焔の華姫

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Episode 01 緋色の涙

第6話

 こんこんと、木造りの扉をノックしてから、返事を待たずに開ける。教えられていた宿と部屋はここで間違いが無いはずだった。案の定、扉を開けた先には、見知った二人の姿がある。
 「こんにちは。ラディさん」
 「あらラディ、何の御用かしら?」
 優しい笑みと共に迎えてくれるティントと、相変わらずのふてぶてしい言葉を放つレイン。両者のあまりに対称的な対応に、ラディは小さく吹き出したのだった。
 「……よく言うぜ、レイン。俺を呼んだのはあんただろう?」
 肩を竦めて、ソファにゆったりと座る美女を見る。砂塵の塔で初めて会った時とは違い、部屋着姿なのだろう。彼女はゆったりとしたワンピースに身を包んでいた。大人しく喋らずに座ってさえいれば、誰もが見惚れるはずだ。その性格を知ってしまったラディにとっては、手遅れな話だが。
 ティントから、宿の受付経由で話があるという旨のメッセージが来たのは、昨日の夜の事だった。町に戻ってから、滞在している宿を互いに教え合っては居たが、所詮旅の中でのささやかな出会いの一つ。おそらくもう会う事は無い。そう思っていたのだが、まだもう少し縁は続くらしい。
 「で? 話って? ……口止めなら必要ないぞ。あんた達は命の恩人だし。こんな情報漏らしたところで、俺には一銭の得にもならない」
 こんな情報、とは、レインの正体についてだ。
 常識中の常識であるが、創世の神のうち、光と闇以外の4大神には神殿が存在している。其々の神殿の頂点に立つのが、4人の神子。神子の位は、時の権力者や、歴史に名を残すような賢人でさえ手に入れる事はかなわない。胸に神竜のあざ、手に神竜のクリスタルを持って生まれた赤ん坊が神子となるよう定められているのだから、まさに神の采配によってこの世に生を受けた、選ばれし者である必要がある。
 砂塵の塔で知ったレインの本名は、ライレイン・アリーア。ラディの記憶が正しければ、『アリーア』は、代々火神の神子に受け継がれる称号名である。大陸の南に位置するここ、エレオーヌ国には火神の神殿があるが、要するに彼女は、その神殿の最高位僧にして、火神の代弁者をつとめられる唯一の人物だ。ラディのような、平民の底辺に属しているような人間は、おそらく一生お目にかかる事などなかったはずの人物である。
 そんな大層な肩書の人物が、共の人間を一人しか連れずにトレジャーハンターのまねごとをしているなんて。その理由は大いに気になったが、所詮ラディには関係のない話だ。平民風情が、国の要人が動くレベルの問題に関わって、良い事など一つもない。
 「口止めなんかじゃないわ」
 しかしレインは、悟った風のラディの言葉を一蹴して、ソファになおふんぞり返る。鮮やかな青い瞳をこちらに据えると、つと唇の端を上げて不敵に笑ったのだ。
 「緋色の涙の正体。あんたも気になっていたでしょう?」
 言って、テーブルの上にレインが置いたのは、ボタンくらいのサイズの赤いクリスタルだった。朝日を浴びて、それは怪しい輝きを放つ。内部には、神竜を思わせる紋章が浮かんでいた。
 「これが、『緋色の涙』と人々が呼んでいた代物ですよ。ラディさん」
 「お前ら……あの脱出劇の中、いつの間にこんな物を!?」
 信じられない。驚愕の表情で、ラディはティントを見つめた。レインが放った大魔法のせいで、砂塵の塔は瞬く間に崩れ落ち、砂漠の砂の一部と化したのだ。崩壊していく小部屋からこんなに小さな石を探し出す余裕なんて、無かったはずだ。だってあの時自分達は――
 「ほら! サボってないで姿を現しなさいよ!」
 驚きで呆けているラディをよそに、刺々しい声を上げたのはレインだ。しかし、彼女が言葉を向ける矛先を見て、ラディは首をかしげざるを得なくなる。青い瞳でじいっと睨みつけ、彼女は今しがた彼女自身が取りだした赤いクリスタルを突っつきにかかったのだから。一体何をしているというのだろう。クリスタルに向かって話しかけるとはまた酔狂な。
 「出てこないと、エレオーヌ山のマグマに放り込むわよ」

