焔の華姫

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Episode 01 緋色の涙

第1話

 ――不覚だった。

 そう、男は思った。
 鈍い痛みと共に、口の中に鉄の味が広がる。どうやら内臓を少々やられたらしい。
 苦し紛れにははっと乾いた笑い声を上げて、上空を見上げてみた。こんな場所に一体誰が作ったのだろう。ところどころに設けられた窓から、日の光だけが空しく降り注ぐ。
 もう少しで目標物。というところで、こうなるとは……。
 この道十数年。少年の頃からトレジャーハンターとして慣らした体だ。筋肉隆々とはいかないが、罠外しと俊敏さにかけては、たとえ相手が同業者だとしても負けない自信があった。今回の件も彼の腕なら、少々苦労はするかもしれないが達成できるレベルのものだった。ここよりも複雑な迷宮をクリアした事もあったし、数々の魔物がはびこるダンジョンから宝を持ち帰った事もあった。
 (まぁ、そのおごりがこうした形で仇となったのかもな……)
 心の中でそう零すと、男は自嘲気味に笑った。日の光はさんさんと男の下へ降り注ぐ。砂漠の光だ。昼間の今は熱いくらいの気温でも、夜になると異常に冷え込むだろう。暖をとるための防寒具は、先ほどの事件で無くしてしまった。まぁたとえあったとしても、身動き一つ取れないこの状態では、やがて来る飢えと乾きで狂うだろう。そして――死ぬ。
 (意外とあっけない一生だったな)
 柄にもなく、男は感傷に浸るなどといった事をした。今まで自分には全く縁が無いと思っていた行為の一つである。人間、最後ともなるとその人格すら変わるものなのだろうか。
 あまり幸福とはいえない人生だった。
 生まれは大して裕福でない小国の、最も貧困にあえぐ部類のスラム街。父親は酒びたりで母親は娼婦だった。もう顔も覚えちゃいないが、この浅黒い肌は父親譲りで、灰色髪と黒い瞳は母親だろう。容姿はどちらに似たか、それはもちろん知らない。時々女に間違われたりするから母親だろうか。そういえば、それが嫌で髭を生やすようになったのだった。
 父親の暴力に耐えかねて家出をしたのが九つの時だっただろうか。それから運よく、トレジャーハンターの男に拾われて、現在に至る。実にあっさりした人生だ。何の飾り気も無い。もう少し花を添える要素、例えばそう、色恋沙汰でもあれば良かったのにな。と思わなくも無い。
 ……まぁ、ここで幕を閉じるのだから今更どうでもいい人生なのだが。

