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第7章「翠瞳の少女」




5.

 ――かすかな記憶の中に残るのは、真っ赤な色。

 炎。血。あるいは燃え上がる憎悪と恐怖。
 思い出したくは無い。思い出すはずも無いくらい、自分は幼かったはずなのに、何故かその『色』だけは覚えていた。脳裏に焼きついて離れてくれない。これを、その瞳に捉えた時からだ。

 「何だろうな。凄く……怖い」

 月夜の差し込む自室で、ラナは一人ごちる。弱弱しい声だった。階下の食堂から、楽しげな談笑が響いてくるが、それも彼女の心を温めてはくれない。毛布にくるまるものの、睡魔は彼女の元から逃げ出していったきり戻ってこないようだ。
 細く小さな手に収まった物は、深い新緑の色をしたクリスタルだった。ラナに全てのきっかけを与えてくれた代物。月明かりを受けて、今は少し暗いグリーンに輝く。それは、自分の瞳の色に酷く似ているような気がした。

 「ドキドキするの。凄く嫌な事が起こりそうで――」






 「ラナがこういう事をしたのって、実は初めてじゃないんだよ」

 夜。食堂のテーブルで夕食を摂るシズク達の元へ、ゲイルがやって来たのは先ほどの事だ。ピークは過ぎて、客達は大方自室へ下がり、残すのはカウンターで酒を飲み交わす客数人とシズク達だけといった状況。お手伝いである彼の仕事もほとんど無くなったのだろう。ラナの姿が今夜は見えなかったが、ゲイルによると、泣き疲れて自室で寝入っているらしい。
 ちなみに言うと、食卓には相変わらずフェイの姿があった。どうやら彼、シズク達のテーブルの一席を自分の物としたようだ。嫌そうな顔をしたのはリースだけで、シズクやアリスにとっては、賑やかになるので歓迎する事だった。
 「初めてじゃ無いって事は、今までにも何回かあったって訳?」
 「そう」
 シズクの言葉にゆっくりと頷くゲイル。いつの間にやら、彼は自分の分のお茶と今夜のメニューの一つであったオムライスをテーブルに持ち込んでいた。遅めの夕食をここで食べるつもりなのだろう。ふんわりとした焼けた卵の匂いがテーブルを包む。
 「今日みたいな大きな事件は初めてだけど、小さな……例えば、なくし物をした人の顔を見て、それを言い当てた後、なくし物の場所まで当てちゃったり、旅人の振りした泥棒がうちの宿屋にやって来た事があったんだけど、その正体をあっという間に見破っちゃったり。いろいろ」
 「へぇ、そりゃまた凄いじゃねーか」
 「ラナにはきっと不思議な力があるんだと思う。凄い事だよ。けど、そう思う人ばかりじゃないみたい」
 感心する一同を見てから、ゲイルはなんとも複雑な笑みを浮かべる。そしてオムライスを一口頬張ると、ため息を一つ落としたのだ。
 実際の所、ラナの不思議な力を賞賛している人も居れば、逆に奇異の視線を浴びせる人も居るらしい。魔道を見る機会があまりない田舎町では、後者の感情を抱く人の方が多い傾向にあるという。人と違うものを持った者には多少なりともそういう感情は向けられてしまうものである。だが、当の本人はまだ12歳の少女なのだ。最近では、ラナを魔性の者ではないか。と言う輩まで出てきているらしく、ゲイルの両親も頭を抱えているそうだ。
 「そりゃまた、酷いな」
 難しげな顔で腕を組んだのはリースだ。彼に同意する形で、シズク達も頷く。
 「ところで、だ。差し出がましい事を聞くけど。ラナって小さい頃からこの家に住んでるのか? 両親とかは居ない訳?」
 フェイの質問に、ゲイルは一瞬オムライスを食べる動きを停止させた。聞かれた内容が内容なだけに、無理も無い反応と言える。だが、特別嫌な顔になったりはせず、事の次第を話してくれた。ある意味、自分達を信用してくれているのかも知れない。
 「父さん達から聞いた話だけど、12年前。まだ赤ちゃんのラナを連れて、ラナの母さんがこの町に帰って来たみたい。ラナの母さんと僕の父さんは姉弟なんだ」
 なんでも、ホーリス氏の姉である女性は、若い頃にシュシュの町を飛び出したきり長い間行方知れずになっていたらしい。しかし、何年と不在にしていたある日、彼女は突然ふらりと町に戻ってきた。両手に、まだ首も据わらないラナを抱いて。
 「とても慌てていたみたいだよ。父さんに泣きついて、ラナを預かってくれって頼み込んできたんだって」
 そうしてそのまま、再び姿をくらましてしまったらしい。残して行ったのはほんの少しばかりのお金と、ラナ・リスディルという名前。そして、緑色をした綺麗なクリスタルだけだという。今思えば、形見のつもりだったのかもしれない。どこでどういう経緯で子供を儲けたのか、父親は誰なのか。そういったことは一切説明されなかった。
 丁度その頃、ホーリス夫妻も長男ゲイルを授かったばかりだった。そのため、ラナはゲイルと兄妹同様に育てられたのだ。実を言うと、ホーリス夫妻は本当の子供として育てきるつもりだったらしい。本当は違う両親が居るという事は、ラナが大人になるまで黙っている予定だったのだ。ラナ・ホーリスと、確かにあの頃彼女はそう名乗っていた。
 「でもね、ある日急に気付いちゃったんだよ。ラナが」
 「急に?」
 「そう。思いついたようにラナが言ったんだ。『私は父さんと母さんの本当の子供じゃないのね』って」
 例の不思議な力の賜物だろうか。彼女は5歳のある日、そんな事を言ってホーリス一家を仰天させたらしい。当のゲイルは腰を抜かしたくらいだ。それまで自分とラナは双子の兄妹だと言い聞かせられてきたのだ。血のつながりは消えないが、それまで妹だと思っていた人物が突然従兄妹になったのだから無理も無い。
 ラナの母が残していったという、緑色のクリスタルを見た瞬間、そう言ったらしい。それまでゲイルの両親はクリスタルを頑なに隠していた。偶然にラナがそれを見つけた日、事が起こったのだという。今ではそれは、ラナの大切な宝物になっている。
 
