追憶の救世主

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第5章 「魔道士の城」

5.

 かちゃりと、カップが当たる音がして、柔らかな芳香が漂う。シズクは、こういう光景があると真っ先にアリスを想像してしまう。

 「どうぞ」

 机の上に、メイドと思しき女性が紅茶の入ったカップを慣れた手つきで置いていく。まだ歳若い。シズクとそう大差ない年齢だろう。そばかすを鼻の周りに散りばめた、素朴な顔立ちの少女だった。
 一行はメイドの手元をただ眺めるだけだったのだが、それが、見つめられているのだと思ったのだろう。カップを並べ終えた彼女は一同の顔を控えめに見るようにする。リースの顔をちらりと見つめたところで、一瞬頬を赤らめた。もっとも、当のリースの方はその事に全く気付いていなかったりするのだが。超鈍感なリースに、シズクは思わず苦笑いする。
 お客様にお茶をお出しする、という仕事を終えたメイドは、ごゆっくり。とだけ言うと少しだけ名残惜しそうに頭を下げて部屋を後にした。
 後に残されたのは重苦しい沈黙と、紅茶の柔らかい芳香だけだ。
 一行は、黙ったままテーブルの上に並んだカップを見つめていた。
 その数4つ。シズク、リース、セイラの3人の分と――

