焔の華姫

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Episode 01 緋色の涙

第3話

 ゆうに5メートルはあるのではないだろうか。扉の厚さの程は、開けてみなければ分からないが、重厚なつくり。材質はおそらく石だろう。何の石かまでは分からないが。もともとは、その辺の大地に転がっていたはずの大岩を扉の形に加工したと見られる。表面には、これでもかというくらいに繊細な模様、記号の数々が掘り込まれていた。もちろん全て、古代魔術ゆかりの文字や記号群である。
 呪術師であるティントは、魔道士ほどはこれらのものには詳しくない。しかし、一般の呪術師から比べると、大分博識な方であると自負している。別に好きだから詳しいわけではない。……恥ずかしい話だが、レインがこれらの事に詳しかったためだ。……まぁ、その。彼女と幼い頃から一緒に居たティントは……いわゆるあれだ。憧れていたのだ。彼女に。
 レインはある意味で特別な人間だった。
 彼女自身の正確な職業は何か、ときかれたら、呪術師である。と答えるしかない。ないのだが、実のところ、彼女自身はそうは思っていない。自分は紛れも無く絶対的に魔道士である。とレインは主張するのだ。
 周囲の人間は、彼女を訳あって呪術師として育てたがった。そのような教育が、彼女が幼い頃から開始されていたのだ。
 ところがどっこい、レインも一筋縄でいくような人間ではない。物心ついた時点から、彼女は自分は魔道士になるべくしてこの世に生を受けたのだと。そう信じてやまなくなっていたのだ。
 結果、周囲の人間の目を欺いては、魔道の図書を読み漁り、密かに魔法の練習をする始末。
 幼い頃からほどこされた呪術師教育の賜物で、レインは呪術師として一級の腕を持っている。しかしそれでいて、例の魔法特訓の成果で、魔法も使えるのだ。
 そして、もっぱらその魔法練習につき合わされていたのがティントだった訳で……まぁ、ティントも別に、嫌々つき合わされていた訳ではない。むしろどちらかと言うと、進んで彼女に付き合っていた面も否めないのだが……まぁ、今はこの話は置いておこう。
 という訳で、そんな理由もあって、ティントは魔法文字や記号に詳しい。
 「面白いわね」
 巨大な扉を見つめながら、レインは不適に笑ってみせた。実に楽しそうな表情だ。魔道士としての、彼女の血が騒ぐのだろうか。
 「何が面白いんだ? 俺には、変な記号で埋め尽くされた、ただの石にしか見えないんだが」
 そんなレインの様子を、ラディは訝しげに見る。魔法に関わった経験が皆無に等しい彼には、彼女の興奮を理解する事は難しいだろう。
 「確かにただの石です。でも、張り巡らされている記号は、古代の魔術に満ち溢れているんですよ」
 ラディに笑顔を向けると、ティントはそう説明した。彼女が興奮しているのも無理は無いのだ。なにせ、目の前の扉には、古代の魔法文字でとても興味深い事が書かれてあったのだから。
 ティントの言葉にも、ラディにはどこか解せない様子を見せたが、軽くため息をつくと、こう言った。
 「魔法、ね。詳しくないから分からんが、魔道士の姉ちゃんにとっては興味がそそられるモンなんだろうな」
 「姉ちゃんじゃないわよ。レインよ! あんたになら、レイン『様』と呼ばせても良いくらいね」
 ラディの台詞に、レインは敏感に反応を示した。仁王立ちになってお決まりのポーズをとると、目の前のトレジャーハンターを睨みつける。
 争いを好まないティントに比べて、レインはまさに好戦的な性格である。それはもうまさに、だ。町でチンピラがいちゃもんをつけてこようものなら、泣いて謝るまで叩きのめすし、威嚇の姿勢を少しでもとった魔物は、容赦なく魔法で跳ね飛ばす。その上負けず嫌いときたものだ。まったくもって手に負えない。喧嘩の場合、たいていはどちらかが大人の態度を取る事で収集が着くが、両者共に負けず嫌いで好戦的だった場合、そうは行かない。そしてまさに、ラディもその通りな性格であるようだ。
 「あ? なんだと?」
 レインの台詞に、ラディはムッとしたような顔をすると、彼女の方に体ごと向き直る。両者の間に飛び散る、火花。
 「ま、まぁまぁ二人とも、落ち着いて! それより、ね。扉の記号の話でしょう?」
 喧嘩の火蓋が切って落とされる寸前で、ティントの仲裁が入った。かなりあせり顔になると、彼は両者の間に入り、落ち着くように言葉で促す。こんな場所で喧嘩などされてはたまるものか。高い塔の上なのだ。魔法が一発炸裂したりしたら、塔もろとも砂漠の砂の一部と化す。
 「……そうだったわね」
 ため息を一つつくと、レインは不機嫌そうに扉を仰ぎ見た。ラディも幾分不服そうだったが、何も言わずに彼女にならう。とりあえず喧嘩は回避された訳だ。
 ティントは一人、盛大に安堵のため息を漏らした。



