+ 追憶の救世主 +

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第3章「秘密会議」


 その少女は、きゅっと口を引き伸ばすと、切なそうな、それでいて少し誇らしげな顔で目の前にある物をじいっと見つめていた。
 すらっとした華奢な体型で、鼻筋がすうっと通った綺麗な顔立ちをしている。金色に近い黄土色の髪は肩ほどの高さで丁寧に切りそろえられており、几帳面そうな印象を受けた。瞳の色は青。けれども普通の青ではなくて、言葉では言い表せない、神秘的な輝きを宿した色の瞳だった。
 今、その瞳が向かう先には、ガラスで覆われた展示棚がある。棚の上には、金色に輝くトロフィーが整然と並べられている。この魔法学校で、特に優秀な成績を修めた者のみに与えられる、表彰のトロフィーであった。

 「――どうかされたのですかな?」

 老人は、瞳を細めて少女に笑いかけると、ゆっくりとした足取りで彼女の隣までやって来る。対する少女は、老人の顔を見てふんわりとした笑顔を浮かべた。知っている者へ向ける類の笑顔である。
 「パリス様」
 そう言って、少女は目の前に現れたパリス老人へ敬愛の篭った視線を向けてくる。
 「食い入るように見て。そんなにご自分のトロフィーが悩ましいのですかな?」
 「いえ……名誉な表彰を受けた事は、本当に誇れるものです。私には勿体無いくらい。ただ……」
 「ただ?」
 パリス老人が訪ねると、少女は少しだけ困ったような表情を浮かべた。そして、幾分表情を曇らせた。
 つい先日、今目の前に居るこの少女は、魔法学校で特に優秀な生徒であると認められ、金のトロフィーを受けたのだ。大変名誉な事のはずだった。しかし、少女はどこか複雑な表情を浮かべてしまっている。
 「私の名が、こんな風にこの先ずっとイリスピリア城に残されてしまうのは……気がひけてしまって」
 国王陛下には、表彰辞退の旨を伝えたらしいのだ。しかし、彼女のような優秀な生徒を表彰しないわけにはいかないと言われ、結局彼女の名が刻まれたトロフィーはこうして、他のトロフィー達と共にガラス張りの展示棚の上に置かれる事になったのだ。
 「家の名は、あまりここに残してはいけないのですけどね」
 困ったように微笑んで、少女はまた、展示棚のトロフィーへと視線を移動させる。

 ――キユウ・S・ティアミスト

 金に輝くトロフィーの上には、そのように、少女の名が刻まれていた。



1.

 それをシズクが発見したのは、本当に偶然の産物だったのだ。
 いつものようにお昼ご飯を食べるべく、ジャン達と食堂へと続く廊下を歩いている時の事だった。ふと、シズクの視線が一本の廊下へと向いたのだ。以前から気にはなっていた場所である。昼間生徒達がごった返す時間帯だと言うのに、人通りが全くと言って良いくらい無く、その廊下の先は少し薄暗い。不気味な気もしたが、シズクにとって未開の地のようなその廊下は、彼女の好奇心を刺激するのに十分な力を持っていた。
 「ねぇ? あそこって何があるの?」
 だから、思わず足を止めて、目の前を歩くクレア達に聞いてしまったのだ。
 シズクの声にぴたりと立ち止まると、クレアとジャンは一斉にシズクへと視線を向けてくる。そして、シズクが指し示す先へと目をやるのだった。
 「あそこって……あの廊下の事?」
 「そう、あの薄暗い廊下。あの先って、何があるのか知ってる?」
 きょとんとした様子のジャンの言葉に、シズクは少し興奮気味に質問を返した。
 「あぁ、あそこね。大した場所じゃないわよ」
 返事は、ジャンからではなくクレアからだった。そう言うとクレアは、シズク達を放って、薄暗い廊下に向かってつかつかと歩き出してしまう。慌ててシズクとジャンも、彼女の後を追った。お昼時の廊下は昼休みを謳歌する生徒達で賑わっている。人の波を横切って、目的の廊下まで辿り着くのは少々骨の折れる事だったが、なんとか一行はたどり着くと、クレアがくるりとシズク達の方を振り返った。
 「?」
 「この廊下の先は、数十メートルも行かないうちに行き止まりなの。特に教室なんてものも存在しない。けどね、一応役割はあるのよ」
 不思議そうに首を傾げるシズクに、クレアは、まるで教官が生徒に何かを教える時のように笑いかけると、再び少しだけ前進を開始した。
 廊下に完全に足を踏み入れてしまうと、まるでそこは外界から切り離された異世界のような雰囲気のする場所であった。生徒達の談笑も一気に遠くなる。薄暗くて少し気温も低い。だが、決して禍々しい空気ではなかった。落ち着いた、しっとりとした空気が下りている。
 「ここは、展示室のようなものかな。ほら、こんな風に、この学校にまつわるちょっとしたものがいくつか展示されているの」
 そう言ってクレアは、シズク達に案内するように廊下の両サイドに幾つも並ぶ、ガラス棚を手で指し示した。展示用の棚。それが、その棚を示すのに最もしっくりとくる呼び名である。イリス魔法学校の創始者の肖像画や、創設当時の図面。そして、キラキラと金色の輝きを放つトロフィー達が整然と並べられていたからだった。
 トロフィーはおそらく、学校において特に優秀な成績を修めた生徒達に贈られたものだろう。シズクが居たオタニア魔法学校にも、このような展示棚は存在する。よく探すと、そのトロフィー達の中に、カルナ校長の名を刻んだ物が含まれているのを見ることができるのだ。
 トロフィーの数は、ざっと見たところで百個ほどだろうか。1000年以上前から続いているというイリス魔法学校において、それはあまりに少ない数であった。このトロフィーを贈られる生徒というのは、数十年に一度の逸材と言われる程の魔道士ばかりであるらしい。事実、オタニア魔法学校においても、シズクが魔法学校に在籍している限りで、これを贈られている生徒は見たことが無い。
 「ほら、これがかの有名な金の救世主、シーナ王女の物よ」
 展示棚の一つに視線を奪われていたシズクを、クレアの声が呼び戻す。視線を移動させて彼女の方を向くと、クレアは展示棚のある一点を指差していた。