 「心配しなくても毒なんて入ってないよ」

 くすくす笑いながらカップを一つ手に取ると、一行の目の前に座ったクリウスは何のためらいも無く紅茶を口に含む。
 そうは言われても、口をつけるかどうか正直迷ってしまう。相手は野盗をけしかけてきたり、突然目の前に魔物を召喚させたりしてくる連中なのだ。何が起こるとも限らない。
 しかし、ためらうシズクとは対照的に、セイラはあっさりとカップに口をつけた。のほほんとした声でおいしいですね。と呟くのが聞こえる。それを見たシズクは、小さくため息を零すと、自分もカップに手をかけた。
 一行が通されたのは、応接室(応接室というのが広さを問わないというのならこの表現は正解だと思う)だった。
 床には高価そうな大理石が敷き詰められており、陽光を浴びてつやつやと白い輝きを放っている。その上に真紅の絨毯が真っ直ぐ伸びるといったかたちだ。派手すぎず質素すぎず、白と赤の対比にはどことなく気品が漂うのが分かった。
 実際に見た事はないが、王族の住む城というのはこういう雰囲気ではないかと思う。認めたくはないが、センスはかなり良い。
 上を見上げれば天井ははるか上方にあった。天井近くに取り付けられた窓からは、午後の日差しが優しく差し込んでくる。
 部屋はとにかく広い。いや、部屋と言って良いのかすら分からないが、大きな舞踏会でも開けそうな広さだ。その中にぽつんと、お情けのように接客テーブルと椅子が一式置かれてあるのだ。その様はなんとも異様だった。
 「さっきから待っているのに、一向にこの館の主は現れないのね」
 沈黙に耐えられなくなって、とうとうシズクは話題を出す事にした。
 それだけ言ってから、先ほどのメイドがいれてくれた紅茶を口の中に運ぶ。甘い、くすぐるような芳香が鼻の奥に広がった。きっと悪い飲み物ではないだろう。
 「そろそろ来る頃だと思うけどね。せっかちだね、君は」
 おかしそうにその青い瞳を細めてクリウスはこちらを見つめてくる。
 こんなにも落ち着いた状態で彼と対面するのはシズクにとって初めての事だった。初対面は特に最悪だ。目の前にアリスが倒れていて、おまけに雨まで降っていたのだから。
 落ち着いた目で見ると、彼の浮世離れした美少年っぷりを改めて理解できる。正直――認めたくは無いが、先ほどからどぎまぎしているのだ。落ち着かないのはそのためでもある。
 「別にせっかちなんかじゃ……」
 「それよりさ。君の名前、そういえば聞いてなかったよね。知りたいな。どうせ時間はあるんだし、教えてよ」
 「え――」
 目の前で満面の笑みを浮かべる銀髪少年の言葉に、シズクの思考は一瞬停止した。
 クリウスのそれは、場所が場所ならナンパか何かと勘違いされてもおかしくない発言だろう。隣で怪訝な顔をするリースが目に入る。呆れているのだろう。
 もっとも、敵の本拠地で、しかも敵であろうクリウスからそんな事をされる筈が無いのだというのは百も承知だ。それに仮にこれが街角かどこかであったとしても、迷子に間違われる事はあるかもしれないが、ナンパをされるなんて、たとえ天地がひっくり返ったとしてもシズクにはありえない事だ……自分で言うのも悲しいが。
 彼のそれは、本当に単なる興味からきたものだろう。
 「……シズク。シズク・サラキスよ」
 しばし硬直した後、別に隠すような物じゃないという結論に達して、シズクはおもむろに口を開いた。自分で自分の名前を言うのは、なんとなく照れくさい。
 「シズク――へぇ。綺麗な名前だね。自然物をその名に入れるのはミール族の風習だと思っていたけど、人間でもするんだ」
 シズクはそれには答えず、そうね。と素っ気無く言うと彼から視線をはずした。不思議だが、彼とこれ以上目を合わせていると、全てを話してしまいそうな気分になったのだ。
 それに――魔族(シェルザード)を目の前に、押さえきれない感情がシズクの胸の奥でくすぶっているのが感じられたから。
 しかし彼の言う事もあながち間違いではない。
 自然物の名をそのまま名前に使用する事は、人間ではあまりやらない事なのだ。普通なら、創世記からの引用だったり、それぞれの信仰する神の物語にちなんだものだったり、あるいは自然物の名を精霊の言葉に直したりしたものが一般的だ。
 最初は名付け親であるカルナに、この事でかなり文句を言ってしまった記憶がある。今となっては反省ものだが、もっと綺麗な、例えば物語に出てくる女神様の名前でも付けてくれたら良いのに! と駄々をこねたりもした。
 その度にカルナに言われたのだ。名前はその人を表すのだ、と。あなたのその青い瞳がとても綺麗だから、私はあなたにこの名前をあげたのよ、と。
 空を押し込めたような、不思議な青い瞳を持つ事はシズク自身も自覚はしていた。いくら周りの子の瞳を見ても、たとえそれが青い瞳を持つ子だとしても、自分のような色をした子は一人も見つからなかったからだ。
 魔力の強い人間には青い瞳が多い。これは古くから言われている定説だった。もちろんそうでない人もたくさんいるのだが、魔道士になるような人間には青い瞳が多いのもまた事実。そのため人々は青い瞳の事をこう呼ぶのだ。
 魔力の瞳――『神の雫』を受けた瞳だと。
 「――その瞳の色からきた名前かな」
 そんな事を思い出していた時だったので、クリウスからこの言葉が返ってきた時は驚いてしまった。逸らしていた目を思わずクリウスの方に向けると、彼の青い瞳とぶつかった。ぶつかって、ハッとなる。その青が、自分のものにとても近いと思うのは気のせいだろうか。
 あっけにとられているシズクの様子を肯定ととったのだろう。クリウスは豊かに笑うと、もう一度、綺麗な名前だね。と言った。
