+ 追憶の救世主 +

 第5章(2)へ / 戻る / 第5章(4)へ


第5章「証」




3.

 ――話は、昨日の夜に遡る。



 「一体、何がどうしたって言うんだよ!?」

 シズクがうっすらと瞳を開けたのは、リースの切羽詰まった声が聞こえた時だった。天井を見上げて、ここが自分に与えられている部屋で、今寝かされている場所が自分のベッドである事に気付く。
 (あぁ、生きてる)
 痛みはもうどこにも感じられなかった。体を突き破らんとうごめいていた魔力も、今はどこにも感じられない。助かったんだ。
 「リース、大声出すんだったら出ていってもらうわよ。シズクが起きちゃう」
 アリスがリースを諭す声が聞こえると、シズクは起き上がるタイミングを逃したのだと気がついた。体がまだ少し怠いというのもあったが、今ここで起き上がる事はどうにもばつが悪い。だから咄嗟に目を瞑り、寝返りを打つふりをして、彼らが居るソファとテーブルとは正反対の方を向いた。シズクが身じろぎした事に、リース達ははっとしたようだったが、やがてシズクが起きていないのだと判断したのだろう。小さく息を吐く音が聞こえる。
 「……なんでシズクはあんな状態になった? 突然起こった星降りといい、訳がわかんねーよ」
 今度は声のトーンを落としてリース。完全に向こうを向いてしまっているので、彼の表情を確認する事は不可能だったが、声色から深刻そうな様子が伺える。ミレニィが助けを呼びに出て行った後、真っ先に駆け付けてくれたのは、そういえばリースだったなとぼんやり回想する。
 「細かい事は分からないですが、イリスの結界を張りなおしたシズクさんの魔力が、暴走しかけたのですよ」
 声は、セイラのものだった。穏やかではあったが、彼の声にも重苦しいものが宿る。
 (暴走……)
 心の中でそう呟いて、さきほどの事を思い出した。ぞくりと全身が粟立つ。知識としては知っていた。だが、聞くのと体験するのとでは大違いである。
 「滅多に起こる事ではないですが、一度起こるとなかなかに厄介なものです。魔道士の魔力の暴走は、持ち主に致命的な影響を与えてしまう。シズクさんのあれでも、まだましな方ですよ」
 「暴走って……今までシズクはちゃんと魔法を使いこなせていたじゃないですか。何で突然?」
 「魔力と器のバランスが劇的に変わると、魔道士はその変化に耐えられなくなる。その時起こる最悪の現象が魔力の暴走です。要するにシズクさんの中で、それと同じ事が起こったという事ですよ」
 そこでセイラは、一息ついたようだった。見えた訳では無いが、彼の視線はベッドに横たわる自分の方を向いているような気がする。背中に突き刺さるように熱いものを感じたからだ。
 リースとアリスの視線もおそらくこちらを向いているのだろう。そのことに少なからず緊張を覚えつつ、セイラの説明を聞いて、あぁ、なるほどな。と胸中で呟いて居た。魔力の世界に引きずり込まれたシズクを、パリスが元に戻してくれると言った時、これは正攻法ではないと述べていた。そして、シズクの身に重大な影響を与えるかもしれないとも忠告された。それは、こういう事だったのだろう。
 「……オタニアで、カルナ校長からシズクさんの話を聞いたとき、正直妙だな。と思いました。ティアミスト家の魔道士が、国立の魔法学校に入学するのも危ないような低い魔力である事など、有る筈無い。器だけ馬鹿でかい魔道士なんていうのも、特殊すぎる。事実……幼い頃の彼女は、キユウ・ティアミストを凌ぐほどの魔力を持った少女だった」
 「――――」
 セイラのこの発言には、部屋中がしんと静まり返っていた。
 キユウ・ティアミスト。母を凌ぐ魔力だなんて。まるで見てきたような物言いである。いや、見てきたようなではなくて、セイラは実際に幼い頃の自分を……見たことがあったのだろうか。
 「会った事があるのか? その……昔のシズクに」
 「別に不思議な事ではないですよ。僕とキユウとは親友同士でしたから。それに、ティアミスト家はイリスピリア王家と根深い関わりがあるというのはもう知っていますね。ですからリース、貴方も会った事くらいはあるはずです。アリス、貴方も。まぁ、幼い頃過ぎて覚えては居ないでしょうが」
 『え……?』
 リースとアリスの零した声が見事に重なった。
