+ 追憶の救世主 +

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第3章「秘密会議」



3.

 その日の放課後、授業を終え、夕食までの時間を思い思いに過ごす生徒達の波とははずれて、シズクの足は自然と、あの場所へ向かっていた。学生達の談笑が、この場所にはほとんど届かない。まるで次元が切り離されたような場所。昼間クレアに案内してもらった展示室である。
 思い詰めたような瞳でシズクは、ガラスケースの中に整列するトロフィーの、ある一つを見つめていた。文字板の上に刻まれた文字は――キユウ・ティアミスト。
 「…………」
 結局あの後、図書館でめぼしい本をあたってみたのだが、クレアが見つけてくれた数行の記述以外に、母の名は見つからなかった。以前リオからティアミスト家について教えて貰った時、ティアミストの魔道士達は、決して歴史に名を刻んではならないのだと言っていたが、それはどうやら本当の事なのだろう。大陸一の蔵書を誇るイリスピリア国立図書館でさえ、ティアミストについて記述された書物は皆無だったのだ。あの数行の記述を発見できただけでも、奇跡のようなものなのだろう。だが、それでも――
 (知りたい)
 キユウ・ティアミストがうけたトロフィーをその青い瞳に映しながら、シズクは胸中でそう零した。
 ティアミスト家の事を考えると、未だに心に鉛でも被せられた気分になるが、それをおしてでも、母に関する情報というものは、シズクにとって手に入れたいものだった。
 母の名前であろうものを知ってしまった。この学園にかつて在籍していた事も分かった。そうしたら、もっともっと知りたい。そう思ってしまう。
 だが、書物での情報収集はこれ以上あたっても成果は望めないだろう。やはり、直接母の事を知る人にきくしかないのだ。結局、セイラが自分に話をしに来てくれる日をただじっと待っている事しか出来ないわけである。
 はぁ。
 盛大にため息を零すと、シズクは諦めてトロフィーが並ぶ展示室から立ち去ろうと踵を返した。が――

 「ぅわぁぁっ!?」

 踵を返した途端、背後に人の姿があったものだから、シズクはへんてこな声で叫ぶしかなかった。気配など全く感じなかったのに。いつの間にシズクの背後にいたのだろう。

 「ほっほ。また会いましたな」

 心臓の鼓動を鎮めるため、胸に手を当てた体勢のまま、シズクは目の前に佇む、白い老人を凝視する。
 「パ……パリスさん!?」
 そう。突如現れた老人は、先日城で迷子になったシズクを助けてくれた、あのパリス老人だったのだ。この前と変わらぬ、全身白づくしの服装。エメラルドグリーンの瞳は、ほんの少しおどけたように輝いていた。
それにしても神出鬼没過ぎである。気配も無くシズクの背後までやってくるとは、心臓に悪すぎる。セイラもびっくりの忍び足だ。
 「こんな場所に、何のご用でいらしたんです?」
 「その疑問は、お互い様ですな」
 シズクの問いに陽気にそう答えると、パリス老人はまたほっほと笑う。返事をはぐらかされた気もするが、彼の言うことも確かにそうであるので、シズクは黙り込んでしまった。
普通の生徒なら滅多に足を踏み入れない展示室に、シズクは一人で物憂げに佇んでいたのだ。不思議に思われても仕方が無い。
 「あの、わたしは……」
 「ほっほ、冗談ですよ。いや、貴方が深刻そうな顔でトロフィーに視線を注いでいたのでね。気になって、来てしまったのですよ」
 どう説明しようかと言葉を濁したシズクに、パリス老人はおどけた表情でそう言った。とりあえず、ややこしい自身の状況を説明せずに済んだようだ。安堵し、シズクもやっと表情を緩める。
 パリス老人は瞳を薄めると、するりと歩き出してシズクの横までやって来た。そして、なにやら懐かしそうに展示棚に並ぶトロフィー達を眺め始める。彼も昔、今のシズクのようにこの場所に佇んだ事があったのだろうか。
 「以前にもここで、こんな風に自分のトロフィーを物憂げに眺めていた人がおりましたかな」
 「え?」
 シズクがパリス老人の過去へと想像力を膨らませていた時、老人はなんとなしにそう言って、白くて長い指をある一つのトロフィーに向けて指した。何だろうと思い、シズクは老人の指の先を見つめてみる。パリス老人が指し示すトロフィーの、そのプレートの上に刻まれた受賞者の名前。それは――

