追憶の救世主

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第5章 「魔道士の城」

2.

 昨日の雨が嘘のように、翌日は見事な晴天だった。
 カーテンを勢い良く引くと、朝日が優しく部屋の中に差し込んでくる。窓から見えるのは、爽やかな空の青。それが見る限りどこまでも続き、雲は真っ白に輝いているのだ。やっぱり晴れの日はいい、とシズクはつくづく思うのだった。
 ふと隣のベッドを見ると、整理整頓されたアリスの荷物が、昨日のままの状態で置かれている。アリスが身一つで誘拐されてしまったので、彼女の荷物は未だに宿屋にあった。楽しそうに荷物の整理をしている彼女の姿がぼんやりとシズクの脳裏に浮かぶ。昨日の出来事なのに、まるで遠い過去に起こった事のように感じられた。
 これは余談になるが、昨日の夜、これからの事を話し合う際、アリスの荷物を誰が運ぶのかという話も話題に上っていた。
 量もそれほど多くないのでその場でシズクが持つことを申し出たのだが、それは即座に、男二人によって丁重に断られてしまったのだ。いくら、のほほん好青年と、口の悪い美少年でも、その辺の紳士的な振る舞いに関しては気が利くようだ。シズクは正直、拍子抜けだったのだが。
 リースとセイラの物言わぬ攻防の末、「もちろんあなたが持ってくれますよね、リース」と、無敵の好青年スマイルを浮かべたセイラの独断によって結局リースが持つことに決まったのがその数分後の事。もちろんリース本人はというと、その決定にさんざん文句を垂れていたが、セイラの必殺スマイルの前に、なす術も無かった。
 そんな事を思い出し、思い出し笑いを浮かべていると、ドアのノックが耳に届く。
 「…………」
 ぼんやりとシズクは、扉の方へと視線を向けた。部屋のルームサービスではないだろう。早朝に出発すると、昨日宿屋の主人に伝えたのだから。
 (いちいち考えていても仕方がない、か)
 そう、心の中で呟くと、どうぞと軽く返事をする。すると、ゆっくりドアが開いて予想通りの人物が部屋に入ってきた。
 「何の用よ」
 「……あのなぁ。出発を知らせに来た人間にその態度は無いだろうが」
 開口一番そんなセリフをはき捨てるシズクに、部屋に足を踏み入れたばかりの人物――リースは呆れた声を出す。しかし、それには答えず、シズクはただ警戒心むき出しの表情でリースを睨み続けていた。
 二人の間にぎくしゃくした空気が流れ始める。無理も無いというものだろう。……昨日、あんな事があったのだから。
 「……昨日は、悪かったよ。あんな事無理矢理聞き出して」
 意外にもリースはあっさり折れた。軽くその蜂蜜色の髪を掻くと、決まり悪そうな表情で謝罪の言葉を述べたのだ。
 「…………」
 「…………」
 そこで再び訪れる、沈黙。
 あんな事というのは他でもない、シズクと魔族(シェルザード)の関係の事だろう。
 昨日の夜、宿屋の廊下でリースに問い詰められた末に、シズクが告白した。シズクの住んでいた町が、魔族(シェルザード)によって襲われたのだ、と。
 さすがのリースも、その事実を聞いてからはそれ以上の追及はしてこなかった。まずいことを聞いてしまったという自覚があったのだろう。
 しかし、シズクにしてみたらなんだか拍子抜けだった。
 「そ、そんな意外すぎる態度とられたらどうして良いか分からなくなるじゃない!! 素直に謝るリースなんて気持ち悪い」
 「お前……素直に謝ってるってのになんだよそりゃぁ。それになんだ、不自然って。俺はいつでも正直者だっての!」
 「リースが正直者ねぇ」
 ぷっと思わず吹き出してしまう。リースが正直者だったとしたら、世の中のほとんどの人間が正直者になってしまうのではないか。
 もちろんリースも嘘つきではないだろうが、シズクの分析によると彼は自分の気持ちを素直に出さない感がある。いわゆるひねくれ者の部類だ。
 そんなシズクの態度に、リースは不服そうな表情を浮かべたが、もうそれ以上は何も言ってこなかった。今日はやけに大人しい。こちらとしてもこれではさすがに気が引けてしまうではないか。
 そうまで考えて、急に体の力が抜けていくのが分かった。

