた答えがそれだった。
「道具?」
「うん。マジックアイテムってやつ。あったら結構便利だし」
これにはさすがのリースも感心したように声を漏らした。マジックアイテムとはその名の通り、魔法のこもったアイテムの事だ。ただでさえ魔道士が珍しい世の中で、マジックアイテムという物自体、実物を見た事がある人はそう多くないだろう。
「でも……町中にマジックショップなんてあったかしら?」
後ろから疑問の声を上げるアリスを見て、リースも頷いた。昨日見て回った限り、オリアにマジックショップは一軒も無かった。魔道士の数自体少ないので、そういった店は小さな町には存在しない事が多い。が、オリアは小さくとも魔法学校の近くに位置する町である。あっても良さそうなものだ。不思議だなとは思ったのだが。
「うーん、これがあるんだな」
ぼんやりと呟いたシズクの言葉に、シズク以外の3人は驚いて目を見張った。もっとも、セイラの驚いて目を見張った顔は、彼を良く知る物以外から見たら興味深そうに微笑んだように見えるだろうが。
「それは一体どこにです?」
「えーと……」
セイラに笑顔で尋ねられて、シズクは少し困ったなという表情を浮かべる。言いにくそうに口をつぐんで、しばらくの間一同を見渡す。明らかに困っている。しかしやがて、まぁいっかと呟くと、一言こう言った。
「菜の花通り、よ」
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