 ドキドキと心臓の鼓動が速まる。セイラ達に聞こえてしまうのじゃないかと、シズクは気が気ではなかった。眠気は完全にどこかに行ってしまい、思考はいつも以上に冴えてくる。だが、益々起き上がれない状況になっていた。
 「……少々話がずれましたね。元に戻しましょうか」
 セイラが穏やかにそう言っても、それに異論を唱えるものは居なかった。それを肯定ととったのだろう。セイラはもう一度柔らかく息を吐いてから、話を再開させる。
 「とにかくそんな訳です。シズクさんの魔力は低すぎた。原因は定かではありませんが、彼女本来の魔力は、なんらかの方法によって、彼女の記憶と共に押さえ込まれてしまっていたんですよ。さて、元々そんな不安定な状況に置かれていた魔力が、全て元に戻った時どうなると思います?」
 「……それで、暴走を?」
 控えめなアリスの言葉に、セイラはそうです。と告げた。
 「本当に危ない状況でしたよ。僕達が駆けつけるまで、シズクさんは相当な思いをして自分の魔力を押さえ込んでいたはずです。そうしなければ彼女の魔力は、彼女の身体を突き破り、城を突き破り、イリスの町にも降りかかったでしょうから」
 体中の力が抜けていくのが分かった。先ほどのあの、自分の中で渦巻くものを思い出して、背中に冷たいものが下りる。ただ漠然と、あれを解き放ったら危険だと思い、必死で押さえつけた。きっと恐ろしい事が起こる。そんな予感が胸の中にあった。だが、
 (城を突き破り、イリスの町にも降りかかる……)
 そんなに大きなものだったのか。自分の身は愚か、周りにも影響を及ぼしてしまうほどに強大なものだったのか。
 頭の中が一瞬真っ白になると同時に、体が震えた。
 「でも……もう大丈夫なんですよね、師匠? シズクの魔力はもう、暴走していないんですよね?」
 「今のところはね。ですが、またいつ起こるか分からない状況です。ですから……シズクさんの魔力を封印しました」
 え!? と割と大きな声でリースとアリスが叫んだ。叫んでから、慌てて口をつぐんだようだ。シズクを起こしたのではないか不安がっているのだろう。だが、シズクも危うく叫んでしまいそうだったので、無理も無いと思う。
 「封印って……」
 「文字通りです。シズクさんの魔力を、全て封印しました。シズクさんの身体に印を刻みましたから」
 自分が眠っていた間に、どのような治療をセイラからされたのかは分からなかったが、確かに目覚めた時には、あの小部屋で感じていた悪寒は完全に消えていた。癒しの術の効果で、肉体的な疲労が取れたという部分もあるのだろう。だが、それ以上に、シズクの身体を痛めつける根源が無くなった事による回復だったのだ。
 呪術師の事は魔道士見習いのシズクには詳しくは分からない。けれども、攻撃方面に特化して強い魔道士と違い、呪術師は守りや補助的な分野に強いと聞く。その呪術師の頂点に立つ水神の神子だ。人の魔力を封印出来てしまっても不思議ではないのかもしれない。
 「情け無い事にね、他に方法が無かったんですよ。シズクさんに同意を求める余裕もありませんでした」
 まぁ拒否されたとしても、結局この方法しかなかったんですけどね。とセイラはから笑い気味に呟く。もし同意を求められたとしても、きっと拒否したりはしなかっただろうが、セイラに魔力を封印されたのが、眠りについているうちで良かったと、シズクは思った。自分に判断を求められるよりも、一方的にこうなってしまった方が、今は気が楽だったからだ。
 「…………」
 試しにシズクは、普段魔法を使うように自身の魔力を探ろうとしてみた。だが、いつもはすぐに答えてくれるはずのそれは、今はぴくりとも反応を示さない。セイラが言った事は、全て本当の事なのだ。自分は今、ただの人間になっている。魔法はもう、使えない。酷く心細い気持ちになった。元々魔力は低かったし、魔法はそれほど得意ではなかったが、それでもいつもこの身を守ってくれていたのは魔法の力だったのだ。しかしそれと同時に、どこかで安心している自分も居る。あれだけの大きな魔力を肌身で感じたのだ、例えセイラに封印されて居なくても、当分魔法を使う気持ちにはなれなさそうだ。
 小さくため息をついたところで、部屋のドアが控えめにノックされる。かちゃりと扉が開く音が聞こえてから、誰かが部屋に入ってきたようだった。
 「……シズクちゃんは?」
