追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

1.

 大劇場は文字通り、大劇場だった。
 「いらっしゃいませ、お嬢様」
 チケットを切る受付のボーイは、上質のタキシードに身を包み、洗練された笑顔をシズクの方へと向けてくれる。

 ――お嬢様。

 慣れない言葉にしばしシズクは立ちすくむ訳で、
 「なにやってるんだよオイ。行くぞ」
 あきれ顔でリースがそう促してくれるまで、ぼーっと突っ立ったままだった。

 劇場の外部も圧巻だったが、内部構造も凄い。きらびやかな内装ではないが、大層手が込んでいそうなステンドグラスの窓に、遥か上方まで伸びる流線形の骨組み。上を見上げると、どうやらロビーはドーム状になっているらしかった。その天井付近に、豪奢なシャンデリアが吊り下げられており、ここだけが唯一、きらきらと派手な光を放っている。床には真紅の絨毯が、ロビーに唯一の色を与えていた。
 決して派手では無いが、洗練された雰囲気の場所だ。入口にして既に、シズクのような一般人が足を踏み入れられるような領域では無くなっている。
 さらにその絨毯の上には、いかにもといった人々が談笑混じりに立っているのだ。
 つややかな絹のドレスに身を包む壮年の婦人、その隣には彼女の夫であろう、タキシードに身を包んだ紳士の姿がある。今日のシズクの格好は正直着飾り過ぎかとも思ったのだが、どうやらその心配はなさそうだ。むしろ地味すぎて目立ちやしないか。そっちの方を心配すべきだ。
 (うぅ……緊張する)
 セレブセレブした雰囲気に、シズクの動きは自然とギクシャクしだしてしまう。あまりにも自分は場違いだと思う。
 「……シズク。お前、思いっきり挙動不審だぞ」
 そんなシズクを見つめながら、リースは軽く溜め息をついた。すっかり、呆れられている。かなり悔しいが、反論の余地はなかった。おどおどしているシズクに対して、リースはどうかというと、心なしか場慣れしたような感じだったからだ。どことなく身のこなしに洗練されたものがあり、表情こそいつものリースだが、彼の回りに漂う雰囲気は、いつもと違っている。
 アリスもそうだが、リースの方も時々、一般市民では無い身分を漂わせる。そういえば、シズクはリースの事に関しては、全くと言っていいほど知らないのだ。水神の神子であるセイラと、その弟子であるアリスの身分は明白だったが、リースの事に関しては何もわからない。『セイラの護衛』と本人は言っているが、それはちょっと違うと思うのだ。聖職者とはどう考えてもありえないので、水神の神殿の者ではないだろう。神殿の護衛だろうか。いや、それもイメージと合わない気がする。
 彼が言うに足りない身分であるという可能性もあったのだが、それにしては水神の神子であるセイラを堂々と呼び捨てにし、ため口を叩いている。考えれば考える程、謎が深まるのである。
 「ほれ行くぞ」
 シズクの肩に、ぽんっと、暖かいものが降りた事で、思考に終止符が打たれる。リースの手だ。
 「いくら着飾った格好をしていてもな、みんな生身のただの人間なんだよ。堂々としてりゃいいって」
 言って、手はシズクの肩に置いたままの状態でリースはゆっくりと歩きだす。さながらそれは、紳士が淑女をエスコートしているようである。淑女というには、シズクはあまりにかけ離れた存在であるのが玉に瑕だが。
 安心させようとしてくれているのだろうか。なんだ、意外と良いとこあるじゃないか。
 「…………」
 と、そこまで考えてはたと気付く。

 ――意外ではない。彼には、何度も助けられている。と。

 あまりの自分の鈍感さに、一瞬どきりとした。




◇◆◇




 『おおセンティロメダ。センティロメダ。月の申し子よ!』

 交響楽団による盛大な音楽が鳴り響き、会場が重く振動を繰り返した。それだけでも観客は十分に圧倒されるが、そこに更に、歌手による歌が加わるのだ。十数人による力強い合唱が響くと、音の波が体を突き抜けていくようだった。
 場面は、センティロメダ姫が幾人もの皇族貴族から求婚を受けるところである。
 優しい輝きを有したセンティロメダ姫の銀髪を、男達は月に例え、月の申し子と讃えあげる。それに対して姫は、こんな風に返すのだ、