 「……こちらの事をいろいろ聞く割に、そっちは自分の事は何も名乗らないんだな」
 クリウスは再び何かを言おうと口を開きかけていたが、リースの方が一瞬早かった。
 不機嫌そうにそう言うと、リースは目の前の銀髪少年を鋭い目線でにらみ付けていた。整った容姿故、気の弱い人間ならその目で睨まれた途端、簡単に戦意喪失させそうな勢いだ。
 金と銀のにらみ合い。どちらも浮き世離れした美少年であるので、その様子はちょっと壮観だった。
 リースの挑発的な態度にもクリウスは全く動じず、それどころか、これは失礼。と柔らかな物腰で言うと、形の良い口をほほ笑みの形に伸ばして、
 「ご存じとは思いますが僕はクリウス。クリウス・C・サード。サードは我らの種族を表す名で、魔道の民、つまりシェルザードを示します。以後お見知りおきを」
 丁寧な口調でそう言った。
 「…………」
 ――魔族(シェルザード)。
 魔道の民にして謎の一族。この世の全ての魔術に通じる存在。
 それは、シズクに重くのし掛かる名だった。
 様々な疑問が頭の中をかけめぐり、今すぐにでも彼に向かって問い掛けたいという衝動に駆られる。しかし、問いかけようと思う度に、何を聞くべきかがわからなくなる。気持ちの中に深い靄がかかったように、自分の気持ちが見えなくなってしまうのだ。そうしてどこかで思いとどまり、結局何も口にできない。
 思考の迷宮で途方にくれるシズクを救ったのは、セイラの発した一言だった。
 「世間話のついでにお尋ねしますが、あなたは何故エレンダルの仲間に?」
 セイラはそう言うと、漆黒の瞳でクリウスの方へ視線を投げ掛ける。夜の静けさを思わせる穏やかな表情だったが、言い方にはどことなく刺があった。
 「……別に僕自身に目的なんて無いですよ。彼の目的に共感を覚えて、こうして仕えているのです」
 「魔族(シェルザード)のあなたが? 妙ですねぇ。魔力はもとより、魔法に関する知識もあなたの方が彼より圧倒的に上なはずなのに」
 あくまで穏やかに、セイラは言った。にこにこ笑顔が相変わらず彼の顔に浮かんでいるが、食えない笑顔である。シズクは内心、セイラは怒っているのではないのかと心配になった。
 しかし、言われてみればそうである。
 シズク自身はエレンダル本人に直接会った訳ではないが、話を聞く限りとても魔族(シェルザード)をしのぐ魔力など持ち合わせているとは思えない。というか、人間の誰を探しても魔族(シェルザード)を凌ぐ魔力を持ち合わせている者なんて存在しないのではないだろうか。
 そんな、彼にしてみたら小者同然の人間に仕えたところで、一体彼に何の利益があるのだろうか。よくよく考えてみたら、不思議な話である。
 「……困ったな、誤解しないで欲しいですね。確かにシェルザードは魔法に通じる者です。だけどその魔力で別に世界を支配しようなんて思っちゃいない。考え方に賛同できたら、たとえそれが自分よりも魔力が下の者でも忠誠を誓うんです」
 一方のクリウスは、セイラの言葉など全く意に介していないようだった。肩をすくめると、苦笑い混じりにそう説明する。と同時に、その形の良い唇から、甘いため息が零れ落ちた。いや、実際は甘いとかとういう意図で出されたものではないのだろうが、シズクには確かにそう感じられた。
 「確かにそうですね。魔族(シェルザード)は温厚で争いを好まないと聞きます。でも、それは以前までの話じゃないんですか? 十数年前にクーデターがあった」
 「――――」
 それまで悠然とした顔で微笑んでいたクリウスが、ここにきて急に表情を堅くした。突然の彼の変化に、シズクは目を見張る。おそらくはセイラの発言を受けての事だろう。彼はそれまでの芝居がかった笑顔をやめると、探るような目付きでセイラを見つめ始めた。
 シズクやリースにしても、セイラの発言は驚愕だった。ここ数百年間、魔族(シェルザード)は歴史の表舞台は愚か、他の種族の前にすらその姿を表していないという事になっているのだから。滅びてしまったという説まで出る程だ。
 それがどうしたことだろうか。セイラは確かにクーデターと言った。それも十数年前だ、と。それはここ最近、魔族(シェルザード)の動きを知っていないと分からない事実だ。セイラの嘘なのだろうか。いいや、クリウスの表情を見る限りそれは考えられない。
 「……どこでそれを?」
 それまで明るい響きを保っていたクリウスの声は、深く沈んだものに変わっていた。きらびやかだった美貌は、相手に恐怖を与えるものになる。言い方を変えただけでこうも人の印象というものは違って見えるものなのだろうか。
 「水神の神子なんて事をやっていたら、それなりに情報は入って来るものですからね」
 「……なるほどね。人間達の情報網もバカにできないって訳だ」
 軽く溜め息をつくと、クリウスはおどけたように言う。しかし、それまでの悠然とした態度から考えると、今の彼は幾分余裕が無さそうに見える。青い瞳が狡猾な光を放った。
 「で、もう一度ききますが、あなたは何故エレンダルに?」
 「その質問に答えてあげたいところだけれど、そろそろ来たみたいだよ――我が主が」
 それまでセイラの方へ向けていた視線を移動させて、クリウスは部屋に唯一つの扉へと向けた。広い応接室に似合う、重厚なつくりの扉だ。その扉が、なんとも重い音をたてて開かれるのが見える。
 ふとクリウスの方を見ると、心なしか安堵の表情を浮かべているように見えた。

 「ようこそ、水神の神子殿」

 薄っぺらい声が、部屋の中に響き渡る。扉の前に立っていたのは、全員が予想したとおりの人物――エレンダル・ハインその人だった。



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