追憶の救世主

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第5章 「魔道士の城」

3.

 ――周囲が暗い。

 どんどん地下に下りて行っているという自覚はあった。先ほどから何度か階段を下りているし、いつの間にか廊下に窓が見当たらなくなったからだ。
 徐々に地下独特のかび臭い匂いも鼻に付き始めていた。上を見上げると、薄暗い廊下には、ところどころ魔法のこもったランプが取り付けられているのが分かる。
 それにしても――
 (大した城ね。まったく)
 アリスは一人、心の中で悪態を付いた。本当に大した城である。
 外からその全体像を見たわけではないが、小国の城くらいには匹敵するのではないかと思う。一般人が構えるには、それこそ大きすぎる家だった。高名な魔道士ともなると、これくらいの住居を持てるようになるのだろうか。そう考えると、感嘆のため息が出る。
 「ここだよ」
 ぴたりと。一つの扉の前で、前を行く銀髪少年が立ち止まったのは、しばらく経ってからの事だった。
 少年の方を見ると、彼はなんとも不気味な微笑を浮かべている。嫌な予感がする。気のせいだといいが。
 「この扉の中だよ」
 少年に示されて、アリスはそれまで少年に向けていた視線を扉の方へ注いだ。
 「…………」
 木造の質素な扉だ。何の飾りっ気もない。この中にエレンダルが居るというのだろうか。それにしては質素すぎだろうとさえ思った。
 扉から部屋の内部の全てが分かる訳ではないが、館の主の部屋ならもっとこう、派手なつくりの扉であっても良いはずだ。そもそも、こんな地下に主の部屋があるという事自体おかしな事だった。主が変わり者ならともかく、普通は見晴らしの良い階に設けるものなのだ。エレンダルという人物は、アリスの記憶が確かなら、それほど変わり者だった印象は受けなかった。
 「失礼します」
 アリスのそんな心中などに気づく事はなく(いや、実際は気付いていたのかもしれないが) 軽いノックの後で少年はそう述べるとゆっくり扉のノブに手をかける。
 扉は予想通り、軽い音をたてて開いた。しかし、部屋の内部の様子はアリスの予想を裏切るものになる。それも、悪い意味で。

 「――――?」

 扉が開かれたと同時に、奇妙な匂いが鼻についた。それまで廊下に漂っていたかび臭いものではない。もっと人工的な匂いだ。そう、例えば薬品といった類の――

 「……なによ、コレ」

 目の前の光景に、思わずアリスは声を零してしまった。信じられなかったのだ、目の前に並ぶそれ(・・)の存在が。
 「…………」
 ごくりと、つばを飲み込んだ。胃が悲鳴を上げ、背中にとてつもなく嫌な感触が走る。全身に油汗をかいているのが分かった。匂いのせいではない。視界に映るものが、そうさせているのだ。
 見るものが見ればこれは、目にした一瞬で卒倒してしまいかねない。それくらいの醜悪な光景。幸か不幸か、アリスはそれほど繊細には出来ていなかったのだが。
 ためらいがちにアリスは、部屋の中へ足を踏み入れた。そして、恐る恐る周囲を見渡す。心臓が裂けそうな程に、大きく鼓動を繰り返すのが分かった。
 部屋の内部に立ち並んでいたのは、丁度人間が入るくらいの大きさのガラスケースだった。その数ざっと十数個。
 個々のケース内部には、変な色の液体(だと思われるもの)が充填されており、ぬらぬらと怪しげな光沢を放っている。その成分などアリスに分かるはずも無いが、たとえ教えてくれるとしても絶対に知りたくないと思った。
 そして、その液体内部に浸されているものは――

 「気に入っていただけたかね」

 固まっているアリスの背後から、声は聞こえた。男の声だ。
 薄っぺらで、あまり威厳というものを感じさせない。アリスには聞き覚えがあった。今更記憶の糸を手繰り寄せなくても分かる。この声は――
 「随分グロテスクな趣味をお持ちですね。エレンダル殿」
 ゆっくり振り向くと、アリスは目の前に立つ人物――エレンダルを鋭い目つきで睨んでいた。

 歳は、六十を過ぎるか過ぎないかくらいだろう。薄くなった頭髪には白髪が目立ち、やや釣り上がった瞳からは英知の欠片すら感じられない。いや、瞳だけではない。彼のどこを探してもそんなものは一切存在しなかった。
 以前会った時と、今のこの差は一体何なのだろう。
 ゆったりとした黒いローブに身を包んでおり、ローブの胸元には魔法連所属の魔道士だという証が刺繍されている。この期に及んでもまだ、正規の魔道士だと言いたいのだろうか。
 こんな物(・・・・)をつくっておいて――