 『わたくしがまことの月の子ならば、どうして喜んだり悲しんだりするでしょうか。かの月のように、何も言わず、何も求めず、ただ静かに座っているに違いないのです。けれど、わたくしにはそれが出来ません。わたくしはただの一人の、ひとに過ぎぬのです』

 舞台中央に現れた人物が気高くソロを歌い上げる。ウェーブのかかった豊かな銀髪の美女だ。小柄で華奢な体格のどこに、ここまで大きく声を出す力があるのだろうか。彼女の歌声は、優しくしかし重々しく会場に鳴り響いた。
 彼女こそ、今宵のこの舞台のセンティロメダ役なのだ。素人目に見ても、演技、歌唱力ともに、他の役者から一段飛び抜けていた。トップ女優でまず間違いはないだろう。
 そんな事を人知れず確認しつつ、リースはゆっくりと息を吐いた。
 実を言うと、リースは、この物語が好きでは無いのだ。
 ラブロマンス自体が苦手というのもそうだが、悲恋で終わるところがどうにも頂けない。悲しいラストの中に、愛の尊さだとか人のはかなさ、愚かさが込められているのだろうが、それらをひっくるめて考えても、人が死んで終わる物語は好きになれないのだ。
 物語の中の死は、酷くお伽話じみている。本当の――現実の人の死は、あんなに美しくは無いのに。

 『おお! 麗しいセンティロメダ! 月の女神の化身よ!』

 オーケストラが一際大きな音を立てたところで、リースは我に返った。
 (まぁ……)
 隣の席には、夢中になって歌劇を見つめるシズクの姿がある。
 (今日のこの舞台を見たら、確かにそんな気持ちも薄れてくるかもな)
 小さく息をついて再び舞台中央のセンティロメダへと視線を寄せた。
 団員の多くが、ずば抜けた歌唱力と演技力を持つ劇団『青い星』。噂は決して誇張表現などではなかった訳だ。久しぶりに、見応えのある歌劇だ。
 リースはもう一度息をつくと、客席に身をうずめ、見る体勢へ入っていた。

 舞台はセンティロメダと、他国の従者、ヘテトロとの運命的な出会いへと移行し、そのまま二人が愛を確かめ合うシーンへ続く。
 誰も知る事の無い異国への駆け落ちを決意する二人の輪唱は、それはそれは美しく、会場は艶っぽい雰囲気に包まれた。
 そして――ヘテトロが捕らえられる。

 『お前が、お前が! お前さえ居なければ!』

 従者への嫉妬をむき出しにする王子の歌は、圧巻だった。
 王子の黒い嫉妬心は更に、姫を悲しませる結果となる。

 『月の神よ! わたくしが月の化身と例えられる事に、一体なんの意味がありましょうか。わたくしはただ、一人のひととして、愛する人の側に居たい、それだけなのです』

 嘆きの歌を歌うセンティロメダ。彼女の周囲には、月の子に扮した役者が、金銀の衣に身を包み、舞い舞う。

 『愛してはならぬのでしょうか。これは罪深き事ですか。生まれついた地位の衣など、一体何の価値がありましょうか!』

 月の子の踊りは、次第にその速度を増して行き、激しくなる。それに合わせて、オーケストラも壮大な音楽を奏で出す。

 『願わくば、かの人を救う力をわたくしに。月の加護など捨てましょう。わたくしに与えられた、全ての加護をかの人、ヘテトロへ!』

 言って、舞台中央のセンティロメダは、凛々しく天空に両の手を掲げた。瞬間、スポットライトが彼女の下に降り、次の瞬間には突然暗転する。
 薄暗い光の中、月の子は踊り狂い、オーケストラはますますその演奏を速める。舞台の最高潮。観客たちは、それを固唾を飲んで見守った。
 突然にライトが全照すると、舞台中央、今までセンティロメダ姫が居た位置から、光り輝く何かが飛び出してくる。白銀に波打つたてがみをうならせ、飛び出してきたもの。――馬だ。美しい白馬が、わななきながら飛び出したのだ。
 わっと客席から大きな歓声が漏れると、次の瞬間にはわれんばかりの拍手が起こった。
 リース自身、その瞬間に全身にざわりと鳥肌が走るのを感じたのだ。
 「凄い……」
 劇中であるのも忘れて、思わずそう零す。
 これほど迫力がある劇を見たのは、リースの経験上初めての事ではないだろうか。一流劇団による演劇はいくつか見知っていたが、『劇団 青い星』の劇はそのどれとも違う。洗練されたというよりむしろ、野生的な猛々しいものを感じさせられた。それが故に、ただの美しい劇で終わらずに人の心に感動を残すのだと思う。
 ふと隣を見て見ると、シズクが感動のあまり目に涙を浮かべているのが分かった。



