追憶の救世主


このお話は、時間軸としては、第6章と第7章との間に当たるお話です。
本編の流れとはほとんど関わりはありません。
時々本編では語られなかった事が出てくる事がありますが、
第2部以降を読むに当たって支障が出るような内容ではありません。
読み飛ばして第2部へ進まれても大丈夫ですし、また、本編未読の方でも読んでいただけると思います。



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閑話「白銀のセンティロメダ」


序章

 その昔、センティロメダという名の、それはそれは美しい姫君がいた。
 星のように優しく輝く銀の髪を持つセンティロメダ姫。絶世の美女である彼女に求婚する男性は、数知れずいたのだという。
 しかし、姫自身が愛したのは、意外な人物だった。
 ヘテトロというのがその者の名前。
 彼は、姫に求婚するために国を訪れていた他国の王子の、従者の一人だった。
 つまり、センティロメダは、他国の従者と恋に落ちてしまったという訳だ。
 この事実を知った当の王子は、もちろん怒りに燃えた。その怒りはとどまることを知らず、牙を剥くことになる。
 ヘテトロがセンティロメダ姫と駆け落ちの約束を交わしたその晩に、王子はヘテトロを捕らえ、暗い牢獄へと彼を閉じ込めてしまったのだ。
 そんな事を知らないセンティロメダは、約束の日に、約束の場所で愛する人をひたすらに待っていた。ところが、一行に彼は現れない。そんな時だ。精霊からも愛されていた姫は、風の精霊からヘテトロの危機を知らされる。
 愛する人の危機に、センティロメダは嘆き悲しんだ。そして、その銀の髪を夜空へ捧げる代わりに、この身に彼を助ける力を与えてくれと、夜空の月に願った。
 彼女の願は聞き入れられ、センティロメダは美しい白馬へと、その姿を変えたのだ。
 センティロメダは走りに走った。三度の昼と三度の夜を迎えたところで、ようやくヘテトロが囚われている牢獄まで辿り着く。
 あらん限りの力で、ヘテトロの居る牢を蹴破ると、姫は彼を乗せて脱出を試みた。
 しかし、ここで物語は悲劇へと加速する。
 例の王子が放った毒矢を受けて、センティロメダは倒れてしまうのだ。魔法は解け、人の姿に戻ってしまうセンティロメダ。最後の力を振り絞って、姫はヘテトロに愛の言葉を送り、そして息絶える。
 姫の死を嘆き悲しんだヘテトロは、冷たくなった彼女の唇に口付けを落とすと、その場で自ら命を絶ってしまう。
 こうしてこの悲恋物語は幕を閉じるのであった。

 西国の富豪、ゼルムラーク卿によって書かれたこの物語――『白銀のセンティロメダ』。それがその表題である。



◇◆◇



 ジュリアーノの町の夕方は、実に賑やかであった。
 日が大方沈みかけるというのに、町はまだ元気である。いいや、昼間より更に活気を持っているとも言えるだろうか。
 カラフルな器を売る旅商人に、香ばしい香辛料の香りが漂う店。そして、客と店員との交渉の声。これらが皆、商店街を活気付けるのに一役かっているのだ。さすがはショッピングの町と言われるだけある。
 その商店街を、小走りで駆け抜ける男女の姿があった。
 魅力的な商品で溢れる店並には目もくれずに、二人は走り続ける。男の方はいささか、呆れ顔であった。