 いのちは ともしび
 はかなく ちからづよく
 もえよ もえよ
 われわれを てらし てらせ



 扉の中央部付近に記された文章。その概要は、大体こんな感じだった。古代魔法語の中でも、比較的古い部類。しかも――火神に属する文字だった。
 魔法文字にも、実は属性が存在する。現在では失われてしまったが、古の時代には、神によって文字を使い分け、文字による魔法行使が行われていたらしい。
 世界を創生したとされる6大神。その中でも、火、水、風、雷に属する神は、生命に携わる神だ。
 火神に属する文字で、生命を謳った文面。これはひょっとすると、ひょっとするかも知れない。
 「……命とは灯火、ね。なんだか胡散臭いな」
 ティントからある程度の説明を受けたラディは、そう言って首を捻る。疑念半分、期待半分といった表情だ。
 「でも、ここまではっきり書いてあるという事はほぼ間違いが無いと僕は思います」
 「?」
 怪訝な表情のラディの目の前で、ティントは微笑みながら言った。そう、ここまで大々的に宣伝されているのだ。おそらく間違いは無い。
 「それまたどうして? 俺なら、ここまで堂々と書かれていたらむしろ罠かと疑うが……」
 ラディは、模範的な疑問をティントに投げかけてくる。確かに、彼の気持ちも分からなくはない。これでは大々的に、お宝はここですよ。と宣伝しているようなものだからだ。宝を隠す場所は、普通ならば一番目立たなくて、見つかりにくい場所にするはずだ。むしろこの文字は、罠か何かだと考える方がしっくり来る。だが――
 「馬鹿ね。そんな事も分からないの?」
 ティントの背後から、それまで夢中になって魔法文字を眺めていたレインが言った。青水晶のような瞳を、挑発的に細めてラディを一瞥する。
 「なにを――」
 「ここが何処だと思ってるの?」
 「え……」
 一度はレインに噛み付きかけたラディだったが、レインの言葉で動きを止めた。再びの喧嘩の危機は去り、ティントは密かに胸を撫で下ろす。この二人を一緒に置いておくと、はらはらしてしまって落ち着かない。
 「ここがどこって……砂塵の塔に決まってるじゃねーか」
 「そう、砂塵の塔。じゃぁ、この場所が何のために存在していたかは知っているかしら?」
 「は?」
 ラディは、意味不明といった様子で首を捻る。彼はそれきりしばし考える姿勢を見せたが、どうやら答えは出せそうにない。トレジャーハンターを生業としてきたラディにとっては、塔はただの塔に過ぎないのだろう。特に、そこに宝が眠るのだとしたら、それは単なる巨大な宝石箱としか映らない。一般的な解釈だ。
 だが、レイン達のような人間にとっては違う。
 「ラディさん。古代の塔の多くはですね、『神に少しでも近づこう』という目的で建てられている物なんですよ。神は天空に住まうとされているものですからね。そして、こんな風に魔法文字が散りばめられているという事は、この塔はなんらかの宗教的儀式のために用いられていた可能性が高い」
 現代は、神子を頂点として、4神を祀る神殿の人間は呪術の修業を積む事が多いが、呪術が系統的に確立される以前は、魔道を用いて神を崇めていたとされる。諸説あるが、元々呪術は魔道から派生したものなのだ。それが、現在のようにはっきりと分かれ、時に対立するまでに至った経緯は、今ここで必要な知識ではないので説明を省くとして……とにかく、古い時代の宗教施設は魔道の力を込めて建設された。砂塵の塔は、あちらこちらに見られる魔道の痕跡からして、明らかに古の時代、儀式が執り行われていた宗教施設である。
 「なるほどねぇ」
 それらの事を分かりやすく噛み砕きながらティントが説明すると、ラディは顎に手を当てて唸った。納得はしてくれたようだが、詳細までは理解してもらえて居ないなと胸中でのみ呟いておく。
 「まぁ、そんな訳で、この扉の先に『緋色の涙』は安置されている事で間違いないと思います。それにひょっとすると、『緋色の涙』は、宗教的なアイテムか何かかもしれませんね」
 言って、再び視線を扉の方へと戻した。
 「火神縁の代物かも知れないって訳か。……シロの可能性が高いな」
 ラディの言うシロとは、本当に死者を蘇らせてしまえる程規格違いな力を秘めた宝である、という事で間違いないだろう。実際、ティントもそうであると感じていた。緋色の涙はトレジャーハンターの間では有名過ぎる宝の一つで、ギルドでこの情報を得た時にも、どうせインチキな宝しか眠っていないだろうと思っていたのだ。ここにきてその予想は大きく裏切られた訳だ。
 しかし、やはり気がかりなのは、砂塵の塔の難易度についてである。前述の通り、最上階の扉の前まで、実にあっさりと来れてしまった。ラディが一流のトレジャーハンターで、自分達もそれなりに腕が立つという事を抜きにしても、前人未到の宝にしてはあっさりすぎている。だから――
 「期待は膨らむところですが油断は禁物ですよ。ここは一つ、慎重に――」

 がこん、と。

 ティントが言い終わらないうちに、やたらと派手な音を立てて巨大な扉が開かれていくのが分かり、青ざめた。あんなに重厚で、開くためには困難な作業が必要だろうと予想されたのに、石の扉はあっさりとその巨体を移動させている。すぐ目の前のラディも狼狽しているところからして、おそらく開けたのは彼ではないだろう。もちろんティントでもない。とするとやはり――
 「レイン!」
 「あら。宝が目の前にあるっていうのに、のんびり立ち話してるなんて勿体ないじゃない!」
 悲鳴に近い声で叫ぶと、扉に右手を押しあてた金髪の美女は、実にあっけらかんとした表情でそのように述べたのだった。



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