 「キユウ・ティアミスト」

 「――――」
 パリス老人が口にした言葉で、場は張り詰めたものに変わってしまう。しばしの間のあとで、彼はゆっくりとした動きで、若葉色に輝く瞳をシズクの青い瞳へと向けてきた。眼差しは語っている。キユウ・ティアミスト。それは、あなたの母の名前であると。
 「…………」
 考えれば、可能性が無いわけではなかった。パリス老人は、引退するまでイリスピリアの政治に携わっていたらしいのだ。ティアミスト家の事が、国にとってどのくらい機密事項なのかはシズクには分からなかったが、パリス老人が知っている可能性もある。そして、もし彼が知っていたのだとしたら、シズクを一目見ただけで、ティアミスト家の人間だと気付いたのではないだろうか。ティアミスト家の人間が持つ瞳の色。それは、蒼とも水色ともつかない不思議な色を宿しているものだから。
 「聡明な娘さんでしたな」
 懐かしむようにパリス老人は瞳を細める。決して嫌悪したり蔑んだりする表情ではない。ティアミストに対して敵意を抱くような人ではないのだろう。とりあえずその点においては、シズクは安堵する。
 「知っているのですか。……キユウ・ティアミストを」
 シズクの言葉に、パリス老人はにっこりと微笑むと、頷いた。どきんと胸が鼓動を打つ。意外なところで意外なつながりが生まれるものである。セイラに聞かずとも、この老人から何か母について聞き出せるかもしれない。はやる気持ちを抑えきれずにシズクは言葉を口にしていた。
 「あの、だったら――」
 「いいのですかな」
 言葉を遮られて、シズクは口を開けたまま間抜けに停止してしまう。しかし、目の前の老人と視線を合わせて、更に困惑してしまった。彼は、それまでになく真剣な色を、その瞳に宿していたのだ。期待で膨らみつつあった気持ちが、一気にしぼんで行くのが感じられる。
 「世の中には、知って幸せな事と不幸せな事があります」
 「……それは、キユウ・ティアミストに関することが、知ってはいけない事だという意味ですか?」
 急に胸が重くなる。思わず挑戦的な口調をパリス老人に向けてしまった。いけない事
だと思いつつも、彼に対して鋭い眼差しを送っている自分がいる。どうしてこの話題に自分は、こんなにも過剰反応してしまうのだろうか。
 だが、パリス老人はそんなシズクの態度に、ちっとも動じなかったようだ。
 「そうではありませぬよ」
 真剣な表情を少し崩すと、彼は悲しそうな苦笑いを浮かべていた。
 「知ってはいけない事など世の中にはありませぬ。知りたければ知ろうとすれば良い。ただ、物事は貴方の予想を遙かに超えて大きな方向へと向かっているかも知れない。後戻りしたいと思っても、知った後ではどうにもならないのですよ」
 それでも。と老人は、困惑がまさにピークに達しているシズクに向けて言葉を紡ぐ。
 「貴方には、今どのような事が起こっているか知る権利はあるでしょう。その気があるのであれば、今夜0時に南2階階段の踊り場まで来なさい。私で良ければ、手助けしましょう」