 ……いつも通りで良いじゃないか。

 「……別にね、そんなに重く感じているわけでもないし、絶対に知られたくない事でもないよ。変に隠したわたしも悪かったわ。あんな態度をとられたら誰でも追及したくなるよね」
 苦笑い混じりに言った。
 自分から昨日の話をぶり返すのは正直気が進まなかったが、恐縮しきっているリースに少しだけ申し訳なかったから。それに、腫れ物に触るような態度をされるのもあまり嬉しい事じゃない。
 「それにさ、人に思い切ってぶちまけたらさ、少しすっきりしたし」
 これも確かな事実だ。昨日の夜、リースにぶちまけてから、少しだけ気分が楽になった気がしたのだ。……気のせいかもしれないが。
 「…………」
 シズクのそんな態度こそリースにとっては意外だったらしい。驚いたように目を見開き、少し考え事をしている様子だった。
 お互い素直すぎると、なんだか二人の会話もぎこちない。そう思うと、可笑しかった。
 
 「……魔族(シェルザード)に襲われた町」
 リースが控えめに言葉を発したのは、しばらくたってからだった。
 今までとは違う言葉の響きに、シズクの表情も引き締められる。部屋の空気も少しだけ張り詰めたものになった。
 「って言ってたけどさ。……ごめん、答えたくないならいいよ、ただ気になって」
 「続けて」
 控えめな態度をとるリースに対して、シズクの返事はむしろゴーサインだった。
 「…………」
 許可されたことに、リースは驚きを隠せないようである。少し戸惑った表情のままどうして良いか分からない様子だったが、やがてこう言葉を続けた。
 「魔族(シェルザード)にシズクの住んでいた町は襲われたんだろう? でも、俺の記憶が確かなら、俺の知る限りで、そんな町や村は一切存在しない。少なくともここ数百年」
 「その通りね」
 「シズクが何を根拠に魔族(シェルザード)だと思ったのか。って思ってさ。魔族(シェルザード)と人間の見分けは難しいから」
 確かにそうだ。エルフやミールなどと違って、魔族(シェルザード)と人間というのは極めて外見が類似している。判断基準としては、魔族(シェルザード)の瞳は例外なく青色だという事くらいであるが、人間にも青瞳は意外とざらに存在するため、あまり役に立たない。つまり、魔族(シェルザード)と人間の区別など、本人がそう名乗りでもしない限り不可能なのだ。
 今回のクリウスの場合は、魔族(シェルザード)文字で魔法を使っている事から判断できた。本人も自分が魔族(シェルザード)である事を名乗ってもいる。
 だが、シズクの場合は違うはずだ。そう言いたいのだろう。
 「確かにわたしもそう思う。でも、疑いようがないのよ。だって、あのシェルザードは銀髪だったし、それに……」
 そこで一旦言葉を切る。記憶の光景が浮かんできて、一瞬つよい嫌悪感に襲われる。
 銀色の輝く髪の毛、そして――
 「紅い瞳。そう、あの魔族(シェルザード)は、紅い瞳を持っていたんだから」

