新月の夜の夢

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第3話


 あれは確か、夏休みが始まる直前の頃だったと思う。そう、毎年恒例の吹奏楽部員全員による、部室の大掃除をやっている時だった。


◇◆◇


 部室というのは決まって、ごみごみして散らかっているものである。うちの部室も例に漏れず、いやそれ以上に散らかっていると思う。自信がある。80人近くの部員を抱える我が部だが、部室はそれに反して狭い。見たところ、教室の半分くらいではないだろうか。その中に、部員全員分の楽器が収納されるのだ。散らかって当然。……まぁ。整理がなっていないという面も否めないが。
 場所を少しでも確保するためだろう。棚という棚が、天井近くまでそびえ立ち、その中にところ狭し、といろいろな物がしまわれている。特にサイズが大きいパーカッションの場所を作るのが大変で、最近では木管楽器エリアにまでティンパニーの一部が侵入してきている。
 それに楽器だけではない。吹奏楽に欠かせないものがもう一つ。そう楽譜。これが結構場所をとるのだ。しかも整理がなっていないせいか、私たち現役部員の楽譜だけではなくて、いつの時代のものか分からないようなものまで存在する。黄ばんだ譜面が時々出土するのだ。
 以前出土した物の中に、「トランペット」を「トラムペット」と記述した時代のものが出た時は、発見者全員で笑い転げたもんだ。この学校の歴史の長さを実感するとともに、「ティッシュ」を「テッシュ」と発音するおっちゃんを思い出したりもした。そんな感じだから、学期終わりの部室の大掃除の時は何かが起こる。

 ――ドサドサドサッッ!

 「きゃぁぁぁぁ!」
 半泣きで私は、悲鳴を上げた。頭だけを両腕でかばって、思わずその場に座り込む。上の方の棚を片付けていたところ、そこにあった楽譜を見事にぶちまけてしまったのだ。重力にしたがって、楽譜が雪崩のごとく、私の頭上に降り注ぐ。一緒に埃も連れてくるから更に性質が悪い。
 「おいおい。何〜やってるんだよ」
 ため息をつく私に、呆れた声をかけたのはもりもっちだった。そして楽譜の海の真ん中で、孤島に取り残された人みたいになった私を見てぷっと吹き出す。横で、楽器棚を掃除していたフルートパートの子が目を丸くしていた。
 「笑ってないで助けてよ!」
 笑われた事が不満なのと、いろんな人に見られている恥ずかしさがない交ぜになって、もりもっちを軽く睨んでやる。私の視線を受けて、彼はわざとらしくひるむ姿勢をとった。別に凄んだつもりじゃないのに。それに私は、頬を膨らませる事で返す。その様子にもりもっちはまた吹き出したが、
 「……へいへい。ほれ、捕まれ」
 最終的には手を差し伸べてくれた。こういう紳士なところが、もりもっちの良いところだ。神の救いの手に私はもちろんすがり付く。楽譜まみれで立ち上がれなかったのだ。
 「よっこらせっと」
 もりもっちがおばちゃんみたいに掛け声をかけると、ぐいっと手に力が入ったようだった。そしてそのまま、勢い良く引き上げられる。
 「まったく。千音ぼーはぼーっとしてるんだからな〜」
 安全地帯までたどり着いて、胸をなでおろす私に、すかさずもりもっちのいやみが飛ぶ。
 「だって――」
 「うっわ〜、何この有様!?」
 言い訳しようとした私の声を遮ったのは、部室に入ってきたゆっきんだった。