 「おや、面白そうな話をしているね」

 話に聞き入っていた一同の元へ、違う声が舞い込んできたのは、ゲイルの話が佳境へと差し掛かった時だ。何事かと思い、突然の割り込みの主を見たが、それは知った顔だった。乗合馬車で一緒になった、商人のハンスだ。そういえば彼も、シズク達と同じ宿に泊まっていた。酒を煽ったのだろう、赤ら顔で少々酔っている様子だった。
 「おー、商人のおっさん。結構酔ってるようじゃねーか」
 「ははは、君は剣士のフェイ君だね。この間の銀狼の件はどうも。街道が閉鎖されてしばらく身動き出来ないんじゃ、飲むしかないんでね」
 足取りはしっかりしていたが、普段より更に陽気度がアップしている気がする。ハンスは側にあったテーブルの椅子を持ち出すと、シズク達のテーブルにつける。どうやら話に加わる気満々のようである。フェイは楽しそうだが、シズクは内心どぎまぎしていた。
 「どう? 君らも一杯」
 「俺らは未成年だよ。第一、俺は酒は無理」
 酒を勧めてくるハンスに、リースがぴしゃりと言い捨てる。そういえばリースはお酒が駄目なんだったっけ。とシズクは心の中で呟いていた。確か、酒の匂いだけでも酔ってしまうと言っていなかっただろうか。だとしたら、今の状況はリースにとって少々ピンチな訳だ。まぁ、シズクの知ったことではないのだが。
 じゃぁ俺は貰おうかな。と言って、フェイだけがホーリス主人に葡萄酒を注文していた。
 「さて、あの可愛いお嬢さんの事だけど」
 フェイの元へ葡萄酒が運ばれてきたと同時に、ハンスは再び口を開く。ゲイル少年は、オムライスを頬張りながらも彼の話を聞く体勢を作っていた。
 「俺の予想が正しければ、彼女、東方の生まれだと思うんだよね。更に言うと、父親はエルフ族だ」
 「へ……?」
 ひょっとしたら物凄く重要事項になるかも知れない内容を、商人の男はさらりと告げる。彼の言葉を聞いたシズクはというと、一瞬自らの耳を疑った。今彼は、何と言った?
 「エルフ?」
 「そう、母親は人間だから、あの子はハーフエルフと呼ばれるのかな」
 エルフと言うと、東方の森に住む、誇り高き一族の事である。外界との接触を好まない彼らが、人間と関わりを持つ事など稀有な事。故に、ハーフエルフはエルフ以上に珍しい存在である。それが、ラナだと言うのだろうか。
 「凄い! おじさん、なんで分かったの!?」
 疑いの目をハンスに向けていたシズク達とは違い、ゲイルは目を真ん丸に見開くと、オムライスそっちのけで身を乗り出し、そう叫んでいた。ゲイルのこの反応に仰天したのはシズク一人ではなかった。隣の席に座るアリスやリースも、間抜けに口を半開きにするくらい、驚きを露にしていた。
 「セリーズ出身者をなめちゃいけないよ。エルフ族にも何度か会った事があるしね。東方のシェハウ王国のエルフは、あまり耳も尖ってないし、人間と混血したらその子供は人間と見た目上はほとんど一緒になると思うよ。加えて、人間族にしては色が白い点と、混血の特徴である独特の瞳の色だね」
 得意げに胸を張るハンスとは対照的に、ゲイルを除く一同はこれでもかというくらいに呆けた顔で彼の話を聞いていた。
 (ハーフエルフ? ラナちゃんが?)
 未だに信じられないが、もしそれが本当だとしたら、彼女が高い魔力を持つ事も確かに頷ける。エルフは魔法を発展させた種族だ。人間とは違い、彼らのほとんどは生まれつき魔道の才能――つまり『器』を持って生まれてくると言われている。結界の異変を瞬時に悟るくらいには、魔道に秀でているだろう。