 ご苦労だった、クリウス。と呟くと、エレンダルは銀髪の少年に下がっても良いという指示を出す。クリウスというのがこの少年の名前なのだろうか。
 エレンダルにそう指示された少年は、軽く頭を下げると含み笑いを残して部屋を後にする。ぱたりと、軽い音をたてて扉が閉められた。まるでその内部にある禍々しい物を覆い隠すように。
 「まだ実験段階でどれも失敗作だよ。だが、これは惜しいところまでは行った」
 エレンダルはゆっくりとした動きでアリスの隣まで寄ってくると、ガラスケースのうちの一つを指差した。
 出来るだけ冷静さを保って、アリスはそちらへ視線を向ける。心を落ち着けなければ、自分が壊れてしまいそうになる。これは果たして現実だろうか。眩暈がする。
 「惜しい? ……一体どこが?」
 怪しげな液体の中を浮遊しているそれは、明らかに『人間』である。いや、『人間だった』といった方が正しいだろうか。
 四肢のバランスはかろうじて保たれていた。……あくまでかろうじてのレベルだが。
 体格からして女性である事は間違いが無い。だが、判別できるのはせいぜいそこまでだった。
 ところどころ関節が変な角度に折れ曲がり、正常な形は両手両足、いや胴体のどれをとっても見られる事はなかった。背中からは、まるで天使か悪魔の翼のように、奇妙なものが膨れ上がって這い出てきており、腹部は奇妙に裂け、臓器がゆらゆらと液体中を浮遊している。
 一番まともに見られるのは顔の部分だけだ。頭髪は全て抜け落ちてしまっていたが、人間らしさをそのままの状態で保っている。……その表情は凄惨なものだったが。生きていたころにはおそらく器量よしで通っただろう目鼻立ちは、悲痛でゆがめられ、まるで今にもうめき声が、そのゆがんだ口元から聞こえてきそうな様である。
 十数個ある、どのガラスケースも似たような状態だった。
 確かに彼の言うとおり、彼が指し示したものが一番惜しいところまでいったのだろう。なにせ一番崩れ方がましなのだから。中には酷いもので、どこをどう見ても元が人間だったなんて想像すらできないものもある。
 「生命の単位――専門語で『細胞』と言うそうだが、それを活性化させるところまでは簡単だったのだ。だが問題はその先だよ。際限なく活性化するだけだと、このように元の形を保てなくなり、体の形を保てなくなり、最後には死に至る」
 エレンダルはまるで神の啓示でも読み上げるかのように、朗々と言った。だがその横で、アリスは余計に気分が悪くなっただけだった。
 エレンダルの言った事を推測すると、おそらく彼女達をこんな姿にしたのは魔法の成せる技なのだろう。身体の活性化を促す魔法は世に多く存在する。それに応用でも利かしたのではないだろうか。
 もちろん本来の目的は、戦闘を有利に進めるためであったり、体力をつけるためであり、こんな非人道的な行いのためにあるものではない。彼のした事は、魔道の道からも大きく反れた行いだった。
 「動物実験では上手く行ったのだよ。身体が活性化された状態で全く老いる事がない。永遠の若さを持つ生命! まぁそれも、寿命が極端に短いという短所はあるがね。だがもう少し実験を重ねれば――上手く行くはずだ」
 よく見ると、十数個のガラスケースの奥には、それよりもう一回り小さいガラスケースが所狭し、と並んでいる。そのどれにも例の液体が込められており、異形と化した動物達の亡骸が悲しく浮いていた。気分が悪かった。
 「あなたの目的は何?」
 震える体を押さえつけて、隣に居るエレンダルに問う。この震えは恐怖からくるものだろうか、それとも怒りからだろうか。
 「……私は『老い』というものが嫌いでね。老いはまことに醜い。どれほど美しいものも、老いればたちまち醜悪な生き物と化してしまう」
 そう言ってエレンダルは、淀んだ瞳を怒りで歪めた。
 「君達はオタニアの魔法学校を訪れたと聞いた。では会ったのではないのかね、カルナという魔道士に」
 言って、アリスに返答を求めるかのように言葉を切る。
 (カルナ……)
 カルナとは、あのカルナ校長の事でまず間違いは無いだろう。優しそうな笑顔と、英知の光る瞳を持つ老女だ。アリスが今まで見た中で、彼女ほどの魔道士はそうは居ないだろうと思う。彼女の腕前の程を知らされたわけではないが、雰囲気でそう感じられる。それくらい特別な人物だった。
