追憶の救世主
第5章 「魔道士の城」
6.
シズクの第一印象としては、いろんな言葉を捜して考えた結果、エレンダルという人物には『魔法衣を着たサル』というのが最もしっくり来る表現という結論に至った。仮にも高名な魔道士をつかまえて失礼極まりない表現だが、そう思えてしまうのだから仕方がない。
薄くなった頭髪は白髪交じり。しかも元々の毛色が茶色なのも手伝って、さながら生まれたばかりの、産毛を生やしたサルのようだ。あまり高くない背丈もその事に拍車をかけていた。
そんな人物が、高価そうな素材で出来た魔法衣を着ている。きらきら輝く金糸で縫われた模様が、安っぽく見えて仕方がない。
部屋にある装飾品の趣味の良さから、もう少し威厳のある、ニヒルな笑みを浮かべるような人物を想像していたのだが……その期待は見事に裏切られた。
「お久しぶりです、エレンダル殿」
セイラは朗らかな笑みを浮かべると、エレンダルに向かって軽く一礼した。対するエレンダルは、それには応えずにつかつかとこちらに歩み寄ってくる。忙しない動きから、神経質かもしれないと思った。
「さっそくだが、取引と行こうではないですか」
彼はテーブルに用意された自分の席までたどり着くと、机に両手を付いた体勢で、椅子に座ることもせずにこう言った。セイラの傍らに立てられている偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)を視界に入れ、下品にじろじろと舐めまわすように見る。
それにしても、いくらなんでもさっそく過ぎだ。前置きというものがあるだろう。前置きが。喉元までそんな言葉が出掛かったが、すんでのところで思いとどまる。
「まぁ……とりあえずお座りになったらどうですか? もう少ししたらメイドさんがお茶を持ってきてくれるんでしょうし。それからでも遅くはありません」
セイラがそう言って、エレンダルに席に着くよう促した。そこで丁度タイミング良く、先ほどのメイドが失礼します。と言って応接室に入ってくる。彼女の手には、主のためにいれた紅茶を乗せたお盆があった。また、優しい芳香が部屋に漂う。
しかしエレンダルは、そんなメイドにねぎらいの言葉を述べるどころか、邪魔をするなとばかりに、始終迷惑顔を浮かべていたのだ。
「ふん……とんだ邪魔が入った」
メイドの少女が応接室を出て行った途端にこの言葉だ。歳が近い事もあってか、シズクはメイドに人知れず同情した。そしてシズクのエレンダルに対する印象が一瞬で、今まで出会った人物の中でも最低の部類に属する事になる。
「さて、取引の件だ」
自分の紅茶が出されても、エレンダルは席に着こうとはしないようだった。テーブルに2本の手を乗せたまま身を乗り出すと、セイラを見下すような体勢になる。どこまでも失礼な人間だ。彼に比べたら、たとえうわべだけだとしても礼儀正しいクリウスの方がまだましというものだ。
「貴方の杖をこちらに渡してもらおうか」
それまでの非礼をものともせず、さらにそれに上塗りする形でサル顔魔道士は言い放った。もはや敬語を使う気すら無いらしい。
「おや、約束が違いますよ? まず僕の弟子を返してもらわなければ」
エレンダルの失礼な振る舞いにも、全く表情を崩さずにセイラは静かに告げる。微笑みを絶やさないのはさすがといったところだろうか。しかし、その微笑もどこか冷気を含んでいるような気がしてならなかった。
「杖を渡してもらえたら、お返ししよう」
ニタリと醜悪な笑みを浮かべると、エレンダルはセイラの方を見つめる。その発言はある意味、セイラとの約束を守るつもりがないという彼の意図を表していた。
まぁこうなることは予想の範疇だったが……案の定と言うべきだろうか。
「アリスが先です」
少しだけセイラの語気が荒くなる。セイラとてこうなる事を予想していなかったわけではないだろうが、エレンダルへの威圧だろう。その闇色の双眸は、静かな怒りで燃えていた。
「……聞き分けのない神子殿だ」
聞き分けの無いのはどっちだ。とシズクは心の中で突っ込んでいたが、エレンダルにそんな事は分かるまい。彼は醜悪な笑みを益々醜悪に歪めると、小さく鼻で笑った。
「私が何故、あなた方を私の城まで招いたかお分かりかな? そして、何故たった数名の客人をこんなに広い間で迎えたのかも」