 ――シーナ・L・ラグエイジ・イリスピリア。

 クレアが指し示す先には、かなり色褪せたトロフィーがあり、トロフィー上には、そのように文字が刻まれてある。間違いが無い。500年前、世界を救った勇者、シーナがうけたトロフィーである。彼女もまた、イリス魔法学校において、数十年に一度の逸材であったようだ。
 「…………」
 500年の時を越えて、シーナ縁の物と対面する。それは、シズクにとって、なんとも不思議な気分だった。
 彼女から、全ては始まったのだ。500年前の世界救済後、王家から離れた彼女。その血がめぐりめぐって、何の因果か、シズクまで続いている。
 (駄目だなぁ。また考えちゃってる)
 人知れずため息を零してから、シズクは心の中だけでそう自分を叱咤する。そうして、首を振るともうそれ以上の事を考えるのをやめる事にした。さほど興味のなさそうなジャンの横で、シズクは陳列された他のトロフィー達に視線を寄せる事にしたのだ。



 トロフィー上に刻まれた歴代の優秀な生徒たちの中には、シズクにも見覚えがある名前もいくつかあった。世界史の勉強をサボっていたせいで、どこのどんな人物かまでは頭に浮かばなかったが、シズクの記憶に残るくらいだ。相当有名な魔道士に違いない。
 そんなことを考えていた時だ。
 ふと、何かに吸い寄せられるかのように、シズクの視線は、ある一つのトロフィーへと向けられたのだ。そして、そのトロフィーを視界に入れて、それまで和やかに流れていたシズクの周囲の時間は、一瞬にして止まってしまった。全身がざわりと粟立つような奇妙な感覚がする。
 「――――」



 ――キユウ・S・ティアミスト。



 何故その名は、こんなにも自分に付き纏うのだろう。
 ティアミスト。今最もシズクを悩ませている家名。自身の中にも、その血が流れている事をつい先日知ったばかりだ。優秀な魔道士を数多く輩出してきた家の名だという。イリスピリア王家にとって目の上のたんこぶだった存在でもあるという。王家の影。
 そんなティアミスト家の名が、歴代の優秀な生徒の中にあったのだ。それだけでも十分な驚きだったが、それ以上にもっとシズクを驚愕させる事実がそこにはあった。
 トロフィーが授与された年代である。金板の上に刻まれている年号は、今から大体二十数年前。年齢的にも調度良い。イリスピリアに仕えた最後のティアミストの魔道士だ。そう、つまり――
 (……お母さん?)
 そう心の中で呟いただけで、シズクの胸は切なさで締め付けられそうになる。
 思い出すのはつい先日見た悲しい夢だった。幼いシズクに銀のネックレスを託し、一人戦地へ赴く強い女性の姿。シズクの記憶の中に唯一残る、母という人の姿。
 「…………」
 例の光景が過ぎり、シズクの胸はぎゅうっと苦しそうに悲鳴を上げる。思わず拳を握りしめるシズクだったが、
 「シズク?」
 シズクの様子が先ほどまでとは違うと気付いたのだろう。隣からジャンが、少しだけ怪訝な表情で声をかけてきた。
 えっ、と小さく零してから、シズクはジャンを振り返る。その時にはもう、深刻さは彼女の表情から消えていたので、目線を合わせたジャンはほっとしたような顔をしていた。
 「どうしたの、何かあった?」
 二人とは少し離れていたクレアも、ジャンの声でこちらに戻ってくる。
 「な、何でもないよ」
 ジャンとクレアがあまりに心配そうな顔でこちらを見てくるものだから、シズクは苦笑い混じりにそう弁解した。だが、目敏いクレアは、シズクの微妙な変化を見逃さなかったようだ。ちらりと一瞬だけ、シズクが視線を寄せたものに気付いてしまう。
 「そのトロフィー?」
 しまった、と思った時にはもう遅い。クレアはこちらにますます歩み寄ってくると、例のトロフィーへまじまじと視線を送り始めてしまったのだ。
 「キユウ・ティアミスト……聞いたことないけど。年号も近いし、知り合いか何か?」
 くるりとこちらを振り返ると、クレアは聡明そうな瞳をこちらに寄せてくる。ここまでされてしまっては、もう嘘は言えまい。
 「えーと、うん。そんなものかな」
 そう言ってから、シズクはごまかすように曖昧に笑う。これではいかにも怪しいですと宣言しているようなものである。昔からだが、とことん自分は隠し事が苦手な人種だと思う。
 案の定目の前に佇むクレアは眉間にシワを寄せて、訝しげな視線をシズクに投げ寄越してきていた。だが、聡明な彼女は、シズクがこれ以上の質問を拒絶している事を瞬時に悟ったのだろう。それ以上深くは追求してこない。代わりに、仕方ないわね。といった調子で息を一つつくと、シズクにこう提案してきたのだった。
 「気になるようなら、調べる事は出来るわよ。図書館に卒業アルバムと名簿が保管されてるから」



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