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第3章「秘密会議」



2.

 「――ミレニィはさ、名門貴族の末っ子なんだよ」

 イリスピリア国立図書館のあまりの蔵書の多さに、口を半開きにしてほうけていたシズクの耳に、ジャンの声が届いた。緩慢な動きでシズクは、壁一面を埋め尽くす本の背表紙達に向けていた視線を、ジャンの方へと向ける。その向こうではクレアが、本棚のある一角で、難しそうな顔を作っていた。
 「一族は皆優秀な魔道士でさ。ミレニィのおじさんは、王族お抱えの魔道士になれちゃうくらい」
 なるほど、ミレニィのあの常人離れした雰囲気は、貴族という家柄から来るものだったのか。それにしても、優秀な魔道士一家の娘という事は、相当の期待を背負っての入学だろうと思う。
 「ま、血筋は確かだよ。彼女、クレアには敵わないけどかなり優秀だからね。見た目もあの通りでさ、華やかで綺麗だから、自信もあるんだろうね」
 そこまで紡いで、ジャンは苦笑いを一つ零す。それは、決してミレニィに嫌悪を示す類のものではなくて、むしろ、手のかかる妹を持った兄のような表情だった。対するシズクはというと、ジャンが何故突然ミレニィの話を持ち出して来たのだろうか。と、彼の真意をはかりかねていた。
 「そんな彼女がリース王子に恋したのは、もう五年も前の事だよ」
 ジャンの瞳が切な気に細められるのと、シズクの胸が鳴いたのはほぼ同時だった。
 こんな風に、全くの他人のようにリースの名前が誰かの口から紡がれる光景が、シズクにとって珍しかったからかもしれない。頭に蘇るのは、先日遭遇した時の、不機嫌そうな彼の表情だった。
 「リース王子はあのとおり、優秀でルックスも抜群だからね。惚れるのも無理ないよ。でも、普通なら王子様に恋なんてさ、身の程知らずって言われて終わりだろ? ところが、ミレニィは一流の貴族だし、可能性がゼロって訳じゃない」
 それは確かにそうだろうな、とシズクは思う。
 身分の垣根は、大昔よりは随分埋まっていると言えるだろう。一般人が王族と結婚する事例も珍しいが確かにある。しかし、全く無くなった訳ではない。未だに王族の大部分は、王族か貴族から伴侶となる人を選んでいるのがその良い例だろう。
 そんな中、ミレニィは貴族だ。しかも一流の。つまり、王族の妻になり得る位置にいるのだ。
 リースなどは特に、聞くところによると、イリスピリアの次期王となり得る人物の最有力候補だそうではないか。大国の王ともなると、その隣に有るべき妻もそんじょそこらの娘では務まらない。やはり身分が重要な要素であるはずなのだ。
 「そんな訳でさ。ミレニィ、本気なんだよ。リース王子の事。実際、彼女の親父さんなんかは凄くのり気らしくて、王家にアプローチしてるって話だよ」
 そこまで言うと、ジャンはちらりとシズクの表情をうかがってきた。シズクがこの話にどのような反応を示すのか、確かめるためのようである。
 シズクはというと、何故ジャンがこんな話を持ち出してくるのか、未だに理解出来ていないのが現状であった。
 王族だの貴族だの、結婚やら婚約やら。スケールがあまりに大きすぎる。女子学生の普通の恋愛の範疇を越えられてしまうと、もうお手上げだった。自分とは世界が違う話だと思う。渦中にいるリースを思うと、大変そうだなぁと同情は覚えるが。
 「……何でわたしに、そんな話をするの?」
 きょとんとした表情で首を傾げるシズクを、今度はジャンが呆けて見る番だった。
 「本当に、何とも思ってないんだ……シズク」
 しばらく沈黙した後で、心底意外そうな口ぶりでジャンはそう言う。
 「何ともって……何に関して?」
 「リース王子の事、好きとかそういうのじゃないんだって事」
 直後、ジャンの言葉にシズクは盛大に吹いていた。あまりの勢いに、直後にはむせ込んでしまう。ジャンはそんなシズクのリアクションに対して、怯んだ様子で少しだけ後退していた。
 「な、なんでリース……王子を!? そんな訳ないじゃない!」
 便宜上リースの事を『王子』と呼び忘れなかっただけ褒めてもらいたいものだ。むせたせいで涙目になった瞳を大きく見開くと、目の前で驚いた表情を浮かべているジャンに向かって率直な意見を投げかける。
 さすがにシズクも身の程はわきまえているつもりであった。自分と王族であるリースが、釣り合う訳がなかろう。それでなくとも、彼は……言葉にするのは無性に悔しいが、見目麗しいのだ。始めから恋愛対象外の閾に入ってしまう。そもそもあんな毒舌大王、いくら高貴な身分だからと言われても、願い下げである。
 「や、ちょっと疑ってただけだよ。王子と親密な感じだったし。普通の女の子なら、あそこまで仲良くなれたら、そういう気持ちにくらいなるはずだ、って思ってて」
 シズクの勢いに焦りつつ、ジャンはそう弁明した。
 「で、でも! ミレニィの話をきいても、全然我関せずって感じだったから納得がいったよ。……ゴメンってば、そんなに怒らないでよ」
 半眼になってこちらを睨み付けてくるシズクの視線に堪えられなくなったのだろう。ジャンは大袈裟に手をヒラヒラさせると、苦笑いの中に少し焦りの色を混ぜてそう言った。
 つまりはそう、シズクはジャンにかまをかけられていたという事だろう。わざとミレニィとリースの事をシズクにきかせて、シズクの反応をうかがっていたのだ。しかし、呆れると同時に、懐かしいなとも思う。こういうかまかけ、よくアンナにされたっけ。
 「…………」
 「ゴメンってば。それにさ、かまかけたってのは確かにあるけど、それだけじゃないんだ」
 オタニアへ回想を馳せて、急にホームシックのような気持ちに襲われたシズクを、傷つけてしまったと思ったのだろう。ジャンは、今度は焦りの色をそばかすだらけの顔全面に現すと、少しだけシズクを気遣うようにして、弁解を始めた
 「ミレニィともさ、やっぱり仲良くやりたいじゃん」
 「え……」
 ちらりと、シズクの表情を確認するように一瞥すると、ジャンは苦笑いを浮かべた。『ミレニィ』という言葉を聞いて、ぎくりとしたシズクの様子に対してだろうか。思えば、彼女の名前を聞くたびに、ビクビクしてしまっている自分が居る。自分と彼女は、知り合って数日しか経っていない。それどころか、ろくに会話すらしていない状態なのに。
 「シズク、そんなに長くここには居ないんだろう? せっかく知り合えたんだから、ミレニィとも仲良く出来た方がいいと思ってさ」
 そう言ってジャンは、ふっと息を吐く。
 「ミレニィってさ、結構ガキっぽいところあるから。きっと、リース王子との誤解が解けたとしても、彼女の方からは絶対歩み寄ってこないと思うんだよね。だから、シズクの方からミレニィに言ってもらいたくてさ。そのためにも、ミレニィについて少しは知っていた方が良いかな、と思ったんだ」
 ま、半分以上はかまかけなんだけどね。と付け加えて、ジャンはくしゃりと微笑んだ。それに微笑でもって返して、シズクは確かにそうだなと胸中で思う。あまりに突然で気持ちが追いつかない部分もあったが、少なくとも今の自分とミレニィとの関係は、良くないという事は疑いようの無い事実だ。それまでミレニィと仲の良かったクレアやジャンまでも巻き込んでしまっている形になっている。自分から動いて解決できる事ならば、そうする方が絶対に良い。今度彼女と会った時には、勇気を持って話しかけてみようか。
 そんな事をシズクが思案していた時だった。