 ガタンッという音がした。
 見ると、リースがそれまで座っていた椅子が倒れている。この部屋に入ってきたときから、彼は部屋付きの椅子でくつろいでいたのだ。その椅子が倒された。他でもない、リースが勢い良く立ち上がったせいで。
 「紅い瞳――だって?」
 驚愕の表情を浮かべた状態で、リースは立ち尽くしていた。信じられないといった様子だ。
 銀の髪に紅い瞳。
 それは、魔族(シェルザード)の中でも一族の長である『王』を示す特長だった。
 伝承によると、魔族(シェルザード)の王は例外なく銀髪を持って生まれ、そしてその瞳は血の色の様な真紅だという。この色の組み合わせだけは、人間の中では絶対に有り得ない。
 「……それは本当の事なのか?」
 「わたしの記憶が確かならね。信じたくないけどさ」
 リースの質問に、シズクは即答するといった形をとる。
 信じたくないけれども、あの瞳の色は一度見たら決して忘れられるものではない。本当に血のように紅いのだ。
 町が壊滅したショックで自分の元々の名前や、家族に関する事を一切忘れてしまったシズクでも、あの瞳の色だけは記憶の中に嫌というほど刻み付けられていた。もっとも、誰に話してもこんな話は信じてもらえなかったのだが。
 シズク達が児童保護所に連れてこられた当時、オタニアには激しい内乱が起こっており、壊滅させられた町は全て、人間による戦闘に巻き込まれたのだ。魔族(シェルザード)の出る幕ではない。唯一信じてくれたのは、カルナ校長だけだった。
 「ってことは魔族(シェルザード)の親玉が人間の町に手を出したって事か? 信じようにも信じられない話だぞそりゃ」
 「だからこうして魔族(シェルザード)を探してるのよ。彼らに会えたら何か分かるんじゃないかと思って」
 シズクの言葉に、リースはなるほどね。と小さく呟いた。
 魔族(シェルザード)を探す。
 それしかシズクに出来る方法は無かった。記憶にあるのがそれだけなのだから仕方がない。それ以外は全て失ってしまったのだから。
 もちろん、彼らと会えたところで何もわからずじまいという可能性だってあるのだけれど。と、そこまで考えが及んだところで、ある重要な事を思い出した。
 もう一つだけ、自分を知る手がかりがあったのだ。
 「リース」
 「へ?」
 「あんたって確か、言語学マニアだったわよね」
 「言語学マニアって……なんかヤだなその響き」
 シズクによるリースの新たな称号に、本人は明らかに嫌そうな顔をした。しかしシズクはそんな彼の様子など一切無視すると、ごそごそと首筋をまさぐってあるものを手に取っていた。

 「これに書いてある文字だけどさ。何の文字だか分かる?」
 シャランッと。軽い金属音がたった。朝日を浴びて、それは美しい銀の軌跡を作る。リースの目線は瞬時にそちらへ移動していた。
 シズクの首から今しがた取り外されたそれは、銀のネックレスだった。銀の鎖に長方形のプレートが通された、例のネックレス。魔族(シェルザード)以外に、自分の過去を知る手がかりとしたら、これしかない。
 シズクは、プレートの宝石がついてある方と反対側をめくると、指し示すように人差し指をあてた。その先には、不思議な模様と不思議な文字が刻まれている。
 「……これがどうしたんだよ」
 「何の文字か、分かったらでいいから教えてよ。いいでしょ? わたしもリースの疑問に答えてあげたんだから」
 痛いところを突かれてリースは言葉に詰まった。確かに、あまり答えたくないだろう事についてたくさん質問して、いろいろ答えさせたのは事実である。の割に今のシズクは落ち込むどころかむしろ元気というのは、とりあえず置いておくとして、だ。
 「分かったよ」
 しぶしぶリースはシズクの要求を呑むことにしたようだった。不詳不詳彼女から差し出されたネックレスを受け取ると、それを目の高さに掲げた。細かい文字なのでそうでもしないと良く分からないのだ。
 始めは大して興味が無い様子だったが、文字を目にした途端に気が変わったようである。リースは目を大きく見開くと、一瞬だけシズクの方に意味ありげな視線を送ってきた。シズクはというとその視線の意味が全くわからず首をひねるだけだったが。






