+ 追憶の救世主 +

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第1章「イリスピリア」


8.

 「ちょ……ティアミストって、シズクちゃん……あの子、それじゃぁ……」

 狼狽した様子で、リサが言葉になってない言葉を紡ぐ声が、小さな部屋に響いた。シズクについてほぼゼロに近い情報しか持ち得ない彼女は、軽く混乱しているのだ。だが、リサの隣に佇むリースは違った。そのエメラルドグリーンの瞳に真剣な光を宿すと、目の前に居るセイラを静かに見据える。対するセイラは、少し気だるそうな様子だった。
 「勇者シーナの直系であるティアミスト家。パリス王の代以降、彼らが、魔道の力を持たないイリスピリア王家を陰ながら支え続けた事は、本の記述を捜すまでもなく、明らかな事実でした。ただし――」
「それも12年前までの話。だろ?」
 セイラの言葉の続きを紡いだのはリースだった。瞳には真剣な影が落ちる。
 12年前。先ほど謁見をした際に、確かに父はシズクに向けてそう言った。12年前にティアミストは滅びたのだと。だからもう、ティアミストとイリスピリア王家は何の関係もないのだと。慈悲を宿さない冷たい瞳で。
 「…………」
 セイラは、そんなリースを静かに見つめていたが、やがて、小さく息をつくと、話を再開させる。
 「……そうです。12年前、ティアミスト家の魔道士たちが住んでいたセーレーの町が何者かに襲われ、彼らは滅亡してしまいました。その瞬間、イリスピリアとティアミストの長年に渡る因縁に終止符が打たれたのです。でも――」
 「シズクちゃんが居た。って訳か。……なるほど、私にもだんだん読めてきたわよ」
 あごに手を当てる仕草をしつつ言ったのはリサだった。それまで会話の萱の外だった彼女だが、持ち前の理解力を駆使して、状況を把握し始めたらしい。
 一方で、二度にわたって話の腰を折られたセイラだったが、実に穏やかな様子だった。むしろ、リース達の横槍を歓迎しているような感じである。またしばらく沈黙するが、息を一つつくと、セイラは再び言葉を紡ぎ始める。
 「イリスピリアに仕えた最後のティアミストの魔道士――キユウ・ティアミスト。彼女は、僕と現イリスピリア王の親友でした。彼女には二人の子供が居た。12年前の例の事件で、キユウと共に、その二人の子供の消息も絶たれたのです。生きてはいないだろうと思っていました」
 セイラはそう言って、彼にしては珍しく、自嘲的に微笑んだ。語らずともリースにはなんとなく分かった。彼は12年前、親友であったというキユウ・ティアミストと、その子供達の消息を、血眼になって探しまわったのではないだろうか、と。そして、水神の神子の力をもってしても、彼らの消息は掴めなかったのだろう。残る可能性は、彼らがこの世から完全に姿を消してしまったというもの。すなわち――死だ。
 だから、オタニアで偶然シズクと巡り会った時、セイラの喜びはかなり大きなものだったのではないか。シズクを旅に同行させると言って聞かなかったあの頑固さも、全てはそこから来るものではないだろうか。
 「まぁ、そんな感じでしたから、オタニアでシズクさんと再会した時は本当に驚きましたよ。滅亡したと思われていたティアミスト家の人間が生きていた。シーナの血は途絶えなかったんです。……皮肉な事に、ね」
 「皮肉な事?」
 セイラの言葉の最後が心に引っかかり、リースはしかめ面で彼のほうを向いた。皮肉な事とは、一体どういう事だろうか。親友である人物の娘が生きていたのだ。喜ぶべき事であるのではないか。
 リースの視線の持つ意味に気付いたのだろう。セイラはそれまでの自嘲的な笑みを取りやめると、あのいつもの、困ったときに出す苦笑いを浮かべ始めた。
 「――ぶっちゃけて言いますとね。僕がシズクさんをイリスピリアに連れて行くのは、一種の賭けであったんですよねぇ」
 「……?」
 セイラの言葉に益々意味が分からなくなり、リースは思わず隣に居る彼の姉と目を合わせた。視線の先に居るリサも、腑に落ちないといった表情を浮かべている。彼女も意味はわかっていないのだろう。
 「と、言うと?」
 このまま黙っていても仕方がないので、とりあえずリースは質問してみることにする。彼がそう言ったときには、セイラの表情はますます苦笑いの度合いが強められたものに変わっていた。