◇◆◇



 「凄かったなぁ。感動しちゃった……」

 劇場からの帰り道、未だに感動から醒めないシズクは先ほどからこの言葉ばかり零している。
 近道するのに寂れた通りを選んだため、酒場などからの談笑以外は、辺りは静かなものだった。ぽつぽつと立つ街頭が、お情け程度に道しるべになる。そんな場所だ。シズクの声は元々通る性質も手伝って、周囲の建物にやたらと反響する。
 リースはそんな彼女を少し呆れ顔で眺めているわけだったが、彼にしても未だにあの劇の余韻から抜け切れていない事は確かだった。

 『ヘテトロ、金色に輝く貴方は私の太陽――貴方を愛しています』

 センティロメダの絶命前の言葉だ。最愛の人ヘテトロに向けて、姫は最後の力を振り絞ってこの言葉を残す。月の子と称えられた彼女にとって、ヘテトロは眩しく、そして決して手の届かない太陽のような存在だったのかも知れない。
 悲恋物語でありながら、人々に感動を残す。それは、『白銀のセンティロメダ』という物語が素晴らしい物であるだけでなく、今宵の劇を演じた役者達の迫真の演技の賜物であったように思える。
 事実、同作品を違う一流劇団で見た経験があったリースの胸にも、未だに何かが振動として伝わってくるような気がするのだ。これが感動というものか。とリースはぼんやりと自覚していた。今まで演劇で心を動かされた事など一度も無い。そんな彼が、深い感動の渦中に心を巻かれてしまったのだ。
 「確かに良かったな」
 ぽつりと零したリースの言葉に、シズクも満面の笑みを浮かべて同意した。
 シズクにしてみれば、生まれて初めて見た劇だろう。その嬉しさに加えて、これほどまでの実力を見せ付けられたのだ。リース以上の感動の波がその胸に押し寄せているのだろうと予想される。
 そんな事を考えていると、ふと、リースの頭に、昔聞いたあることが浮かんできた。