 「急いでリース! 始まっちゃう!」

 前方を走る少女――シズクは、自分の後ろをリースがちゃんと付いて来ているかどうか、時折振り返って確認しつつ、なおも小走りで前進を続ける。かなり息が切れてしまっている。どうやら、随分長い距離を、こうして小走りで走ってきたようだ。
 「まったく、元はと言えばお前が準備に手間取るからだぞ、シズク!」
 「仕方ないでしょう! 大劇場のお芝居なんて、見たことないんだから。どんな格好をしたらいいか分からなかったのよ!」
 後方から呆れたように言うリースの言葉に、シズクは不服そうな声で返した。そう言う彼女の服装は、今は普段の魔道士としての衣装ではなかった。少し洒落た余所行きの服に身を包んでいる。
 おしゃれ服など、シズクはもちろん持ち合わせていない。故にこれはシズクの持ち服ではなかった。アリスに貸してもらったのだ。
 シンプルだが、つややかな絹で出来たワンピースに、これまた絹で出来たシースルーのショール。髪は服装に合わせて、いつものポニーテールではなく、下ろして一部を後ろで留めた。これもアリスのアドバイスだ。
 一方のリースはどうかというと、彼も彼なりに服を選んだらしい。きっちりしたカッターにゆったりとしたスラックス。というスーツ姿で、足元には上等そうな革靴が顔を覗かせていた。それら全てを、彼は見事に着こなしている。アリスといいリースといい、一体どこでこんな高価な服を買うのだろうかと疑問に思うシズクであった。
 劇場という場所を重んじて、リースは帯剣していない。シズクももちろん、棒は宿屋の部屋に置いてきた。金持ち貴族が多く集まる劇場に、武器は不釣合いであるからだ。というか、こんな格好で武器を持つと、なんともちぐはぐでおかしな事になってしまうだろう。

 え? 今どこに向かっているのかって?

 シズク達が向かっているのは、他でもない。ジュリアーノの町にある、大劇場だった。そこへ、今から歌劇を見に行こうとしているところなのだ。
 歌劇といっても、小さな町の安芝居とは訳が違う。今回シズク達が見るのは、劇団『青い星』という超一流劇団演じる、本格的な歌劇なのだ。大都市の大劇場で、しかも超一流の劇団が演じる歌劇。一般人ならば、一生に一度見られるか見られないかの、それほどに贅沢な娯楽である。会場にはもちろん、貴族や大商人といったそうそうたる面々が顔をそろえる。シズク達が着飾る必要があったのも無理も無い話なのだ。
 何故そんなに高価な歌劇を見に行けるのか。それは、昨日の夜にまで話が遡る。
 連日にわたる事情聴取から帰ってきたセイラとアリスが、二人で見てくるように。とチケットを二枚買って来てくれたのだ。
 例のエレンダルの一件以来、セイラとアリスの二人は、魔法連から事情聴取の要請を受けているのだ。シズクとリースに対しても要請は出されたのだが、彼らはアリスとセイラほど事件の中核にはいなかった。よって、一日もあれば事情聴取は済んでしまったのだ。セイラとアリスが連日魔法連まで出向く間、シズクとリースは大いに暇を持て余した。その退屈を紛らわすために。と、二人が買ってきてくれたのが、この歌劇のチケットだったという訳である。
 いやしかし、よく見るとこのチケット。一番良い席のチケットではないか。水神の神子の財力がいかなる程か、シズクには分からないが、相当である事は間違いない。さすがだなぁ。と思ったものだった。
 とまぁ、こういういきさつで、今二人は劇場へ向かっているのだ。
 そうそう。余談になるが、チケットを貰った時、シズクは大いに喜んだ。今まで大劇場の一流歌劇はおろか、芝居そのものすら見たことが無かったからだ。昨日の夜から楽しみでたまらなかった。
 ところが、一方のリースはと言うと、最初はあまり乗り気がしなかったようなのだ。渋い顔を作ると、俺は行かない。と言い始めたのだから。
 結局その後、シズク、アリス、セイラの三人による説得が開始され、最終的にはセイラの怪しげな耳打ちによってやっと折れてくれたのだ。後でリースに、セイラに何を言われたのか聞いてみたのだが、決して教えてはくれなかった。
 まぁ、彼が難色を示すのも無理が無い話だろう。今日、これから見る演目は、生粋のラブロマンスなのだから。
 これはシズクの憶測に過ぎないが、リースは絶対、愛だとか恋だとかに対して疎い方だと思う。
 それだけ考えてから、シズクは自らの手に握られているチケットへと目線を落とした。高価そうな紙の上にはこう書かれている。

 『劇団 青い星  【白銀のセンティロメダ】 夜の部』

 「お。見えてきたぞ」
 リースの声で、シズクははっと我に返った。前方を見ると、大きくて荘厳な建物が視界に飛び込んでくる。
 ――ジュリアーノ大劇場。百年以上の歴史を持つ、巨大な劇場である。
 シズクは大きな期待を胸に、小走りする足を更に速めた。上空を見上げると、少しずつ夕闇が迫りつつある。夜が始まるのだ。



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