◇◆◇



 「ったく、何だって俺がこんな事しなきゃならないのかね〜」

 唇をとんがらせて、もりもっちはぶちぶち文句を言っている。その文句の原因を作ったのは他ならぬ私なのであったが、今はとりあえず無視することに決めた。忘れてくれるのを待とう。
 「高いから気をつけてね〜。落ちないように」
 「へいへい分かっているよ」
 ゆっきんの言葉に彼は、棚に顔を突っ込んだままの体勢で答えた。
 もりもっちは、先ほど私がぶちまけた楽譜を棚に戻しているのだ。なぜ私じゃなくて彼が作業を行っているのかというと、単純明快。三人の中で一番背が高いというのと、私にやらせたらまたぶちまける可能性があるから、だ。
 台みたいになっている棚に脚をかけて、片手を棚の端、もう片手を部室の柱。という非常に危なっかしいスタイルで、もりもっちは作業をこなしている。さすがはスポーツ万能少年である。そして、その手に楽譜を手渡す係は私とゆっきんが担当した。
 しかし、さっきから頑張っているのに一向に片付かない。どうやら私は、相当な量をぶちまけてしまったようだ。
 他のパートの子たちは、既にそれぞれの持ち場の片付けを終えてとっくに帰ってしまった。クラパーの後輩たちが、手伝いますと言ってくれたのだが、そもそも原因は私なのだ。後輩までも巻き込むのは悪いという事で、私たち三人でやるという事にして帰ってもらった。だから今、部室は異常に静かである。
 窓の外を見ると、夕闇が迫っているようだ。オレンジとブルーが交じり合い、繊細なグラデーションが空に生まれている。電気を付けないとな、と思い私が電気のスイッチの方へと歩み寄ろうとした時だ。

 「お。なんだこれ」

 もりもっちの声がした。振り返ると、彼は相変わらず棚に首を突っ込んだ体勢のままだ。
 「どうしたの?」
 何が起こったのかと不安そうにゆっきんが答える。
 「何かが棚板の間に挟まってる」
 まだ棚に首を突っ込んだままで、彼は言う。まるで棚がしゃべっているみたいだ。
 「楽譜かな」
 私も声を上げた。上の方の棚は、古い楽譜の宝庫なのだ。
 「わかんね。とりあえず出してみる」
 その言葉に、危ないからやめなよ〜と制止するゆっきんだったが、もちもっちはやめなかった。言った直後には、彼はごそごそ動き出したのだ。そのうちパチンパチンと何かが打ち付けられる音が聞こえ出す。棚板を少し持ち上げて、挟まったものを取り出そうとしているのだろう。
 「落ちるよ〜」
 またゆっきんが制止をかける。しかし私はその横で、やめなくて良いよと思っていた。なんだか良く分からないけど、わくわくするからだ。宝探しみたいで楽しいじゃないか。気がつくと、拳を握ってもりもっちを応援している自分がそこには居た。



 「取れた取れた。ってなんだコレ」

 2,3分は経っただろうか。実際はもっと短かったかもしれないが、私にはそれくらいに感じた。もりもっちの明るい声が響くと、彼はようやく棚から顔を出したのだ。見ると、髪の毛に少し埃をかぶっている。そして右手には薄っぺらい封筒が一枚、握られていた。
 「……封筒?」
 「うん。でも中身があるみたいだぜ」
 そう言うと、もりもっちはゆっきんに封筒を投げてよこす。そしてさすがに疲れたのだろう。身軽に棚から飛び降りると、汗だらけの額をぬぐった。
 一方のゆっきんは、訝しげに首を傾げてから封筒に手をかける。
 かなり古そうな封筒だ。棚板に挟まっていたせいもあって、可哀想なくらいにくしゃくしゃだった。ゆっきんはそれを注意深く開封すると、中にあった何かをゆっくりと引き出して行く。
 「……楽譜?」
 少しずつ姿を表すものに、見覚えのある五線譜と記号を認めて私は呟いた。確かにそれは楽譜だった。完全に封筒から楽譜が取り出されると、ゆっきんは折りたたまれていた楽譜を開く。その瞬間、はらりと何かが落ちた。紙切れだ。紙切れはひらひら舞って、私の足元までやってくる。拾い上げて見ると、何か書いてあるようだった。字は手書きで、ちょっとくせがある。読みにくかったが、文字はこう読めた。


――新月の夜の伝説――


音を愛する者ならば
楽を奏でるものならば

手にとってごらんよこの曲を

真夏の夜の夢 夏の夢
新月の夜に現れる

心を一つに奏でたら
あなたの前に現れる

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