焔の華姫

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Episode 01 緋色の涙

第4話

 まったくこの人は!
 そうティントは胸中で大いに嘆いた。やる事が大胆すぎる。慎重に行くべきだと言おうとしたところにこの有様だ。昔から変わらぬ彼女の性格上の特徴であったが、それらが如何なく発揮される度にティントが多大なる心労を強いられてきた事を思い出し、軽く頭痛を覚える。
 石の扉は淀みのない動きで開いていく。こんな巨大な扉をレインの細腕で開けられるはずがないと思われたが、すぐにどういう事か予想はついた。魔力を流し込んだのだろう。
 扉は開かなければ意味がない。火神関係の魔法文字が散りばめられたところからして、おそらくこれは、魔法を駆使して開ける仕組みなのだ。それらをこの短時間で理解し、実行に移したレインの実力には舌を巻くが、決して褒められたものでもないとティントは思う。
 「慎重にいかないと駄目でしょうが! 仮にも前人未到の最難度の塔なんですよ!? いつどんな罠があるか分かったもんじゃない!」
 「大丈夫大丈夫。大体ティントは用心深すぎなのよ」
 重い音を立てて完全に扉が開ききった事を確認し、レインは軽やかなステップで歩きだした。そういう貴女は不用心すぎです。悲鳴に近い声で叫ぶと、同情するような瞳でラディに見つめられた。
 「……お前、苦労してるんだなぁ」
 「その通りですけど、今はそんな事を言っている場合ではなくて――」
 ごうっ、と。空気がうねる音と、熱波を感じたのはその直後の事。真っ赤なそれは、丁度ティントとラディの間を裂くように飛んで、塔の壁面に派手に激突する。背後から轟音と共に、空気があぶられるような熱がやって来た。
 (――炎?)
 僅かに何かが焦げ付いたような臭いが鼻を突いた所で、ようやくティントはその正体に思いいたる。いやしかし、普通に考えてあり得ないものであった。何者も棲まず、何者も寄せ付けない筈の砂塵の塔の頂上に、炎など起こるはずがない。
 「な、何だよ今のはっ!」
 すぐ横で混乱気味に叫んだのはラディだった。だが今は、彼にもかまっては居られない。
 「レイン!」
 先に部屋へ足を踏み入れた彼女の事が気がかりで、悲鳴のような声を上げてティントは石扉をくぐる。あれほどの炎、もし仮に直撃でもしていたのなら――
 「レイン! 大丈夫ですか!?」
 踏み入れた部屋には、沈みかけの夕陽の光が差し込んでいた。かなりの高度を誇る場所から見つめる空は、既に半分以上闇色に染められつつある。それほど広い部屋ではない。無機質な、石造りの祭壇が一つ存在するだけの場所だった。
 「レイン……」
 祭壇と向かい合う形で佇む、金髪女性の後ろ姿を認めて、ひとまず安堵する。どうやらレインは無事なようだ。だが、続いて視界に入ったものの姿に、思考が完全に停止する。殺風景な部屋に、あり得るはずのないもの。夕陽に照らされて、咄嗟には分からなかったが、きろりと輝く赤い二つの光は、それが日の光ではない事を物語る。
 「お、おい! あれって!」
 遅れて部屋に入って来たラディが声を上げる。けれど、彼の方を振り返る事は出来なかった。目の前で悠然と佇むものの存在に、瞳を絡め取られて、外せなかったから。

 『――汝等、何者だ』

 燻ぶるような音を立てて、炎が上がる。頭の中に直接語りかけて来るような、不思議な声だった。
 それは、巨大な翼を備えた緋色の獣。祭壇の上に滞空した状態で、血の色の瞳は3人を威嚇するように睨みつけていた。そこに在るだけで、空気が歪んで震える。炎を纏った、激情の化身。
 「……火竜?」
 掠れた声が零れる。それは、火の神の使いだと、古より伝えられる獣の呼び名だった。しかし、実在するとは聞いていない。あり得ない筈だ。竜という生き物自体、とうの昔に滅んだ筈なのだから。
「嘘だろ!? 竜だ。そんな化け物が、まだこの世に居るのかよ!」
 ラディが言うように、姿かたちからして間違いなくそれは『竜』だった。焔色の肢体も、しなやかな尾も、炎を纏う翼も、皆伝承にあるままの姿だ。
 何故、こんなにも簡単に最上階まで辿りつける塔が前人未到と呼ばれるのか。『緋色の涙』の正体を、未だ誰も知らないのか。今全て分かった気がする。最上階に辿りついてから先が、最大の試練だったのだ。――しかし、こんなものは想定外である。

 『愚かなる者どもよ、我が火竜と知っての行いか。今すぐこの場から立ち去るが良い』

 再び、不思議な声がする。低く、厳かな響きは、小さな部屋に静かにこだまするのだった。
 神聖なるものの存在を前にして、ティントは足がすくんでしまう。塔のあちらこちらに散りばめられた魔法の痕跡からして、宗教的な何かが眠っているとは予想していたが、火竜の出現とは、さすがに反則だ。

 『立ち去れ。そして、二度と我には近づかぬ事だ。――さもなくば、焔の制裁が汝等に降り注ぐ事となる』

 言葉の直後、ごうっと再びの轟音が部屋にこだまする。わざとティント達を外す軌道を取って、凄まじい炎は部屋の壁面に激突した。直後にやってくる熱波は、それらが半端なものではない事を告げている。
 相手は炎の化身とも言える存在だ。しかも竜。常人はもちろんだが、多少腕に覚えのあるティントにとっても、それは厄介な存在であった。特に炎そのものが相手では、分が悪い。もちろんそれは、レインにとっても。
 「――レイン! 言う事に従いましょう」
 高速で鼓動を打つ心臓を何とか抑えつけると、ティントはレインに向かって言い放った。勝気な彼女は、未だに火竜と対峙したまま体勢を崩していない。
 「火の神の使いですよ!? 僕にもあなたにも分が悪すぎる。ここは大人しく引き下がる――」
 「ティント」
 動揺しっぱなしのティントの耳に、レインの声は案外すんなりと入って来た。落ち着いている場合ではないのに。いつ烈火の炎がこの身を焼き尽くすかも分からない状況なのに、彼女は凛としていた。
 火竜に背を向け、こちらを振り返ったレインは、随分と落胆した表情で青い瞳を細める。
 「……ティント、どうやらここはハズレだったみたい」



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