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第7章「翠瞳の少女」




2.

 銀狼達が一掃されてひと段落ついた後、近場の町に乗合馬車が到着したのは、日もどっぷりと沈んだ時だった。
 アリスが張り巡らした魔よけの効果か、町に着くまで大きなトラブルは起こらなかったが、シズク達が乗っていた乗り合い馬車以外でも、魔物と遭遇して被害にあった馬車や旅人があったらしい。シュシュという名のその町に入ってすぐに、物々しい雰囲気からそれらの事が分かった。大通りに居たのは皆、魔物のせいで足止めをくらい、一晩の宿にとやってきた人達だったのだ。
 「お役人も出てきているらしいね」
 大きな荷物を抱えた商人の男が言った。ちなみに彼、名はハンスと言うらしい。
 ランプを手に、数人の役人がきびきびと動き回っているのが見える。乗り合い馬車の御者もその対応に追われていた。ここでも結界技術を持つ魔道士は居ないかとの呼び声がかかり、違う乗り合い馬車の魔道士が手を挙げて役人と何やら話し込んでいる。シズクの予想が正しければ、町の周囲に張られている結界の点検だろう。比較的魔物が出にくいと言われている街道に、一時にこれだけ魔物が出現してしまったのだ。町が襲われる可能性もある。
 それにしても、一体どうした事だろうか。ここまで頻繁に魔物の被害が出た光景を、シズクは初めて見た。
 「魔物が増えてるっていうのは、本当の事なんだね」
 「そうは言っても、ここまでくるともう、異常だな」
 シズクの言葉に、肩をすくめて言ったのはリースだ。先ほどの戦いで軽く怪我を負ったようで、ほんの少し顔色が悪い。後でアリスに診てもらわなければと思う。
 「……街道が閉鎖されたりしなければいいんだけど」
 役人達のやり取りを、不安の篭る目で眺めながらアリスが呟く。それを聞いて、シズクとリース、そして商人のハンスはほとんど同じタイミングでため息を零していた。
 これだけの騒ぎになってしまったのだ。最悪の場合、街道が閉鎖されてしまう可能性はあるだろう。そうなってしまえば、乗合馬車は使えなくなってしまう上に、遠回りを余儀なくされる。大幅に予定が狂ってしまうのだ。出来れば避けたい事態である。

 「はいはーい。そこのお姉ちゃん達!」

 緊急事態に頭を悩ますシズク達の耳に、明るい声が飛んできたのはその時だった。何事かと声のした方を振り返れば、シズクより頭一つ分くらいは背の小さい子供が二人、目を爛々と輝かした状態でこちらを見つめてきている。濃い茶髪の男の子と、金に近い黄土色の巻き毛の女の子である。
 「ようこそシュシュの町へ!」
 「この騒ぎだから、この町に来たのは予定外の事だよね。今晩の宿はお決まりですか?」
 「……え?」
 「まだでしたら是非、うちの宿をご利用下さい。サービス満点、お値段リーズナブル、今ならお部屋におやつ付き!」
 「あ。えと……」
 「シュシュの町は宿屋が少ないから、早い者勝ちだよ」
 「他の旅人さん達もきっと突然のアクシデントだから、宿屋を探すと思うんだよね」
 にっこり天使の笑顔でぺらぺら喋りまくる二人。それが所謂『営業トーク』だという事に気付くのにしばらくかかった。どう見ても彼らは子供なのだ。10歳を少し過ぎたかどうか、それくらい。童顔のシズクと並んでも、歳の離れた兄弟のように見えるだろう。そんな子供が、よもや宿屋の営業を仕掛けてくるとは誰も思うまい。ちらりと周囲を見回すと、なるほど。二人の子供達以外にも、旅人に声を掛ける者の姿がいくつかあった。おそらくは宿屋の営業だろう。……彼ら以外は皆大人だったが。
 「うーん、そうだね。俺はお願いしようかな」
 頭を掻きながら商人のハンスははにかんで言った。それに少女と少年はやった! と盛大に喜んでから、続いてシズク達の方へ意味ありげな視線を寄こしてくる。
 「えーと……」
 意見を求めるために、シズクはリースとアリスに視線を移動させてみた。シズクとしては構わないが、こういう事は同行人である彼らの考えも聞かねばなるまい。
 「いいんじゃねーの? 別にこだわりはないし。この子達が言ってる事がおそらく正しいだろうし」
 シズクと子供達を交互に見つつ、リースは肩をすくめた。
 「私もそう思うわ」
 宿が満室になる前に決めておいた方が良いでしょうしね、とのアリスの言葉で、またもや二人の子供は歓声を上げて飛び跳ねる。営業トークは大人に負けないが、こういうところはやはり子供らしい。
 「4名様ご案内だね! 申し遅れました。僕はゲイル。ゲイル・ホーリス」
 「私はラナ・リスディル」
 濃い茶髪の少年と黄土色の巻き毛の少女はそのように自身を紹介する。兄妹かとも思ったが苗字が違うからそうではないらしい。よく見れば、容姿も似ていない。いかにも田舎の少年といった風な素朴な容姿のゲイルと違って、ラナは愛らしい顔の美少女であった。元気はいいが、黙っていれば色白で線が細い。あと数年もすれば、周囲の異性の目をひきつけて離さなくなるだろう。
 「――――」
 ふと。ラナの瞳を覗き込んだシズクだったが、彼女と真正面から視線がぶつかって、そしてどきりと胸が鳴った。彼女の瞳の色は、青々と茂った植物を思わせる、濃いグリーンだ。だが、ひとくちに緑色と言ってしまうには、あまりに多くの色を放ちすぎている。リースの明るいエメラルドグリーンの瞳とは違って、見る角度によって色が違って見えるのだ。それはまるで――
 (わたし、みたい)
 自身の瞳の色を思い出して、シズクは胸中でそう零す。
 周囲の誰とも同じではない不思議な色と輝き。シズクの青い瞳もその時々によって見え方が変わるらしい。普通自分で自分の瞳は見えないから、完全に人から聞いた話だが、どの点をとっても平均並だったシズクの、唯一特異と言える点だった。色は違うが、ラナのそれは自分とよく似ている気がする。
 不思議な緑色の瞳に見入るうちに、シズクは真剣な表情になっていたようだ。こちらを見つめるラナもまた、満面の笑みから一転して、真面目な顔をシズクに向けてきていた。そうしていると、妙に大人びて見える。金に近い色をしたまつ毛は、瞬きしたら風でも起こりそうな程に長い。妖精のような、不思議な雰囲気を纏う子だなと思う。
 「……お姉ちゃんも、混じっているの?」
 「?」
 シズクの瞳を覗き込んで、緩く首をかしげながらラナが告げる。
 「あ、でも……私とは少し違うみたい」
 「え?」
 「ラナ! あと四組は確保しなきゃ!」
 何の事? と聞きかけたシズクの言葉を遮って、ゲイルが叫ぶ。彼の方を見ると、今にも走り出さんといった体勢で後方の旅人達を指差していた。シズク達は客として確保し終わったので、続く勧誘へと向かうようだ。
 「あぁぁ! そうだった!!」
 真剣そのものだった表情は、再び少女らしいそれに戻り、ラナはゲイルの元へと走っていったのだった。






