+ 追憶の救世主 +

 第3章(4)へ / 戻る / 第3章(6)へ


第3章「秘密会議」



5.

 「古の救世主とは勇者シーナ、滅びの血とは12年前に滅びたティアミスト家」
 「そして先日、その血を宿す最後の生き残りが現れた!」
 「世界の中心――このイリスピリア大国に、だ」
 「ここまで一致するとは……。神託は正しいという事なのか!?」
 大臣達は興奮した様子で口々に予言とシズクの類似点を指摘し始めた。話の渦中の人であるシズクが、扉の隙間からこの会議の様子を盗み聞きしているとは思いもよらないだろう。
 だが、単なる虚構ではない事はシズクでも分かった。どう考えても、予言のくだりはティアミスト家の最後の生き残り――シズクの事を示してしまっている。他の可能性も考えたが、シズクの知識の範囲では、言い訳の仕様がない。
 呼吸をする事も忘れて、シズクは会議の様子を伺っていた。自らの心臓の鼓動が、痛いくらい耳元で鳴り狂っている。嫌な汗が背中を伝うのが分かった。自分は……果たして本当に自分なのだろうか。
 「そこで、だ。予言の人物がティアミストの娘を指すだろう事は理解が出来るが、問題はそれ以外の部分についてだ」
 ざわついていた大臣達を諌めたのは、外ならぬイリスピリア王だ。彼はすぅっと切れ長の瞳を細めると、両腕を組む。
 「『これ、光でもあり闇でもある』……これは、どういう意味だと思う?」
 ドクンッ。と、一際大きくシズクの胸が鳴った。



 これ、光でもあり闇でもある

 光、大いなる力得るならば、悪しきものの脅威となる
 闇、大いなる力得るならば、滅びのはじまりとなる



 「あの娘は、救世主にも、悪の手先にもなり得るという事ですかな?」
 「妙だな。ティアミストがイリスピリアを裏切るはずは無いのに」
 「いやいや、積年の因縁から出た、一族の恨みつらみがあるやも知れませんぞ。ティアミスト家とは王家の影……『闇』に属す意味をその呼び名に持ちまする」
 変だ。彼らは一体誰についての話をしているんだろうか。自分は……シズク・サラキスは世界を恐怖におとしめるつもりもなければ、救世主になる気もない。それ以前に、そんな事が出来るような力を持ってはいないのだ。例え最近魔力が跳ね上がったとしても――

 (魔力が跳ね上がった)