 「お〜い。大丈夫ですかぁ〜?」

 だから、そんな声が聞こえた時には、てっきり天のお迎えでも来たのかと思ったのだ。



 助かったと。男はその時は心底安心した。ここを訪れた他の人間が、自分の存在に気付いてくれたのだ、と。きっとこの場――少し落ち窪んだ穴の底から助け出してくれる。そう思った。
 「あ、生きてるみたいですよ! お〜い!」
 しかし、穴の上に現れたのはひょろっこい、少年とも青年ともつかない男だった。自分が言えた義理ではないが、ぱっと見少女に見えないこともない容姿。線が細く、いかにも運動とは無縁です。と物語っているような奴だったのだ。
 あてが外れた。あんな奴では、大の男一人を穴の上に持ち上げる事など不可能だろう。欠くなる上は、助けを呼んでくれるように彼に頼むしかないか。そう思い、男はため息をついた。が、
 しゅるり。と何かが自分の傍らに落とされた。一瞬蛇の類かと思い身構えた男だったが、
 「そのロープに体をくくりつけてくださ〜い!」
 穴の上から、先ほどのもやし青年が叫んだ。
 おいおいおいおい。まさかこのロープで俺を引っ張り上げようとかそう言う訳じゃないだろうな?
 「僕が引き上げますから〜」
 そのまさかだった。
 あんぐり口を開けて、しばらく呆けていた男だったが、
 「早くしてくださ〜い」
 との声で、一応は青年の言葉に従う事にした。もっとも、大いに不安はあるのだが。
 落としてもらったロープを腰の辺りに巻きつけると、解けないように特殊な巻き方でロープ同士をくくり付ける。これでとりあえずロープが男からはずれる事は無い。もやしっ子青年の手から離れる事はあっても、だ。
 「いきますよ〜」
 準備が出来たことを手で伝えると、青年からそんな言葉が返ってくる。かと思うと、次の瞬間には腰の辺りに力を感じた。ぐっぐっと、少しずつ自分の体が……持ち上げられている?
 「マジかよ……」
 男が驚くのをよそに、彼自身の体はどんどん上昇していく。それも一度の休みも無く、だ。これでも男はそれなりに体重はある。体力がある者でも、一人で持ち上げるのには難儀するはずなのだが。
 やがて穴の出口にまで自分の頭が出ると、そこで腕に力が加わった。何のことはない、例の青年の手が自分の腕にかけられただけだ。
 「んしょっと」
 小さく掛け声を上げながら、青年は男の腕を引っ張る。予想以上に強い力で、男は引っ張りあげられた。
 一瞬の出来事。地上に出られた喜びよりも、この目の前のもやし青年の馬鹿力の方が気になった。よくよく見ると、その腰には長剣が携えられている。剣士だろうか。見た目だけなら大いに疑うが、あの馬鹿力を見せ付けられると、納得せざるを得ない。なにせ目の前の青年は、男を穴から引っ張りあげたにもかかわらず、汗一つかいていないのだから。
 「良かったですね。偶然僕達が通りかかって」
 「……あ、あぁ。感謝するよ」
 にっこりと満面の笑みを見せる青年。その穏やかな笑顔からは、少々気が弱い事は感じ取れても、あんなに馬鹿力だという事は想像できない。不思議な青年だ。
 「……って、ん? 僕『達』?」
 「こ〜んなトラップに引っかかるなんて。抜けてるわねぇ」
 青年とは違う声が、彼の後方からかかった。
 男はムッとして声の発生元を見定めようと、にらみを利かせる。今まで後方の暗がりにでもいたのだろう。声の主は、つかつかとこちらに歩み寄って来ると、やがてその全身像を露にした。
 派手な金髪の、大美女だ。そこらへんの美女とは格が違う。一種のカリスマのようなオーラを纏う、そんな女であった。つり上がり気味の青目をこちらへ向けてくると、女はため息混じりに更に言う。
 「その格好からしてあんた、トレジャーハンターじゃないの? 仮にも宝探しのプロじゃない。それがこんなトラップに――」
 「う、うるせー! 油断していただけだ!」
 女の言った事ももっともなので、男には真っ向から否定する事は出来ない。
 そう、男が落っこちていた落とし穴は、至極簡単なつくりのトラップであった。その気になれば素人でも見破る事ができるようなつくりだ。そこに何故男が落ちていたのかというと……恥ずかしながら、本当にただの油断であった。
 男が挑んだダンジョン――『砂塵の塔』。何人も寄せ付けぬ。というキャッチフレーズまで付いている場所だ。一体どんなに凄いトラップが仕掛けられているのかと、一種の期待を胸に、男はこの場を訪れた。
 ところが、である。出てくるトラップのどれもが、なんともお粗末なものばかりだったのだ。あっさり最上階近くまで上れてしまった。二日くらいかかると思われた行程は、なんとその日の午前中に終わりそうな勢いだった。そこで、男の心に油断が出来てしまったという訳だ。
 あっさりと見破れるトラップも、いざ引っかかってしまったら命取りになる。実際、男も落とし穴に落ちた衝撃で、内臓と片足をやられてしまっていた。
 「まぁまぁレインさ――レイン。いいじゃないですか。っと……怪我されてるようですね」
 レインと呼んだ金髪美女に、もやし青年は苦笑い交じりにそう言うと、今度は男の様子を確認しつつ言った。
 ありえない方向を向いている右足と、口から伝う血の筋を見れば、男がそれなりに重症を負っていることは明らかであった。我ながら派手にやられたなと思う。目の前の青年の馬鹿力っぷりに、すっかり忘れていたが、言われてようやく鈍い痛みが戻ってきた。これでは歩く事もままならない。
 「レイン……」
 「治療なら、ティント。あなたがやってあげなさいよ。これくらいの傷、あなたでも出来るでしょう?」
 懇願するような瞳をレインに向けた青年(おそらくティントという名なのだろう)だったが、あっけなくそう返された。どこまでもムカつく女だ。と男は人知れず思う。きつい性格の女は好みではない。たとえ相手が美女であっても、だ。
 「仕方ありませんね……」
 ティントはそれ以上レインに頼もうとはせず、ため息をつくと懐から何かを取り出した。
 「?」
 初めて見る文字だった。その辺に関しては男は全くの無学なので分からないが、おそらく魔法文字と呼ばれる部類のものだろう。その文字が規則的に綴られた、呪符と呼ばれる類の紙。ティントが取り出したのはそれだった。
 「少し、痛むかもしれませんが……」
 言ってティントは、男の前に呪符を掲げる仕草を見せる。そうして幼い印象を受ける双眸を閉じると、真剣な表情で何事かを呟き始める。こうして見ると、男らしく見えないこともない。