 「まったく……お父様は一体何を考えているのかしら!」
 食堂のテラスでパフェを頬張りつつキーキー言っている姉の姿をうんざりした様子で眺め、リースは軽くため息を零した。
 最近、リサはしょっちゅう自分に絡んでくる。それも例外なくシズク関連の事で、だ。リースにしてみれば、その度に先日学校で彼女と遭遇した時の事を思い出してしまうので面白くないのだが、じゃじゃ馬な姉なだけある、そんなリースに全くかまうことなく一人愚痴を零し続ける。
 授業後に食堂付近をぶらぶらしていたリースが、リサに捕まったのはつい先ほどの事であった。
 「私が訪ねても、いつも不在か多忙かのどちらか。まるで会ってくれはしないのよ?」
 「そりゃー姉貴がシズクの件でやかましいからだろ」
 不服そうに頬をぶっと膨らます彼女に、さらりと冷静なツッコミを入れるリース。先日父がシズクにとった態度は、決して褒められたものではないのは分かるが、変に弁の立つ娘にここまで煩く言われるといい加減欝陶しくもなるのだろう。
 それにしても物凄い食べっぷりである。甘いものがそんなに好きではないリースには考えられない勢いの早食いだ。ぽかんと眺めていたリースに、リサはパフェの最下層付近にあるスコーンに辿り着いたスプーンを、ピッと突き出してくる。
 「絶対居留守よ。ここのところ、そんなに大きな事件は起こってないし、会議なんてきっと言い訳に違いないわ!」
 しかし、姉の更なる剣幕にも、リースは呆れの気持ちと冷静さを失わない。
 「いやぁ、一概にそうとも言えないと思うぞ」
 静かにそう言うと、リースは軽く瞳を閉じたのだった。あまりパフェを凝視すると、また姉から余計な事でツッコミがとびそうだ。
そんなリースの内情など知る由もなく、リサはというと、自らの意見を否定されて一瞬ムッとなった様子だったが、弟が妙な確信を宿してそう言ったものだから、一気に落ち着きを取り戻す。
 「……なんでそんな事あんたに分かるのよ」
 リサは訝しそうな視線をリースに寄越し、少しだけ彼の方へ体を前屈みにしてくる。パフェをつつく手を完全に止めてしまった。
 「事件なら起こっただろう? つい数日前に」
 「え? ……シズクちゃんの事?」
 「違うって。まったく、あんたの頭ん中は本当にその事ばっかりなんだな」
 うんざりした様子でため息を落とす弟に、リサはまたムッとなったようだった。反論の言葉を紡ぐべく、口を開きかけるが、
 「セイラだよ」
 リサが反論を口にする前に、リースがそう言葉を紡ぐ。おかげでリサは、ちょうど間抜けに見える具合で口を半開きにして、その場で停止するはめになった。
 「セイラ様?」
 間抜け顔をやんわりと中断させて、リサはきょとんと目をしばたかせる。まるで意味が分からないと言った様子である。
 そこまでぶっ飛ぶほど、彼女にとってシズクというのは大事な存在なのか、とリースは呆れてしまう。姉は聡明だが、何かに夢中になると周囲が見えなくなる傾向がある。今がまさにその良い例だろう。
 いちいち説明するのは正直面倒だったが、自分が言い出した事でもある。きちんと説明せねば話は続かないだろう。そう判断して、リースはしぶしぶ説明を開始するのだった。
 「……水神の神子は、元来よっぽどの事が無い限りレムサリアを離れたりはしない。それがどうだよ? わざわざ親父に護衛として俺を要求してまで、セイラ自身がイリスピリアまでやって来た」
 「まぁ、護衛としてあんたが現れた時、さすがのセイラ様も驚いたでしょうけどね」
 まぁそれは置いておいて。と付け加えてから、リサは手を口元に持って行き、考える仕種をした。
 「確かにそうね。セイラ様がこの国を訪れるなんて、ここ数年は無かった事だものね。ある意味事件だわ」
 セイラの目的はさっぱり見えないが、彼がただ単に遊びにきただけでない事は確かである。更にセイラがこの国を訪れて以来、何かとまわりが慌ただしくなっていた。会議の回数が増えたのも確かだ。更に――
 「今夜の会議……俺も参加しろだとよ」
 怠そうな調子で先ほどネイラスから告げられた内容を口にしたリースに対して、リサはというと、えぇ! と大声を上げてしまう。周囲の学生達が、何事かとこちらへ視線を寄せてくるのが視界の隅に入る。
 「大声出すなって」
