追憶の救世主

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閑話「白銀のセンティロメダ」

終章.

 「なんとも、後味の悪い事件だったな……」
 劇場から宿屋への帰り道、リースはぽつりと漏らした。空を見上げると夕日が町を赤く染め上げている。こんなに早い時間帯に帰路につけたのは久しぶりの事ではないだろうか。セイラ達はさぞかしびっくりするだろう。
 「そう? わたしはそうは思わないけど」
 少し前方を歩くシズクは、立ち止まると、こちらを振り返ってきた。夕日が丁度逆光になっていて、彼女の表情は細部までは分からない。だが、どこかすっきりした様子なのは、声色から分かった。
 「なんでだよ。レアラさんは大事な商売道具の髪を切られちまって、今のところショックで舞台なんて立てそうにないし。リアラさんにしたって同じような状況じゃねーか」
 「リースは甘いわね。もう少し女の子ってものを理解した方がいいわよ」
 「?」
 ふっふっふと笑いながら、シズクがなんとも気色の悪い発言をする。はぁ? と首を傾げるリースだったが、更にシズクがこう言葉を続ける。
 「あの二人があんな事で挫ける人達だと思う? 一流劇団のトップをはる女優と、精霊の暴走に負けずに生き抜いてきた女性よ? きっとすぐに立ち直るわよ」
 「……そうか?」
 本当にそうだとはにわかには信じられない。外見だけ見ると、あの二人は華奢の部類に属するのだ。リアラなど特にそうだ。
 リースの言葉にシズクは「そうなの!」と返してくると、またくるりと前を向いて歩みを再開する。気を取り直してリースも歩き出そうとするが、
 「それに。大変だったけど、今回の事件で私自身学んだ事はあったしね……」
 シズクの言葉で、歩き出そうとしていた足を止めた。前方を見ると、こちらに背を向けたままシズクが佇んでいた。背中から、いつもとは少し違う何かを感じるのは気のせいだろうか。
 「……何を学んだんだよ?」
 気になって、背中に問いかけてみる。リースの問いに、シズクはしばしの間、えーとかうーとか漏らしている様子だったが、
 「リース!」
 やがて何かを決心したのだろう、しばらく黙り込んだ後で突然名前を呼んでくる。いきなり自分の名前が呼ばれたものだから、リース自身はというと、とても驚いていた。「なんだよ」と返すも、まったく要領を得ない。なんなのだ、一体。

 「その……ありがとう。それと、ごめんなさい」

 「は?」
 その後のシズクの発言に、ますます意味が分からなくなって、リースは思わずそう声を上げた。突然礼を言われたと思ったら、間髪入れずに謝罪の言葉が飛んできたのだ。悪いが、どちらにも全く心当たりは無い。
 「そんな事言われるような事、俺やった記憶は――」
 「エレンダルの城での一件でさ、リース、わたしの事庇ってくれたじゃない。だから、『ありがとう』。それと……」
 一瞬の沈黙の後で、非常に言いにくそうにシズクはこう続けた。
 「カンテルの町で、喧嘩したよね。あれさ、わたしが完全に悪いと思ってたの。イライラしてた。だから……『ごめんなさい』」
 「…………」
 背中を見ただけで、シズクが緊張しているのが伝わってくる。日頃から口論が多く、お互いに対して素直になりきれない部分がある。だからきっと彼女がリースに向かってこういう事を言うのは得意じゃないだろう。リースとしては、喧嘩にしても、庇った件にしても、もう過去の事だと思っていた。こうして言われるまで、ほとんど忘れてしまっていたくらいだ。
 「別にそんな事、今更言わなくたって――」
 「今更だけど、スッキリしておきたいというか……」
 「何でまた」
 質問を投げると、シズクはしばしの間黙る。どう言えば良いのか、考え込んでいる様子だった。
 「……言葉でちゃんと言わないと駄目なんだなって、レアラさんとリアラさんを見てて思ったの。どれだけ繋がりが深い関係だとしても、完全に気持ちで通じ合えるなんて事、無いって。だからね、こうやって言葉で伝えておかなきゃって……ずっと思ってて……」
 最後の方は、ほとんど独り言のようだった。ごにょごにょ言うと、どうしようかと思案するように唸りだす。そんな風に困るのだったら、初めから言わなければ良いのに。とふと思うリースだったが、
 「あーもう! 分かった分かった! ありがたくその言葉受け取ってやるよ。だからほれ、さっさと帰るぞ!」
 これ以上妙な雰囲気はゴメンだとばかりに、とうとうリースはそう言って会話を終了させるとつかつかと歩き出した。そうしてシズクの背中を軽くたたいてから、まだ立ち止まったままの彼女を追い抜かす。振り向いて表情を確認するなんてことはしない。そんな事をしたら、自分が今、多少なりとも動揺しているのがバレそうだったからだ。
 歩きながらぼんやり空を見上げてみた。先ほどまで赤々と町を染め上げていた夕日は、もう随分と隠れて、夜のヴェールが少しずつその色を濃く染め上げようとしていた。夜がやってこようとしているのだ。