 『そ、それだけは勘弁願いたいっ!』

 ぼわんと、やけにメルヘンな音を立ててテーブル上に具現化したそれは、ラディにも見覚えのある生き物だった。炎を纏う二翼。焔色の肢体。血の色の瞳。心に直接語りかけて来るような声も、砂塵の塔で遭遇したそのままだった。ただ一点――サイズが明らかに手乗りサイズである事以外は。
 「……火竜?」
 『何故語尾が疑問形になるのだ』
 厳かなもの言いはやはり、砂塵の塔の最上階で現れた火竜のものに違いなかった。しかし、サイズがあまりに小さすぎる。猛烈な炎を吐き出していた時とは、迫力の面からして拍子抜けするくらいにレベルダウンだ。少し大きめのトカゲと言ってしまっても、通じるような気がする。ラディの考えている事が分かったのだろうか。手乗りサイズの竜は、不機嫌そうに喉を鳴らした。
 「火竜なんかじゃないわよ。あんな伝説の生き物、現世に出現されたらたまったものじゃないわ。仕事が増える」
 「レイン。火神の神子がそんな身も蓋もない事言わないで下さいよ」
 深いため息を零しつつ告げたのはティントだ。神竜が世に出現する時は、世界が危機に瀕した時だと言われている。出現されると厄介な存在である事は確か。神子であるレインの仕事が増えるのも確か。しかし、ティントの意見に、ラディも全面的に賛成だ。
 「そんなことより、このちっこいのは砂塵の塔で遭遇した竜だろ? 火竜じゃないというなら、一体何なんだよ」
 逸れかけた話題をラディが無理矢理戻す。テーブルの上で件の生き物は、二翼を翻してその場でくるりと回ってみせた。サイズがサイズなだけに、仕草が可愛らしく見えるのだから不思議だ。
 「こいつの本体はこの赤色のクリスタルよ。『緋色の涙』なんて呼ばれてるけど、実際のところこれは、私のクリスタルとまったく同じ代物ね」
 実にあっさりと告げ、レインは懐からまた何かを取り出して、『緋色の涙』の隣に置く。火の光を受けて赤く光るそれを目にして、ラディは絶句する。レインが取りだした物は、緋色の涙と寸分違わぬ形をした、赤いクリスタルだったのだから。神竜の模様が浮かんでいるところまで、まったく同じだ。
 「火神の神子が生まれ出でる時、その手に携えていたクリスタルです」
 ティントの言葉を受けずとも、ラディもそう確信していた。神子が神子として見出される為に必要不可欠なもの。神に選ばれて生まれてきたという証である、神竜のクリスタルに違いない。
 「え……『緋色の涙』とレインのクリスタルが同じって」
 やばい。混乱して来た。
 灰色髪をくしゃりとかきあげると、ラディは助けを求めるような視線をレインに向ける。魔法だの呪術だの、神子だの神竜だの。ラディには難易度が高すぎるのだ。
 「だから。『緋色の涙』の正体は、私以前の神子が抱いていた神竜のクリスタルって事よ。それも、ずっとずっと大昔の、ね」
 「けど、じゃぁこのちっこい竜は……」
 「ただの物も、永年月の光を浴び続けたら、命が宿るという事ですよ。砂塵の塔は十中八九、火神を信仰する為に使われていた宗教施設です。遥か昔の火神の神子が遺した神竜のクリスタルをご神体として祀り、宗教的な儀式を行っていたのでしょう」
 時代が進み、やがて塔は人から見放されるようになった。しかし、神竜のクリスタルは朽ち果てる事もなく、塔の最上階の祭壇で、ひたすら月の光を浴び続けた。結果、いつしか命を帯び、人々の信仰した姿――火竜を模したものとして具現化するに至った。
 ティントの語ったおよその筋書きはこうだ。理屈は何となく分かるが、やはりスケールが大きすぎて、ラディの頭ではとてもじゃないが処理が追いつかない。
 「何かよく意味が分からんが、とりあえずこいつが火竜じゃないってのは分かった。人に見捨てられて寂しいもんだから、構って貰いたくて命を宿しちまったってとこか」
 『こいつとは何だ! 何たる愚弄の数々。それが、命の恩人に対する言い様とは!』
 「恩人じゃなくて、恩竜だろ?」
 いや、正確に言うと竜ですらないのだが。きーきー喚く竜にデコピンを食らわせると、ラディは笑う。火竜でないと分かれば、この生き物に対して抱いていた畏怖などどこかに行ってしまった。
 だが、こいつが居なかったら、色々とやばかったのは事実である。
 レインの魔法で砂塵の塔が崩壊の危機に瀕した時、逃げ道もなく、ラディ達は途方にくれたのだ。正直なところ、死を覚悟した。そんな絶望的状況下で、魔法を食らってボロボロの状態であった火竜もどきに、とんでもない注文をつけたのはレインだ。曰く、自分達を乗せてここを脱出しろと。もとはと言えば彼女が放った魔法が原因でこうなったのに。その魔法を食らわせた相手に、助けろと。まったく。やる事成す事無茶苦茶である。
 本体が神竜のクリスタルである彼にとって、火神の神子は主人とも呼べる存在なのだろう。逆らえるはずもなく。ボロボロの体をおして、レイン達を乗せて砂塵の塔を飛び立った。
 「魔力を使い果たしてしまったようで、今はこのサイズで具現化するのが精いっぱいだそうですよ」
 心底気の毒そうに表情をゆがめて、ティントが言う。心なしか、竜の血の色の瞳は、涙で潤んで見えるような気もする。隣でけたけたと笑うレインが見えた。
 「…………」
 『緋色の涙』の正体もとんでもないものだったが、結局一番無茶苦茶なのは、天下の火神の神子様という事だろうか。



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