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第8章「異変の始まり」




1.

 「昔々のお話です――」

 イリスピリア国立図書館に、朗々と謳い上げるような声が響く。声が紡ぐのは人々の間で長きにわたり口伝されてきた伝説。
 「ところがある時、一人の恐ろしい魔法使いが現れたのです」
 今となっては、魔法使いの年齢、性別。種族。それら全てが闇の中である。しかし、魔法使いが手に入れようと必死になっていたものが何かは、記述として残されている。それは世のことわりを左右するもの。
 「とても大きな力を持つ、一つの偉大な魔法です」
 まるで神託でも告げるかのように、声は重々しく告げる。
 500年前、悪い魔法使いの手によって世界が危機に瀕した時、一人の勇者が立ち上がった。勇者の名前はシーナ。人間であり、女性であり、他でもない、ここイリスピリア大国の第一王女であった人物である。
 小さな子供が子守唄代わりに母親から聞かされる物語だ。それくらいにありふれた、常識とも言えるもの。『金の救世主(メシア)伝説』。その一説を、要するに声は朗読しているのだ。
 「巨人族の王子とミール族の王子は、魔法使いの持つ最強の杖を五つに折りました」
 そこまで読み上げて、声はぴたりと止む。黙り込むと、声の主である彼女は問いただすような視線をすぐ目の前――正確にはテーブルの上で悠々と構えている小さな生き物へと向けた。
 「金の救世主(メシア)伝説にある、この五つに折られた魔法使いの最強の杖なんだけど、実際は神の力を宿した5つの石だったのよね? ……リオ」
 『その通りよ、リサ』
 真っ直ぐにサファイアの瞳を向けられて、リサはどきりとしてしまう。未だに慣れない。この青い小さな妖精もどきが、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)の化身だというのも、まだ少し信じ切れていないのだ。
 セイラからリオの本体である石を預かったのは、シズク達が旅立った日の事だった。一人で、、、調べものがしたいので、預かってくれとセイラが頼み込んできたのだ。いくら意志を持った杖だからと言っても、セイラがこの杖を一人としてカウントしている事に少々の違和感があった。だが、預かる事を快諾し、その直後に突如目の前に現れた青色の美女を見て、それが何故かを思い知ったのだった。確かにこれは、一人としてカウントすべきものだ。
 人格を宿す杖。水神の力を宿す、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。
 「五つの石のうち、一つは偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。戦いの後に巨人族が持ち帰った訳なんだけど、すぐに持て余して水神の神子に贈られた」
 そして今の持ち主が、現代の水神の神子、セイラーム・レムスエスという訳だ。そこまでは非常に有名な話。
 「だけど、5つに折られた杖の、残りの4欠片についての記述は、どこを探しても見つからない訳よね、これが」
 そこでため息をつくと、お手上げと言った調子で『アルツィー口伝録第43巻』という名の分厚い本を閉じた。閲覧机の上に散乱している、たくさんの本たちを視界にいれて、余計に気分が滅入った。ここまで調べて芳しい成果が上げられない事に苛立ちも感じてしまう。図書館をひっくり返しての探索作業は今日で3日目になっていたのだから。
 傍らには常にリオが居たが、彼女は自分から何かを教えてくれるとか、そういう気の利いたことは一切してくれなかった。こちらから訊いた事には、たいていの場合イエスかノーかで答えてくれるのだが、それだけだ。全ての事をおそらく彼女は知っているはずなのに。もちろん、リサが今現在探している残り4つの欠片の在処についても。
 リサは恨めしそうな目でリオを見てみるが、彼女は相変わらず悠々と構えてちっとも気にしていない様子だった。
 『……ところで、何故リサは金の救世主(メシア)伝説の『石』について、そこまで執着しているのかしら?』