 「話すと長くなるんですけどね。実を言うと、近代になってからのイリスピリア王家にとって、ティアミストの存在は目の上のたんこぶのような物に変わってきたんですよ。何故だか分かります?」
 セイラの質問に、二人は分からないと言う代わりに首を横に振る。
 「500年前のように、王になる者に『魔力』が求められる事が当たり前だった時代は、ティアミストが持つ魔力は国民の心を繋ぎとめるための力となったんです。けどね、貴方達も分かると思いますが、現代のイリスピリアはそうではなくなった」
 「……王に魔力が必要とされなくなった。って訳か」
 セイラの言葉を受けてのリースの言葉に、セイラは「その通り」と言って頷く。
 「現代のイリスピリア国民は、大昔の王には魔力があった事すら忘れている。昔のように王家は、ティアミストの魔力に頼る必要は無くなったんですよ。確かに彼らの莫大な魔力は魅力的ですが、ティアミストという存在には『シーナの子孫』という大きな影が付きまとうんです。500年前に、王家が失った王家の魔力を示してしまう影が、ね」
 そこまで言って、セイラは一息つく。しばらくの間瞳を閉じて黙り込んでいたが、やがてゆっくりを瞳を開くと、そのときにはもう、苦笑いは消えてしまっていた。
 「だからね。悲しい話ですが、12年前ティアミストが滅んだとき、詳しい事情を知る12大臣を含むイリスピリア王家は、それを嘆くと共に、ほっと胸を撫で下ろしたに違いないんです。僕とキユウの親友であった『レイ・ラグエイジ』は胸を痛め、彼女とその子供達の身を案じたはずですが、イリスピリア王であった『レイ・S・ラグエイジ・イリスピリア75世』は、これで長年の王家が持つ不安材料が無くなった。そう思ったはずなんですよ」
 「……セイラ様は、父がキユウさんの親友であった『レイ・ラグエイジ』として、シズクちゃんを受け入れてくれる方に賭けていたんですか?」
 若干言いにくそうに紡いだリサの言葉に、セイラは疲れたようにから笑いした。だが、決して投げやりな笑いではない。むしろそれは、怒りと呆れを内包したものだった。
 「彼の中に、少しくらいなら昔の気持ちが残ってると思ったんですがね……齢40過ぎにして早くも耄碌(もうろく)してしまったらしい。お手本にできそうな程実にご立派な、イリスピリア王ですよ」
 セイラの口からそのような暴言が飛び出した事で、リースとリサは思わず噴き出していた。
 普段奇行に走る事が趣味で、相手を翻弄するような発言ばかりこぼすセイラだったが、誰かの悪口を言うことはあまり無い。しかも、それが悪口の矛先であるイリスピリア王の実の娘と息子の前で、というのがまた可笑しな点だった。……まぁ、リースにしてみても、父の先ほどの行為はお世辞にも立派と言えるものではないと思っていたし、セイラの話を聞いた後だったので、余計に父の行動の滑稽さが分かってしまったため、セイラの意見に全面的に同意してしまうのだが。それは、隣に居る姉にしても同じ意見だろう。というか、自分よりリサの方がセイラの意見に同調している気もする。
 「まぁ、何にしても、セイラの賭けは負けだった訳だろう? この後どうするつもりなんだよ。親父の力は借りれないと思うぞ」
 まだ肩を震わせて大受けしているリサを横目に、リースは疑問に思っていたことを口にした。
 セイラは、イリスピリア王の力を半ば宛にしてシズクをイリスまで連れてきたらしいが、今日の謁見での態度を見る限り、彼がこの件に関してセイラやシズクに力を貸すとは思えない。むしろ、この国での最高権力者たる彼がシズクを拒絶してしまったのだから、シズクに対する城の中の目は厳しいものになってしまう可能性が大きくなった。そんな場所に、いつまでもシズクをおいておくのはあまり得策とは言えないだろう。
 「イリスピリアには、世界で最も強固な結界が巡らされている。シズクさんにとっては安全な場所だと思ったんですがね……。受け入れてくれないのであれば、残された手段はそう多くは無いでしょう」
 大きくため息を付いて、セイラはリースとまっすぐ目を合わせてくる。
 「僕のここでの用事が終わり次第、イリスを出ます。その後、彼女がどうしてもと望むのならば、オタニアに帰すのも良いでしょう。でも、僕が一番得策だと考えるのは――」
 そこで一旦言葉を切ると、セイラは、どこか遠くを見るようにしてリースから視線を外した。