 「話しこむのは良いけど、TPОは大切だと思うのよね。ここ図書館よ? それに、私一人に探させておいて高みの見物とは随分ね」

 二人のすぐ右横からかかった、憮然とした表情で仁王立ちになるクレアの言葉に、シズクとジャンは、慌てて会話を中断させるのだった。






 「結局ね。こんなものしか見つからなかったのよ」

 シズクとジャンが話し込んでいる間に、クレアは既に目的のものの調査を終了させていたらしかった。
 クレアに連れられて、閲覧用のテーブルについたシズクは、分厚い本の、とあるページを指差されたのだ。前かがみになって覗き込んだ本には、このような内容だけが記述されていた。



 キユウ・シルリア・ティアミスト。 4501年2月17日生。
 4517年6月、イリスピリア第二魔法学校よりイリス魔法学校へ特待生編入。
 4518年3月、編入期間を終え、イリスピリア第二魔法学校へ再編入。
 特記事項:4518年2月、イリス魔法学校長より、最優秀生徒賞のトロフィーを授与される。



 「他にも探したんだけどね。どうやらこの人、編入生だったみたいで。卒業アルバムには載っていなかったのよ。で、見つかったのが卒業アルバムのほんの隅っこにあったこの記述だけ」
 少しだけ申し訳なさそうにクレアが言う。なんでもそつなくこなす彼女としては、任務を完璧に遂行できなかった事がどうにも煮え切らないらしい。だが、十分だ。とシズクは胸が熱くなった。
 今目の前に示されたこれは、たった数行の、特に重要そうでも無く記述された一文である。けれどもシズクにとっては、とても大きな意味を持つ数行だった。
 (キユウ・ティアミスト。――お母さん。彼女は、この編入期間の間、イリスピリア王家に仕えていたんだ……)
 証拠はどこにもないが、ティアミストとイリスピリア王家の関係を考えると、おのずとそう答が出た。二十数年前のこの学園に、確かに母の姿が存在していたのだ。同じ廊下を歩き、同じ校舎で学んでいた。そう思うと、胸が少しだけ痛くなると同時に、熱いものがこみ上げてくる思いだった。



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