 そこまで思い出してから、また心臓が悲鳴を上げた。
 (そうだ魔力だ)
 自分の過去に関する事を知り始めてから、自分の魔力には大きな変化が起こっている。もしこのまま記憶を探って行ったとして、例えばシズクが、紛争真っ只中の児童保護所でカルナと出会う以前。シズク・サラキスになる以前の記憶を完全に取り戻したとしたら、一体どうなるのだろう。過去の、ティアミスト家の人間だった頃の自分を思い出しても、自分は、シズクのままでいられるのだろうか。ひょっとしたら、シズクとは全く違う人間になってしまうのではないか。
 「――――」
 全身から、血の気がひいていくのが感じられた。
 「さて。そんな訳で結論が全く出ないのだが、イリスピリアとしては、予言が現実になる事を待っている訳にはいかない。五百の眠りから悪しきものが解き放たれる……あの時のような混乱が起こるのかも知れぬ。これは言わば、世界の危機だ。そこで――あの娘をどう扱うか、話し合わねばなるまい」
 厳格という言葉をそのまま表したような口調で、王は言った。
 「世界としても、ワシ個人としても、彼女には是非光になってもらいたい」
 「もちろんそれに越した事はないですね。世界を照らす光――救世主に」
 「ですが、彼女がそう易々とそれを引き受けるかというと、難しい」
 「それに、このまま彼女をイリスピリアに留める事は、果たして得策でしょうかな。なにせ王家を捨てた王女の末裔。勇者シーナは、イリスピリア王家から魔力という宝を持ち去った張本人ですぞ。ですから……闇になる前に摘んでしまうという手もございます」
 「そうだ! みんなシーナが奪って逃げたんだ。魔力も、瞳の色も。イリスピリアが持っていたはずの、全ての誇りを! そんな者をイリスピリアに留めるわけにはいかない!」
 誰か一人が興奮気味にそう怒鳴った途端、「静粛に!」というネイラスの声が響いた。会議室の席につき、それまでずっと黙したままだったネイラスがここにきてやっと口を開いたのだ。茶色い眉毛をぴくりと動かすと、ネイラスはこほりと咳払いをする。
 「500年も前の事をどうこう言う時代はもう終わりました。魔力が無くても、イリスピリアは今でも立派な大国ではないですか。それよりも、ティアミストのご令嬢――シズク様とどう関わって行くか。それが今最も話し合わねばならない問題です」
 ネイラスの言葉に、それまで議論が白熱していた会議室は打って変わって静かになった。12大臣の中でも彼は、全員を統率するような高い位置にいるのだろうか。
 「私としては、彼女にあまり無理強いはしたくない。彼女抜きでこのような会議が行われている事自体がおかしい事だと思うのですがね、陛下」
 言ってネイラスは、冷静な瞳でイリスピリア王へと視線を向ける。
 「私たちでこのような話をすすめるのであれば、その前にシズク様をこの場にお呼びするべきです」
 「……それはいずれするつもりだ。だが、まずはここに居る我々の方向性を統一すべきだろう」
 「光として担ぎ出すか、闇として排除するか。どちらかを選ばれるという事ですかな」
 エメラルドグリーンの厳格な瞳を真っ直ぐに向けて言う王の言葉に、ネイラスが反抗的に言葉を紡ぐ。そんな彼の態度に、イリスピリア王はため息を一つ落としたようだった。
 「……6神の予言は絶対だ。これは虚構でもなんでもない。解釈についてはもう少し議論せねばならないだろうが、大なり小なりこの件にティアミストの娘は確実に関係している。彼女に好き勝手に動かれたら困る事態になって来たのだよ」
 「でしたらこの場にシズク様を――」
 「そこで、先ほどもいったように、ワシは彼女をイリス魔法学校へ完全に編入させたいと思う。そうして今後、城からの出入りを極力控えさせたい」
 (……完全に編入?)
 目を見開き、シズクはギュッと手を握り締める。
 イリス魔法学校への編入は、現在は一時的であるため、シズクの学籍はオタニア魔法学校に存在している。だが、今しがたイリスピリア王が言った編入というのは、完全に学籍までイリス魔法学校に移す。という意味での編入だろう。更に、出入りまで制限されるとなると、これはもう軟禁に近い状況ではないか。
 リサも現在そのような状況であると、彼女自身から愚痴として聞いたが、それは彼女がこの国の王女だからだ。守られるためにそうされている。だが、自分はそんな高貴な身分ではない。守られるために動きを制限される訳ではないのだ。水神に予言されてしまったから。光だ闇だといろいろ言われてしまっているから。だから城に、閉じ込められようとしている。
 (オタニアに帰れない。校長やアンナ、それにナーリアとも会えなくなる?)