 凛とした声は、リサのものだった。シズクの元に駆けつけた人物の中で、部屋に居なかった唯一の人だ。
 「眠ってる。そっちは?」
 リースの問いかけに、リサはうーんと困ったような声を出す。
 「ミレニアは落ち着いたわ。念のため医者に診てもらってから部屋に送り届けて来たし、今頃はもう寝てるんじゃないかしら。あと……お父様だけど、そっちも対応してくれてるみたい。あの小部屋を片付けて、封印をもう一度施すからって、城の魔道士連中を何人か呼び出してる。で、後でセイラ様と話がしたいって伝言を持ってきた訳なんだけど……」
 歯切れ悪く言うと、リサはそこで言葉を切る。どうやらセイラの返答を待っているようだった。
 幾重にも渡る封印を解いた上に、あの小部屋を血で汚してしまった。イリスピリア王は今、その後始末に奔走してくれているのだ。予想以上に大事になってしまった事を、改めて実感する。
 「言われずとも、こちらからお訪ねするつもりでしたから。大丈夫ですよ。ありがとうございます、リサ様」
 セイラの返答に、リサはほっとため息を零したようだった。いつも勝気な印象を受ける彼女が、今だけはとても弱々しく思える。色々と駆け回ってくれたのだろう。迷惑をかけてしまった。
 それきり皆黙り込むと、部屋の中には、ぎすぎすした何ともいえない沈黙が舞い降りる。その空気を破ったのはリースだった。
 「で? 話を元に戻すけど。どうするんだよ、これから。まさかこのままシズクを放置って事はしないだろう」
 「もちろんそんな事しませんよ。ただ、僕の手には余るので、今ここではどうにもなりません。シズクさんを救えそうな人物の元へ、彼女自ら赴いてもらうしかない」
 「でも……師匠でも無理な事を、一体誰が――」
 「東の森の魔女」
 その名が部屋に解き放たれた途端、セイラ以外の3人は同時に息を呑んだようだった。
 「魔道士の事は、魔道士の最高峰に任せるしかないでしょう。どの道近いうちに、シズクさんには彼女と会ってもらおうと思っていたのです。それに今の状態のまま、これ以上シズクさんをイリスに置いておく事もいけない。もうね、限界なのですよ」
 確かにもう、限界だった。
 ゆらりと視界が波打った事に気付いたのは、その時だ。待ったをかける余裕もなく、瞳から涙の雫が零れ落ちる。零れ落ちたら落ちたで、今度は声を上げたり音を立てたりしないよう耐えねばならなかった。鼻がつんと痛む。でも、それよりもっともっと強く、胸が痛んだ。
 「魔女の森はイリスピリアの東。遠い距離ではありませんが、決して近い距離でもない。この旅では、イリスピリア王の力を借りるわけにも行きません。彼らに事の主導権を握られるのは避けたいですから。……アリス」
 神妙な声で、セイラは愛弟子の名を呼ぶ。アリスはそれに、少しだけ緊張した声で返事をした。
 「貴方は僕の弟子である以前に、エラリアの姫君だ。だから、こんなお願いはしない方がいいのかも知れない。東の森の魔女は――」
 「弟子を気遣うなんて、師匠らしくないですよ」
 躊躇うような色を見せるセイラの声に、アリスの力強い声が重なる。これにはさすがのセイラも驚いたらしい。
 「エラリアの姫である以前に、私はシズクの仲間です。正直に仰ってください。自分に代わって、シズクを魔女の元へ連れて行けと。予言の件も立て込んでいるし、師匠は、ここに残らざるを得ないのでしょう?」
 「…………」
 「第一、お願いなどされなくてもそうしています! もうこれ以上状況が分からないまま待っているのは嫌です。今までみたいな思いをするくらいなら、危険な旅路でも、シズクの側に居る方がずっといい!」
 宣言するように言い放つと、アリスはそれきり黙りこんだ。部屋には、それまでとは違った類の沈黙が流れ始める。
 お願いしますと、穏やかな声でセイラが告げたのは、少ししてからの事だった。
 「シズクさんには明日、時間を作って説明します。出発は早いほうがいい。明後日の朝にはイリスを発つ方がいいでしょう」
 それだけ告げて、セイラはこの件を纏めようとする。
 (あれ?)
 けれど、シズクは、心の中に引っかかりを覚えて眉をしかめた。魔法が使えなくなった自分は、この不安定な状態をなんとかしてもらうために、東の森の魔女に会いに行く。明日は休んで明後日に出発。旅にはセイラは着いていかない。着いてくるのはアリス唯一人だけで、という事は――