 少し慌ててリースは目の前で目を見開く姉を叱咤した。
 「今日俺が呼ばれた事は内密にって事らしいんだから」
 「大声出さずには居られないわよ! なんでリースが呼ばれるの!? それってまるで――」
 リースの言葉など殆ど無視で、リサは怒鳴る。その表情は、決して穏やかなものではなかった。不安を内包したような、深刻そうな色を宿す。
 誰もが知っているとおり、リースは第一王子である。優秀で、この国の後継ぎに間違いないと言われる器でもある。だが、それはあくまで憶測であって、現実には彼が世継ぎであるかは決定してはいないのだ。慣例では、それが決定されるのは、王の引退の時期が迫ってきてからである。父である現イリスピリア王は、まだまだ現役でやっていける年齢だ。むしろ、これから益々本領が発揮されるであろう歳なのだ。それが何故今頃――
 「決定されるのかもな。後継ぎが」
 珍しく真面目な顔でそれだけ言うリースに、リサも一気に表情を曇らせる。
 「今夜の会議さ、秘密裏に行われるらしい」
 「秘密って……」
 「ついでに言うと、俺が参加するって事は一応口止めされてるから、誰にも言うなよ? 姉貴にしか言ってないから」
 眉をしかめるリサに、けろっとした調子でリース。
 「ちょ、ちょっと待ってよ。……何でこんな事、私に?」
 リサの口を突いて出て来た言葉がそれだった。長年姉弟をやっていて、お互いの良いところも悪いところも何となく知っている仲だ。普段姉に悩み事など打ち明けた事すらない弟が、今の様に口止めまでされている秘密事項を話す理由が、リサには読めなかったのだろう。
 「……姉貴だから話したんだよ」
 「はぁ?」
 リースの言葉にリサはますます不可解な表情を強める。まるでリースに似合わない言葉である。リース自身もそう思う。だが、気にしない事に決めた。
 「なんとかって同盟、結んだ仲なんだろ?」
 どこかごまかすように、明後日のほうを向きながら、そんな事を言う。リサは、最初弟が何の事を言いたいのか分からなかったようだった。首をますます傾げると、眉間に深いシワを刻み付ける。それをちらりと横目で確認してから、リースは今まで緊張で張っていた肩の力を一斉に抜いた。
 「……下手すりゃ嫌な感じに責任を押し付けられそうな状況だけどさ、逆に考えてみたら、一番情報を得やすい場所に行く訳だろ」
 「?」
 「要するに……シズクにとって、有益な情報とか、入るかも知れないって事だよ」
 「――――」
 リースの口から、少しだけ照れくさそうにそれらの言葉が紡がれる間、リサはずっと口をぽかんと開けてしまっていた。微妙に食べ残してしまっているパフェの存在など、既に頭の片隅にも残っていないらしい。
 リースが言いたかった事。
 要するに、会議に呼ばれたという事は、何かしら跡継ぎとしての責任を吹っかけられるという事なのだろう。だが、それまで全く王家の内側に関われなかったリースとリサにとっては、これは一種の朗報でもある。会議で話される内容の中には、シズクやティアミスト家に関する事も少なからずあるだろう。それに関する情報を直に入手できるのである。ひょっとしたら、彼女にとって役に立つヒントが隠されているかも知れない。そうしたら、今のこの何とも仕様がない状況を変えられる可能性だってあるのだ。

 「『シズクちゃんを助ける同盟』ね!!」

 全てを理解したのだろう。目をらんらんと輝かせると、嬉々とした表情でリサはそう叫ぶ。その同盟は、先日リサが一方的にリースと結んだと言い張った同盟の名である。イリスピリアから追い出されかけているシズクの状況を、なんとか良い方向に持って行きたい。そういう思いから、あくまでリサ単独で発足させた。まさかリースが、そのことについてここまで真面目に考えてくれていたとは。リサにとっては予想外であったのだろう。興奮した様子で、彼女は身を乗り出してガッツポーズをとる体勢になる。
 「……どうでもいいけどさ、その恥ずかしい名前、どうにかならねーか?」
 姉の様子を眺めながら、うんざりした調子で言ったリースの表情の中にも、どこか希望を宿したものがあった。



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