焔の華姫

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Episode 01 緋色の涙

第5話

 一体何がどうなってるんだか。

 ラディの頭の中は、未だかつてない程に混乱していた。
 それなりに腕が立つトレジャーハンターである彼は、これまでに何度も、前人未到と言われたダンジョンを攻略した経験を持つ。それ故に、命の危険に晒されるような恐ろしいトラップに対峙した事も、決して珍しくはなかった。だが……火竜だと? そんなものは想像した事もない。魔法に詳しくないラディは、そもそもその詳細を理解していないし、特定の神を信仰している訳でもなかったから、神の存在を信じた事もあまり無い。伝説の中でだけその存在を主張していた未知の生き物と対峙するはめになろうとは、夢にも思わなかった。

 「ティント、どうやらここはハズレだったみたい」

 混乱の為動けないでいるラディとティントとは対称的に、レインはというと冷静なものだった。撤退を提案するティントの言葉を聞いているのか聞いていないのか。彼女は火竜に背を向けると、こちらを振り返って来たのだ。いつ竜の炎が放たれるかも分からない状況下で、だ。無防備にも程がある。
 「レイン! 何を言っているんですか」
 「そのままの意味よ。『緋色の涙』は、ハズレだった。……とんだ無駄足ね」
 青い瞳を苦渋の色で染めると、心底残念そうにレインはそう言い放った。
 「そんな事を言ってる場合ですか! 相手は火竜ですよ? 今すぐここを立ち去らなければ――」
 「――だけど私は、この『紛い物』が個人的に許せないわ」
 再び炎が部屋を明るく染め上げたのは、レインがそんな事を口走ったのとほとんど同時であった。低く唸る声が聞こえる。それまで静かに佇んでいた竜が、感情を露わにし始めている。――怒っているのだ。
 「だぁぁぁっ! レイン! お前、何火竜を威嚇するような事――」
 「火竜ですって? 御冗談を。確かに力はあるようだけれども、竜の姿を騙った紛い物が」
 ごおっと、今度は確実にレインを狙った形で炎が躍る。あまりの絶望的な熱量に、ラディは思わず目を瞑る。
 「――――っ」
 何かと何かがぶつかり合った鈍い音が響いたのはその直後の事だ。目を瞑っているので分からなかったが、半端ない炎の威力を肌で感じる。常人は無理だ。跡形も残らず焼き尽くされる。
 「…………?」
 しかし、恐る恐る瞳を開けたラディの目の前に、少なくとも彼が想像したような無残な光景は転がっていなかった。

 『娘。……我を侮辱するか』

 炎が燻ぶる音が聞こえる。焔の竜は、血の色の瞳を真っすぐレインに向けて、怒りに燃えているようだった。――そう、レインは無事だったのだ。すぐ隣にティントが飛び出しているのが見えた。その手に握られていたのは、ラディには読めない文字が躍る不思議な紙――呪符だった。想像するに、彼が呪術で炎を防いだのだろう。
 「ティント……」
 先程までは自分と共に、あまりに大きな存在を前にして震えていたというのに、今のティントの表情はというと、信じられないくらいに引き締まったものだった。幼く見える表情から一転、畏怖さえも感じるものへと変わる。茶色い瞳に燃えているは、怒りの感情だと知れた。
 「……焔の竜よ。貴方がたった今炎を向けた人物が誰か、知っての行いか」
 はらりと、役目を果たした呪符が崩れ落ちて行く。風に流れて行く呪符の欠片を一瞬だけ見送り、神のお告げでも告げるかのような口ぶりと表情で、ティントは火竜に向き直る。直後、仮面をかぶったような表情の青年の隣から、くすりという笑い声がこぼれおちた。妙に艶めかしい。
 「火竜とは聞いて呆れる。この程度の炎で、私がやられるとでも思ってるのかしら?」
 声は確かに、レインが放ったものだった。勝気な雰囲気も、相変わらず大胆なもの言いも、出会って浅いラディでも疑う余地が無い程に彼女らしい。ただ、今のレインが放つ雰囲気が異様なだけで。
 炎を受けた時に裂かれたのだろう。レインの上着は、かなりきわどい状態で肌蹴ており、豊満な胸元が露わになる。沈みかけの夕陽を受けて、彼女の金髪は輝いて見えた。艶のある肌は茜色に染まり、そうまるで――焔を纏っているかのようだった。

 「――私の名は、ライレイン・アリーア。火神(アレオス)の意志を受け継ぐ者」

 思わず息を呑んだのは、ラディだけではなかった。レインが鋭い視線を向ける先に佇む、焔の竜もまた、血色の瞳を丸く見開き、驚愕の声を上げたようだ。同時に、鋭い牙が並ぶ口からずるりと、小さな炎が零れ落ちる。
 (アリーア……だって?)
 胸中で紡ぎながら、ラディは目を見張る。その名は、そう軽々しく一般人が名乗れる類のものではない。学の無いラディにだって、それくらいは常識だった。アリーアは火神の代弁者を意味する名前。世界に唯一無二。4神のうち、火の神の神子のみが受け継ぐ名前だ。
 それを証明するように、肌蹴た服の隙間から覗くレインの胸元には、あざがあった。夕陽に照らされ、まるで炎を帯びたようにハッキリと見える。焔色の複雑な形をしたあざは、竜を模っている。聖痕とも呼ばれる、神子だけが持ち得るものだ。

 『――――!』

 竜も、知識としてそれらの情報は頭にあるらしい。威厳に満ちて高慢だった態度は今は無く、レインの胸元のあざを目にして、震え上がったようだった。
 「火の神の使いを騙った上、火神の神子への狼藉の数々――お前も、炎の魔法を帯びる存在の一つとして、犯した罪の重さは重々承知でしょう?」

 『否――我は……っ』

 「言い訳無用!」
 戸惑いを見せる竜の言葉を切り裂いて、レインは高々と声を上げる。艶のある唇が高速で何かを呟くのが分かる。動作や構えからして、彼女は確実に今、魔法を――
 「って、ちょっと待て!」
 「レイン様! こんな場所で魔法は――」

 どおん。
 本日ラディが聞いた中で最も鋭い音が上がり、魔法に詳しくないラディが見ても、おそらく最大級であろう雷の魔法が派手に炸裂したのだった。塔の壁をぶち抜けばまだマシだったかも知れない。地面に向かって降り注ぐ類の雷魔法など、間違っても塔の最上階で放つものではない。
 直後、砂塵の塔が物凄い早さで崩壊したのは、言うまでもない事だった。



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