+ 追憶の救世主 +

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第3章「秘密会議」



4.

 満月――。

 踊り場の飾り窓から覗く月は、完全な球形を形作り、銀の糸をイリスピリアの空に投げかけていた。遠くで風のそよぐ音が聞こえる。だがそれ以外は、あたりは静かなものだった。時刻は細かく確認したわけではないが、およそ0時をまわった頃だろうと思う。
 シズクは、放課後の展示室でパリス老人と約束したとおり、2階階段の踊り場に居た。
 「…………」
 不可解な老人の誘いにのるべきか否か非常に迷いはした。理由も細かい事情も説明される事なく、いきなり午前0時にこんな中途半端な場所まで来いというのだ。怪しいことこの上ない。
 だが、それでもここへ来てしまった理由は、シズクにはパリス老人が嘘や冗談を言うような人とは思えなかったからだ。そして、やはり知りたかったのだ。キユウ・ティアミスト、自分の母の事を――
 ごくりと唾を飲み込んでから、シズクはゆっくりと息を吐いた。約束の時間は過ぎているはずなのに、未だに白い老人の姿は階段の踊り場には無かった。耳を澄ましてみたが足跡らしき音も聞こえない。
 かつがれてしまったのだろうか。信じたシズクが馬鹿だったのだろうか。
 待てば待つほど不安は膨らんでいく。すっかり寝静まってしまった城の、どこかおどろおどろしい雰囲気もシズクの不安に拍車をかけているのかも知れない。
 もう一度満月を見る。そうしてシズクは、ポケットの中に忍ばせておいた石を右手でまさぐって取り出した。先日アリスから託された、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)の欠片である。瞳を閉じて、右手でギュッとそれを握り締める。今宵は少しだけ、石から何か暖かなものが流れ込んできているように感じられるのは、気のせいだろうか。
 そんな時だ――



 「…………て……しょうか」



 突然シズクの耳に、入ってくる音があった。それまではちっとも聞こえていなかったのに、急に飛び込んできた。音は、人の話す声らしい。少ししわがれた男の声であるようだ。
 「?」
 不思議に思ってシズクは、ゆっくりと声のする方向、3階の廊下へと忍び足で上っていく。上っている間にも、話し声は聞こえ続ける。がやがやと、何やら揉めている様子であるのが分かった。
 階段を上った先にあったのは、一本の長い廊下。その一角のある扉から、オレンジ色の光の筋が漏れていた。扉が若干開いてしまったらしい。それで部屋の中での会話が、シズクの方まで漏れてきたのだろう。
 忍び足で扉の方へと近づいていくと、ある一つの異変にシズクは気付いた。扉の前に、人が居たのだ。
 (パリスさん……ではない)
 薄闇の中、必死で目を凝らして確認するが、人はシズクが待っていた人物ではなかったようだ。見たことがない、城の使用人と思しき服装の男性である。しかも、普通の状態ではなかった。なんと、居眠りをしながらしゃがみ込んでしまっているのだ。
 「…………」
 ぽかんと間抜けに口を開きながらも、シズクはしっかり確認するため更にその人物へと接近する。鼻の下に髭を蓄えた、体格のよい男だ。確かに寝ている。ばっちりちゃっかり寝てしまっている。気持ち良さそうに、船まで漕いでいる始末。シズクの接近にも、もちろん気づく事は無い。
 (でも、この感じ……)
 男がおそらく見張りなのであろう事と、何故こんな夜中に部屋の前に見張りをつけるのだろうかという疑問が浮かんだが、ある気配を感じて胸が小さな悲鳴を上げるのが分かった。
 見張りという大事な職務中に居眠りなど、使用人にあるまじき行為である。だが、それもこれが『魔法』によって眠らされたのであれば納得が出来る。そう、男の周囲に僅かだが、魔法の残り香がしたのだ。
 (魔法? 一体誰が……?)