 セイラと一緒にイリスピリアに来て、王に会った時はイリスピリアに居るなというような態度をとられた。リオからティアミスト家の事について聞いた時も、これ以上イリスに居てはいけないと言われている。だから、自分は近いうちにオタニアに帰るのだと思っていた。せっかく知り合えたリサやリースと一生の別れになってしまうのは非常に残念だけど、どちらかというと故郷ともいえるオタニア魔法学校に帰りたいという気持ちの方が大きかったのだ。
 数日前、イリスピリア王から突然編入の申し入れがあった時は、こんな事、思いも寄らなかった。急な王の態度の変化は気になったが、軽い気持ちで承諾してしまったのだ。だが、今のこの会話を聞く限り、王はシズクをイリスピリアに留める目的でイリス魔法学校に通わせていたのかも知れない。
 (そんなことって)
 「シズク様をイリスに閉じ込めようとおっしゃるのですか!? どこまで彼女の人格を否定なされば気が済むのです! 全く貴方様らしくもない。シズク様は……キユウ殿のお子様なのですよ? 陛下は、あんなに彼女と親しくされていたではありませんか!」
 突然何かが切れたように、ネイラスが激高した。王に代わって編入の申し出を言ってきたのは彼であったのだが、今のこの態度からして、彼も王の真意は聞いていなかったのだろう。よもや自分が、その一端を担わされていたなど思いも寄らなかったのかもしれない。
 「口を慎めネイラス。キユウは死んだ。それに、私情を持ち込んではならぬ」
 おののくネイラス以外の大臣達とは違い、イリスピリア王は全く動揺していなかった。それどころか、ぴしゃりと言い捨てると、その瞳にはますます冷静さが宿り始める。王は軽く一つ息を吐くと一同をぐるりと見渡した。
 「キユウの子であろうとなかろうと、彼女が予言でいう人物である可能性は高いのだ。世界の存続と一人の娘の人格とを天秤にかけたとして、さてどちらが重いと思う?」
 この言葉にはネイラスは、ぐっと言葉を飲み込んでしまう。
 まさか世界の存亡と自分の人格が天秤にかけられる日が来ようとは。シズクにとって全く予想外の事態である。だが、もしシズクが事の当事者でなかったとしたら、イリスピリア王から問われて、間違いなくこう思っただろう。世界と一人。どちらが大事かと言われると、もちろんそれは『世界』だろうと。
 「誰も答えられぬのか。では聞こう。お前はどう思う――リース」
 王のその言葉が耳に入った瞬間、シズクは、それまで俯き加減だった顔を物凄い勢いで引き上げていた。青い瞳をめいっぱいに広げて会議室の中を見る。そうして王の視線の先に居る、蜂蜜色の髪を見つけて、ぞくりと全身を何かが駆け抜けた。
 (リース?)
 会議室には、リースの姿があったのだ。王と12大臣だけの会議であるはずのこの場に、何故彼が居るのかシズクには分からない。王子として会議に出席していたのだろうか。年齢層が高めの部屋で、彼は酷く目立つ存在であるはずだ。どうして、今まで気付かなかったのだろう。
 彼は――彼まで自分をティアミスト家の人間として見てしまうのだろうか。シズク・サラキスではなく、シーナの子孫として――
 (あ――)
 そこまで考えて、浮かんできたのは先日の彼とのやり取りだった。王子扱いした事で、酷く機嫌を損ねていたリースの顔を思い出したのだ。仲間であったリースとしてではなく、イリスピリアの王子として。まさにシズクは接してしまったのだ。リースからは今までどおりでいろ、と言われていた。それなのに……自分の身を守るために、彼の願いを裏切るような事をしていたのである。
 「お前は、一月程の間あの娘と行動を共にしていたのだろう」
 イリスピリア王は、厳格な口調で息子に問いかける。問われたリースがどのような表情を浮かべているかはこの位置からでは見えない。だが、見えなくて良かった。見たくない。とシズクは思った。
 「リース」
 「私は――」
 凛と部屋に響いたのは、数日振りに効くリースの声だった。つい先日不機嫌な顔でシズクに向けたものでも、旅の中で毎日のように聞いていたあの頃のものでもない。少しだけかしこまった雰囲気を纏う声。同じ声なのに、まるで別人が話しているような印象を受けた。硬質で、どこかイリスピリア王と似ている。
 (嫌だ)
 生理的な嫌悪感が、胸の辺りから這うように湧き上がってくる。心臓が、ありえないほどの速度で鼓動を打ち続けていた。
 (嫌だ、聞きたくない!)



 「私は、ティアミストの娘など知りません」



 リースの声で、そのような言葉が紡がれたのと時を同じくして。シズクは逃げるように夜の廊下を走り出していた。



第3章(4)へ / 戻る / 第3章(6)へ
** Copyright (c) takako. All rights reserved. **