 「東の森の魔女に預ける。という道ですかね……」






 「…………」
 リオの話が終わった後、シズクはしばらくの間、沈黙したままその場に石みたいに固まっていた。先ほどの、自分にとっては大きすぎる話の内容を頭の中だけで反芻(はんすう)する。
 ティアミストとイリスピリア王家の関係は、決して血縁関係と呼べたようなものではなかったのだろう。むしろ、絶縁してしまいたいと思っている者同士が、仕様なしに一緒になっているというような印象を受ける。
 何故王家を出て行ったはずのシーナの息子が王家に戻り、パリスが迎えた危機を救ったのかは今となっては分からない。だが、シーナが、自らが王家を出た事で巻き起こした謀反の波に胸を痛め、弟の窮地に息子を派遣したのかも知れない。とシズクは頭の片隅で思った。
 「シズク?」
 考え事で悶々としていたシズクの意識は、その呼びかけで現実に舞い戻る。声の方を見ると、アリスが不安そうにこちらを見つめていた。心配してくれているのだろう。イリスピリア王家とティアミスト家の関係を知ってもなお、彼女は自分を気遣い、認めてくれている。そう思うと、少しだけ肩の力が抜けていくようだった。
 「うん、大丈夫。びっくりしたけどね」
 苦笑いを浮かべてアリスにそう返すと、彼女はほんの少しだけ安堵の表情を浮かべる。
 決して虚言ではない。まだ、大丈夫。
 シズクにとって不幸中の幸いだったのは、シズクが完全なティアミストの人間ではなかった事だ。もちろん、この身に流れる血はシーナの流れをくむものだろうし、肉体だけなら完全なティアミストなのだろう。だが、育った環境はオタニアの魔法学校だ。王家の血を引く一流の魔道士の家の者として育った訳でなく、ごく普通の、魔法が苦手な魔道士見習いとして育ったのだ。心の中は、ティアミストではない。要するに、自覚が無いのだ。
 だから、王家とティアミストの因縁を知っても、まだショックは小さい。
 『でもね、シズク。今のこの状態のまま、貴方はここに居るべきではないかも知れない』
 シズクの心を読んだのだろう。リオがサファイアの瞳を気遣わしげに細めると、落ち着いた声色でそう告げてきた。
 『セイラのここでの用事が終わったら、貴方はイリスを出るべきだわ』
 「うん、分かってる。このままいくと、ここでのわたしの立場って、かなり危ういものになりそうだし、それが一番なんだと思う」
 そう口で紡ぐと、分かっては居るが気持ちがしぼんでいくのが分かった。あれほど来るのを楽しみにしていたイリスで、よもやこのような事がおこるとは。予想だにしないことだった。観光する計画も全てがおじゃんという訳だ。そして――
 (……リースとも、お別れって訳かぁ。リサ王女とも。せっかく知り合えたのに)
 たった一月ほどの期間だったが、リースとはそれなりに楽しい時間を過ごせたと思う。その彼と、下手をすれば生涯の別れになってしまう訳だ。……もう自分は今後もイリスには近寄らない方が良さそうだから。
 諦める気持ちの裏で、胸がちくりと痛んだのが分かった。


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