 「……このネックレス。何処で手に入れた?」
 数分経過しただろうか。
 それまでネックレスの不思議な文字に集中していたリースが、一言そう言ったのだ。
 それまでの声色とは一転して、妙に真剣な声だった。しかし、視線は未だにプレート上の文字に注がれていた。
 「え? えっと確か、わたしが魔法学校に来るずっと前から。多分親の形見か何かだと思うんだけれど……読めるの?」
 「まぁな」
 シズクの質問に対するリースの返答は、全く持って素っ気無い。少し様子がおかしい。一体どうしたというのだろうか。
 「さすが言語学マニアね。校長しか読めなかったのよ、その文字」
 「校長? カルナ校長が!? 読めたのか、これを!」
 そこでやっとリースの視線はシズクの方を向いた。驚くほど真剣な瞳とぶつかって、一瞬胸が鳴いた。その瞳から読み取れるのは――驚きと、関心の色?
 「まぁ校長の専門は言語学らしいから……って、そんなに凄いの? その文字」
 「凄いもなにも。この文字は……いや、んな訳ねぇか。いや、でも……」
 「?」
 シズクが首をかしげる目の前で、リースはぶつぶつと一人問答を始めてしまった。あーでもないこーでもないを繰り返して、かなり混乱している様子だ。でもやがて、
 「あー、もうっ! 訳わかんねーよ。お前って一体何者なんだ?」
 そう言って一人で勝手に諦めてしまったのか、ネックレスをシズク強引に押し付けてきた。
 って、ちょっと待って欲しい。
 「な……訳が分からないのはこっちよ!」
 リースの突然の行動に、シズクも少々混乱気味である。
 こちらはただ文字の解読をして、その文字が一体何なのかを教えてもらいたかっただけなのだ。それがどうだ。何なのだ、この反応は。
 リースの様子を見る限り、文字の正体に絶対気付いているはずである。それなのに、一人で自問自答を繰り返すだけで、結局何も教えてくれない。昔、校長にこれを初めて見せたときと似たような反応である。
 「何者って言われても、しがない魔道士見習いとしか答えられないわよ! それ以外の自分を知らないんだから、それに――」
 「あーもう分かった分かった! いいか、この文字はな、すんげえ特殊な文字なんだよ。このプレートにしたって、お前みたいな魔道士見習いが持っている訳が無い代物さ。だからだな。きっと何かの間違いだ。偽物か何かに決まってるって」
 シズクの肩をぽんぽん叩きながらリースはそれだけまくし立てる。それはシズクに言っているというより、リース自身に言って聞かせているような口ぶりだった。
 怒涛のようにそれだけいい終えると、次の瞬間には彼は向きを変えて、そのまま扉の方へと歩いて行ってしまう。
 「そういう訳で、もうすぐ出発だからな。準備持ってロビーに集合だってよ」 
 振り向きざまにひらひら手を振ると、呆けた顔をしているシズクの目の前で割と素早く、扉は閉められる。突然の出来事だった。
 一体なんだと言うのだ。特殊な文字? 偽者?
 何の偽者か、教えてくれても良いじゃないか!
 「もうっ!! 一体なんなんだって言うのよ!?」
 シズクの不満そうな叫び声だけが、部屋に響き渡った。






 ガタンッと。
 やけに大きな音を立てながらリースはその辺の壁にもたれかかった。とりあえず、何かにもたれかかりたかったのだ。今しがた見たものの事が忘れられず、混乱のためか呼吸が少し荒い。
 「マジかよ……」
 そう呟いたきり、リースは黙り込んだ。信じられなかったのだ。いや、今でも信じているわけではない。あんなものがシズクの手元にあるはずがないのだ。きっと何かの間違いだろう。そう思おうとした。
 しかし、あの文字自体、そうやすやすと世間に出回るようなものじゃない。偽者を作るにしても、オリジナルが世間で出回らないと、無理な話だろう。
 それに――例のプレートには、こう綴られていたのだ。

 永久(とわ)なる栄光と輝きを与えんことを
 多くから愛され、多くを愛し
 そして多くの幸福を手に入れん事を ここに願う

 「……我が最愛の娘――『シーナ』に捧げる」
 文末に綴られていた最後の一文を呟くと、リースは真剣な眼差しで誰も居ない空間を睨みつけていた。

 『シーナ』

 それは、五百年前に世界を救った勇者の名。これは果たして偶然なのか、それとも――

 考えても、答えは出そうになかった。



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