 珍しくリオの方から質問が飛んできたのは、リサが脱力して机に突っ伏した時だ。ネイラスに見られたら、なんてはしたない! とどやされる事請け合いの体勢である。
 突っ伏した状態はそのままに、顔だけ上げると青い妖精もどきを視界に捉える。いくら人の心を読めるといっても、彼女のその能力にも限界がある。セイラの手助けになればと、初めはティアミスト家に関する記述を探したり、例の水神の神託のヒントになりそうな他の神託について調べたりしていたリサが、昨日の夜、突然の方向転換をしたのはリオの目にも不思議に映ったのだろう。
 「単純な発想だけどね」
 右手で頬杖をついて、軽く笑む。そうして、閲覧机の上に無造作に置かれた、青い貴石を見る。これこそが真の偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。神の力を持つ石。
 「リオの本体が『石』って気付いた時にね、思ったの。魔族(シェルザード)の狙いは、ひょっとして伝説にあるあの、『最強の杖』を取り戻す事なんじゃないかって」
 イリスピリアで先日起こった事件に、思いを馳せる。現れた魔族(シェルザード)。彼らは確実に何かを欲していた。
 『――――』
 急に真剣な表情に変わったリオを一瞥して、リサは視線を分厚い本達にくれる。勇者シーナの伝説が記載されている何冊もの本に。もちろん全て、リサが集めてきた物であった。
 「500年前に現れた『悪い魔法使い』って、他の本をあたると、『魔の者』『魔を統べるもの』『魔を生み出した者』と、表現が様々なのよね。でも、具体的に何の種族かはどの本を見ても書かれていないの」
 伝説のくだりに、ミールやエルフといった、大陸ではメジャーな種族がほとんど総出演で記載されているのに対して、魔法使いだけは『今となっては分からない』と、かなり曖昧な表現で語られるのみだ。リサはここに、意図的に魔法使いの種族を隠そうとした意志が、見え隠れしているような気がして仕方が無かった。
 「何故伏せられたか。その訳までは考えが及ばないけど。この事件が起こったあたりの時代に歴史から姿をくらました種族が一つだけある」
 『それで魔族(シェルザード)って訳ね、なるほど』
 リオの言葉に、リサはゆっくり頷く。
 500年前、救世主に倒された魔法使いは魔族(シェルザード)の者。それが、リサの考えであり、3日間の探索で、自信を持ってセイラに報告出来る数少ない成果の一つだった。セイラから聞いた話によると、魔族(シェルザード)であるクリウス自身が、かの魔法使いは魔族(シェルザード)の者だったと主張していたようであるし、これは単なる空論ではないはずだ。
 「『最強の杖』とは、神の力を持つ五つの石の事。魔法使いはそれを元々持っていた訳じゃない。それこそ奔走して、世界中から集めたんじゃないかしら。目的はそう、魔法使いが求めて止まなかったという『偉大な魔法』を手に入れるため」
 ここまでくると、本当にリサの想像でしかないが、そう考えると一番しっくりくるのだ。魔族(シェルザード)達は、確実にセイラの杖である偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)を手に入れようとしている。例の5つの石のうちの一つを求めているのだ。更に残りの4つも欲していると考えるのは容易な事。欲するからには、それらは特別な力を秘めたものなのだろう。伝説に綴られるように、偉大な何かを。
 「私の予想が正しければ、残り4つのうち、一つはシズクちゃんのネックレスって線が濃いわ」
 これも、魔族(シェルザード)の動きを考えると簡単に導き出せる答えだ。セイラの杖を狙うと同時に、彼らはシズクのネックレスも奪おうとしてきた。彼女のネックレスはシーナ縁の代物だという。更に言うと、そのプレートの裏側には、透明な石がはめ込まれていた。本の記述という形で明確に示されていないだけで、状況証拠は揃っているのだ。
 ほぉ。と、感心したように声を上げたのはリオだ。だが、リサの持論の展開はまだ終わっていない。
 「それとね。あともう一つ。伝説の中で一切語られていないものの存在があると思うの」
 リサは図書館の少し閉鎖的な空気を肺一杯に吸い込んで、それをゆっくりと吐き出す事で昂った自分の気持ちを落ち着けた。そして告げる。