 「説明して下さい、陛下!」
 「そうです、納得の行く説明がないと、我々としてもどうしたら良いのか検討がつかない」



 魔法を放った者の正体について思考を開始していたシズクだったが、部屋の中から漏れ出てくる会話によって、意識は再びそちらへと引き寄せられていた。それにしても、予想もしなかった単語である。陛下。とは、イリスピリア王がこの部屋の中に居ると言う事か。
 そろりと扉に近づいて、シズクは息を殺しながら部屋の中を伺い見た。オレンジの光に包まれる部屋には、大きな楕円のテーブルが一つ、置かれている。それらを取り囲むように、十数人の人間が椅子に腰掛けているのが見えた。若干、年齢層は高そうだ。

 「はじめからそのつもりだ」

 視界に入った人物から言葉が紡がれた。きりりとした緑の目、少し白髪が混じり始めた金色の頭髪。レイ・ラグエイジ・イリスピリア75世。この国を治める王が、そこには居た。

 「セイラ、例の予言を――」

 言って、王はちらりと意味ありげな視線を斜め右方向へ向ける。気になってシズクもその視線の先を追うが、そこには黒髪の好青年の姿があった。セイラーム・レムスエス。水神の神子である。
 久々に見るセイラの姿は、幾分疲労の見えるものだった。数日会わなかっただけなのに、少し痩せているようにも見える。だが、その黒瞳に宿す英知の色だけは、以前と少しも変わりがなかった。
 イリスピリア王の呼びかけに、セイラは少しだけ眉間に皺を寄せてから、渋々とした様子で立ち上がる。とんでもなく嫌そうだとシズクは思った。いつも笑顔の彼が、表情にあからさまにその内心を表すこと自体珍しいものなのだから。その右手には、伝説の杖、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)がしかと持たれている。
 セイラは咳払いを一つすると、ぐるりと部屋にいる一同の顔を見回したようだ。一瞬だけ、彼の視線が扉の隙間から様子を覗いているシズクへと注がれたような気がして、一瞬怯んだが、それはシズクの気のせいであったようだ。特に何も気にする様子もなくセイラは再び王のほうへと視線を寄せると、すうっと双眸を薄めた。
 「――12大臣の皆様、お久しぶりです。さて、僕がこの時期にイリスピリアを訪れた事に疑問をお持ちの方も多いでしょう」
 落ち着いた様子で、セイラは言葉を紡ぐ。だが、驚いたのはシズクだ。『12大臣』と今セイラは言った。という事は、この部屋には王と共にイリスピリアを治めている12大臣全員が顔をそろえているという事か。一体、今この部屋で行われている話し合いは何だというのだろうか。
 どくん。と心臓が嫌な音を立てるのがシズクには分かった。
 「二月ほど前、僕はある『神託』を下されました」
 「神託? それは、水神からの。という事ですかな?」
 12大臣の一人だろう老人の声がかかる。
 「そうです。朝の礼拝を行っている時、神殿に神託が下りました。予言めいた内容で、難解です。しかも水神の神殿だけで対処できる内容ではなかった。ですから、ここへ僕自身が赴いた。という訳です。――リオ。出てきて下さい」
 セイラの呼びかけに、ポォンというメルヘンな音が答えた。厳粛な雰囲気の会議室に現れたのは、もちろん真っ青な妖精もどき。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)の化身、リオだ。いつもならば全身を蒼でつつんだ小さな美女は、ぎゃーぎゃー煩く言いながらシズク達の前に姿を現すのだが、今夜は様子が違う。セイラと同じように眉間に深く皺を刻むと、さも不機嫌といった様子でテーブルの上に着地したのだった。
 だが、セイラを除くその場のほぼ全員が、彼女の登場にざわつき始める。当たり前だ。サイズは小さいものの、かなりきわどい衣装に身を包んだ美女が、厳粛な会議の場に降り立ったのだから。
 「偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)の仮の姿です。この姿はどうやら趣味のようなので、突っ込まないであげて下さい」
 あからさまに違う意味でざわつき始める12大臣達に反して、普段ならふんぞり返って怒りの言葉を並び立てるリオはというと、むっつりと黙り込んだまま微動だにしない。彼女が何も言わないので、やがて大臣達もざわつくのをやめて、会議室は奇妙な静寂に包まれ始める。雰囲気の異様さに、シズクは思わず唾を飲み込んだ。