 「セイラ」

 いつもより低いトーンで告げられた声に、シズクはびくりとしてしまった。声を発したのは、間違いなくリースだ。けれどどこか棘のあるきつい声色である。
 「シズクとアリス二人で行かせるのか? なぁ、セイラ、俺は――」
 「リース。貴方はイリスピリアの王子です」
 突き放すような、セイラにあるまじき冷徹な声だった。先ほどのリースの声も十分彼らしくなかったが、このセイラの声ほどではないだろう。いつも穏やかで、時々悪戯っぽい笑顔を浮かべるセイラが、出す声とは思えなかった。
 「確かに貴方は僕の護衛として、イリスピリア王からつかわされてレムサリアに来た。ですがね、イリスに着いた時点で僕との契約は終わってしまっているんですよ。今この時点で貴方は、イリスピリアの王子だ。僕から貴方に依頼をする権利もなければ、そうするつもりもありません。それが出来るのは、イリスピリア王唯一人です」
 それはリースに向けられた言葉であるはずなのに、シズクに対して言われたような気がして仕方が無かった。旅立つメンバーにリースが居ない。その事に違和感を覚えてしまった自分の考えに、戦慄する。リース・ラグエイジ。彼は確かにシズクの仲間である。でも、セイラの元にいる限りでそれは成立する事であって、イリスに着いて、彼がセイラとの契約を全うした今では成立しない事だ。エラリアの王族であるアリスが同行する事自体、もう既に普通ではない状況なのに、自分は一体、何を望んでいたのか。
 「そんな形にこだわるのか? 王子だとかそういう以前に、仲間じゃないのか?」
 「本当にそう思ってるんですか? リース」
 突き刺すようなセイラの言葉に、リースは息を呑む。彼だけではない。その場に居る、アリスやリサにしてもきっと同じ事だろう。寝た降りを続けているシズクと同じように。
 「ティアミストの娘の味方になり、彼女のために命がけで動くという事が、イリスピリアの王子にとってどういう意味を持つのか、分かりますよねリース。貴方は、それらの重みを全て理解した上で、それでもシズクさんを仲間だと。助けたいと。思えていますか」
 「師匠――」
 「僕も貴方と似たような立場です。僕の口からこんな事を言われるのは理不尽であると思う。ですがそれを承知で敢えて、貴方に言います、リース。もし、貴方がシズクさんを仲間と思うのならば、それを認めさせる相手は僕ではない。貴方の父親であるイリスピリア王です」
 アリスの制止も振り切って、セイラは尚も言葉を続ける。向けられた視線は、おそらく刃物のように研ぎ澄まされているのだろう。
 「――『証』を立てることですね」



第5章(2)へ / 戻る / 第5章(4)へ
** Copyright (c) takako. All rights reserved. **