新月の夜の夢
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第2話
それはまるで、親鳥が大切に卵を温める時のように。
大事に育てた一つ一つの音のかけらを注意深く息を流し込む事で、それぞれの音へと変化させていく。丁寧にそして優しく。大事に大事に。
そんな風に気持ちを込めて出してやった音は、私の願いに答えるかの様にかろやかに弾み、流れ、そして――
ビィッ!!
不快な、音ともつかない奇怪な雑音が、口元から飛び出した。自分で出した音のはずなのに、びくっと背中が引きつるのが分かる。それがきっかけとなって、それまでいた心地よい世界から一気に、暑くて蝉の鳴き声のする学校の一教室へと呼び戻されてしまった。
小さな音なら誰も気にしないのだが、さすがにこれは、あまりに大きすぎたし突然すぎだ。それに、曲の一番の盛り上がりのところでの事だったので、見事に出鼻をくじかれたといった感じ。
私を除く二人は、ほぼ同時に吹くのをやめた。
というか、やめざるを得なかった。いきなりの私の失態で、笑いをこらえきれないといった様子で、思い切り吹き出したのだから。
「あははは! 千音、笑わせないでよ」
「千音ボー、そりゃないぜ」
ゆっきんともりもっちは、とうとうお腹を抱えて笑い出した。げらげらと、ゆっきんのソプラノともりもっちのテノールが教室に響き渡る。
何もそこまで笑わなくても良いじゃないか。私は漫才師でもサーカスのピエロでも無いのだから。
不服そうに唇をとんがらせていると、それにゆっきんが気づいて
「ごめんごめん。でもさ、あんな所でめちゃめちゃ大きなリードミスするんだもん。さぁこれから盛り上がるぞー! ってところでさ。ビックリしちゃって」
申し訳そうな表情をして、そう言い訳する。でもまだ口元は笑ったまんまだった。
悪意が無いのは百も承知だが、やっぱりどこか悔しい。ぷぅっと頬を膨らまして、不服を顔全体で表現した。その表情をまた、二人に笑われてしまったのだけれど。
私、片山千音(ちね)は吹奏楽部に所属している。楽器はクラリネット。パートは3rdだ。
千の音。と大層音楽の才に秀でていそうな名前を持っているが、そんな希望は幼稚園くらいで捨ててしまった。歌もそんなに上手くないし、ピアノも長続きしなった。それは吹奏楽部に置いても同じで、三年目になった今でも大して上達していない。ゆっきんやもりもっちみたいに、真珠がこぼれ落ちるような華麗な音は出せていないのだ。ただ、音量だけはやたらとあるので、3rdが適役らしい。
もりもっちからは何故か「千音ぼー」と呼ばれている。理由を尋ねたところ、いつもぼーっとしているから。という、失礼極まりない返事が返ってきた。
まぁ、間違っては居ないのだが。
二人の笑いが収まるのを待ってから、私はさっとマウスピースをくわえるしぐさをする。それを見て、さすがの二人も
「やろか」
と相槌を打ち合って、マウスピースを口にあてがった。
心地よい静寂が再び教室に漂い始める。
「じゃぁ気を取り直して。続きから行こうか」
パートリーダーのゆっきんの言葉で、余計に空気が引き締まった。無言でオッケーの合図を出すと、私ももりもっちも真剣な表情をする。
なんとしてもこの曲を来週末までに仕上げなければいけないのだ。簡単そうに見えて意外と難しい曲だから、その分練習が必要になる。
この曲、コンクールの曲ではない。そして練習している今の時間も、部活の練習外時間だった。
そこまでして私たちがこの曲にこだわる理由。
その理由は、この曲を発見した時にまでさかのぼる。
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