 翌朝早く、街道がイリスピリア国軍によって閉鎖されたという知らせが届いた。シズク達がシュシュに到着した後も、魔物による襲撃が数件起こったのだそうだ。お陰で町は、近年まれに見る盛況振りを見せているのだとか。だが、決して明るい話題でないのは旅人にしても町人にしても同じ事である。魔物が増えて喜ぶ者は居ない。
 「乗り合い馬車もしばらく運休。……さぁて、一番起こって欲しくない事態に発展しちまったな。ホント、ついてないぜ」
 宿屋の朝の食卓で、コーヒーをすすりつつ言ったのは、釣り上がった瞳の男。まるで初めからそこに居たかのように振舞うが、彼がこの席についたのは、シズク達が朝食を摂り始めて大分経ってからの事だった。
 「……って、なんであんたがココに居るんだよ? フェイ」
 優雅に構える男に悪態をついたのは、リースだった。
 「なんでって。お前らと同じ宿屋に泊まってるからに決まってるだろ、リース」
 「そうじゃなくって、何で同じテーブルで朝食を摂ってるんだって事だよ」
 「空き席が無いから一緒くたにされただけじゃねーか。美人の申し出だ。断る訳にはいかないだろ?」
 不機嫌そうなリースとは対照的に、フェイと呼ばれた男はからかうように言った。ちらりと視線を向けた先を見れば、そこには黄土色の巻き毛の少女、ラナの姿がある。朝食時のラッシュである今、トレイ片手に大忙しの様子だ。
 「あの子、店主の姪っ子だそうだ。まだ子供なのに、いい働きぶりだよな」
 ちなみに、ゲイルとは従兄妹同士になるらしい。ゲイル少年は宿屋の店主の息子なのだ。
 シズク達が滞在しているこの宿屋。名は『ホーリス亭』と言い、規模は小さいが、良い宿屋だった。ラナ達の売り文句はあながち間違ってはいなかった訳だ。
 「ってことで、俺はフェイ。旅の冒険者ってとこだ。リース、そちらのお嬢さん方は?」
 紹介しろよ。と言ってフェイは、リースの両隣に座るシズクとアリスに目線を寄せる。この勝気な雰囲気といい、押しの強さといい、差し詰め男版リサといったところだろうか。口達者のリースが上手い事リードを持っていかれている。
 「……右の黒いのがアリスで左のちっこいのがシズク」
 「ちょっとリース! なによその紹介の仕方は! わたし、そんなにちっこくないわよ!」
 シズクは半眼になって叫ぶと、勢い良くリースに突っかかっていく。まったく、もう少しマシな紹介の仕方はなかったのだろうか。聞き捨てならない。
 「じゃあ何か? 童顔って紹介してやれば良かったか?」
 「尚更悪いわよ!」
 「……おやおや、痴話喧嘩か?」
 『違う!』
 フェイのからかいに、シズクとリースは物凄い形相で同じ事を全く同じタイミングで叫ぶ。その隣で可笑しそうに笑っていたのはアリスだった。
 「やれやれ、仲のよろしい事で」
 未だにぎゃーぎゃーと喧嘩を続けるシズク達を見ながらフェイが肩をすくめて言った。
 「久しぶりね、こういうの」
 小さなアリスの呟きは、おそらく二人の耳には届かなかっただろう。



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