 「第6の石――若しくは、それに准ずる存在」

 声は、意外に重々しく響いた。そしてそれを聞いてリオは、今度こそ驚きを露にする。それは、リサの予想が間違ってはいないという事を示していた。
 「5つの石を所持していた魔法使いは、まだ、、『偉大な魔法』を手に入れていなかった。とすると、5つ集めた時点で途中経過って事になるわよね。創世記に出てくる神様は全部で6人ってところからも、神の力を受けた石は、6つあったと考えていいと思うわ」
 その最後の一つを手に入れる前に、シーナによって魔法使いの野望は打ち砕かれた。魔族(シェルザード)達は、あと一歩の所で祖先が果たせなかった夢を、再び叶えようとしているのではないか。そう思うのだ。
 そして、そう思うがゆえに、残りの石の在処が知りたいのだ。魔族(シェルザード)達は石を狙っている。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)やシズクのネックレスがそうであったように、他の石についても、それを奪うための争いが起こるに違いないのだ。そうなってしまう前に、彼らの動きを掴んでおきたい。
 『……シーナの頭脳面を一番色濃くひいたのは、貴方かもしれないわね、リサ』
 リオは興味深げな表情で、リサの顔を覗き込んでくる。
 『リースじゃないけど、本当に貴方が次期女王になったらいいのに』
 「冗談。確かにこういう部分はリースに勝るけどね、器じゃないのよ。私が王位につくのは、リースが死んだ時だけ」
 肩をすくめると、リサは苦笑いする。それを見て、その言い草もシーナにそっくりね。とリオは笑った。
 『さて、その素晴らしき洞察力を称えて、一つだけヒントを出しましょうか』
 それまで机の上に座り込んでいたリオが、よっこらせ。と零しながらようやく立ち上がる。といっても、小さい彼女が立ち上がっても、見た目上ほとんど変わりはないのだが。
 リオは胸を張ると、人形サイズの腕をリサへと突き出す。そして、人差し指をびしりと立てた。
 『パリス王の記録を追いなさい』
 「パリス?」
 意外な人物の名に、リサは呆ける。パリスというと、あのシーナの弟王子のパリスの事だろうか。賢王と名高い、歴史上初めて魔道士で無い王として即位した人物。そんなイメージを膨らましていたリサに、リオはくすりと魅惑的な笑みを向ける。
 『パリス・ルルフォス・ラグエイジ・イリスピリア57世。彼、意外に狸よ。金の救世主(メシア)伝説から、自分の存在を綺麗さっぱり消してしまったんだから』
 「え……?」
 目を見開いて声を上げたリサに、リオは『ほら、驚いたでしょう』と笑う。
 『パリスもシーナと共に旅立ち、彼女と共に戦ったうちの一人よ。功績の大きさで言うと、シーナに匹敵するくらい、いえ、ある意味それ以上かもね』
 そんなに大きな事をしでかした自身を、根こそぎ記録から消してしまったのだ。どのような方法をとったのか知らないが、確かにそれは凄い。
 「……もしかしなくても、『悪い魔法使い』の種族を隠蔽したのも、パリス王の仕業?」
 ため息をつきながらのリサの言葉に、リオはイエスである事を笑顔だけで語る。まったく。とんだ大狸が祖先に居たものである。
 『ま、そんな訳だから。パリスの記録を追うと……いろいろ分かってくるんじゃないかしら?』
 ニッコリ微笑む。確信犯の笑みだとリサは思った。調べる対象を絞ってくれたのはありがたいが、リオのこの様子を見る限り、絶対に行き着く先の答えを知っていると見た。それを敢えて教えてくれないで、調べろと言うのだから性格が悪い。
 「リオを預かってくれって言ってきたセイラ様の気持ち、今なら少し分かる気がするわ」
 『あら、どういう意味かしら?』
 「そのままの意味よ」
 これ以上言い争ってもおそらくリオは何も教えてくれない。単なる時間の無駄だ。そう判断すると、盛大にため息をついてからリサは閲覧机の席を立った。せっかくヒントを貰ったのだから、それに従わない手はないだろう。探索再開である。



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