 「本当の事なの?」
 アリスが、半信半疑の声色でゲイルに問いかける。その問に対して、ゲイルはゆっくり頷く事で肯定を示す。
 「ラナが自分は父さんと母さんの子じゃないって気付いた時に、そうだって言ったんだ。ラナの母さんも、居なくなる前に父さんに言い残してたみたい。『この子は人間族じゃない、いずれエルフ族に帰る子だ』って」
 「…………」
 ゲイルが口にするには大人びた発言に、テーブルは一気に沈黙に包まれた。軽く談笑するだけのつもりが、随分重い話題まで及んでしまったものだと思う。さすがのゲイルも、ここまで話すつもりはなかったのだろう。静まり返った一行に不安げな視線を投げかけ、どこか居心地悪そうに身じろぎする。
 「……まぁ、それで。ハーフエルフって事で、注意しとかなきゃいけない事があるんだけどね」
 気まずい沈黙を破ったのは、ハンスだ。さすがに空気を読んで、トーンダウンはしていたが、酔っ払って気が大きくなっている事には変わりない。赤ら顔で身を乗り出すと、彼はゲイルに真剣な眼差しを向ける。
 「昔からの言い伝えで、ハーフエルフには、エルフ族も人間族も持ち得ない不思議な力が宿るって言われているんだよね。その力が宿る場所って、何処だと思う?」
 シズク達の答を聞く前に、ハンスは自身の瞳を太い人差し指で指していた。
 「瞳。ハーフエルフの瞳には、とびきり濃い魔力が宿るって言われてる。だからね……あまり大きな声では言えないけど、それが商品として高値で取り引きされる事が稀にあるんだよ」
 嫌悪を露にした一行の視線に、慌てて「俺はもちろんそんな外道なまねはしたことないよ!」と付け加える。
 ハンスによると、ハーフエルフの瞳は、最上級のマジックアイテムとして小国の国家予算と同じくらいの値段で取り引きされるらしい。だがその製造法は、簡単且つ世にもおぞましいものだった。要するに、生きたハーフエルフの瞳を刳り貫いてしまうのだ。麻酔もなにも施さずに。
 完全なる闇取引である。正規の魔道士は、いくら上質のマジックアイテムと言われても、それを用いる事など絶対に無い。倫理から逸脱した行為であるからだ。
 「目利きが見ないとあの子がハーフエルフだなんて分からないけど。俺みたいなのは巷に結構溢れてるもんだから。特にこの騒ぎで、旅人の数がいつにも増して多くなってるし、良からぬ連中がまぎれてる可能性もゼロじゃない」
 ちらりと、ハンスが厳しい視線を寄せた先は、店のカウンター席の方だった。酒を飲み交わす旅人の集団とは少し離れて、一人で座る人物が居た。真っ黒なフードを目深に被った長身の人物。確か名前は――
 「ルダ。あの兄さん、俺に言わせるとかなり怪しいね。何やら町でいろいろと嗅ぎまわってるみたいだし」
 確かに、怪しさ爆発の外見ではある。目深に被ったフードが邪魔をして、彼がどんな容姿をしているのか知る事は出来ない。リース達が僅かに聞いた彼の肉声から、男性である事が判明したくらいだ。
 「血は繋がってなくても、君はあの子のお兄ちゃんなんだろ? しっかり守ってやるんだよ!」
 バシンと、軽い音をたててハンスはゲイルの肩を叩く。一瞬ゲイルは怯んだものの、すぐに真面目な顔になると、何度も何度も頷くのだった。



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