「…………」
見下す目線はそのままで、エレンダルは朗々と言った。
理由なんて、分かりすぎて回答に困るくらいだ。彼が人質を返して、あっさりシズク達を逃がす訳が無い。仮にセイラの杖を手に入れる事が出来たとしても、それだけでは、シズク達によって外部の者に自分のした事が知れてしまうからだ。さすがのエレンダルも、選りすぐりのエリートである魔法連の魔道士の強さくらいは知っているだろう。
彼がここにシズク達を呼んだのは、セイラの杖を手に入れるため。そして、こんなに広い部屋にシズク達を通した理由は――
「こうするためだよ!!」
瞬間。白い大理石の上に幾個かの赤い魔法陣が出現した。その円の上に踊る光の文字は、全て古の失われた言語で書かれていた。――そう、魔族(シェルザード)の文字。
エレンダルの言葉が合図となって、クリウスが動いたのだ。
魔法陣はまばゆい赤の光を放つと、ほどなくして数個の魔法陣全てから一斉に光の柱が立ち上る。同時に、すさまじい魔力が辺りに飛散した。そのあまりの衝撃に、城全体が小刻みに震えているほどだ。シズクの体にもびりびりと振動が伝わる。
「……なんていうかさぁ」
クリウスが動いた瞬間に、テーブルから飛びのいていたリースが呆けた声をあげる。既に剣は鞘から抜き放たれ、彼の右手に納まっていた。
その彼の目の前で、クリウスの魔法は今まさに完成に差し掛かかろうとしているようだった。ぐにゃりと、ありえないくらいに大理石の床が湾曲すると、次の瞬間には禍々しき生き物が出現する。魔物だ。
「どうせこうするつもりだったんなら、もっと早くやれって感じだよな」
耳を劈くような咆哮をあげた魔物は、外見はトカゲのような生き物だった。といってもかなり大きい。今までくつろいでいたテーブルをすっぽり覆うくらい。と言ったらお分かりいただけるだろうか。体の表面は頑丈そうなうろこで覆われていおり、ぬらぬらと怪しい光沢を放っていた。その鋭利な爪で引っかかれると、さぞかし痛いのだろう。
そんな魔物が3体、鋭い眼光をこちらに向けて立っている。シズクは、例の菜の花通りでの一件を思い出した。いや、あの時より分が悪い。ワービーなどはるかに凌ぐほど、目の前の魔物たちは強いだろう。
「私は魔物の生体に関しても興味があってねぇ、こうして研究の傍らこのような生き物を作る事がある」
はるか前方からエレンダルの声が聞こえてきた。見ると、応接室の奥の方。少しだけ階段になっている場所に彼の姿が見える。高みの見物という訳か。
「……いけるか?」
とんっと背中に暖かい感触を感じる。リースが背中越しに話しかけてきているのだ。背中から伝わってくる彼の体温が、今は少しだけ心強かった。
「わからない……やってはみるけど」
背中越しに、シズクは小さくそう答えた。これはもちろん謙遜などではない。本当に戦えるかどうか不安なのだ。
シズクはセイラ達に同行するまでは、ほとんど戦闘というものを経験した事がない。しかもその数回経験した戦闘というのもせいぜい低級の魔物や教官達と戦うくらいのもので、回りには常に自分より強い誰か――自分を守ってくれる存在がついていたのだ。
そんなシズクが、戦闘要員としてどれほど役に立てるというのか。実際、旅に出てからというもの、戦闘となればリースとアリスの二人が一瞬で片付けてくれていたので、本気で魔物と対峙すらしていない。
しかも――エレンダルのあの話しぶりからすると、目の前の魔物はただの魔物ではない。いわゆるそう、合成生物(キメラ)と呼ばれるものだろう。ただでさえ強い魔物に、更に人間が手を加えて強化したもの。それが合成生物(キメラ)だ。
(まずいね、これは……)
胸の中で小さく呟いた。
全身を、嫌な汗が伝う。少しだけ膝が震えているのを感じて、弱虫な自分を呪いたくなった。
「八つ裂きにされて、無惨に死ぬが良い!」
エレンダルの高笑いが、部屋全体に響き渡る。広い空間は反響を呼んで、彼の声を何倍にも増幅する効果を持っているようだ。
その声が合図だったかのように、3体の魔物は次の瞬間には地を蹴っていた。
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