 『セイラ』

 沈黙を破ったのは、リオだった。普段より若干低めな声で、持ち主である水神の神子を呼ぶ。リオは、サファイアの瞳を不快に薄めると、セイラを静かに睨みつけていた。
 『何故こんな場所に私を呼び出すのかしら。私に何をさせるつもり?』
 「リオ。貴方の言葉で、神託を伝えて欲しいのですよ。僕が言うよりも、水神が創った杖の化身である貴方の方が、雰囲気が出るでしょう」
 『雰囲気って……! 私に、あの子を不利に追い込めというの!?』
 そこで初めて、リオは大声を出す。部屋の雰囲気も益々悪いものに変わり、嫌な沈黙が下りる。だが、怒鳴られたセイラは全く動じない。
 「公私を分けられないとは貴方らしくないですね、リオ。水神から神託が下った。それを世界へ知らせるのが『水神の神子』に与えられた役目です。そして、それを隣で支えるのが『偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)』の役目です。陛下に水神の神子としての役目を果たせと言われれば、それに従うしかないのですよ」
 冷静な色を称えた黒瞳をリオに向けて、言い放つ。シズクが、自分が魔族(シェルザード)ではないかとセイラに詰め寄った時、彼が見せた表情そのものだった。あの時の感覚を思い出して、背中がぞくりと鳴る。
 何か凄く、嫌な予感がするのは気のせいだろうか。この場で会議の様子を盗み聞きし続けると、恐ろしい事を聞いてしまいそうな気がする。
 「…………」
 ここまで厳重に警戒をしての秘密会議である。シズクなどが盗み聞きして良い内容では無いだろう。
 やはり帰ろう。部屋に帰って、明日に備えて眠ろう。そう思い、踵を返そうとしたシズクだったが――



 『――五百の眠りから、悪しきものは解き放たれた』



 しん。と水を打ったような静けさに包まれていた会議室から、リオの声でそのような言葉が聞こえてきたものだから、足を止めてしまった。引き返そうとした身体を再び扉に向けると、僅かに開いた隙間から、部屋の中を伺う。
 部屋の中では、未だ憮然とした表情は変わらなかったが、リオが先ほどまでの態度とは一転して、会議の参加者一同に向けて、何か言葉を告げているところだった。謎めいた、母から託されたあの、銀のネックレスに刻まれた言葉にも似たもの。おそらくこれが、水神の予言というやつなのだろう。
 最初はしかめ面だったリオの表情は、次第に恍惚なものへと変わり、部屋の雰囲気はまた別の意味で重いものに変わった。水神が今この場に降り立ち、人々に神託を述べているような重々しさ。予言は、このように続いていた。



 世界、再び混乱せり

 六神の子が集うとき、滅びは近づくだろう

 されど人よ、諦めるなかれ

 時同じくして、滅びの血から光と闇が落ちる

 古の救世主の血を持つ者現れ、世界を動かす鍵となる

 これ、光でもあり闇でもある

 光、大いなる力得るならば、悪しきものの脅威となる
 闇、大いなる力得るならば、滅びのはじまりとなる

 人よ導け
 されば世界に均衡が訪れよう

 大いなる中心の地にて、刻は動かん――



 ――後戻りしたいと思っても、知った後ではどうにもならないのですよ――

 放課後、あの展示室でパリス老人の言っていた言葉が頭の中で何度も再生される。
 最初は単なる、まじないの言葉のように響いていたリオの声。だが、

 (……救世主。滅びの血)

 いくらシズクが、頭の回転が普通より宜しくない人間だとしても、予言が言わんとしている内容はなんとなく予想できてしまう。嫌な気分と共に、それらが意味するであろうある一つの単語が頭の中に浮かんでしまったからだ。

 「皆も知っていると思うが、先日、イリスピリアを訪れた娘が一人居た。セイラが連れてきた」

 セイラという部分を特に強調して、王が言い放った。言われた側のセイラは、ぴくりとも表情を動かさずに王を見つめている。たった一ヶ月間程しか付き合いがないシズクだったが、この時のセイラの気持ちは読めるような気がした。彼は今、心の中で悔し涙を流しているのかも知れない。あれだけ微笑を絶やさなかったセイラが、ここまで表情を冷えさせている事が、彼が動揺しているのだという何よりの証拠のように映った。
 こんな夜中に、見張りまでつけて一体何の会議をしているのだろうかと疑問に思っていた。国を揺るがすようなとてつもない内容なのかも知れないとも思った。しかし、それがまさか……自分に関係している事だとは夢にも思わなかったのだ。

 「ティアミストの娘?」

 大臣の誰かがそう言ったのが、シズクの耳に重苦しく響いた。



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