◇◆◇



 シズク達がジュリアーノを発ち、イリスピリアへ向けて旅を再開する日の朝だった。リアラが、突然宿屋を訪ねてきたのだ。
 「シズクさん! リースさん!」
 数日振りに見た彼女の顔は、前見たときと比べて大きく変わっていた。明るく健康的に。病弱だった彼女の面影はもうそこには無い。儚いイメージのあるレアラの方が、病弱に見えてしまうくらいではないか。
 「リアラさん……その格好」
 だが、リアラの姿を見て、シズクはその表情の変化よりも彼女の服装や持ち物のほうが気になった。ヒラヒラの女性らしいスカートを着ていた彼女だったのに、今は動きやすいパンツルック。そして両手で大き目のボストンバックを一つ持っている。それはまるで、今から旅立つ自分たちの姿と一致するような――
 「私、イリスピリアに行って、精霊使いになるって決めたんです」
 ふっと微笑むと、リアラはそう言った。え、と思わずシズクとリースは声を漏らす。自らの価値が見出せず、死を選ぼうとさえしていた彼女が、たった数日でそんな大きな決断をしてしまった事に、驚きが隠せなかったからだ。それに、気にかかることもある。レアラだ。妹と離れるのを快諾するとは思えない。
 「姉とは、たくさんいろんな話をしました。最終的に、認めてくれたようでした。寂しそうでしたけど、私たち、これが一生の別れではないから……明るく別れられたと思います」
 シズク達の心中を悟ったのだろう。リアラは少し寂しそうに瞳を細めて言う。だが、決して今までのような絶望はその瞳に宿っては居なかった。
 あの後、レアラも翌日には舞台に復帰したのだという。もちろんセンティロメダ役で、だ。短くなってしまった髪の毛は、伸びるまではかつらで代用するらしい。女優魂は伊達ではないという訳だ。
 言ったとおりでしょう。とシズクはリースに目配せすると、視線の先でリースは肩をすくめていた。女って生き物はやっぱり分からん。と言いたそうな表情だ。
 「あ、わたし達もイリスピリアまで行くんです。ねぇ、せっかくだからイリスピリアまでご一緒しませんか?」
 「お誘いは嬉しいけれど、遠慮しておきます。イリスピリアに行くまでに、たくさん寄り道をしようと思うんです。それに……自分の扉は自分で。最初は自分だけの力でやりたいんです」
 力強く微笑むと、リアラは嬉しそうにそう言った。自分の存在価値を知った今、彼女はもう、以前までの弱くて守られているだけのリアラではないのだ。精霊使いを目指す、一人の冒険者になったのだ。
 「何かありましたら、いつでも尋ねて来てくださいね。その頃には、お役に立てるだけの力を身につけて置きます」
 向かう先が同じなら、イリスピリアでいつでも会える。簡単な連絡先を書いた紙をシズクに手渡すと、リアラは出発していった。自らの足で歩き出す旅路へと。その頼もしい後姿を、シズクとリースは見えなくなるまで見送っていた。

 ――いつかまた、進む道が交差する日まで。

 片方は『白銀のセンティロメダ』を演じた最高の女優として名を馳せ、片方は、最も偉大な精霊使いとして人々から賞賛を浴びる。そんな双子の美しい姉妹が居たと語られる事になるのは、もう少し先の話――

【白銀のセンティロメダ 完】



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