 「私と彼女は昔から付き合いがあってね。まぁ幼馴染というやつだよ。あれも若い頃は美しい娘だった。魔道士界に咲く花と謳われた程に、な。だが今となってはどうだ? 歳とともに一つ一つ顔にしわを刻む、ただ汚く醜いだけの老婆だ!」
 「カルナ校長はそんな人物ではないわ。汚くも醜くもない。醜いのはあなたよ」
 落ち着いた調子だったが、怒りを凝縮したような、そんな声がアリスの口から飛び出した。しかしアリスの言葉に、エレンダルはひるむ事も怒る事もしない。ただ醜悪な笑顔をその顔に浮かべると、小さく鼻で笑った。
 「だから私は考えた。老いを無くす事は出来ないのか、と。永遠に若さを保つ方法は無いのだろうか。答えはイエスだ」
 「いいえ、ノーよ。そんな事、出来るはずが無い」
 目の前で朗々と謳う勘違い魔道士の言葉を遮って、アリスが冷たく言い放った。
 エレンダルが考えている事は、あまりにも常識を逸した考えだ。永遠の命を持つ事などかなわぬ夢である。過去幾千人という権力者がひたすらに希い、そしてただの一人も手に入れた者はいない。それを、目の前のこの魔道士は実現しようというのか。
 この世界で唯一永遠の命を約束されているのは、この世界そのものを作った六人の神と、あとは大陸の東の森に住む魔女だけだと言われている。その魔女というのも、神から託された石によって永遠の命を手に入れたのだから、結局はそれは神の力によるものである。そんな途方も無い事が、人間であるエレンダルの力で出来るはずがないのだ。
 「……出来るのだよ。神の一部とされる『伝説の杖』をもってすればな」
 意味ありげに笑うエレンダルの言葉に、アリスは目を見開いた。
 「まさか……」
 それでセイラの杖を?
 「創世記によると、全ての生命は神が創造したものらしい。人間もな。それらに限りある命を与えたのもまた神だ。だとしたら永遠の生命の鍵は神の中にこそある。神の一部、つまり君の師匠が持つ伝説の杖だよ。かの杖の中にはきっと、東の森の魔女が持つという石と同じ秘密が隠されている。神の力を手に入れる……素晴らしいじゃないか! 私はいわば神になるのだから!」
 それだけ言い終えると、エレンダルは大きく高笑いを上げた。
 (――狂っている)
 不気味に高笑いを続ける彼の横顔を見て、アリスは率直にそう思った。
 とてもまともな精神状態とは思えない。以前会った彼は、はたしてこのような人物だっただろうか。いいや、多少擦れているところはあったが、それでも全うな人間であった事は確かだ。一体何が彼をこんな風に狂わせてしまったのだろうか。
 「……間違ってるわ。確かに神の一部とされている杖ではあるけれど、意思を持つ事と巨大な魔力の入れ物になる事くらいしか出来ないはずよ。そういう能力しか持たされていないんだもの!」
 これは師匠であるセイラ本人から聞いた事だから間違いはない。そもそもあの杖は、意思を持つ意外にとりたてて述べるほどの長所はないのだ(そもそも長所ですらないかもしれないが)。神に作られた杖であろうとも、与えられた能力以上の事は出来ない。神の創造物である以上、我々人間と根本は変わらないのだ。
 「出来るさ。魔族(シェルザード)がそう言ったのだからな。魔道を発見し、この世で最も魔道に通じる彼らがそう言うのだから間違いはない! 私はあの杖で、永遠の生を生み出すのだよ」
 しかしエレンダルは、アリスの言葉など聞く耳を持たないようだった。冷たくそれだけ言い放つと、意味ありげな視線をアリスへ向けてくる。
 「魔族(シェルザード)?」
 その言葉を聞いて、アリスの頭に浮かんだのは、先ほどの銀髪の少年だった。確か名前は――クリウス。
 「――――!」
 そこまで考えてハッとなる。先日シズク達と一緒に解読した魔法陣に残されていた文字。魔族(シェルザード)の文字で綴られた術者の名前は、確かクリウスといわなかったか、と。
 「まぁ君は、大人しく状況を見守っていると良い。君の師匠が無残に殺されるその様をな。そして喜びたまえ! 杖を手に入れた暁には、君は永遠の美を持つ人間の第一号になるのだから」
 言って、彼は醜悪に笑う。その表情に人間の感情というものを求める事自体、無意味な事なのように感じられた。
 エレンダルはそれきり黙りこむと、不適な笑顔を顔にはりつけたまま、目の前に広がる彼の『コレクション』へと、淀んだ視線を投げかけていた。



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