 「癒(いや)しの神よ 未熟な我等に手を差し伸べたまえ 哀れなるこの者に救いの言葉を そして安息と幸福を――」

 徐々に、ティントの掲げた呪符が光を帯び始めるのが分かった。
 男は初めてみる光景に、多少なりともたじろいてしまう。これが何か禍々しいものであったら、ひょっとしたら逃げ出していたかもしれない。幸い、呪符が放つ光は禍々しいどころか、柔らかく聖なるものであったので、それはせずに済んだのだが。

 「願わくば 等しく神のご加護があらんことを――『起死きし』!!」

 そう、一際澄んだ声で叫ぶと、今度こそ呪符から光が溢れ出てきた。光は男の全身を包み、徐々に右足と傷めた内臓部分に集中し始める。
 「……くっ」
 何か強いエネルギーが一気に注ぎ込まれたようで、一瞬軽い痛みを感じる。情けない事だが、突然の事だったので男は小さく呻いてしまった。だが、次の瞬間にはどうだろう。光が徐々に引いていったかと思うと、今まで体中を駆け巡っていた痛みが綺麗さっぱり消えてしまったではないか。試しに立ち上がって足踏みをしてみるが、全く大丈夫。折れていたはずの右足も健康そのものである。
 「あんた……呪術師か!」
 軽く感動しつつ、男は目を見開いて青年を見つめる。視線の先で青年はにっこり微笑むと、そうです。と小さく言った。
 なるほど。確かに目の前のこのひょっろこい青年には、剣士よりも呪術師のイメージの方がしっくりくる。
 呪術師の奇跡の術。
 男も話には聞いたことがある。傷ついた体を一瞬にして治してしまう神の業の事だ。この世でその力を扱える者は、呪術師だけだという。まさか目の前でそれが見られるとは……。
 「本当はレインの方がこういう術はお得意なんですけどね」
 「――!? あんたも呪術師か!」
 ティントの言葉に、男はあからさまに驚いた。目を先ほどより更に見開くと、ティントの後方に控える(というよりは仁王立ちで堂々と立つ)レインの方へ視線を投げかけた。
 魔道士ほどは珍しくないが、呪術師も珍しい部類に入る存在である。それが一気に二人とは。滅多にお目にかかれない光景である。
 「違うわよ! 私は呪術師じゃなくて魔道士! それよりも。助けてもらっておいてあなた。名乗りもしない訳?」
 男の言葉に、レインはその碧眼を吊り上げられるだけ吊り上げて、声高に叫んでいた。
 いやしかし、呪術師ではなく魔道士。だって? 奇跡の術を使えるのは確か、呪術師だけである。それを、魔道士の彼女が使えるというのか?
 心底疑問に思った男であったが、とりあえずレインの言葉に従う事にする。なんだかしゃくだったが、助けてもらった事は事実だ。礼と自己紹介くらいはせねば。
 「俺の名前はラディ。見ての通りトレジャーハンターをやっている。今回は本当に助かったよ。礼を言う。危うく死に掛けたんだもんな」
 灰色頭を照れたように掻きながら、男――ラディはそう自己紹介した。
 「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ。僕はティント。一応呪術師をしてます、でこっちが……」
 ティントは丁寧に自身の事を伝えると、続いて視線を後方へと投げかける。彼の視線の先には、肩までの金髪を揺らす大美女が立っている。しばらく彼女は黙り込んでいたが、
 「ライレイン――レインでいいわ。職業は、魔道士兼トレジャーハンターよ!」
 強い口調でもって、そう言った。
 これが彼らの出会いである。



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