 「……一つ。こんな話を知ってるか?」

 「?」
 前を行くシズクは、突然のリースの言葉で足を止め、こちらを振り返ってくる。その顔には、疑問符が全面に浮かんでいた。しかしリースは別段気にする事も無く、少し悪戯っぽい表情を浮かべると、こう続ける。
 「この物語――『白銀のセンティロメダ』は、ただのお伽話ではなかったかもしれないって話だよ」
 「え?」
 言葉の内容に、シズクは大きく目を見開く。
 「数々の研究の結果。最近では、この物語は、著者であるゼルムラーク卿自身の事を指しているんじゃないか。って意見が主流になりつつあるんだ」
 「へぇ、何でまた?」
 今度はリースの方を完全に向き直って、シズクは問う。興味が引かれる内容だったのだろう。その瞳には、あふれんばかりの好奇心が浮かんでいた。
 リースは今度は、少しの間だけ黙り込んで一息つく。心地よい沈黙の後、その双眸をシズクの青い瞳へと向ける。
 「ゼルムラーク卿には、一人の妻がいた。名はエスメラルダ。エスメラルダは月の女神の名だ」
 「月……」
 リースの発した単語の一部に、シズクははっとなったようだった。瞳に真剣な色が宿る。
 そう、エスメラルダは月の女神の名の一つ。そして物語の中のセンティロメダは、月の子と称えられる美貌の持ち主だ。
 「ゼルムラーク卿がエスメラルダに一目惚れした所から、彼女との縁談話が持ち上がったそうだ。地元の勢力者の元に嫁ぐ事に、周りは一切反対しなかった。ただ一人――彼女自身を除いては」
 「……どういう事?」
 「エスメラルダには恋人がいたんだよ。今となっては名前も明らかになっていないけれど、おそらくゼルムラーク卿にしてみれば、取るに足らない財力しか持たない男だったんだろうな。でも、エスメラルダはそいつを愛していた」
 嫌がるエスメラルダを、彼女の両親は半ば無理やりゼルムラーク卿の元へ嫁がせてしまったらしい。いわゆる政略結婚という奴である。
 晴れて意中の人を妻の座に納める事が出来たゼルムラーク卿だったが、いつまでたってもエスメラルダは彼に心を開きはしなかった。
 「エスメラルダは、恋人が忘れられなかったんだね」
 青色の瞳を細めて、切なげにシズクが言う。それに同意を示すように、リースは頷いた。
 「ゼルムラーク卿は、それこそ必死になって彼女を振り向かせようとした。美しい花々を送り、愛の詩を毎晩読んだ。欲しい物なら何でも買い与えたし、エスメラルダの身の回りに一切の不自由が無いよう気を配った。彼の地位は高かったから、それこそやろうと思えば何でも出来たんだ。……でも、彼女は決して振り向く事は無かった。それどころか、ますます心を閉ざして、部屋に閉じこもる一方だった」
 彼では駄目なのだと、ゼルムラーク卿自身も気付いていただろう。彼女の心を開かせる事が出来るのは、彼女の恋人だけだという事も。だが、彼はエスメラルダを心から愛していたのだった。それこそ、彼女が恋人を思うのと同じくらい、いやそれ以上に。
 「それで結局、彼女はどうなっちゃったの?」
 不安そうに尋ねてくるシズクに、リースはしばらく沈黙した。
 少しの沈黙で、寂れた通りは一気に静けさを増す。遠くで聞こえる談笑が、唯一の雑音だった。
 「……結局、彼女は病んで行った。うわごとのように恋人の名を呼び、次第に狂気じみて来て……最終的には死んでしまった。繊細な人だったんだろうな」
 「…………」
 沈黙するシズクを横目に、リースは更に続ける。
 「ま、そんな訳でな。『白銀のセンティロメダ』はゼルムラーク卿自身の事を指しているものだともとれるんだよ。センティロメダが彼の妻エスメラルダ。ヘテトロがその恋人。そして、他国の王子が彼自身。そう考えたらしっくりくるだろう?」
 「……確かに」
 「この物語は、他国の王子がもう一人の主役でもある訳だ。愛と嫉妬の塊と化し、最終的には姫の命までも奪ってしまった男。まさにゼルムラーク卿自身だ」
 ひとしきり話終えると、リースはシズクの方を真正面から見つめてみた。視線の先で彼女は、納得している様子でうんうん頷いていたが、やがて、どうにも解せないといった表情を浮かべ始める。何か疑問に思うことでもあるのだろうか。おかしな事を言った覚えは無いのだが。不思議に思って、リースは首を捻った。
 「思うんだけど……リースってさ、変なところでマニアックよね」
 意外そうな瞳で、シズクが言ったのはしばらく後の事だ。
 演劇などに興味がなさそうなリースが、これほどまでに『白銀のセンティロメダ』に詳しい事が不思議でたまらないのだろう。その表情には少し、笑いをかみ殺した感がある。
 「……悪かったな」
 演劇には確かに興味は無いが、物語の歴史背景だとか原典を探る事だとかは、昔から結構好きだった。物語とは人々に感動をもたらすものだが、その時代を写し取る鏡でもある。それを探る事で、新たな発見があったり、その物語以降の流行の傾向が読めたりして興味深いのだ。
 もっとも、こんな事をシズクに説明すると、彼女に余計に笑われそうなので言わないのだが。
 「あ、そうそう、もう一つ質問」
 「なんだよ」
 少し不機嫌な声色で、リースはシズクを一瞥する。そんなリースを見て、シズクは彼を怒らせてしまった事を悟ったのだろう。決まり悪そうに苦笑いを浮かべたが、すぐに普通の笑顔に戻った。
 「その、王子の事なんだけど――」
 シズクが何かを言おうとした時だった。寂れた通りに突然、騒がしい男達の声と破壊音が割って入ったのだ。
 「!」
 何事かと眉を潜め、会話を中断したリースだったが、男達の声の間になにやら女性の叫び声が入っているのが聞こえてしまうと、さすがに放ってはおけないと直感する。シズクも気持ちは同じであるようだ。真剣な顔を作ると、リースに目配せする。
 音の発生元は、二人が立つ通りよりも更に寂れた感がある横道だろう。それだけ確認すると、リースとシズクはほとんど同時に走り出していた。



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