+ 追憶の救世主 +

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第4章「決壊」




12.

 体の奥から、得体の知れない大きな物が競り上がって来ようとしている。それはシズクの体を突き破り、外へ出ようと乱暴に渦巻き続けていた。
 これを解放したらどうなるのだろう。考えるが、良い方向には決して転びそうにない。むしろ、とても恐ろしい事が起こるような予感が、確信としてある。だからシズクはそれを必死で押さえつけていた。だが、それも後どれくらい続ける事が出来るだろうかと思う。押さえつけるたびに全身が軋んで、痛みに叫びそうになるのだ。きっと、時間の問題なのだろう。そんな風に諦めかけて、それならいっそその前に自分を消してしまいたくて……リースに頼もうとしてしまった。殺してくれと。自分を。



 「――――」



 一体どれくらいの時間が流れたのだろう。
 あれから、何度かうわ言のようにいろいろ叫んだ気がする。そのたびに涙が零れて、頭の中をかき回されたみたいな気持ちになったが、リースはもう言葉を発する事は無かった。何かに耐えるように彼はただ黙って、長い腕でシズクを包む。震える両腕で、シズクも必死にリースにすがり付いた。そうしていないと、どこか遠くに、自分の意識が流されてしまいそうな気がしたからである。
 「…………」
 泣き疲れて声も枯れた頃には、荒かった呼吸は少しずつ整い、血を吐く事も無くなっていた。相変わらず体中は軋んだが、それも随分弱くなっているように思える。何よりも、自身の中で渦巻くものと向き合うことが出来始めていた。
 大きな力だ。ただでさえちっぽけな自分が、砂粒よりももっと小さく感じてしまう程に。一時シズクを突き破ろうとしていたそれは徐々にくすぶって、大分暴走を弱めてはいる。だが気を抜くと、きっとまた先ほどのように暴れ始めるだろう。
 これが『魔力』。パリス老人やリオの言う、ティアミストの魔道士が持つ力なのだろう。あれほど大きくて丈夫なイリスの結界をたった一人で構築するのだ。相当の魔力であっても、意外ではなかった。ただそれが、自分の中にある事に大きな違和感を覚えるだけで。
 こんなものが、自分の中に存在していたのか。今まで生きてきて、シズクはちっとも知らなかった。魔力がもっと高ければなと思った事は確かに何度もある。だが、魔道士をするのに十分な魔力であればそれで良かったのだ。こんな――こんなもの、自分はいらない。欲しくなかった。
 (――怖い)
 身に余る力だ。大きすぎてとても、自分の手に収まるものではなかった。一歩間違えれば何が起こるかわからない。黒くて、重くて、どろどろとするもの。
 (こんなもの、あっちゃいけない。いっその事、消えてしまったらいい)
 力を自覚すればするほど、浮かんでくるのは強い拒絶だった。枯れたはずの涙が、再び溢れて零れ落ちる。泣くのを堪える気にもなれず、虚ろな目で涙を流し続けた。
 バタバタと騒がしい音が耳に届いたのは、それから少ししてからの事だった。
 痛みと疲労でぼうっとなっていた頭では、細部までよく覚えていないが、それまでシズクを包んでいたリースの腕が、ある時すっと離れたのは確かだ。
 「シズク!」
 「シズクちゃん!」
 次の瞬間、視界に飛び込んできたのは、シズクの良く知った顔達。アリスとリサは、部屋に走りこんでくると、シズクの状況に表情を冷えさせたようだった。大きく息を呑んで一瞬硬直するも、次の瞬間にはほとんど半泣きの顔で、駆け寄ってきてくれる。そして――



 「よく、頑張りました」



 ふわりと、大くて暖かい手がシズクの頭に降って来る。こんな風に間近で彼の顔を見るのは、久しぶりの事だったと思う。大いに焦りの混じる表情ではあったが、こちらを見つめるセイラの瞳は、優しい色をしていた。
 何事かを呟く声が聞こえると、全身を心地よい感覚が包み始める。きっと、セイラの癒しの術なのだろう。彼が呪術をまともに使っている姿は、初めて見るのではないだろうか。
 「――――」
 身体の力が抜けていく気がして、すうっと睡魔が誘う。シズクがゆるりと眠りについたのは、その直後の事だった。



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